羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

ふたりでごはん

2016年05月24日 | Weblog
病院からの帰り、長女が家にやってきた。
本当は入院する前にふたりでごはんを食べる約束をしていた。

退院してすこしだけひと息ついて
ようやく母娘で静かにランチ。
また食事制限が始まった彼女のために
以前考えていたメニューはすこし変えて
簡単だけど好きなものを、ちょこっと用意して待った。

娘は「遅れてごめんね」と母の日のプレゼントを抱えてきた。



お花、ローラアシュレイのハンカチとエコバッグそれと手紙。
あっという間に時間が過ぎて娘が帰り、
手紙を広げてみた。
娘の気持ちがすんすんと伝わってきてちょっぴり泣きそうになった。

退院とスタート

2016年05月16日 | Weblog
娘は退院して次のステップに進んだ。
入院中、さらに厳しい予兆があってこわかったけど、
それはどうにか避けられた。
でもこの新しいスタートの過酷さに変わりはない。
気持ちが沈む。でも、わたしの役目は気持ちをひきたてること。
だけど「役目」だと気負うのはやめようと思う。
こどもたちは大きくなった。素晴らしくやさしい大人に成長した。

つよいこと。のりこえるちから、そして柔軟なこころ。
がんばろうとする娘と見守る兄と妹、三人の子どもたちはわたしの誇りであり
アクシデントがあるたびにそのことを認識する。

そしてわたしもまた「娘」である。
明日は母の病院の日。
こんどはきっと母が入院する。

五月の病室

2016年05月07日 | Weblog
ある程度の予測、というか「覚悟」に近いものをどこかに持っていても
それはたいてい心許ない。
「でも大丈夫だよね」「まだだよね」と確証もない何かにすがっている。
たいていはそうなので、ある日ふと「そのとき」が立ち現れると、
やっぱり動揺する。動揺しながらも「さて・・・」と対応を考え始める。

娘が入院するたびに「どうしてMちゃんなの?」と何度も何度も思ってきた。
くりかえしやってくるこれはいったいなんなんだ、と思っていた。

だけどしばらくは平穏だった。
「いつかは・・・」ということは「ずっとずっと先」と信じたかった。
心配してくれていた多くのひとたちが皆「元気になってよかったね」と言っていた。

これは続かない、といちばん知っていたのは本人だろう。

五月の病室。
またわたしは窓からの景色を眺めながら、無人のベッドのわきで、
手術から戻ってくる娘を待っていた。
何回目だろう。彼女の「バムセ」とこうして待つのは。
もの言わぬバムセは彼女の大事な小さなブタのぬいぐるみ。
だいぶくたびれてきたね、でも、いつでもいっしょだね。

うけいれて共存する、どうにかまたやっていく。
これでオーケーと思えるところをさぐっていく。

そんなことをぼんやり考えていた。
「Mちゃん手術中」と連休の谷間からラインにメールした。
これはわたしと3人のこどもたちのグループライン。
「がんばれ~」と次々に息子と次女から応援が届く。

いま、娘の闘病にもっとも近い場所で寄り添っているのは、
この女子医大で知り合って結婚した婿さん。
医療従事者であり病気の娘を支えてくれる頼もしい存在。
彼がいてくれてよかったと、ほんとうに思う。