みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

安比高原(6/1、アズマギク2)

2024-06-05 18:00:00 | 岩手山・八幡平
《1 》(2024年6月1日撮影) 《2 》(2024年6月1日撮影) 《3 》(2024年6月1日撮影) 《4 》(2024年6月1日撮影) 《5 》(2024年6月1日撮影) 《6 》(2024年6月1日撮影) 《7 》(2024年6月1日撮影)  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。     来る6月9日(日)、下掲のような「五感で楽しむ光太郎ライフ」 . . . 本文を読む
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本日の下根子桜(6/5、この頃の憂い)6

2024-06-05 16:00:00 | 下根子桜八景
 暫くぶりに立ち寄った朝6時半過ぎの下根子桜の様子である。 《1 》(2024年6月5日撮影) 《2 》(2024年6月5日撮影) 《3 》(2024年6月5日撮影) 《4 》(2024年6月5日撮影) 《5 》(2024年6月5日撮影) 《6 》(2024年6月5日撮影) 《7 》(2024年6月5日撮影) 《8 》(2024年6月5日撮影)  取り立てて言うこともこの歳になる . . . 本文を読む
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賢治は昭和2年11月頃上京しチェロ猛勉強、病気となり約3ヶ月後帰花

2024-06-05 14:00:00 | 『校本宮澤賢治全集』の杜撰
 今度は、  宮澤賢治は昭和2年の11月頃、沢里一人に見送られてチェロを持って花巻を発ち上京。約3ヶ月間滞京してチェロの猛勉強をしたがその無理が祟って病気となって花巻に戻ったのではありませんか。と、いわば「賢治昭和二年上京説」についてCopilotに聞いてみた。  すると、 賢治は昭和2年11月頃、みぞれの降る寒い日に澤里一人に見送られながらチェロを持って上京しました。彼はしばらくチェロを猛勉強 . . . 本文を読む
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二 『賢治随聞』の「あとがき」の違和感

2024-06-05 12:00:00 | 菲才でも賢治研究は出来る
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山) 二 『賢治随聞』の「あとがき」の違和感  逆の言い方をすれば、この「注釈*65」にはきな臭さが伴っているとも言える。それは、この〝関『随聞』〟の、つまり『賢治随聞』(関登久也著、角川選書)の次のような「あとがき」を知って違和感を抱いたので、なおさらそう思わざるを得ない。   あとがき                                . . . 本文を読む
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安比高原(6/1、スズラン1)

2024-06-05 10:00:00 | 岩手山・八幡平
《1 》(2024年6月1日撮影) 《2 》(2024年6月1日撮影) 《3 》(2024年6月1日撮影) 《4 》(2024年6月1日撮影) 《5 》(2024年6月1日撮影)  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。     来る6月9日(日)、下掲のような「五感で楽しむ光太郎ライフ」を開催しますのでご案内いたします。      2024年6月9日(日) 1 . . . 本文を読む
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安比高原(6/1、アズマギク1)

2024-06-05 08:00:00 | 岩手山・八幡平
《1 》(2024年6月1日撮影) 《2 》(2024年6月1日撮影) 《3 》(2024年6月1日撮影) 《4 》(2024年6月1日撮影) 《5 》(2024年6月1日撮影) 《6 》(2024年6月1日撮影)  続きへ。 前へ 。  ”みちのくの山野草”のトップに戻る。     来る6月9日(日)、下掲のような「五感で楽しむ光太郎ライフ」を開催しますのでご案内いたします。  . . . 本文を読む
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