羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

われに五月を

2011年04月30日 | Weblog

風がつよい、春はいつもこうだったか、、、。
ほぼ外で仕事をしてきた日には
公園から吹いてくる砂風で髪はザラザラ、喉はヒリヒリ。

喉が痛い日が続いている。毎日痛い。もう二ヶ月くらい痛い。
医院の薬もなくなって、手元にある市販薬を気休めに飲む。
あの発熱やひどい頭痛が連続した日々に戻りたくない。
ふと「治るか治らないか」ではなく「勝つか負けるか」
なのではないかと思う。
薬や疲労やその他いろいろで、パタンと眠ってしまいたい気持ちに
打ち克つか、、、頑張って乗り切ってしまうか。
しばし休養していた短い日々を過ぎて今は頑張ってみようと思う。
毎日が忙しいし、幸い漢方薬のおかげか頭痛が減っている。
喉が痛いくらいはどうにかなるような気がする、、と珍しく強気。
(でも本当はこれ以上続いたら医院に行くつもりでいる)

風邪の症状ではないのならOK。
花粉や黄砂のせいにしておこう。
三月、次女のアパートまで出かけて行って新社会人の娘に
わざわざ風邪をうつしてきてしまった。
彼女が五月の連休に帰ってくるという。
元気な母として迎えたい。

五月、わたしの生活にも変化は訪れる。
今度はそのことも書きたい。



『五月の詩・序詞

 きらめく季節に
 たれがあの帆を歌ったか
 つかのまの僕に
 過ぎてゆく時よ

夏休みよさようなら
僕の少年よ さようなら
ひとりの空ではひとつの季節だけが必要だったのだ 
重たい本 
すこし 雲雀の血のにじんだそれらの歳月たち 』


寺山修司 「われに五月を」から。

すみれという名の猫

2011年04月29日 | Weblog
昨日、母と病院に行った帰り、駿の眠る霊園へと足をのばした。
母は(あんなに猫嫌いだった母が駿のおかげで変貌した)、
この日を楽しみにしていてカレンダーに「しゅん」と書いて待っていた。

母は転倒して救急車で運ばれたときも
「駿が待っているから帰らなくちゃ」と言って、
わたしたちが返答に困る様子を見て「あ、そうだった、駿はいないんだ」
とさびしそうに呟いていた。

ペット霊園には人馴れした猫たちがいて、
訪れるものを慰めてくれる。
この黒白のおっとりした猫をさわって帰ろうとしたとき、
出入り口付近にベージュの猫を発見。
近寄るとごろんと転がる。ふと見るとピンクの首輪をしていて
そこに「すみれ」と名前が書いてあった。
すみれは気まぐれな猫らしく写真をとろうとするまもなく、
ふらりとどこかへ消えてしまった。

それでもイエスという

2011年04月27日 | Weblog
ものすごく風の強い日だった。
連休中とその前後数日、仕事先はもっとも忙しい。
ようやく一日を終えたつもりでも、
明日へうまく繋げられたか、時として不安になる。

夜になってもまだ風は強く、窓を激しく叩いている。

わたしは今日も夕刊を広げて連載記事を切り抜いた。
「生きること」(ニッポン人脈記)

それでも人生にイエスと言う。
姜尚中さんが引用したビクトール・フランクルという人の
本のタイトル。姜さんの写真を見つけて読み始めた連載。
次々と登場する人と人のつながり、その接点の深さ。

連載がいつまで続くのかはわからないが、
全部切り抜いておいて、あとからまた読み直してみたい。


眠りの舟

2011年04月26日 | Weblog
「睡眠障害・睡眠外来」という言葉を幾度となく検索していた時期がある。
パソコンがない息子はネットカフェで調べたりもしていた。
なるべく一緒に受診したいと思っていた。
過干渉と言われようとかまわない。
ヘルプと言ってくれたのだからとことん付き合おうと思っていた。
当然、彼は母の付き添いを断ったけれど、それは「頑なに」拒む、という
ほどのものではなかった。

眠れないつらさ、はわたしにもわかるつもりだった。
けれどそれは本当に個人差のあること。
サッカーの大会に出かけ疲労困憊して仲間が眠りに落ちてから、
ひたすら天井を見上げていた彼のつらさがどこまで理解できていたか
わからない。
今回、あらためてそんなことを思った。

薬剤師が「着替えて布団に入る直前にお飲み下さい」といって
眠剤を渡したから、この錠剤にどれほどの力があるのか訝った。

服用したとたん麻酔にかけられたように前後不覚になるなどとは、
もちろん思わなかったけれど。

それでも、薬剤にはそれなりの効果があった。
長女に借りた角田光代さんの「ひそやかな花園」を閉じてから、
久しぶりによく眠ったかもしれない。

駿のいない春の夜だ。猫の寝顔はほんとうに安らぎだったな~と思う。

途中下車

2011年04月25日 | Weblog
二日続けて雨に降られた。
昨日は仕事の帰り、バスをおりて歩き始めたとき。
今日は頭痛外来を受診して外に出たとき。
雨は急ぎ足の旅人のようにわたしを追い越していく。

循環バスには乗らずにすんだかもしれない。
そのかわり、というわけでもないだろうが、
夜、さっぱり寝つけない。
「眠い、寝よう」と思ってベッドに入るのに、
何分かするとぱっちり目が覚めて眠れていない状態に気がつく。
(眠っていない自分を発見する)
毎日、睡眠不足で眠いはず、だから眠れるはずなのに、
どうしたんだろう・・・。諦めて小さな灯りを点ける。
好きな音楽を聴いて過ごす。焦らないように、、、。


「睡眠導入剤」を貰ったので、長いことお守りにしてきたデパスに
別れを告げようと思う。
デパスがあれば眠れると信じていたのだ。本当に長いこと・・・。


病院のあと、偶然近くまで来ていた長女に会うことが出来た。
嬉しかった。
「決めたこと」についても話して賛成してくれた。
そう、途中下車をしようと思う。
「おります」と断固として言えばいいのだ。声にだして、聞こえるように。

循環バス

2011年04月18日 | Weblog
治ったわけではない。振り出しに戻ったのだ、と思った。
頭痛薬服用記録を日々、更新していた。
昨年あたり、ふと飲まない日が10日も続くと
「もしかしたらこの年代になったから片頭痛から解放される日も来るのでは?」
と淡い期待も抱いていたのに。

コンコンとセキをしていたのが三月の始めだった。
わたしはいつも喉が痛くなって風邪とわかるので「あれ?」と思っていた。
その後、いつものように喉が痛くなり鼻水がでて花粉症とごちゃまぜになった。

母を連れて病院に行った時、ついでに風邪薬も貰ったのは三月中旬だった。
(市販薬では効かなくなっていた)
その時微熱があることがわかり、その時からずーっと体調は復活しなかった。
ただ、喉が腫れている状態、熱、頭痛、イコール食欲ナシという
セットになっていて、セキも鼻水もすこしマシになっていた。

とうとう抗生物質がなくなった。
また医院に行かなくては、、、と思いつつぐずぐずしていたら、
熱も喉の違和感も収まったようだ。
でも再びセキが頻繁になってきた。
また自分のセキで眠れない、咳き込んで吐きそうになって苦しい。

ということは、また振り出しに戻り、、これから喉、熱、頭痛、と循環して
いくのだろうか・・・循環バスみたいにぐるぐる
それだけは避けたい・・・。

セキをしながらも一生懸命、仕事をしてきた。
仕事中に考えたこともある。
仕事中も母が気がかりで仕方がない。

今朝、公園の鍵を開けたらタンポポが賑やかに咲き誇っていた。

桜が咲いた

2011年04月04日 | Weblog
やはり、高齢の母の転倒はダメージが多かったようで、
自宅療養、と気を抜いていたのが良くなかったのかもしれない。

わたしの不在のときに立てなくなる、という事が何度かあった。
仕事に出ていても気が気ではない。
夜も階下で呼んでいないかと気になって眠れない。
そういうことがちょっとだけあって結局、母は入院した。

じぶんの都合で入院させてしまったようで、
それはそれで辛いものとなった。
入院翌日、次女は住み慣れた家を出て引っ越していった。

7人と1匹で暮らしていたのに、とぼとぼと暗い自宅に帰ってくる。

母の見舞い、介護の手続き、次女の雑用手伝い、それらを、
熱をだしたりあちこちが痛くなったりしながらどうにかこなしてきた。

今朝も何故かまた熱があって、抗生物質がもうないし、ちょうど休みなので
新しく出来たらしい医院へ行ってみた。
すこし減らしたいクスリが結局また増えたけど、効果があればいいと思う。

帰りに母の病院へと向かいながら、
「自分の病院、長女の病院、父の病院」とぐるぐる歩いていた頃を思い出す。

ハナモモの濃いピンクが青空に映えていた。

母のベッド近くには駿の写真があって、しっかり見守っている。

長男が買っていった大きめの付箋も何枚も貼ってある。
次々とやってきた孫(とそのパートナー)たちが何か書いて貼って帰るようだ。

母は明日、退院する。
手さぐりの在宅介護がスタートする。
春は桜が静かに咲いて、遠くを眺める人々を応援する季節だ。