羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

ポリティコン

2011年02月23日 | Weblog
わたしはいつでも、すこし先に楽しみを見つけようと思う。
ささやかな楽しみでいい。
いまは世田谷文学館の「旅する絵描き いせひでこ展」が、
一番の楽しみ。
伊勢英子さんは絵、エッセイ、物語、ご本人、すべてが好き。
丸善のサイン会でお会いしたときは本当に嬉しかった。
久しぶりに世田谷文学館へ。いつ行けるだろう。
手帳を見ては考えている。
そういえば世田谷美術館のチケットを貰った。
「佐藤忠良展」来月6日まで。行ける日があればいいけど。

そして今日、頼んでおいた本が到着。
桐野夏生さん新刊「ポリティコン」。
新刊がでたら新しいうちに購入する唯一の作家。

表紙カバーには、何だか強そうな鶏が睨みをきかせている。
最初の一ページを開いて小説世界に入っていくときのわくわく感。
この楽しみはおおきい。

ライブで猫にあう。

2011年02月19日 | Weblog
中島みゆきツアーの時に出会ったかたからお誘いを受けて、
横浜まで出かけて行った。
同世代の皆さんが溌剌とマイクの前で演奏し歌うのを聴くのは、
なかなか楽しかった。
けしてじぶんには出来ないことなので、
すごいな~とそのパワーが伝わってくる感じだった。

ライブハウスに行く途中、梅の枝に座って花見をしている猫を発見。



梅は満開。
猫はご満悦。
ずいぶん高いところに上ったね~と思わず話しかけて写真を撮ったら、
ジャマをされて機嫌を損ねたか身軽に枝を渡って下りて行った。


学生街の喫茶店

2011年02月17日 | Weblog
先日の新聞に御茶ノ水駅近くの画廊喫茶「ミロ」がでていて
写真もあって、すごく懐かしかった。
「学生街の喫茶店」あの歌にまつわる記事だった。

「ミロ」は何度も彼と行った。
そう、彼が学生時代から通っていた店。
結婚しようと思っていた彼と別れたあとも、一人で行った。
変わらずに黒猫が待っていてくれて、
わたしはひとつだけ「ミロ」という詩を書いた。

何年もの時が過ぎた。


先日、次女と吉祥寺でパスタを食べた。
「誕生日ランチだよ」と娘が連れて行ってくれた店は、
吉祥寺の路地にひっそりとあり、カウンターが6席だけ。

そのランチのコースが驚くほど美味しかった。
娘は「安くて美味しい店」をシッカリと見つけてくるから恐れ入る。
カウンターに座って、マスターが目の前で調理するのを見ながら、
お腹をすかせて待つ。
牡蠣がフライパンに入り、白菜が加えられる。
隣の鍋でパスタが茹でられてタイマーがセットされる。
わたしは牡蠣と白菜のクリームパスタで、
娘はわたり蟹のトマトソースを選んだ。

サラダも、たっぷりのカボチャスープも、紅茶のケーキも、
素晴らしく美味しかった。


次女は春になったら巣立って行く。
その前に二人で小さな旅行をしようと思う。

価値

2011年02月13日 | Weblog
「人の価値は態度で決まる」周囲にどんな態度をとることができるか。
姜尚中さんはその穏やかで理知的な話し方で素敵だな~といつも思っていた。
昨日の新聞に彼の記事があった。

慌しく日々が過ぎていく。
古本屋の仕事に行き、美容院で髪を切り、結婚式に参列した。
次の日はまたべつの仕事に行き、相変わらずの連絡ノートを読んだ。
何故そんなにも攻撃的になれるのだろうと、不思議な気さえして、
ちょうどその日、姜さんの言葉に出会った。

雪が降っていた。
音もなく振り続ける雪。
外の仕事の日だったので、雑念が入り込む隙もなく寒くて凍えた。

今日は愛猫の葬儀をしたところから「初七日」という知らせがあった。
お寺にはペットの供養をする人々が驚くほどたくさんいた。
前回は平日の夕方近くだったのでこれほどの人たちが集うとは知らなかった。

毎日少しずつ駿の不在に慣れていく。
玄関に迎えにこないことも、前足をつかってドアをあけてくる気配がないことも、
朝早くから「ごはん~」といってうるさく鳴く声がしないことも、
おばあちゃんのストーブの前を独占して寛ぐ姿がないことも、、、。

ずっと忘れないけれど、駿は愛されて幸せな猫だったから、
わたしはわたしの悲しみと向き合っていけばよい。
じぶんの感情と折り合いをつけるだけだ、と思ったらすこし気が楽になった。

駿、今日は誰の誕生日か知ってる?
駿の初七日。
みんなに「誕生日おめでとう」っていってもらったよ。
ともだちからもらったお花のカード。
ここにいたら胸に抱いて見せてあげられるのにね。
そうそう、雪も降ったんだよ。
きっと窓辺に座ってじっと外を眺めていたんだろうね。

不在

2011年02月08日 | Weblog
気持ちを切り替えて仕事に行った。
どうしても気が合わない同僚から「意味のない」苦言が記してあった。
「辞めよう」と思いつつ続けてきた仕事。
今朝、その文を目にした瞬間「今月いっぱいで辞めよう」と思った。
もう限界なのではないかと、思った。
何回こういう思いをしたかわからない。
しかし同日に彼女と同じシフトになることはない。
他のひとたちがみんないいひとなので、辞めたくなかった。
四年経ち仕事も覚えた。

業務に追われ、遅い昼休みになり、ぼんやり考えていた。
辞めたら生活はどうなるんだろう?
いつも他の仕事を探してきたけれど、これというのがなかったし、
実際に応募して落とされもした。

ここの仕事場敷地内にいていつも励ましてくれた人の言葉を
思い出す。
「あなたは詩を書いたり本を読んだりじぶんのせかいがあるのだから、
彼女とはまったく違う。気にすることない。」

大好きだった猫を喪って弱気になっていたからダメージも大きかった。
でも、そのひと(いまは別の所で働いている)のかけてくれた言葉を
思い出して、とにかく次の仕事が見つかるまで頑張ろうと思った。

連絡ノートにあった苦言、帰る頃にはかるく返事を書くこともできた。
「無意味な」謝罪をするつもりはない、でも彼女が思うように事が運ぶように。


帰宅した。玄関を開けるとき、いつもドアまで迎えにきた猫がいない。
「どうしていないんだ・・・」そればかりを考える。
わたしひとり夕ご飯の支度。いつも足元にまとわりつく猫がいない。
「どうして?」「駿?」と声にだしそうになる。
居間にある猫のトイレ、爪とぎ、そして、特等席のクッションもそのままだ。
駿、わたしの部屋のお弁当箱はまだベッドの下にあるよ。
ノートが入った引き出しにはカリカリがまだたくさん残ってるよ。
(引き出しに手をかけると駿が喜んでしまうので、
ノートやメモなどを取りたい時はいない時にあけようとしていた)
15年も駿と暮らした。
ドアを猫が通れるようにピッタリ閉めない習慣はいつまで残るのだろう。

泣いて泣いて泣いた

2011年02月07日 | Weblog
大好きだった猫が死んでしまった。
歳はとったけれど、元気で世話をやかせることは何もなく、
相変わらずの食いしん坊で、本当に高齢なのかと思うほど甘えて、
いつも家族の誰かのそばにいた。
わたしがいれば、たいていそばにいた。

土曜日の夜、わたしが寝るときいつものように枕に乗って、
まるでkissみたいにチュッチュッと小さく舌をだしてわたしの顔を舐め、
ふわふわ暖かくて重くて、まるで恋人のようにくっついて、
顔をくっつけて眠った。

昨日の夜は「ねェ、ねェ」とパソコンしているわたしの膝に
前足をちょんちょんとかけて、カリカリの催促をした。
居間にある食餌セットではなく、私の部屋には駿のお弁当箱がある。
そこにカリカリをいれてあげると嬉しそうに食べて、
いつものように前足でかきあつめて残さず食べた。

でも、昨夜は一緒には寝なかった。
隣の部屋にあるじぶんの毛布に、黙って寝に行った。
今朝、いつもの「おなかすいた~」の鳴き声が聞こえないので、
不審に思って見に行ったら、もう彼は息をしていなかった。
いつものように前足を胸の前で組む可愛いポーズで、
でも顔はわたしのコートの中にすっぽり埋もれて、、、。



今日はたまたまわたしと家族が仕事休みだった。
土日が関係ない仕事をしているひとばかりで、一緒の休みは滅多にない。
甘えん坊の駿はこの日を選んだのだろうか。
こどもたちに連絡をとり、ペットの葬儀を娘に検索してもらい、
家族みんなで見送った。
駿が好きだったわたしの枕カバーの上に寝かせてお別れをした。
泣いて泣いて、泣いた。
きっとずっと思い出しては泣くだろう。
お骨の一部分はカプセルに入れて持ち帰った。
長い尻尾まできれいに骨になっていた。

泣きはらした子どもたちもそれぞれの場所に帰っていった。
駿の名付け親だった長男は夫に「母ちゃんが心配だから頼む」といって
帰ったそうだ。

「星がきれいだよ」

2011年02月04日 | Weblog
先生が亡くなった、という事実をどうしても受け入れることが出来なかった。
どうしても信じられない、と呟いたら「私もそうよ」と奥さまがおっしゃった。
今日は、ようやく先生のお墓参りに行くことができた。


先生と出会ったとき、わたしは13歳だった。
現国の授業に現れた先生はいきなり黒板に風船の絵を描いた。
先生はお名前とその飄々とした雰囲気から「フーセン」と呼ばれていた。

わたしが思春期突入した中学生だった頃、いちばんなついていた先生。
そしてわたしが書いた詩や感想文を次々とどこかに応募郵送してくれた。
「入選したよ」と笑顔で先生に言われるのが嬉しかった。
朝礼で表彰されるのはなるべくやめてもらったけど、、。
そう、先生がわたしにとって「書くこと、それを発表すること」の出発点。
「読んでくれるひとがいる」という原動力。
父親には反発していた娘だったが、学校には先生がいてくれた。

けれど月日は瞬く間に過ぎた。
何十年もの空白のあとまた詩作を始めたとき、真っ先に思い出したのは
先生のことだった。
再会して御礼を言いたい、手がかりを探して何年も過ぎ、ある日、
ミニコミ誌に中学の同窓会の記事を見つけた。
その編集部に連絡して、投稿者を教えてもらい、そこからさらに人伝に、
ようやく先生の現住所がわかった時には本当に嬉しかった。
すぐに手紙を書き、届いたその日に先生は電話を下さった。

何度も手紙が行き交い、ようやくわたしは先生に再会した。
奥さまがたくさんのお料理を作って待っていてくださった。
あの日、帰りのバス停まで送っていただき、
バスに乗ったわたしをいつまでも見送ってくれていた事を思い出す。
むかしと変わらないひょろりとした長身、優しい笑顔。
何十年もの歳月が流れたとは思えないほど、若々しい印象だった。

健脚で活動範囲も広く、そのお話も楽しかった。
不慮の死を遂げる数日前にはパスポートを更新されたらしい、10年。
海外や国内の山行きの予定がすでに四つあったという。

その日も、山梨にハイキングに行くからと奥さまを誘ったとのこと。
絵本の講演会があるからと、迷いつつも同行しなかった。
いつも、玄関先で「行ってらっしゃい」といってそこの角を曲がるまで
見送っていたという。
その日は夜明け前に出発したので「星がきれいだよ」と言われ、
外まで出て、空を見上げているうちに早足の先生はもう角を曲がって、
姿が見えなかったという。だから、それが最後に聞いた言葉だったと・・・。

お墓の前で手を合わせていると「おお、来たのか」という先生の声が
聞こえてくるようだった。
帰りには奥さまと美術館に寄った。
わたしたちを見守るように春の日差しがすみずみまで輝いていた。
先生が用意してくださった時間なんだ、、、と思ってゆっくりと歩いた。

カフェでひとやすみ

2011年02月03日 | Weblog
最近、家族や友達と行ったカフェ、その1、
高円寺のカフェアパートメント
細い階段をとんとんとあがっていく、ドアをあけると、
いらっしゃいませの笑顔に迎えられて靴を脱いであがる。
可愛い小物や絵本の好きな知り合いの家に来たみたい。
ゆったりしたソファもあるし窓に向かった椅子もある。
写真は禁止、禁煙。静かな静かな店内はランチタイムなのに
客はわたしたちだけだった。。

その2。

パンダ好きには有名な阿佐ヶ谷のぱんだ珈琲店


どれもこれも、パンダ!
あっちを向いてもこっちを向いても、飲み物も食事も、
徹底的にパンダ。お見事!という感じ。
ランチはドリンクやソフトクリームまでセットにできて女性向き、
(というか男性客は皆無だった)
わたしの頼んだチキンソテーのライスには海苔を切り抜いたパンダ、
友人のオムライスはライオンっぽいパンダ。
ついでにパンダのスプーンを二つ、娘に買って帰った。

その3、同じ阿佐ヶ谷のテントカフェ

以前にもこのブログで紹介したことがある。
実はパンダ珈琲でクッキー&クリームのソフトを食べたのに、
またここでイチゴのパウンドケーキを一皿。
二つきたので仲良く食べて満足。


その4。

狛江に行ったときに入った「まどか」

駅の近くの小さな喫茶店。
ピザトーストもハーブティーも美味しかった。

ここで出会った仔猫のミルクピッチャー。
にゃーんとあけた口からミルクがこぼれる。
阿佐ヶ谷のパンダも可愛かったけど、この仔猫は連れて帰りたいくらいだった。