羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

旅の計画が楽しくて・・・。

2013年03月31日 | Weblog
朝、まだ眠い~とぐずぐずしていたらピンポン!とスマホが鳴った。
「おはよーこっちはいい天気だよー」石垣島の写真。
長女からのラインだった。
うらやましい、エンジョイ夫婦。
こちらからは「桜とおばあちゃん」の写真を送る。

昼過ぎバブルで遊んでいたらまたピンポン!とラインがきた。
「母の作る煮込みうどんの作り方を教えて欲しい」。
埼玉の多忙な事務員の次女からだった。
ラインはEメールと違ってタイトルもなく会話そのまま瞬時に届く。
次女のスタンプがいつも可愛い。

三月中に仕事が決まったら四月は京都へひとり旅、なんて妄想した事もあったが
やはり夢の彼方へ消えてった。
でも五月の次女との倉敷への旅はまだ諦めていない。
次女とは毎年五月と十月に旅がしたいね、と去年話した。
そのためにもまず仕事。

このあいだ娘がきてあっという間に帰っていったときも
二人でランチしながら旅計画を話した。
武蔵境にできた「コリウス」というカフェはゆったりとして広々。
娘は黒ゴマと黒糖のブラックカレー、わたしはジャーマンランチ。
数種類のソーセージと美味しいパンがきてお互い味見しながら頂いた。
デザートにわたしはコーヒーゼリー(きな粉かけ、すごいボリューム。娘はシフォンケーキ)


帰りにはフリージアを一本ずつ手渡してくれる。
ちゃんと小さな蓋付きの水に入っていていまも仲良く二本、うちの玄関を飾っている。

ランチと桜のデザート

2013年03月30日 | Weblog
昨日は穏やかでいい天気だったので母の車椅子を押して桜を見に行った。
風がふいて花吹雪。
きれいだねー、すごいねーと喜んでまたゆっくりゆっくりと戻る。
途中でアイスを買っておやつタイム。
それから前にも行った公園にも寄る。
「あ、ここ前に連れてきてもらったよね」と嬉しかった記憶はちゃんと
残っていてそれがわたしにも驚きと喜びをもたらす。
車椅子についていた桜の花びらを母は大切にポケットにしまっていた。

先日、高校時代の友達と集まって話をしながら、
自宅で過ごしていた母と私が本当に切羽詰っていたことを思い出した。
ギリギリだったと思う。
杖でベッドの柵を叩きながらいつもわたしを呼んでいたあの頃。
去年の桜は覚えていない。

高校時代の友達といまはゆっくりランチもできる。

         

デザートは季節限定、桜のモンブラン。

今日は大きな会社の採用試験に行って来た。
(もちろんそこで働く訳ではなく条件が合えば派遣される)
とても寒く新宿の西口を地図とスマホ片手に迷いつつ30分も歩いたが間に合った。

「試験」と聞いて腰が引けてしかも応募人数が多いので日を分けて実施するらしいし
そのために書いていく書類もちょっと面倒だった段階で諦め気分が押し寄せる。
今日は十数人で三分の一は同じ世代の女性だったが皆きちんとスーツを着てピンと座っている。
一人だけニットでのど飴をなめている自分はどうにもやる気のなさが表れていて、
会社の紹介DVDを見ているうちにふと眠気におそわれる始末。

とりあえず「テスト」も「小論文」も仕上げて提出してきた。
緊張感に欠けていたせいか?面接もほにゃほにゃしているうちに終了した。

吉祥寺に戻ってきて紅茶の「ナローK,s」でランチ。
根菜プレート

カウンターにすわってガラス窓越しに街行く人々を見る。
土曜日の吉祥寺は賑やかで、きっと井の頭公園もこの寒いなか花見客が多いのだろう。
来年の桜はどこでどんなふうに見ているのだろう。
ちゃんとどこかで仕事しているのかな。

思いのまま

2013年03月25日 | Weblog
母のホームに行く道は畑が多い。
野菜直売所もあってうれしい。

いつか小説で読んだ一本の枝に紅白の花をつける「思いのまま」
という梅が見事に咲き誇っていた。

          

母は最近、食堂で席替えがあったから嬉しい、ということを何回も言う。
どういうことかというと母をすごく慕ってくれているおばあさんがいる。
母より数ヶ月後に入所されてお耳が遠いのでよく大きな声で話している。
そのかたが慣れない頃、よく母がなだめたり説明したり聞こえないので
何かに書いて教えてさしあげたりしていた。
母にそういう面があったことに驚きつつスタッフの方々に「級長さんみたい」と
言っていただきちょっぴり誇らしくもあった。

社交性のまったくない家にだけいた母をホームにお願いするのはとても心配だった。
でも新築で少人数からのスタートだったので徐々に慣れてくれたようだ。
そして新しく入った方のお世話までするようになったとは、、、、。

でもやはりそれは母には負担になってきたようで、
新しいおばあさんの母への依存がエスカレートしていきそれを母がストレスと
感じている、ということにベテランスタッフの女性が気がついてくれた。

食堂ではいつも隣に座るおばあさんをすこし離してくれた。
それがほんとうにホッとしたの、と何度も何度もわたしに言っていた。
気がついてもらってよかった。

母の物静かで穏やかな雰囲気と喋り方やいつもメモを書いている知的な印象が
きっと気に入ってくれたのだろう。

先日わたしが行ったとき数人のおばあさんたちが食堂で過ごしていた。
わたしが顔をだして母は嬉しそうに「部屋いこう」と立ち上がる。
杖をついて歩き始めると離れた所にいたそのおばあさんが
「どこ行くの!?」とそれはそれは大きな声で呼びかけてきた。
すこし子どもじみて微笑ましくもあるがさすがにこれでは煩わしさもあるだろう。

いろんなおばあさんがいる。
その日、ベテランスタッフと話をした。
彼女は今月いっぱいで他所へ移ってしまうという。
また新しい出会いがある。

傷だらけのあたしたち

2013年03月22日 | Weblog

先日、朝日新聞夕刊に伊藤比呂美さん「閉経記」の書評が載っていた。
伊籐さんは同世代のカッコイイ女性で有名な詩人ながら親近感がある。
いつだったか近代文学館ですごいメンバーの朗読会があったときに、
伊藤さんの自作の朗読を聴く機会があったが素晴らしかった。
長いたっぷりとしたスカートもよく似合っていた。
介護のためにカリフォルニアから熊本へ通っていらした頃だと思う。

朝日の記事のなかにこういう一文があって胸が苦しくなるほど感嘆した。
「不幸の種があれば、指でほじくり返す。かさぶたをはがしていくと詩のもとがある。
書いているうちに、現実のつらさや苦しさを忘れる。ずっと自分の体の声に耳を澄ませてきた」


そうだったんだ。何となく思いながらもうまく表現できなかった思いがここに書いてあった。

「働きたいし、家庭も持ちたい、育児もしたい。何でも欲しいしやりたい。
それが、私たち世代の女」。あれもこれもと求めて戦い続けた。
中心にあるのは自分の体、――〈あたしたちは満身創痍だ〉


そうだよね。あたしたちは満身創痍。闘い続けて傷だらけ。
子育てに奮闘し、仕事でくたくたになり、更年期を迎え、親の介護に疲れている。
でもわたしたちには「言葉」がある。書く言葉、読む言葉、呼びかける言葉。

闘いつかれた傷をみつめて詩を書いていく。
それが拙い詩でも、詩にもなれなかった言葉たちでも、「よし、がんばってきたね」と
思えることでまたどうにかやっていくんだと思う。
からだの声に耳を澄ませて、ひっそりと夜を過ごす。

かわいそうだね?

2013年03月19日 | Weblog
大きな声ではいえないがアンケートやモニターや何とか体験とか、
以前から登録はしていたがなかなか参加できなかったところに、
積極的に「行きます!」と手をあげてバイト代を貰う機会が増えている。

今日はある商品の通販のコマーシャル撮影だった。
男女三人ずつ。商品に触れて感想を言う、という具合。
撮影場所が埼玉で9時集合だったので余裕を見て朝7時には家をでた。
なるべくシンプルな服で、といわれていたので無難な洋服を選ぶ。
六人が順番にカメラの前に立ちそれを二巡するという撮影だったので
当然のことながら待ち時間が長い。

朝早かったのでお腹がすいて「お弁当でるってきいたけど何だろう」
などと考えてたらクゥーとお腹が鳴ってしまった。

女性三人は比較的トシも近く、すぐに仲良くなってメアドを交換した。

ようやく終わりサンドイッチも頂いて三人で帰途についた。
何故か「治験」の話から「子どもの病気や障害」という話になったので、
ここは場の雰囲気をこわさないように黙っている。
でもやっぱり相槌を求められるとカンタンに「うんそうだね」といえないこともあり
病気の子どもがいるよ、ということをさらりと述べた。
「そうか、、、かわいそうだね」といわれるがいやいやカワイソウではないのだ。

(そういえば棉矢りささんの本「かわいそうだね?」すごく面白かったな)

かわいそう、と言われるのが娘はいちばんキライだった。
やはりきちんと彼女の気持ちを代弁しておく必要がある。
娘は歌人で、いま髪はグリーンでピアスはいくつつけているのかわからない。
カッコイイ女性に成長したのは「はね返す」という力が強かったのだと思う。

「こどもさんが病気でお母さんが認知症で、あなたは片頭痛なんだ、タイヘンだね。」
うん、まあそうかもね。
「お茶して行こうよ」ということになったけど「ごめん、あたしは帰るわ」と断った。
以前ならいいひとでいたいじぶんは同調して断りきれなかった。
「いいじゃん、10分くらい」と言ってくれたけど、
「いま仕事探しで毎日きついから、ごめん、二人で行って来て」と手をふった。
喋るのが得意な訳じゃないからこのテンションを続けるのはけっこうタイヘンなのだ。

やたらに暑い日で疲れた。
三鷹に戻ってきてデリスでひとりでフルーツパフェ。
           

あ~やっぱり一人は気楽だーと思った。

青空の下、車椅子押して。

2013年03月17日 | Weblog
今日はぽかぽかと暖かい日だった。
母の車椅子をおして散歩に行った。
幼稚園の卒園式で、かわいらしいこどもたちにたくさん会えた。

母が車椅子から手をふるとちゃんと手を振り返してくれる子がいて
安心した。
なんとひとは穏やかに柔和に年齢を重ねていくのだろう。
コドモにはあまり関心のないはずの人だった。
わたしが犬を飼いたいと言えば言下に却下し捨て猫を拾ってきては怒られた。

小さな公園でジュースを飲みながらひとやすみ。
そこにも幼ない子がヨチヨチと遊んでいた。
かわいいねー、今日はいい日だね、。
母とこういうふうに会話する日がきたのか。
空が晴れわたってすべてがいとしいものたちのためにゆっくりと時を刻む。
なんどでも歩き出す。どんなふうにでもひとはかわってゆく。

仕事が決まらない毎日。
どんどん希望ランクを下げ続けなんだかどうもみじめな気分が抜けきらなかった昨日。
昨日はとりあえずの日給バイトを決めかけて「本気か!?」と自問しつつ、
帰りたくない気分でゲーセンにいた。(不良オバサンみたいだね)

そんなこんながうそみたいに今日は青空。
青空見上げるベンチにわたしと年老いた母と小さなこどもたち。
本来母はこうした優しいひとなのかもしれない。
ひとは年齢を重ねると混濁した拘りから解放されて澄んだこころを得るのだろうか。
無自覚に。。。
だとしたらトシをとるのも悪くない。
そこへ到達するまでまだまだ起伏は続く。

にんじんもらった。

2013年03月06日 | Weblog
風邪と花粉のダブルパンチ。午前中は頭痛い、喉痛い、鼻づまり
ぐたっとしてる昨日今日。
子どもの頃からしょっちゅう風邪をひいて熱出して扁桃腺を腫らしていた。
でもやっぱりオトナになると寝込んでいられないので、頑張るしかない。
抗生物質も鎮痛剤もうまいこと多めに貰っておいてそれで乗り切ってきた。
しかし今、求職中の身なれば時間があり、じぶんを甘やかしてぐだぐだしていられる

LINEで娘から人参をもらったので(これ意味不明なところ・・気にしないで)、
スマホでウサギのゲームをしたりして遊んでいる。
不慣れなルールにまごついているとボール(風船?)を投げられなくて
ウサギが「マダカナー」と呟くのが可愛い。

先日、kazeさんのパワーをもらいにチャリティバザーに行き、
すみれのマグカップを買った。

売り上げは福島の赤ちゃんのミルクを溶かすミネラルウォーターになるそうだ。
kazeさんの交友範囲はものすごく広い。
おいで、と言ってくれてちょこっと何かの集まりに顔をだすと
「すみれこちゃんは三鷹の詩人さん」と紹介してくれるのできゃっと恥ずかしい。。

さっき彼女のブログを拝見していたら
新しく始めた仕事のことがあった。さらりと笑顔を保ちながら実はすごく頑張っている女性。
カッコイイ。。。と思いつつ読んでいたら、わたしの名前がでてきてどきり。
確かにわたしも「好きなことをやり続けたい」けれど願望先行し実態は軟弱で、、。
でもやっぱり!読んでいただける詩を、書いていこう、やっぱり書き続けよう!と
求人情報とゲームの隙間で思ったりして、、、、。

ハローワーク体験

2013年03月04日 | Weblog
みんなそうだと思うけど「明日何が起きるか分らない」。
先のことをいま考えても仕方ないから「今日を精一杯生きる」か
「とりあえず一日をやり過ごす」。
でもあの職場にいたときはたぶん明日も、明後日もしばらくずっと、
こんなような日々を送っていくんだろうなと思っていた。
たいていいつも仕事のことがアタマにあってするべき事なんかを考えていた。

仕事というのはそのひとの生活スタイルの大半を占有するから、
その流れにのっているとくるくると日々がまわって進んでいく。

今日、ハローワークに行ってみた。
何十年ぶりにそこに行ってみるとさながら病院の待合室のごとく
黙してひたすら順番をまつ人々であふれていた。
去年の今頃は自分がこうしてここに座っていることなんて想像もしなかったなと思う。

実は都心のハローワークに勤めている友人がいて、彼女に職場の愚痴をこぼすたび
「でも辞めちゃダメよ。そんなにそこがイヤなら次の仕事を探しながら働くのよ」
とシッカリ言われていた。
でもあの日、介護に疲れ、微熱の下がらない身体で仕事も休めず、
「もう限界だ」と思う瞬間があった。
彼女には事後報告になってしまった。

辞めたことにまったく後悔はしていない。
待遇は申し分なく仕事も覚えたし、いいひとたちがたくさんいた。
でもどうしても相容れないことがあったから。

いま求人検索をしてみると、前職を探していた時よりもぐんと年齢があがったので
求職条件のレベルをきっちり下げなければいけないのだ、という事が身にしみてわかる。
友人のアドバイスは正しかったと思う。
でもとりあえずできる範囲でがんばってみようかな。
パソコン検索をして候補にした職がハローワーク経由で応募する条件だったので、
久しぶりの社会体験。
帰りはスーパーで見切り品(かわいそうに見切られちゃって)の野菜いろいろ買って
具沢山のスープを鍋いっぱいに作って食べた。