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《松田甚次郎署名入り『春と修羅』 (石川 博久氏 所蔵、撮影)》
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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
仮説を裏付けている賢治自身
さてここまで検証してみた限りでは、この仮説〝○*〟を裏付けてくれるものは少なからず見つかるのだが、一方でその反例は見つかっていない。
しかも、この仮説をさらに強力に裏付けてくれるある人の有力な証言がまだある。ではその人とはだれか? それは他でもない賢治自身であり、この章の始め(63p参照)に引用した昭和3年9月23日付澤里武治宛書簡(243)で述べている、
お手紙ありがたく拝見しました。八月十日から丁度四十日の間熱と汗に苦しみましたが、やっと昨日起きて湯にも入り、すっかりすがすがしくなりました。
…(筆者略)…
演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります。
の中の一言「演習が終るころはまた根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります」が、他でもないその証言である。
なぜならば、この「演習」とはあの「陸軍大演習」のことであるということがまず間違いないということは先にはっきりさせることができているので、この一言の意味するところは、
10月上旬に行われる「陸軍大演習」が終わるころ再び「下根子桜」に戻る。ただし、そこに戻ったならば今までとは違い、創作の方を主にする。
という決意を述べているとほぼ言えるから、この一言は仮説、
昭和3年8月に賢治が実家に戻った最大の理由は体調が悪かったからということよりは、「陸軍大演習」を前にして行われていた特高等によるすさまじい弾圧「アカ狩り」に対処するためだったのであり、賢治は重病であるということにして実家にて謹慎していた。……○*
を強力に裏付けていることになろう。
もう少し丁寧に言うと。もし従前いわれてきたとおりに「遂に風邪、やがて肋膜炎に罹り、歸宅して父母のもとに病臥す」ということであれば、「下根子桜」に戻るのは病気が治ったならばと当然なるはずだが、そうではなくて、演習が終わるころにと愛弟子に伝えているからである。まして賢治は「やっと昨日起きて湯にも入り、すっかりすがすがしくなりました」と9月23日時点で述べているのだから、この書簡では、例えば「かなり体調も良くなったので間もなくまた根子へ戻って……」というような書き方をするのが普通であろう。ところがやはりそうではなかったからである。
もちろん、当時の賢治は体調が優れなかったことはほぼ事実だろうが、それ程重症だったわけでもないこともまた同様であったことは先に検証できている(67p&78p参照)からますます、賢治が実家に戻った真の理由は病気のせいなどではなくて「当局に命じられて、演習が終わるまでは実家に戻って謹慎していなければならなかった」からだということを先の「一言」が一層強く示唆してくれる。
そもそも、なぜ賢治が官憲からマークされていたかといえば、それは実家に戻る前までは労農党稗和支部の「強力なシンパ」以上の存在であり、しかも周りからいわゆる「アカ」と見られるような活動をしていたからであったことはほぼ明らかだ。それがゆえに賢治は「陸軍大演習」を前にして行われたすさまじい「アカ狩り」に遭って当局から「自宅謹慎」をさせられたということになれば、その演習が終わったとしても爾後それまでと同じような活動が許されないことは当然だったであろう。そしてそのことを賢治の「一言」の中の「根子へ戻って今度は主に書く方へかゝります」がこれまた示唆してくれる。もはや賢治がそれまでのような活動が許されないことを賢治は承諾し、「下根子桜」に戻ったならばそれまでとは違って創作の方を主にすると決意したから愛弟子にもそう伝えたのだ、ということをである。
というわけで、実は賢治自身がこの仮説〝○*〟の妥当性を強力に裏付けてくれていると言える。そして、もしこれが事の真相であったとするならばそのような賢治の変節については多少違和感はあるものの、それはそれほど責められるべきことでもなかろう。なにしろ同じような立場におかれたならば私はいともたやすくにそうしかねないからだ。
そして同時に、大学同期生のM氏が賢治の甥岩田純蔵教授に『賢治はどんな人でしたか』と強引に訊ねたところ、先生は『普通の伯父さんでしたよ』と教えてくれたということをM氏から聞いていた(平成25年9月1日於A館)こともあり、
賢治が実家に戻った最大の理由は体調が悪かったためだったというよりは、その真相は「陸軍大演習」を前にして行われたすさまじい「アカ狩り」に対処するためであったとしても、賢治だって基本的には我々と同じ、普通の人間だったのだということなのだろう。
と捉えて構わないのだと安堵した。そしてなによりも、そのような身の処し方をする賢治の方がかえって身近な存在と感ずることができて、賢治は実はとても愛すべき人間だったのだと思えてくる。しかも、彼の残した作品には極めて素晴らしい作品があまたあるのだからなおさらにである。
******************************************************* 以上 *********************************************************
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《新刊案内》この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』
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を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。延いては、
小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、 『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。
そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。
そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。
そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。
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