羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

逆らわずに歩く

2015年05月29日 | Weblog
前にもちらりと書いた気がするけれど
わたしの朝は人の流れに逆らって歩く。
N駅に到着して階段を降りて行く時
猛烈に駆け上がってくる人によく出くわす。
階段には上りと下りの矢印がある。
上りの階段は人が多いので、あいている下り側を上ってくる。

おそろしいのでぶつからないように慎重に降りる。
改札口までようやくきても人々はこれから改札口に向かうので
さけてさけてよけてよけて南口へと出る。

出てからも職場に行くまでの道は駅へと向かう人々でいっぱいだ。
車も通る。
一生懸命、足早に行く。

それが昨日、ふと思いついた。違う道。
去年「この道はどこへ行くのかしら?遠回りだけど駅に行けそう」と
帰り道に歩いてみた。
余裕のある帰りにしか歩かない道だったけれど
それほどは遠回りじゃないことを知った。
そうだ、あの道を行ってみよう、とふだん曲がるパン屋さんを曲がらずに行く。
コンビニっぽい店の前を通ると「塩大福」と大きく書いてある。惹かれる。

道幅もあり人も少なく大いに気に入った。
人の流れに逆らって行く時はぶつからないようにするのが精一杯。
いつもと違う道は空を見上げる余裕さえある。


さて明日からは次女と二人旅。福島へ。
観光案内所に電話したら福島訛りはひどく懐かしかった。
母の故郷、福島。帰ったらまた母のところへ土産話をしにいこう。

お別れ会

2015年05月22日 | Weblog
「お別れ会」のお知らせが届いた。
先月、突然の訃報に驚いた愛川欽也さんは亡父の教え子だった。
昔から我が家にはいつも遊びにきていた。
ロバさんに入ってたときは「こんなものだけど」と子ども番組の関連グッズを
お土産に渡してくれた。
あるときは息子さんを連れてきて、彼はなかなか元気な子で相手をするのはタイヘンだった。

うちの両親が仲人をした奥様と別れてみどりさんと再婚したいと考えていたときも
律儀に相談にきた。

母はいろんなことがわからなくなっても
夫の生徒がテレビの人気者になったことはちゃんと覚えていて
最近までドラマの再放送があると「井川さん(本名)が出てるから」としっかりみていた。

その母を父亡き後もずっと愛川さんは心配してくれていた。

「オカダ先生が教えてくれた民主主義」という発言を何度も聞いたと思う。

わたしは愛川さんがそう述べてくださるたびに父を再認識した。有り難いと思う。
わたしもなぞるようにして「憲法」「平和」について考える。

大宮中学の仲間だった方がいつもこちらに連絡をしてくれる。
訃報をきいたときも「先生みたいに誰にも知られず死にたかったんじゃないかな」と
その人が電話口で言っていた。
誰にも知らせずひっそりと小さな教会で父の葬儀をしたとき
どこから聞きつけたのか多忙な愛川さんが駆けつけてきてくださったので
本当に驚いた。

お別れがいえる。
その機会が設けられて安堵している。

夜の思い

2015年05月15日 | Weblog
母に処方された薬の名前を検索している夜

わたしのいる場所から母のいるところは
実は近いのだけれど
母からは遠いだろう
距離も地理もまるでわからず
ただベッドで天井をみている

しばらく通院します
付き添いは一時間二千円かかりますがいいですか

よろしくお願いしますとわたしは電話口で頭をさげる

検索すればするほど「精神安定剤」という単語が波しぶきのように
おしよせる
もちろんわかっていたことだけれど

職員に連れられて精神病院にいく母は四時間も待たされても
静かに静かに大人しくしているという
何のための受診なのかと
わたしたちは理由を知っていてわたしが納得して了解した
了解したのはわたしである

先日スーパーで買った安物のカーネーションの鉢植えを持っていった
母はわたしの顔をみると笑ってくれる
今日はね 母の日だよ と言ったら「知ってる」と答えたのでビックリした
カーネーションの真ん中にクマの人形が入っている
ほらこれ かわいいでしょと言ったら 「うんうん」と返事
会話がなりたったのでそれで満足する

なぜ母は10分も経たないうちに「もう帰っていいよ」というのだろう
「ありがとう もう帰っていいよ」とかならず言うようになった

家に連れて帰ってあげたい、と衝動的に思うようになった
あとどれくらいの時間が残されているのかわからない

帰りたいと言わなくなった母が耐えていること 我慢していること
その反動の激昂なのかと考える

でも「連れて帰る」なんてわたしは言わないし不可能なことは明白だから
誰にも何も言わないのだ

怒ってもいいんだよと わたしはひそかに思っている
職員は手を焼いているし申し訳ないとは思うけれど

今夜も薬を飲まされて眠っているのだろう
ひどいときには頓服も処方されるだろう

ひとりで母を思う夜がこうして更けていく