羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

あした夜行列車で

2013年05月23日 | Weblog
最近のスーパーでの出会いをふたつ。

ひとつは近所のスーパーの野菜売り場に「野菜ソムリエ」という名前で
懐かしい友人の写真を見つけたこと。
あ~すごいなー、彼女はほんとうに頑張りやで地道に努力するひとだったなーと
思い出していた。一緒に社会教育会館で勉強したこと、自転車をおして帰りながら
話をしたこと、こどもたちを連れて水族館に行ったことなどが次々と思い出される。

そしてそのスーパーに行くときには「会えないかなー」と期待しつつ、
昨日ついに野菜を並べている彼女を見つけて声をかけることができた。
がんばっている友人に会えるのはほんとうに嬉しい。

もうひとつは少し遠いスーパーをうろうろしていたら
「久しぶり!」と声をかけられたこと。
長女が幼稚園だった頃の知り合いで、
うちの子が三月三十一日というさいごの早生まれ、その子は三月三十日生まれ。
ふたりともみるからに小さくて可愛かった。
そのお母さんとは娘たちが卒園して離れていっても、ふとした所で偶然に再会する事が
何度かあった、やはり社会教育会館やどこかの学びの場だったりした。
それでもいつの間にか会えなくなってもう何年も経つ。
小さかった娘たちはこの三月で三十歳になった。

スーパーで立ち話をしてから何日かあと彼女から電話があり、
彼女がずっと関わってきた勉強会の保育を急遽引き受けることになった。
ベビーシッターとして仕事をしていたのはもう何年も前。
多少の不安もあったけれど、こどもたちはみないい子で今日無事に終了。

そして明日から五月の空へ。次女と出発。
東京駅から夜行列車「サンライズ瀬戸」に乗る。目が覚めれば瀬戸大橋の日の出を見て
四国に朝到着。今回は次女がレンタカーを運転してくれるので翌日には倉敷へ渡る。
懐かしいアイビースクエアに泊まる予定。

見守る犬

2013年05月11日 | Weblog
今日こそはやる!とかたく決意し(大げさ)自分の部屋の片付け開始。
散らかすのがすごく得意。ふだんはリビングや母のところ息子の部屋を
どうにか片付けて、誰の目にも触れないマイルームはほったらかし。
バタバタと出かけるときドアを閉めながら、
もしも何かがあってわたしがここに帰れず誰かが開けたら卒倒するんじゃないかと
思うくらいだった。
にゃんこの駿がいるとき、駿は床に散らかったあらゆるものを
律儀によけて、あるいはうっと飛び越えて、時に障害物の前で逡巡して、
部屋の入り口からやってきた。
ネコが歩きやすいように片付けよう!と思ったものだ。
たまに片付けて床にものが散乱していないと
駿はニャーと、とっとこ小走りでわたしのデスクまでやってきた。
「やったね、母ちゃん!片付けたんか」と顔にかいてあった。

駿がいなくなってしまった。
でもだからといっていつまでも散らかしてはおけない。
いつもはささっと床や机の上などをテキトーに片付けてオシマイにするんだけれど
今日は久しぶりに引き出しもすっかり整理した。
(引き出しを整理しないと入らなくてチェストや机の上がゴチャ)

途中でお昼休みにしてからさあ午後の部!と再び部屋にきたら
引き出しが全部あいていて、物があふれて散乱し、
泥棒が入ったってこうはならないだろうと思わずスマホで一枚パチリ。
ついでに大切な犬の写真。
            

この犬はわたしが本当に幼い頃、ビクターの首をかしげる犬の置物が欲しくて、
でもそれが手に入る前にどこかでこの犬を見つけて「これが欲しいこれが絶対欲しい」と
親にねだって買ってもらったものだ。
それから何十年もいくたびか引越しをしてもずっとわたしのそばにいる。
駿がこの犬を見ていたこともあった。ネコパンチしないかと見守っていたが、
棚の上にあるものは大事なもの、とわかっていたのかそっとしておいてくれた。
何にでも名前をつけるわたしがこの犬には名前がない。
何十年もわたしのそばにいてくれた、きっとすごくトシをとっていると思う。

母と娘(再び)

2013年05月10日 | Weblog

母の日には「新茶」といつも決めていた。
今年は母の部屋におくカーネーションの鉢植えを買ってきた。
すぐには持っていけないので蕾のたくさんあるピンク。
この鉢植えを抱えて帰ったところピンポンと赤いカーネーションが届いた。
長女からわたしにだった。
ピンポンにはもうひとつ老舗の和菓子があり父の教え子さんからだった。
「お母さまにどうぞよろしく」とあった。

ふたつのカーネーションを並べて、受け皿を探し日なたにおいて
水をあげた。


母は福島県の実家とここの三鷹がいつも混同してわからなくなる。
同じように四人の妹弟たちと、じぶんが産んだ子供も混同する。
わたしの顔も名前もよくわかっているが、
わたしは母にとっては「妹」であることが多い。
母はいつもメモを書いて記憶をとどめようとする。
「○○ちゃんがきてくれた。ドラヤキおいしかった。またきてね、姉より。」
というメモも何枚もある。
兄のことはたまにしかこないので名前も忘れるが紛れもなく「わが息子」。
それでは母が産んだもうひとりの子供、ムスメ、という存在は
どうなってしまったのか。。。と、時々考える。

以前にも書いたがわたしと母は仲が良くなかった。
正直にいえば「母はわたしが嫌いなのではないか」と思ったことも何度かある。

数年前、母が病気になってから「わたしはあんたに冷たくしたかもしれない、
だけどいまこんなによくしてくれて、、、」とぽつりと言ったことがあった。

なにか、がそのとき雲の間からあらわれそして微笑んで消えた。

ムスメを妹と思い込むことによって母にもあった葛藤が吸収され、
やさしく穏やかに転化したのだったらそれでいいのかもしれない。
そう思うけれど、実際はそうそうカンタンではない。
こころのなかにあるモヤモヤを時々見つめあの時の母のひとことを思い出す。

狭い庭と古い家

2013年05月03日 | Weblog
あれあれと思う間に5月だった。
タクシーで母を家に連れてきて春の午後をのんびり過ごした。
前日に植木バサミでチョキチョキ自己流剪定をしておいたし
目立つ雑草も取っておいた。

いつだったかあまりに忙しく狭小の庭先まで行くこともなかったら
夏になってふと気がついたら「荒れ放題」というか
まったく足を踏み入れることもできないほどに雑草がすくすく育ち、
「草原」というか「荒野」というかすごいことになっていた。
胸のあたりまで伸びた草たちに圧倒されて言葉もでなかった。

そのあと家人が雑草の手入れをしてくれたので、
除草剤の効果でだいぶスッキリした。

この家をどうするか、ということが今の大きな課題で、
慣れ親しんだここを離れる、という選択肢もあり、
日々、思い出たちと向き合いながら自問自答している。

母は家にいる頃から度々このブログでも書いたように「捨てる」ことが
キッパリとできる。
あれもこれもいらないという。
数日前に家に帰ってきたときも父の書棚を眺めて「この本全部いらないわよね」
といっていた。捨てられないのはわたしのほうで、いつも母のキッパリした決断に
ちょっと慌てる。

またタクシー往復しながら母を連れてきて一緒に片づけをしようと思う。
ところで母はもちろんタクシーの乗り降りがスムーズではない。
時間がかかるので運転手に謝り、後続のストップした車に頭を下げ、
母を支えて乗り降りする。
ゆっくりでいいよ、といつも言いながら内心焦っている。

でも母は外に出るのが大好きだ。
5月はやさしい風が吹く。