羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

知的スタイル

2005年06月30日 | Weblog
わたしは、思慮深い知的な男性に魅力を感じます。
Aの存在の大きさはそこにありました。
もしかしたら夫にそういう面を求め過ぎたのかもしれません。
資質は変えられないもので、努力によって向上できることにも
限界はあるかと思います。
わたしは、テレビと漫画が好きな夫を軽蔑したりはしていなかったつもり。
でも、無意識のうちにそれは不満のひとつになっていたのだと思います。

『比較する癖は良くないよ』というAの指摘はもっともでした。
わたしの性格を見ぬき、穏やかに示唆してくれるA。
感情的になり素直になれないわたしが反論すれば、
必ず喧嘩のようになり、わたしは自分が欠点だらけの人間のように
思えてくるのです。

批判をされるために、ほとんど詩も書けなくなっていました。

夫婦の話し合い

2005年06月29日 | Weblog
この事件で一番ショックを受け傷ついたのは、
もちろん夫でした。
そこにAの意図的な作為があったのかはわかりません。
曖昧にしていたわたしの責任が大きいのです。

タイミングの悪いことに、夫は会社でも上司と衝突し不利な立場に
追いこまれていました。
降格となった夫が知った妻の浮気。
失意の夫がわたしを責めたのは当然ですが、やがて夫は話し合いの場を多く
作るようになり、わたしの話にも耳を傾けてくれるようになりました。

わたしは結婚してから言い続けて来たのに改善されなかったことや不満を
すべて話すことにしました。
『痩せてね』とか『歯医者に通ってね』とか、、、
外出を嫌がらないで欲しい、わたしが頭痛になっても不機嫌にならないで。
些細だけれど、長年の蓄積された不満を話してみたのです。

そして彼、Aとはすぐには別れられないけど別れ話をしていずれちゃんと
別れるから、と言いました。
夫はわたしのことが好きだから、とにかく戻って来て欲しいと言い、
ひとつ、ひとつ、出来ることから実行に移し始めたのです。

ダイエットを始めたり歯医者に通ったり、わたしの書棚から本を借りて行く事も
多くなりました。
夫は会社人間であることをやめ、全面的にわたしと向き合おうとしたのです。
もう若くはない人間がそこまで努力できるのかと、
わたしは、目を見張るような思いでした。


傷ついて、、。

2005年06月28日 | Weblog
Aはとても繊細なひとだったのだと思います。
子供のいない既婚者でしたが、妻の裏切りに
心身ともに傷付いていました。

例えば、『恋人同士みたいに』わたしたちが仲良くしても
彼は可能ではありませんでした。
口論のようなメール、会えない日々、遅刻。
それでも、やっと会えたとき彼の部屋で、わたしが心から彼を
愛しいと思い、大切にしたい、と思った瞬間に、
彼のからだが反応することを知りました。

その頃、わたしはAの長文メールを理解しようといつも読み返し、
対抗するように返信を書き、
バイトが休みの平日に連絡があれば、さっさと外出し、
また彼からの連絡を待つ、という日の繰り返し。
夕食を作る時間には帰宅していたし、普段通りに生活していたつもりでも、
やはり家族からの不信は拭えませんでした。

夫は「誰か好きな人がいるの?」とわたしに聞きました。
何故?と聞き返せば「そんなの態度を見てればわかる」と・・・。
その頃、居間に無造作に置いてあったわたしの携帯を夫に読まれた事もありました。
でも夫に「読んでない」、と言われると自分の勘違いだったのかと
のんきに思ったりしていたのです。

でもある日、決定的な事件が起きました。
わたしがハッキリ拒否しなかったためにAにキスマークをつけられたのです。
それを、着替えるときに夫に見つかってしまいました。
そう、大変な事態になってしまったのです。

「もう、別れよう」

2005年06月26日 | Weblog
「もう、別れよう」と、何度思ったかわかりません。
優しい慰めの言葉や、労わりや励ましを求めてもムダと
分ってからはせめて『共感』という感情を分け合いたいと
思っても、Aの理論展開によってそれさえ叶いませんでした。

例えば彼はわたしが「寂しい」ということを嫌いました。
その言葉が何故マイナスなのか、彼独特の思考法をいつも聞かされながら
いつでもわかったようなわからないような気分。
わたしを批判したりするわけでもなく淡々と、教え諭すような言い方でも、
わたしは必ず反発し、ムキになって反論し、感情を前面にだすから
すれ違いは当然だったのかもしれません。

彼を好きだと思っているのに、その恋はわたしには難解で、
でも離れられずに、

まるで宗教のように、わたしは彼の世界に拘泥していました。

仕事の性質上、会える日は全く予定できませんでした。
わたしが自分のバイトの休みを伝えておくと、唐突に「今日は時間があるよ」と、
その日にメールが来たりするのです。
わたしはメールや電話で口論ばかり繰り返していても、
顔を見ればまた何かがわかるような気がするし会いたかったから、
連絡があればなるべく出かけて行きました。
必ず、彼の車は時間に遅れて待ち合わせ場所にやってきました。
わたしは道路の端に立っていつも、赤いアルファロメオが来るのを
じっと待ち続けていました。

悪い女

2005年06月25日 | Weblog
Aはわたしのことを『悪い女かもしれない』と言っていました。
オトナシイ雰囲気なのに、実はどこか節度のないような側面を持っていて
それは、たいていの男がひそかにもっている邪な部分を引き出してしまう。

見た目と実際のアンバランスに、興味を持って付き合い始めると、
いつしか事態はとんでもない方向へ・・・。

そういうふうに言われたことはなかったので、否定したかったけれど、
否定しきれないような感じもしました。
『寂しさって何?』のところで書いた『どうせひとはひとりだ』というわたしの
確たる裏づけのないような自棄的なものが、
相手にも伝わるのかもしれない、と思ったからです。

「純粋にきみを愛している」と言ってくれるAに対して
自分の心に問い掛けてみると、そこは不純物だらけでした。
自分はマイナス思考で、即物的な慰安ばかりを求めている、
矮小な人間である、という気がしてくるのです。

純粋な彼を傷付けてはいけない、と思っていました。
また、ここまでわたしのことを真剣に考えてくれる男性はもう、
この先現れないのではないか、というような気もしていました。

アルファロメオ

2005年06月23日 | Weblog
さて、前々回の話の続きです。
彼(Aと呼ぶことにします)とは楽しい思い出があまりない、
と書きました。
たしかに、すれ違いの多い二人だったけれど、
出会って最初の頃は何度かデートらしいデートもしました。
Aの愛車は深紅のアルファロメオ、左ハンドルでした。
車には全く疎いわたしもその車種だけは覚えました。

彼は、わたしが甘えるままに、公園や、美術館や、少し遠出の湖へのドライブに
連れて行ってくれました。
わたしはどこかへ出かけることが大好きでした。
夫は出不精だったので、たまに家族で外出する計画をわたしが立てても
あまりいい顔をしなかったのです。
だから、このドライブはAが積極的ではなかったにしろ
わたしには嬉しい経験でした。

中央線の謎

2005年06月22日 | Weblog
昨日のことです。
中央線下りに乗ったのですが、ラッシュ時間もとうに過ぎて
昼近い午前中の車内は少し空席がある程度、、。
わたしがある駅から乗った時、ピッタリ寄り添って眠るカップルが
目だっていました。
まるであの名作テレビドラマ『高校教師』の最終回のように、
彼女は彼氏の肩に頭を乗せそこへ彼氏もそっと頭を傾けています。
車内に気になる人を発見したとしても、普通そんなにジロジロとは
見られないものですが、お二人が熟睡しているのをいいことに
わたしはシッカリ観察させていただきました。
彼氏はスーツ姿で上着は脱いで膝におきワイシャツの袖もまくっているのですが
草刈正雄をコンパクトにしたみたいな素敵なお顔をしているのです。

彼女の顔は髪に隠れて見えません。
ジーパンにサンダル、Tシャツというスタイルでカジュアル。
そう、お二人は年齢も10歳以上は離れているように見えるし格好も不釣合い。
だから目だっていたのかも、、、。

しかもその端正な寝顔を見せている男性が、
電車の振動のせいか、小刻みに「頷いて見える」のです。
それは果てしない肯定、の仕草にも見え、不思議な感じ。

二駅、三駅、と過ぎ、ふと彼女はかすかに目を覚まし携帯を眺め、
よほど疲れているのか(?)二人は再び夢の中へ、、。
そのときちらりと見えたお嬢さんの顔は化粧もあまりしていない可愛らしい感じ。

しばらくして電車はK駅に到着。
すると彼女はふっと目覚めて立ちあがり、何事もなかったかのように
下車して行ったのです。
あれれ!?ふたりはカップルではなかったの~?
男性もまた何事もなかったかのように、少し態勢を立て直し小さく頷きつつ、
眠り続けています。
二人は他人だったのか、、或いは、もう交わす言葉も視線も必要がないのか・・。

いずれにしてもお互いの睡眠を助け合っていたことだけが
『残された事実』です。
ふだんあまり電車に乗らないおばさんには、
ちょっと不思議な体験でした。

外見ってやっぱり、、、。

2005年06月20日 | Weblog
彼の魅力は、圧倒的な文章力でした。
当時、500文字の携帯画面を全部使って何通もまとめて
送信してくるのです。
それは、どこまでも真実に迫ろうとするかのようなひたむきなメールだったと
思います。感覚的には理解できても、その内容は彼独特の言いまわしによって
複雑なものになっていたため、なかなか難解でもありました。

書物のように平面に印字された活字であれば、読み直しながら理解して行けるのでは、
と何度も思ったものです。パソコンに取りこんで印刷したい、だからパソコンが欲しい
とも思いました。

わたしは不遜なことに『どうせ出会い系で出会うなら、少しでも自分の好みのタイプに
近い人と出会いたい』と思っていました。外見にもちょっとはこだわっていました。
メールでは最初にそう書きました。彼はそのことにはずっと触れずにいて暫く心に届くような
メール交換をしたあと、「会おうか」と言ってきました。「ただし僕はきみの好きなタイプ
ではないと思うよ」と。

わたしは、その一言に迷いつつ、、。そのとき、心の中にはまだあの優しかった彼の笑顔が
あることに気がつきました。
それでもやはり、わたしは会うことを決めました。
太ってる人が苦手、と公言していたわたしの前に現れたのは、痩せてもいないけどそれほどの
肥満という訳でもない、いかにも音楽関係の自由業らしい個性的な風貌の人でした。

外見にこだわったりするようなことはつまらない、と彼は考えていたし先入観なしに付き合いたい
と考えていたようです。でも心の狭いわたしは自分のことは棚に上げて、いつも
つまらないことにこだわる性格でした。好み、とは言えない彼の風貌にも、
そのうち慣れるかな、、、と思っていました。その考え方や文章力がとても魅力的だったからです。

この話をしなければ・・。

2005年06月19日 | Weblog
どんな恋でも、たいていは過ぎ去ったあとに懐かしく思い出す瞬間、
というものがあるような気がするのですが・・・。
これから書こうとしている話には、残念なことにそれが殆どありません。

だからと言って、後悔をしている訳じゃない。
わたしはそのひとと出会い、時を過ごすことによって、
かつてないくらいいろんなことを考えました。本も読みました。
漠然と流れ行く日常の中で立ち止まり、考えること、『気付き』ということ、
そして相手の話を理解しようとし、自分の考えたことを繰り返し問い直すこと。

すべては、彼との出会いによってもたらされたものでした。
そういった意味では、とても感謝しています。
いつもいつも口論をしていたような二人でした。
けれどそれは無意味ではなかったと、思うのです。
わたしが、彼に追いつけなかっただけだと、今なら分るのです。

今から5年くらい前のこと、黒いアタッシュケースを手にした優しかった人と別れて、
わたしは漠然とした寂しい日々を送っていました。
今まで見るだけだった携帯のサイトに初めて投稿してみたりしました。
驚くような数のメールが舞い込んできて、とても誰かを選んだりは出来なくて・・・。
でも懲りずに今度は、詩的な変わった雰囲気の文を投稿してみました。
そこに返信をくれたのが、彼でした。

オトナの純愛

2005年06月17日 | Weblog
これを開く度に思うのですが、
『熟年世代の恋愛』というタイトルはちょっと背伸びし過ぎでした。
熟年、は何歳位からいうのかなぁ、、。その少し前、40代~50代は、
中年??。でも、『中年世代』とは言わないような気がするし・・・。
そうそう、ちょっと怪しげな写真集で『熟女』とつくものがあるけど、
その主役(!)はきっと40代くらい。
『成熟』という発想から来てるとして、憧れもあわせてやっぱりこのタイトルで
良しとします。今更、変えるのもなんだか・・だし、、。

それに、40代や50代の同世代の恋物語って、わたしは『純愛』だと思う。
出産や結婚とは縁がなく、ただ単純に恋をする、そこには打算がない。
でも既婚である場合が多いから、苦しみを存分に引き受ける覚悟を持っているはずで
もしかしたら『これが人生最後の恋かも』って思ってたりする訳です。