羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

あざみ嬢のララバイ

2008年12月29日 | Weblog

「あざみ書房」が「薄紫の冬桜」を更新情報に載せてくれました。

ありがとうございます。

http://www2.ocn.ne.jp/~kesi/

あざみといえば、あざみ嬢のララバイ。
一年間の疲れがでるのか、眠い毎日。
昨日も、夜、古本屋の店番をしながら、眠くて眠くて
でも、午後から夜にかけての仕事は朝寝坊ができるから好き。
まあ、そう思ってついつい夜中まで本を読んだりして、、、。
昼間、有効に活用すれば素晴らしいのに、結局はぼやぼやしてる・・・。

煌めく

2008年12月27日 | Weblog
ふと思い立って見に行った皇居近くのイルミネーション。
人がたくさんいるのは苦手だけれど、イルミネーションはきれい。

先日ひとりで中島みゆきさんの「夜会」に赤坂まで行ったときも、
光の饗宴は美しかった。

でも、あまりに輝いていると、ふとさびしくなるのは何故だろう。

病院

2008年12月22日 | Weblog
雲の絵ばかりを集めた小さな美術館に行った。
いつまでもここにいたい、と思った。
そしてできれば、絵を描くあの大切な友と一緒に観たい、と思った。
そんなことがあったちょうどその日、彼女から連絡があった。
持病が悪化して入院しているという。

どうにかこうにか彼女のもとにかけつけた。
不安がいっぱいありながら、いつものように落ち着いて、
おっとりとして可愛く、食事制限があるからと、
わたしのためだけにアップルパイを用意して待っていてくれた。

そして翌週はじぶんの頭痛外来へとまた違う病院へ行った。
見上げると、ガラスの天井だった。

信頼する担当医だけれど、
堪えかねる発言をきいてしまった。
彼がテレビに出て多忙になり始めてから、こういう思いを何度か
してきた。
もう、ダメだな、ついていけない、と思った。

今日、同じ頭痛に苦しんでいる友人に相談することができた。
ともだちの存在はうれしい。

そして病院ではいろいろな思いが交錯している。

うすむらさきの、、、、。

2008年12月14日 | Weblog
こころをばなににたとへん
こころはあじさいの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて


萩原朔太郎の「こころ」というこの詩は、
ずっとずっと、ずーっと、
わたしのところにあったと思う。
この詩はいくつかの大切なものたちと一緒に、
いつでもわたしのそばにいてくれた。
(これは最初の部分で、もう少し続く)



ところで長女はわたしのもとから離れて、彼の姓となり、
来月にはウエディングドレスを着る。
必死になって庇護してきた病弱な娘だった。
庇護すればするほど、彼女は自立を試み、
泣き虫のわたしよりも毅然と顔をあげ、
そして誰よりも優しく、気配りの素晴らしい、
美しい女性となった。


歌人としての彼女と「二人誌」の話がでてから、
何ヶ月か経った。
最後に印刷屋を何件も変わり、
ようやく小部数の小冊子でも親切に対応してくれるところ
(K.Cプリント)に出会えた。

入稿を終えた夜、わたしは久しぶりに熱をだしてダウンしてしまった。

あと一週間もすれば、小さな創刊号は出来上がるはず。
桜が好きな春生まれの娘と、スミレがすきな冬生まれのわたし。
「薄紫の冬桜」という。(以前のブログにも書いたと思うが)

きっと無意識のうちにあの懐かしく愛しい朔太郎の詩が、
ささやいていたのだろう。
「うすむらさきの、、、」と。