こころをばなににたとへん
こころはあじさいの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて
萩原朔太郎の「こころ」というこの詩は、
ずっとずっと、ずーっと、
わたしのところにあったと思う。
この詩はいくつかの大切なものたちと一緒に、
いつでもわたしのそばにいてくれた。
(これは最初の部分で、もう少し続く)
ところで長女はわたしのもとから離れて、彼の姓となり、
来月にはウエディングドレスを着る。
必死になって庇護してきた病弱な娘だった。
庇護すればするほど、彼女は自立を試み、
泣き虫のわたしよりも毅然と顔をあげ、
そして誰よりも優しく、気配りの素晴らしい、
美しい女性となった。
歌人としての彼女と「二人誌」の話がでてから、
何ヶ月か経った。
最後に印刷屋を何件も変わり、
ようやく小部数の小冊子でも親切に対応してくれるところ
(K.Cプリント)に出会えた。
入稿を終えた夜、わたしは久しぶりに熱をだしてダウンしてしまった。
あと一週間もすれば、小さな創刊号は出来上がるはず。
桜が好きな春生まれの娘と、スミレがすきな冬生まれのわたし。
「薄紫の冬桜」という。(以前のブログにも書いたと思うが)
きっと無意識のうちにあの懐かしく愛しい朔太郎の詩が、
ささやいていたのだろう。
「うすむらさきの、、、」と。