羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

明日から

2011年06月27日 | Weblog
暑さにはかなり弱いので、本当は5月や10月頃行きたかったけれど、
実現できるのは今だけという可能性も有るので、
6月の終わり。
台風も去ったようだし、小雨でもいっこうにかまわない。
曇り空くらいがいいな。
 

自分の支度はすぐに終わって、心配なのは母のこと。
毎日の予定表をつくりそこに服用の薬も貼って、
母のカレンダーの下にとめてきた。
食事のことは冷蔵庫に貼った。(誰がみてもわかるように)

兄や家族にあとはお願いして、明日から。
九州へ。



巡り合う小舟たち

2011年06月26日 | Weblog
大好きなあの映画から名前をちょっと借りてアマゾンに古本店を開いてから、
二年以上は経ったかな。
せっせと出品して管理しているときもあったが、ついそのままにして何ヶ月か・・・。
でも、責任は認識しているので、注文が入ってないかどうかチェックだけはする。

注文があればキレイにして梱包して発送する。
忘れた頃に思いがけない本が売れる。
詩集「山芋」という注文があったので慌てて書棚を探す。父の遺した本だった。
初版本で貴重な本かもしれない。お父さん、ごめんね、と思わず胸の内で呟く。
(よく分らずに最初の頃、出した本だった)

教育者寒川道夫氏が編集した学童の詩集だった。
父が遺した本は当初、長女の退院と重なってバタバタと処分してしまった気がする。
狭い書斎の隅にも手がまわらない場所があり、父亡き後に寝室とした長女も、
その後自室にしたわたしもそのままの状態だったが、ふと眺めてみた事がきっかけだった。

ずっとここにあった。
お父さん、これ大切な本だった?
でも叩き売ったわけじゃない。それなりの価格を設定して、ずっと「巡り合う小舟」に
積んでおいたのだ。それを見つけてくれた人に貰われていった。
ここにあってずっと息をひそめているよりは、
必要としてくれた人のところに行ったほうがいいよね?

父に語りかけるひとときだった。
そしてやっぱり父のささやかな蔵書は(本当にごく僅かだけれど)、
もうどこへもやらずにわたしの手元に置いておこうと決めた。

淋しさには名前がない

2011年06月23日 | Weblog
「どうして行きたいのか?」と問いかけてくれる人がいたので、
かねてより用意しておいた回答をじぶんのうちに探す。

ひとりは好きだけれど、さびしいのはキライだから、
「ね」と笑顔で楽しさを分け合える旅もいい。
それも楽しい。

でもたまには静かにひとりぼっちになってみたい。
遠くに山並みを眺めたり海を眺めたりするときは無口になるように、
見知らぬ街やひとたちのなかにいるときも、
ただ「わたし」であればよく、わたしだけに流れる時を感じとりたい。

きっとすごくさびしいだろうと想像する。
若い頃にひとりで出かけていた頃とはまた違うだろう。
日常から出て行く非日常の高揚感とひとりぼっちの淋しさを
見つめてみたい。そういう場所にじぶんをおいてみたいんだと思う。
たぶんそれは、「感性を大切にしたい」ということに似ている。


「淋しさには名前がない」
旅にでる時いつも持ち歩く音楽(眠りにつく時イヤフォンで聴く)に、
もちろんこの淺川マキさんの大好きな歌が入っている。

介護の日々(3)

2011年06月20日 | Weblog
「大変だ・・・」と思い始めると「大変だゾーン」にずぶずぶとはまり込んでいく。
「あ、そうでもないか、これはタイヘンだけどこれはラクになったわ」と
思い至ってふとそこから抜け出す。
負担に感じるかどうかは、やっぱり気持ちの持ち方次第ってところもある。


もしかしたら、、この病気が原因かも!?とひらめく事があり、
それならばと予約外でK病院へとタクシーに乗った。
朝早めについて受付で話をしてそれでは30分ほどお待ち下さいと言われ、
一時間半後に「やはり予約外なので午後一時半からの診察になります」と・・・。

一時間半待ってでた答えがこれだったので、ガッカリ。
諦めきれずに寄った高齢医学でも担当医ではないからと言われたので、
母の車椅子を押して、またタクシーで帰ってきた。とても疲れて・・・。
車椅子にじっと座って待っていてくれた母は腰が痛い。
わたしも早朝に頭痛薬を飲んでいたから、
ふたりでただじっと静かに待っていたが、けっきょくムダだった。


時間をつぶすことも(外へお昼を食べに行って来て下さい、と軽く言われた)、
あるいは、帰り道にパンを買うことも、
じぶんが車の運転さえできれば、、、とまた思う。
タクシー往復ができる範囲の病院も限られている。。

いまタイヘンなこと。その処理作業や洗濯も、自分がしなければ、と思う。
それは前回書いたように母のプライドに関わることだから。

病気に起因する症状なら改善されるかもしれない。
これから焦らずに考えていこう。

そんなこんなで、「ひとり旅」出発(来週)まで、あと一週間となった。

介護の日々(2)

2011年06月18日 | Weblog
子どもたちが巣立つ。じぶんが更年期の症状となる。
親の介護が始まる。こういう図式は知っていたけど、
何とかなるものだと思っていた。

たぶんどうにかやっていくだろう。
これからもっとタイヘンになる、まだ入り口だ、気楽にいこうと
思っていたつもりだった。
気がつけば、ふと気がゆるみぽろぽろと泣いている。

じぶんが動かなければ周りが気をつかって助けてくれる訳じゃない。
わからないこと、つらいこと、逡巡すること、
「介護制度はいかが?」と注文を取りに来てくれる訳じゃない。

調べたり、動いたりして、まだ三ヶ月か。

幼いこどものようでも、高齢者には確固たるプライドがあるはずだ。
だからプライドをを傷つけないように接しようと思っていたが、
現実的には老人性うつ病と認知症なのだから、対応がすごく難しい。

今日は歯科医に行くはずだったが結局また行けなかった。
こういうとき、車が運転できれば、サッと乗せて連れて行けるのにと、
思ったのは母と言い争ったあとで、言い争う、という事態は、
いま思い返してもここ数年はなかったことで非常にスリリングだったが、
もちろん、とても悲しかった。

母はメモ帳にひとこと書く習慣があって、
うまくすると食べたものや時間も書いてくれるし、思ったこともちょっと
書いてあるようだ。きっと記憶の糸を懸命に繋いでいるのだろう。
こちらが書いて渡すメモ(予定や食事)のところに書き足してある事もある。


言い争い(というほど大げさではないが)の一件もメモしてあるだろうか。
すこしでも書けるならずっと続けて欲しいので、それも有りだと思う。

気にしないように

2011年06月16日 | Weblog
「ひとり旅」計画を立て始めたのは退職を決めた頃だった。
融通のきかないシフトに縛られていたから、ゆっくりしたい、旅に出たいと、
よく思っていた。
行動を起こすときにいつも不安が大きい体調も、単独なら自分のペースで、
行けばよい。
それに何より、あれほど苦しんだ偏頭痛の頻度が減っていた。
いくらマイペースだって、頭痛だったら楽しくない。
荷物を持ってぼやぼやと歩けない。

あと、すこしだけ鬱陶しかった(そのうち治ると思っていたが今回は治らない)、
眼瞼痙攣、、、と、飛蚊症。
一年前はごくごく小さな黒い点だったのに、最近あれれ??と増えてきて、
嫌な感じだったので今日はようやく眼科医に言って来た。
パソコン検索して治療法はない、と知っていたので受診しないままだったが、
医者の話を聞けば納得して落ち着く、といつものように考えた。
結果はやはり飛蚊症の後部硝子体剥離、という長い名前で加齢によって起きる。
治療法はない、気にしないこと。

検査で時間がかかり医院をでたときは「ちょうど良いくらいの」雨が降っていた。
自転車で帰るなら気をつけて、なるべく押して歩いて帰って、と言われる。

2、3年前に経験した眼瞼痙攣は外見に関わるから症状は深刻ではなくても、
やっぱりイヤなものだった。
今年三月の体調不良時にそれがきっちりまたやってきてなかなか去って行かなかった。
でも、だいぶよくなってきたかも・・・・という所で「あれれ?」の右目受難。

定期的に行くことにはなったものの、ほぼ「大丈夫」「加齢だから」
という診断結果なので、諦めをつけようと思う。
うまく忘れていれば、いつの間にか消えているかも!?

ひとり旅計画を話したとき誰も「OK、行ってらっしゃい」とは言ってくれなかった。
母もわたしが不在なのは心細いだろうと思う。
強引に進めるつもりは毛頭ない。行くなという声もなかったので、
「よろしくお願いします」と言って出かけようと思う。
天草から島原、諫早へ。
どんな景色がこの目に映るだろう。




手にふるる野花はそれを摘み

2011年06月12日 | Weblog
「手にふるる野花はそれを摘み
 花とみづからをささへつつ歩みを運べ
 問ひはそのままに答へであり
 堪える痛みもすでにひとつの睡眠(ねむり)だ」

   (伊東静雄)


さらさらとこぼれ落ちていってしまう言葉がある。
立ち止まって読むとあらためてその詩句の的確さに驚く。
一方で、さらさらとこぼしてしまった手のひらになお残り、
「ほら見てごらん」と愚かなわたしに寄り添ってくれる詩も幾つかある。

手のひらに残った詩にすがって詩人を探し詩集をひらく。
ふとしたときにいつでもよみがえる、ここに残った詩の幾つか。
ここに残り棲みついて、すみれの土壌になってくれた言葉たち。


「花とみづからをささへる」とは何か。
頼りなきわれを支える野花の可憐、その存在を得たから歩いていける。
そういうふうに思っていた。
思いながらかれこれ何十年も経っていた。


伊東静雄の故郷、長崎の諫早。
昔この詩に誘われて行ったような、、時間がなくて行けなかったような、、、。

長崎に行こうと思う。今月末、ひとりで。


棄てられない

2011年06月09日 | Weblog
今日は食器棚をすこしだけ整理した。
時々整理して(一年に一度くらい)出して眺めて結局またしまう食器がある。
ひとつはこれ。



三人の子どもたちが赤ちゃんだった頃、このお皿はいつも大活躍した。
もともとは長男を出産した時の頂き物。
そのことを小さかった息子に話したら、お皿は誇らしげに妹たちに使わせた。
でも、「こっこちゃんの卵おき」だけは誰にも譲らなかった。
ゆで卵は好きだったけれど、息子がこの皿を自分で使ったことは殆どない。
大切にしすぎて案外と出番が少なかったと思う。

大切にしすぎて出番が少なかったベストテンに入るのがこのすみれの食器。
独身だった頃、銀座の三愛で買い物をしてポイントを貯めて、
ゴールしてゲットしたカップ&ソーサー、ミルク入れ、シュガーポット。
カップと皿は六枚セット。



かれこれ何十年前か・・・。
すみれ歴の長いこと。
大切にして持ってきたけれど、何回これでお客様をもてなしただろう。
ほんの数回だと思う。

どちらもうっすら埃をかぶっていたけれど、やはり棄てられないので、
きれいに洗って丁寧にまたしまいこんだ。
こんなに毎日どこかを片付けて棄てる努力・・・をしているのに、
今棄てられないのはよほど愛着があるもので、わたしにとって
必需品ではないけれど、大切なものなのかもしれない。
友だちとこういう話をしたことはないけれど、みんなはどうなんだろう。

ぴーなっつ最中

2011年06月07日 | Weblog
千葉に住む友人と久しぶりに会えた。火曜と日曜だけ休みだという仕事なので
「今日!」と決めておいた。

わたしたちは娘(次女)が二歳だったときに親娘で仲良くなった。

娘たちは大きくなり、うちの子は医大の職員となり
Kちゃんは大学病院の看護師になった。
それぞれ埼玉と千葉で自活して頑張っている。

「お母さんと食べてね」と頂いたぴーなっつ最中、とても可愛い。



帰宅したら母は知らないうちにトイレを汚してしまったらしく
(またもや・・・異臭で気がついた)
(夜勤に行く前の家族に頼んでおいたはずだったが・・・)

着替える間もなくゴム手袋をして処理。。洗濯機投入後にホッとして
母にこの最中を見せると甘味が大好きな母はすごく喜んで、
友人の名前をメモしていた。

かつてわたしが長女の病院通いに多忙だった頃、いつも次女を見ていてくれた
友人だった。ミニミニ運動会に二歳の孫を連れて参加してくれた母を、
サポートしてくれたのも彼女だった。

例えば、ゲーム。

2011年06月05日 | Weblog
息抜きはとにかくぜったいに必要だ。
安直なところではゲーム。「え!?」と意外性でビックリして貰える事が
確実だけれど、ゲーセンのメダルゲームが好き。
一回メダルを購入すればそれでしばらく(数ヶ月)は遊べる、タダで。
大当たりがでればメダルは減らないから缶コーヒーでも飲みながら
時にはカラッポのアタマで無為に過ごすことができる。

それから、もちろん本。
新刊ですぐに買うのは桐野夏生さんと決めていてそれも、
アンケートやモニターで貰った図書カード、というのがセコイけど

読みたい本は限りなくあるから古本屋が好きだしアマゾンという味方もある。

そして今年は観劇(だいたい小劇場)というかつて叶えられなかった希みに
ようやくたどり着いた。こういう日がくるとは想像していなかった。
子どもたちが大きくなった。みんな手元から巣立っていったのだ。

チケットは安くはない。買いたい化粧品の「高価かな・・・」と躊躇う一個分。
でも化粧品はキリがなく高いし幸いブランドに縁がないので、欲しい物が他にない。

去年tpt(シアタープロジェクト東京)という劇団の「この雨降りやむとき」が
言葉で表せないくらい良かったので、今年もこの劇団に注目。
先月は「恋人」を観た。

舞台俳優では昔から加藤健一さんのファン。
来月は「滝沢家の内乱」を下北沢へ観に行く。
七月は内村光良一人舞台「東京オリンピック生まれの男」・・ウッチャン好き

そして今日、朝から一生懸命電話をかけ続けて八月の渡辺えりさん劇団300の
チケットをとった。

唯一わたしが躊躇いなく購入するのは今は舞台のチケット。
あ~自分の時間ができたんだ~と、実感する。