羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

もう一度

2011年10月25日 | Weblog
何故かふと思い出したのだけれど昔わたしの部屋の壁には
じぶんで書いた日本列島が貼ってあった。
高校生くらいのときからあちこち出かけるのが好きだった。
大学生になって稼いだバイト代も社会人になってもらった薄給も、
ほとんど旅のお金になり、おおきな地図に書き込みながら、
とうとう20代前半で全部の都道府県を制覇した。
小さな会社の上司に有給届けを出すとき「まだ有給なんて残ってたか?」と
よく笑われた。あまりに小さな会社だったので規則はあって無きに等しかったのか、
ゆるやかに甘やかされていたのかもしれない。(女性はわたしだけだった)
そう、その薄給もすべてお小遣いにしていて「うちは下宿屋じゃない」と
母からよく小言を言われるほど(これも甘えて)ご飯を食べさせて貰っていた。
ふっと出かけて夜帰るとご飯があったと思う。
だからいまわたしは母にやさしくしなくては、、、と反省する。


何年も何年もときが過ぎた。
またこれから旅に出る。今度は「もう一度行きたいあの場所へ」
明日から伊豆へ。
バッグには梶井基次郎の文庫本。
「課せられているのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なっている」(筧の話)

さあ、出かけよう。

2011年10月19日 | Weblog
あ~うれしいな~と思うほど秋がやってきた。
この季節に外に行かなくていつ行くの、というほどの澄んだ空気。
世田谷文学館の萩原朔太郎展、
近代文学館の「いま言葉を信じるということ」、行くつもりのあれこれを
予定にいれながら、やっぱりすこし遠出もしたい。
どこかを歩きたい。
どこ?と考えたらやっぱり湯ヶ島だ。
むかし、何度か行ったところ。
東京ではなくここで生きて行けたら、と思って歩いた川沿いの小道。
梶井基次郎が見上げたであろう大きな桜の木。
檸檬忌、という懐かしい思い出。

あの場所にもう一度行こう。再訪しようと思いながら月日が流れた。
何年(何十年)ぶりかな、、と思いたって湯川屋さんに電話をしてみた。
「昔、檸檬忌におじゃました者です」という話もして感慨深いものがあったけれど
梶井が滞在していたあの旅館は廃業してしまったそうだ。

でも行こうと思ったらやっぱり行く。
昔は日帰りで行って帰ってきた。
最初は檸檬忌で知り合った青年にあちこち文学案内してもらった。
バスに乗ったり降りたりしながら元気だったので(?)よく歩いた。
(檸檬忌、ということで皆がきちんとした格好をしていたのに、
わたしだけツギハギだらけのジーパンに運動靴、という写真が一枚残っている)

兄が母を見にきてくれることになったので、
「ひとり旅パート2」伊豆、湯ヶ島編。
近々実行予定。




犬を洗う

2011年10月17日 | Weblog
シベリアンハスキーみたいな大きなぬいぐるみ。
伊勢英子さんの「グレイが待ってるから」に夢中だった頃、
娘がチラシ広告にこのぬいぐるみの写真を見つけて
「欲しい!」と言い出したんだったと思う。
そのホームセンターまではすこし遠かったが二人で自転車で行き、
買い物カゴからはみ出したぬいぐるみを連れて帰ってきた。
あれから何年もリビングにいたけれど誰もが無関心になっていた。
ふとホコリだらけなのではないかと顔を見る。
思いついてぬるま湯でていねいに洗い秋の日差しが降り注ぐベランダへ。





ツイッター

2011年10月14日 | Weblog
「ツイッター始めた」という言葉を何度か聞いたと思う。

じぶんはしなくても読むだけでもいいのかな?と聞いたら
アカウントを作る必要があるとのこと。
ブログだってなかなか更新しないのにきっと自分には不向きだと思っていた。
でもある日、世田谷パブリックシアターのオンラインチケット申込みが出来なくて
なかなか通じないのでうにゃうにゃと思っていた深夜、何となくログインしてみた。
フォスフォレッセンス(太宰治にちなんだブックカフェ)店主さんも
ツイッターしてますとおっしゃっていたことだし・・・。

始めてみると、ふと何かを思ったとき、僅かな文字で表すことって案外面白い。
反応も返信も気にしない。ブログと繋げるつもりもない。
ちょっと煩わしいのが、ホームを開くと「いまなにしてる?」と聞かれること。
ほとんど余計なお世話だと思う。
しかし「余計なお世話」は良く見たらこのgooブログにもあり
「小さなしあわせ、書きませんか?」なんて出てくるのだから、
「書くこと」にこだわったり、それぞれの「誘導方法」にケチをつけても
仕方がないんだと思う。(そこへ入って行きやすくしてるだけだから)

もうすこしで飽きるかもしれないし、しばらく続けてみるかも・・・。

ただミクシィでマイミクを増やすこととツイッターでフォロワァー(またはフォロー)を
増やすことって似通った認識があるのかな、わからないけど。
まさか多ければ多いほどいいって訳じゃないよね。

そうそう、母の美容院。
ようやく行けた。
普通に歩く速度の3、5倍位の時間を予測して出発しようとしていたら
ちょうど帰宅した家族が車で送ってくれた(車で7分位だった)。
帰り道も思ったよりスムーズに20分ちょっとかけて歩いてきた。
花が咲いているお庭、なつめが実る公園、犬や猫たちが道々のポイントになってくれた。

そんな秋の午後

2011年10月10日 | Weblog
いい天気。秋の空。雲。
母に美容院へ髪を切りに行こう、と言ってみた。
昨日も近くのコンビニまでゆっくりゆっく~り歩いたし、
散歩がてら、ね。
数ヶ月前に二度連れて行った徒歩圏内にある美容院は
(そのときはすごく喜んでいたのだが)ヘタだからもう絶対に行かない!と
夏ごろから言い出して困っていた。
母がよく通っていた所は母がいま歩いて行くにはやや遠い。
(以前ならひとりで歩いて行っていたが)
だからといって「近くてすみません」といってタクシーに乗るほどの
距離はない。どう考えてもないと思う。
またしてもわたしが車さえ運転できれば、、と考える。
よくいく隣のパン屋まで行っておろしてあげればいい。
でもないものはしかたない。。。うちにクルマはあるけど。
母はじぶんではいつでもどこへでも歩いて行けるつもりだ。
「言われなくたって美容院は行く!あの髪芝居に行く、ひとりで」と、
いろんな事は忘れても通っていた美容院の名前とわたしが連れて行った所への
不満だけはきっちりと覚えている。
昨日の様子で時間をかければ歩いて行けるのではないか、と結論を出した。
帰りは無理な様子だったら遠回りでいいからタクシーを呼ぼう。
でも結局は行けなかった。
こういう時になるとやはり突然「調子が悪い」と言い出す。そう、やっぱりね。
それでまたあの美容院の悪口だ。何度も何度も・・。聞きたくないな~、もう。
繁盛しているしスタッフも皆感じの良いところなのに。
なんか理由があるのかもしれないし、今頃言い出したのだからこじつけかも
しれない。まあ、いいや。(ホントは困ってるけど)

だから今日は母を外に連れて行くことはなく、
ひとりで自転車で散歩にでかけた、午後になって。
あの猫たちのところも寄ってみた。
意外にも一匹が逃げないでさわらせてくれた。
あれ?覚えてくれた?わけじゃないよね。餌も持ってないし。
でももしかしたら認知してくれたのかも。
猫のあたまをさわってみたら、駿や飼い猫とは全然ちがう。
野に生きる猫の手ざわり。話しかけても遠くを見てる。


捨てないでほしい

2011年10月05日 | Weblog
すこし前「全部捨てる」のところで母がいろいろゴミ化してしまう事を
書いたがいちばん衝撃的だったのは電話がゴミ袋に入っていたことだ。
子機がていねいに赤マジックで「使えない」と大書されて
間違いなく不燃物の袋に入っていた。
ゴミの分別は難しく、プラスチック、不燃物、ビン、缶、燃物、、等など、
有料袋に入れるものもあるし、入れなくてもよいものもあり
収集日ももちろん高齢者には難解なので、わたしが出していたほうがラクだったかもしれない。
でも母がじぶんで出来ることは自分でしたい意向だし尊重したい。
最初は何もかもゴチャゴチャで、仕分けするのにイライラすることもあったと思う。
(そういうのは声にださなくても態度でわかるから母は感じとるのだ)
やがて母がうまく分けてくれることも多くなりわたしも一覧表を作成した。

そしてイライラしないコツは例え間違って出していても仕方がない、と思うのだ。
外の違う場所に出されると面倒なので「玄関に置いておいてね」という。
それで混入を未然に防げる。しかし早起きの母がさっさと外に出してしまう事もある。
そのときは自分のゴミを出しながらチェックすればよい。
ところが、せっかく仕分けしてバケツ内で行儀よく待っているゴミを
母がわざわざ引っ張り出してる事がよくある。
何をしているのかというと新たに追加したり「仕分け方」を眺めたり?しているようだ。
早く収集車がくれば良いのに、とそれもやはりイライラしそうになる、が、
最近はもういいや、と思うことにした。そこまでは追跡できない。
収集されない物があったら置いていくだろうからその時考えればいい、と
思えるようになった。

そして最近は「玄関に置いておいてね」という約束は忘れ去られている。
今朝もプラスチックが有料袋に入っていたけれど、
ゴミ車は持っていってくれた。(今日は不燃物・・有料・・の日だからそれも
混ざっていたのかも)

でも「まあいいや」とウッカリしていると時々驚くことがある。
子機は充電しなければ反応しないから使えないと思ったらしいが、
母は何故かコンセントを抜くのが好きなのでそこに原因があった。
大事な何か、はこうしている今もゴミ袋に入れられているかもしれない。
日々何かしら「小さな事件」は起きる、が張り付いて見ている訳にもいかない。
昨日も「三度目のトイレ事件」があった。

そういえば昨日、「三鷹・認知症家族の会」というのに行ってみた。
こういう会や似たような集まりがあるのは知っていたが躊躇していた。
誰かに聞いて欲しい、と思うことはもちろんある。
でもうまく伝わるかどうかわからないし、切実な助言を求めている訳じゃない。
100人いれば100通りの認知症患者と介護者がいるのだと思う。
対応の仕方や先輩の話が聞けると思って行ってみた。
たしかに聞けた、のかもしれないけど。ちょっと違うかな。
あ、でもわたしがいちばん若年者だったみたい。

難しいよね。
思ってること感じてること状況やこれまでや環境やすべて、、、。
「ひとりで抱え込まないで」とか「息抜きをして」ってよく言われるけど、
それほど四苦八苦して「看護」や「介護」してるとは思わない。
でもやっぱりカンペキに離れられたらラクだ、と思う。
一日やそこらではなくて。。最低でも2、3日。。やっぱりそう思うのはこの日々に負担を
感じているからで負担の感じ方だって人それぞれ違うんだと思う。
「ラクに思える」考え方や捉え方を身につけたい。