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賢治の「訓へ」の矛盾

2024-01-09 18:00:00 | 賢治渉猟
《松田甚次郎署名入り『春と修羅』 (石川 博久氏 所蔵、撮影)》






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********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************
 賢治の「訓へ」の矛盾
 しかしここで冷静に振り返ってみると、急に不安に襲われ始める。常識的に考えれば賢治のこの「訓へ」はおかしいことにすぐ気付かざるを得ないからだ。
 なぜなら、これほどまでに賢治が他人に対して「小作人たれ/農村劇をやれ」と強く迫るのであれば、当然それは素晴らしいことであると賢治は確信していたことであろうから、
「小作人たれ/農村劇をやれ」という「訓へ」は賢治の信念であり、いわば「賢治精神」とも、その方法論とも言える。
ことになるばずで、賢治も甚次郎と同じような立場と環境にあったのだからまず隗より始めよということで、当然、賢治自身が小作人となり、農村劇をやるということに普通はなると思うのだが、賢治はそうならなかったし、やらなかったということが知られているからである。
 したがって、客観的には、賢治の甚次郎に対する「訓へ」は無責任なものであるという誹りを免れられないものとなる。言い換えれば、甚次郎は「賢治精神」を実践したが、肝心の賢治自身がそれを実践しなかったし、する気がなかったという非難を受けることにはならないだろうかという危惧が私にはある。
 そこでその辺りをもう少し具体的に見てみたい。まずは、甚次郎の生家についてだが、『「賢治精神」の実践―松田甚次郎の共働村塾―』(安藤玉治著、農文協)によれば、「新庄鳥越一二〇戸集落で一番の大地主」であり、甚次郎はその惣領息子であったということだから、本来ならば小作人になることはまずあり得ない。ところが、賢治の「訓へ」に従って、甚次郎は父に懇願して水利の劣悪な六反歩の田圃を借り受けて小作人になったのだという。
 一方の賢治だが、賢治も惣領息子であり、賢治の生家も当時10町歩ほどの小作地があったと云われている。例えば、飛田三郎は「肥料設計と羅須地人協會(聞書)」の中で、
 「あそご(宮澤家)の土地を小作(しつけ)でら人も多がったしさ……。」
 これが眞因のようです。
<『宮澤賢治研究』(草野心平編、筑摩書房、昭44)281p>
と述べているし、川原仁左エ門は、大正4年の「岩手紳士録」に
   宮沢政次郎 田五町七反、畑四町四反、山林原野十町
<『宮沢賢治とその周辺』(川原仁左エ門編著)272p>
と載っているとことを紹介していることから、賢治の母イチの実家「宮善(<注四>)」ほどではないにしても、賢治の生家も当時少なくとも10町歩ほどの地主であり、田圃を小作させていたことに間違いはなかろう。
 ということであれば、賢治と甚次郎は共に地主の家の長男であり、二人の立場と環境はやはりほぼ同じであったと言える。しかし現実は、その一方の賢治が、甚次郎に「小作人たれ/農村劇をやれ」と強く「訓へ」たのに、その「訓へ」た賢治自身はそうはならなかったし、しなかった。なぜならば賢治が「小作人」にならなかったことは周知のとおりだし、「農村劇(農民劇)」についても、昭和2年2月1日付『岩手日報』の記事によれば、賢治は「目下農民劇第一回の試演として今秋『ポランの廣場』六幕物を上演すべく夫々準備を進めてゐる」と記者に答えてはいるものの、その後にこの上演をしたことはないということもまた周知のことである(一方の甚次郎の方は、昭和2年の農村劇「水涸れ」を初回として、その後毎年のように上演し続けていった)からだ。
 つまり、賢治は甚次郎に対しては「小作人たれ/農村劇をやれ」と強く「訓へ」たのだが、甚次郎とほぼ同じような環境と立場にありなが賢治自身はそうはならなかったし、しなかったということになる。したがって、やはり賢治のこの「訓へ」は無責任で身勝手なものだと批判されたとしてもやむを得ないだろう。だから当然、賢治のこの「訓へ」は当初から決定的な矛盾を孕んだいたことなる。となれば、あの賢治のことだから後々この時の甚次郎に対する「訓へ」を恥じ、慚愧に堪えなくなるということがもちろん予想される。

〈注四:本文11p〉森嘉兵衛の論文「明治百年序説」の中の〝岩手県大地主調査表(昭和12年)〟から拾ってみれば花巻関係の大地主のリストは以下のとおりである。
◇50町歩以上花巻関係者7名(岩手県54人中)
花巻 瀬川弥右衛門(金融業)
        田 107.0 畑27.5 計134.5 小作人158人
花巻 梅津健吉(金融業)
            75.7   18.9   94.6    115
花巻 宮沢直治(商 業)
            62.9   23.7   86.6    102
花巻 佐藤秀六郎(商業)
            49.1   26.4   75.5    92
花巻 松田忠太郎(商業)
          52.9   9.6   62.5    60
湯口 宮沢善治(旅館業)
          46.9   13.2   60.1   100
花巻 宮沢商店(商 業)
          24.6   26.8   51.4    57
(筆者注:田畑の単位は町歩である)
<『岩手史学研究NO.50』(岩手史学会)16p~>
なんと、昭和12年当時、宮沢直治の小作人は102名、宮沢善治同100名、宮沢商店同57名にも及ぶ。いわゆる「宮澤マキ」は計134町歩の田圃、畑も加えれば計198町歩もの小作地を有していたことになるし、小作人の総数は259名にも及ぶ。

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《新刊案内》
 この度、拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』

を出版した。その最大の切っ掛けは、今から約半世紀以上も前に私の恩師でもあり、賢治の甥(妹シゲの長男)である岩田純蔵教授が目の前で、
 賢治はあまりにも聖人・君子化され過ぎてしまって、実は私はいろいろなことを知っているのだが、そのようなことはおいそれとは喋れなくなってしまった。
と嘆いたことである。そして、私は定年後ここまでの16年間ほどそのことに関して追究してきた結果、それに対する私なりの答が出た。
 延いては、
 小学校の国語教科書で、嘘かも知れない賢治終焉前日の面談をあたかも事実であるかの如くに教えている現実が今でもあるが、純真な子どもたちを騙している虞れのあるこのようなことをこのまま続けていていいのですか。もう止めていただきたい。
という課題があることを知ったので、
『校本宮澤賢治全集』には幾つかの杜撰な点があるから、とりわけ未来の子どもたちのために検証をし直し、どうかそれらの解消をしていただきたい。
と世に訴えたいという想いがふつふつと沸き起こってきたことが、今回の拙著出版の最大の理由である。

 しかしながら、数多おられる才気煥発・博覧強記の宮澤賢治研究者の方々の論考等を何度も目にしてきているので、非才な私にはなおさらにその追究は無謀なことだから諦めようかなという考えが何度か過った。……のだが、方法論としては次のようなことを心掛ければ非才な私でもなんとかなりそうだと直感した。
 まず、周知のようにデカルトは『方法序説』の中で、
 きわめてゆっくりと歩む人でも、つねにまっすぐな道をたどるなら、走りながらも道をそれてしまう人よりも、はるかに前進することができる。
と述べていることを私は思い出した。同時に、石井洋二郎氏が、
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること
という、研究における方法論を教えてくれていることもである。
 すると、この基本を心掛けて取り組めばなんとかなるだろうという根拠のない自信が生まれ、歩き出すことにした。

 そして歩いていると、ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているということを知った。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係がないはずである。おかしいと仰るのであれば、そもそも、私の研究は基本的には「仮説検証型」研究ですから、たったこれだけで十分です。私の検証結果に対してこのような反例があると、たった一つの反例を突きつけていただけば、私は素直に引き下がります。間違っていましたと。

 そうして粘り強く歩き続けていたならば、私にも自分なりの賢治研究が出来た。しかも、それらは従前の定説や通説に鑑みれば、荒唐無稽だと嗤われそうなものが多かったのだが、そのような私の研究結果について、入沢康夫氏や大内秀明氏そして森義真氏からの支持もあるので、私はその研究結果に対して自信を増している。ちなみに、私が検証出来た仮説に対して、現時点で反例を突きつけて下さった方はまだ誰一人いない。

 そこで、私が今までに辿り着けた事柄を述べたのが、この拙著『このままでいいのですか 『校本宮澤賢治全集』の杜撰』(鈴木 守著、録繙堂出版、1,000円(税込み))であり、その目次は下掲のとおりである。

 現在、岩手県内の書店で販売されております。
 なお、岩手県外にお住まいの方も含め、本書の購入をご希望の場合は葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として1,000円分(送料無料)の切手を送って下さい。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813}
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