羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

鶴の羽

2008年05月29日 | Weblog
知人のお友だちが入院したとのことで「千羽鶴に協力頼む」と言われました。
たくさんの願いが集まることに意味があり、それならばその人のご快復を願いながら心をこめて折りましょうということになりました。

でもね、言っとくけどわたし、すっごい不器用だよ~、、、といっても、
千羽もいればわたしの不細工な鶴が少々紛れ込んでいてもわからないかな。

仕事の合間に小さな鶴を折り始めたけれど、これって何年ぶりかしら、というくらい久しぶりに手にした折り紙でした。
鶴は記憶のどこかにあったけれど、トシをとったらよけいに手先が鈍くなっていて悲しくなりました。

知育玩具や折り紙をせっせと与えたおかげか、うちの子どもたち(二人)は器用です。
とくに幼稚園の頃から鶴制作が好きだった息子は小学生になって最小サイズの折鶴に挑戦していました。

そんなことを懐かしく思い出しながらどうにか形にして並べ、せっかくだから写メもとったところへ友人が受け取りにきました。
「ありがとう!これね、羽をたたんでつなげるんだよね」

あ、そうだった。千羽鶴は飛ぶかたちはしていません。(たいらになってる)・・・羽は休めて、病人の枕元で見守るのが役目でしょうか。。

ぐるりのこと

2008年05月20日 | Weblog
ある日新聞のこの文字を見つけたとき「あ、梨木香歩さんだ!」と思いました。
でも、「ぐるりのこと」はあの梨木さんの本の事ではなく、映画のタイトルでした。橋口亮輔監督、という名前「ハッシュ」という映画、観てないけど映画館の予告編で印象に少し残っていました。

梨木さんの「西の魔女が死んだ」もずいぶん、話題になっているようで、
楽しみです。すごく泣いちゃうと思うけど。

それで、「ぐるりのこと」に話が戻り、映画試写会に何となく応募しておいたら、
当選したので、地下鉄に乗って虎ノ門まで行き観て来ました。

ある夫婦の10年間、少しずついろんなことが起こり、ゆっくりと再生していく。
法廷画家という夫の職業をとおして、社会的事件も平行して再現されて行きます。

二時間は多少、長く感じましたがけっこう面白い映画でした。
主演の二人、リリー・フランキーと、木村多江という組み合わせがとてもいい感じで、ベテランの俳優さんたちがシッカリと脇を固めている、という印象でした。

それにしてもやはり同じタイトルなのが、どうしても落ち着かない。
梨木さんファンとしてはどうなのかな。。。。と思いつつ、じぶんの「ぐるりのこと」をふと思い巡らしたりしました。

白い薔薇

2008年05月13日 | Weblog
「葉桜」「カーネーション」と季節の花暦に寄り添ってきたら、いまはやっぱり「薔薇」でしょう。。。。という魂胆はなかったのだけれど、たまたま手にした文庫のタイトルが「白い薔薇の淵まで」でした。(中山可穂さん)。
たまにはこういう恋愛小説のなかに入り込んでどんどん読んでいくのもいいな~と、思いました。そういえば「恋愛小説」というのを読むことは意外に少なく、
最近は若い人たちに人気の伊坂幸太郎さんの文庫を二冊ばかり読んだりしていました。

それから、あの「予知夢」は手元に戻ってきました。
経緯の説明は省略。
そして長女に貸しておいた「ブラフマンの埋葬」も返ってきたのです。
小川洋子さんの作品の中でもわたしはこの作品が一番好きかもしれません。
何度でも読み返したくなる本。

好きな本がじぶんの近くにあるって嬉しいことです。

きっと好きなひとの近くにいると心が落ち着くことに似ているんでしょうね。

カーネーション

2008年05月07日 | Weblog
「仕事で使ったけど、余ったからあげる、どれでも選んで」と言われて鉢植えの前で迷いました。可愛らしいピンクの小花のカーネーション、「これにするわ」と、
その知人に言うと「うん、それから?三つくらいは持てるでしょ?」と言ってくれてさらに少し迷ったけれどやっぱりひとつだけ頂いて帰ることにしました。
「持てないの~?」と言われたけど、ありがとう、持てないのです。

でもラッキーなことに帰りのバスはすいていて、座ることも出来ました。
疲れて眠いいつもの帰りのバス、外の景色を見るのが好きなのに眠くて・・・。
目を閉じると、膝に置いたピンクのカーネーションのやさしい匂いが意識のなかにすべりこんできます。

とりあえず連休も終わり、仕事の忙しさもわたしのときはそうでもなくて、
案外ゆるやかに過ぎていきそうです。少しは慣れてきた、ということもあるかもしれません。どれだけ負担に感じるか、という度合いによるわけだから。
「お花あげる」とニコニコ言ってくれるひともいるし、日差しをたっぷりと浴びた
花たちも皆、笑顔に見えました。

葉桜の季節に

2008年05月01日 | Weblog
歌野晶午さん「葉桜の季節に君を想うということ」を読み終えました。
妙な違和感を覚えつつ読み進むうちに、「あらら!?」という展開に!
その違和感こそが実はこの小説の仕掛けだった、ということが最後にわかり、納得して終わりました。

先日、娘に「探して」と言われたときに気がついたのですが、
やっぱり買ったまま読んでいない本、というのはかなりあります。
桐野夏生さんのように追いかけるようにしてすべてを読んでいく作家の本、
春樹さんのように新刊がでると「あ・・」と思って少ししてから手にする本、
それ以外にも探して買い求めた本はすぐに読み始めるのだけれど、
ほかに「何となく」買った本が案外まだ家にあることがわかりました。

読んでいる本が終わりに近づくと少し落ち着かなくなり、
次に読む本、がない!?と焦りを感じるのは活字中毒でしょうか。

でも、「だいじょうぶ、何もないようなことはない、読む本はある」と
とりあえず安心しました。
「予知夢」はまだ行方不明だけれど・・・。