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《松田甚次郎署名入り『春と修羅』 (石川 博久氏 所蔵、撮影)》
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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
第二章 「羅須地人協会時代」終焉の真相
ずっと以前から疑問に思ってきたことがある、あの「演習」とは一体何のことだったのだろうかと。
「演習」とは何か
それは、宮澤賢治が愛弟子の一人澤里武治に宛てた昭和3年9月23日付書簡(243)、
お手紙ありがたく拝見しました。八月十日から丁度四十日の間熱と汗に苦しみましたが、やっと昨日起きて湯にも入り、すっかりすがすがしくなりました。六月中東京へ出て毎夜三四時間しか睡らず疲れたまゝで、七月畑へ出たり村を歩いたり、だんだん無理が重なってこんなことになったのです。
演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
<『宮沢賢治と遠野』(遠野市立博物館)15p >
の中に出てくる、この「演習」のことである。
普通、「すっかりすがすがしくなりました」というのであれば、病気のために実家へ戻って病臥していたはずの賢治なのだから、「そろそろ下根子桜に戻ってそれまでのような営為を行いたい」と賢治は伝えるであろうと思いきや、「演習が終るころ」まではそこに戻らないと愛弟子に伝えているわけだから、この「演習」は極めて重要な意味合いを持っていると言わざるを得ない。そのような「演習」とは一体何のことだろうかと私は長らく気になっていた。
さて、この「演習」に関しては、『新校本年譜』の昭和3年の「九月二三日」の項に次のような記述があり、
…だんだん無理が重なってこんなことになったのです。/演(*)習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
〈『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)・年譜篇』(筑摩書房)〉
この「演習」の注釈〝*45〟について、
盛岡の工兵隊がきて架橋演習などをしていた。
と同巻では述べている。
ところがこの「盛岡の工兵隊がきて架橋演習」に関しては、『花巻の歴史 下』によれば、
架橋演習には第二師団管下の前沢演習場を使用することに臨時に定めらていた。
ところが、その後まもなく黒沢尻――日詰間に演習場設置の話があったので、根子村・矢沢村・花巻両町が共同して敷地の寄付をすることになり、下根子桜に、明治四十一年(一九〇八)、東西百間、南北五十間の演習廠舎を建てた。
毎年、七月下旬から八月上旬までは、騎兵、八月上旬から九月上旬までは、工兵が来舎して、それぞれ演習を行った。
〈『花巻の歴史 下』(及川雅義著)67p~〉
となっている。つまり、下根子桜に建てられた「工兵廠舎(花巻演習場廠舎)」に盛岡の工兵隊等が来舎して架橋演習が行われた期間は「七月下旬~九月上旬」であったということになる。
そこでこの『花巻の歴史 下』の記述に従えば、賢治が澤里に宛てた書簡(243)の日付は9月23日だからこの時点では既にこの「架橋演習」は終わっていたことになる。一方、同書簡の文章表現「演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります」からすれば、9月23日時点では賢治はまだ根子(「下根子桜」)に戻っていないことは明らかだから、賢治が同書簡にしたためたところの「演習」はまだ終わっていないことになるのでこの架橋演習のことではないということになる。
つまり、この書簡の中に出て来ている「演習」とはこの注釈に述べられているような「架橋演習」のことではなく、別の「演習」を指しているということを賢治自身が教えてくれている。しかもその「演習」とは、このままでも教え子にも通ずるようなそれであるということも、である。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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《新刊案内》この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』
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を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。延いては、
小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、 『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。
そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。
そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。
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〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守 ☎ 0198-24-9813
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