羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

孤独感

2005年06月03日 | Weblog
五月に書き始めたこのブログ、
過去を振り返りつつここまで来ました。
今回は五~六年前の出来事を書いてみたいと思います。

我が家はどうにかサラ金返済を終え、
長男は大学進学を控えていました。
高校生の長女は通院のたびに検査結果に一喜一憂。
どうにか透析を避けたいと一生懸命に食事療法をしていましたが
とうとう、腎機能が落ち始め透析導入となりました。

その頃、同居していたわたしの父に
アルツハイマーの兆しが見えはじめました。
心臓病もあり、入院。
わたしは父や娘の病院に付き添いつつ毎日、頭痛薬を飲むようになり
長い間続けていたシッターの仕事を辞めることにしました。

お正月に父が亡くなり、その年の夏休みに、
わたしから娘へと移植手術が行われました。
その直後にはわたしの母親の膝人口関節の手術。
退院したばかりのわたしは今度は母親の病院と、まだ入院している娘の病院へと
通い、やがて手術前に見つけたバイトに復帰しました。

とにかく夢中で過ごして来たあの日々。
わたしは決して一人だけで頑張っていた訳ではないけれど、
気持ち的にはひどく孤独でした。
例えば、移植手術。それは待ち望んで積極的に臨んだものでしたが、
不安がなかった訳ではないのです。
「がんばっておいで」と、抱きしめてくれる人が欲しかった。

でも夫が言ったのは「手術したら、もう傷モノだから浮気とかできないね」。
そんな言葉でした。
夫はいつでも、頼りにならない傍観者だったように思います。
母親の受診日が、わたしの退院翌日だったのですが
夏期休暇の夫は頼まなくては車も出してくれないし病院に着いても
何もしてくれない。足の悪い母親を座らせておいて、まだ傷口の痛むわたしが
受け付けをしたり何だかんだと動かなくてはいけませんでした。

わたしは、いつしか携帯の出会い系サイトで知り合った相手とのメールの
やり取りに気持ちが和むようになっていました。