みちのくの山野草

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『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』の目次

2024-01-07 16:00:00 | 目次
 多くの賢治研究者が、「昭和二年は、多雨冷温の天候不順の夏だった」とか「未曾有の凶作だった」と断定して、これらのことを基にして持論を展開なさっておられるが、一次資料等に立ち返るという基本に則ればそれは誤認だと直ぐ判るのに、なぜこの基本を蔑ろにしているのだろうか。しかも私の知る限り、この誤認は大問題だということを誰一人として指摘していない。

            『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』の目次(改訂版) 
はじめに                   ………………1
第一章 「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い    ………………3
 賢治が甚次郎に贈った『春と修羅』再発見  ………………3
 賢治の最も短い詩「草刈」?         ………………5
 賢治の「訓へ」(小作人たれ/農村劇をやれ)   ………………6
 賢治の「訓へ」の矛盾            ………………10
 「賢治精神」を実践しようと努力し続けた甚次郎………………12
 大正十五年の未曾有の旱害と多くの救援   ………………15
 賢治一ヶ月弱もの滞京           ………………18
 当時の旱魃被害の報道           ………………21
 「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」      ………………24
 帰花後の賢治の無関心           ………………27
 「本物の百姓」になりたいわけではなかった? ………………34
 抜きがたい「農民蔑視」           ………………37
 昭和二年は「ひどい凶作であつた」という誤認………………41
 昭和二年は「非常な寒い氣候が續いて」という誤認………………44
 昭和三年の「ヒデリ」            ………………49
 昭和三年の賢治の稲作指導         ………………54
 「涙ヲ流サナカッタ」ことの悔い       ………………60
第二章 「羅須地人協会時代」終焉の真相        63
 「演習」とは何か              ………………63
 「かつての賢治年譜」の検証         ………………64
 「逃避行」していた賢治          ………………67
 「演習」とは「陸軍大演習」のことだった    ………………69
 八重樫賢師について            ………………72
 警察からの圧力と賢治の対処        ………………73
 「自宅謹慎」                ………………78
 書き残していなかったという事実      ………………80
 論じてこられなかった理由と意味      ………………83
 仮説を裏付けている賢治自身        ………………87
 《創られた賢治から愛すべき真実の賢治に》 ………………89
第三章 伊藤ちゑと高瀬露              92
 「伊藤ちゑから見た賢治」          ………………92
 思考実験「悪女にされた切っ掛け」      ………………94
 賢治宛来簡が実は存在している       ………………98
おわりに       ………………101
《参考図書等》       ………………103
《さくいん》       ………………109

『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(一気読みタイプ)

☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(テキスト形式タイプ)
  はじめに(テキスト形式)
  第一章 「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い (テキスト形式)前編
  第一章 「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い (テキスト形式)中編
  第一章 「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い (テキスト形式)後編
  第二章 「羅須地人協会時代」終焉の真相(テキスト形式)前編
  第二章 「羅須地人協会時代」終焉の真相(テキスト形式)後編
  第三章 伊藤ちゑと高瀬露(テキスト形式)
  おわりに(テキスト形式)

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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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