羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

ロックの国

2011年11月24日 | Weblog
「ロックの国の朔太郎」というトーク&ライブに行ってきた。
町田康ファンの長女に伝えたらシッカリ応募ハガキをだしていて、
それに当たったからというわけで下北沢へ。
町田さんの猫の本は大好き!でも詩も小説もロックもピンとこない。
という失礼なわたしに彼女は大切にしている「鳩よ!」の町田康特集を
もってきて見せてくれた。
しかも「ロックな」スタイルでやってきた。
井の頭線に二人で乗ってお喋りしていたら70代くらいのご婦人が
わたしたちの前にお立ちになった。
「・・・・」という間があった。
わたしは実はしばらく体調不良気味だったし、だからこそ二人で
吉祥寺から始発に乗って座ったのだった。
一瞬の躊躇いのあと長女はすっと席を譲った。
彼女はロックな格好をしているが一級の障害者手帳を持っている。
ピアスをいくつもつけているような外見では何もわからないと思う。

でもご婦人が「あんたがどいて当然よ」という態度ではなかったので
良かった。恐縮して腰掛け、下北沢で下車するわたしたちに再び
「ありがとう」と言ってくださった。
娘は笑顔で「いいえ、お気をつけて」と、、、。

世田谷文学館主催のイベントで、町田さんの対談は最前列で聞いた。
好きな朔太郎の詩の話が興味深い。
連日性薬用頭痛のわたしはロックの演奏はロビーで聴くことにした。
休憩時間に外の空気を吸おうかと考えていたら、
喫煙のために娘もやってきた。
なんと!誰かと話していると思ったら先ほどのギタリストの方らしい。
なんだか華奢な娘がおおきく感じられた日だった。

空が教えてくれた

2011年11月14日 | Weblog
スマホの壁紙(多面体であることに気がついた)のメインを
空と草原にしてみたら、先日は「あ!」と声をあげそうになったほど
美しい月がでていた。外の空模様を反映して草がたなびく。
今は雨が降っている。月夜は思わず窓をあけて夜空を見上げた。
朝には朝の草原。
ここでウサギの1匹でも飼いたいところだけれど、そのうちそういうアプリも
見つかるかもしれない。
しかしそれはそれで見ている時間が増えそうだよね。
携帯のときもゲームなどはしていなかったけど、スマホは「発見」があるので、
つい画面を操作したくなる。

このごろ母が穏やかにじぶんのペースで生活しているようにみえるので、
わたしもずいぶん外出できるようになった。
先日は埼玉で自活している次女のところへ行ってきた。
冷蔵庫に白菜があります、とメールにあったのでアパートに着いて
「さて何を作っておこうかな」と冷蔵庫をあけたら本当に白菜しかなかった。
色の濃い野菜、根菜、、、、彼女が好きだけど作らない料理を考えながら、
すぐ近くのスーパーまで買い物へ。
(娘はきっちり部屋を片付けて仕事に出ていたがテーブルの上にちゃんとスーパーの
ポイントカードが置いてあった)

買い物を終えて外にでると山並みのむこうが淡くオレンジ色に染まった夕焼け。
郷愁、という言葉がふっと浮かんだ。
旅先の夕景のようだ。
ここでの一人暮らしを決めた次女のつよさと寂しさを思った。


スマホデビュー

2011年11月05日 | Weblog
電波何とかの割り当てであなたの携帯は使用できなくなります、とauから何度か通知があったし
11月13日までに機種変更するとキャッシュバック!という知らせに主婦としては心が動き、
とうとう古い携帯に別れを告げ、調べて迷った結果、思い切ってスマホにした。
重量、手になじむフォルム、使いやすさ、そして料金。。と比較検討して実際にさわってみて、
「ミラク」というスマホ(初心者向き)にしてまだ数日。

まず、店頭でわかったことはわたしの長い爪ではキーを押せない。
左手の親指がいちばん困惑している。
慣れるかなー、慣れるだろう、と楽観的に考えて購入してみたがいざとなったら、
やはりイライラしたり肩がこったり、、、。
でも面白いのが音声入力できること。
グーグル検索でもメール作成でも電話したい時でもスマホに喋って聞き取って貰えればよい。
うまく伝わって変換してくれると嬉しい。
(でもスマホに向かって喋っている人を外で見たことなんてない。)

それにしてもauは迷惑メールが多すぎるんじゃないだろうか。
以前に詳細設定して対策をしていたが、今回またすごいことになっている。
家族や知り合いはドコモやソフトバンクだけれど迷惑メールはどうもauのほうが多い気がする。

ともあれスマホは小さいパソコン。字を拡大しながら調べたり読んだりできる。
便利だ!と言いたいし確かに便利だけれど、こうしてパソコンに向かうと、
キイボードの大きさにホッとしたりして、、、。
「考えながら文字を打つ、創作や思考を補助して反映する」という手段になるのかどうかは、
まだ分からない。
サッと小さくふると画面が横位置に変わる。
いろいろ試してみて使いこなせたらいい。どれくらいかかるかわからないけど。

言葉以上のことば。

2011年11月03日 | Weblog
「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか、、」
あまりにも有名な梶井の「檸檬」の書き出し。
湯ヶ島再訪のときは(ふだん旅には本を持参しないのだが)この文庫だけは忘れずに
バッグに入れていった。もう一度、梶井が歩いた道を歩き、彼のせかいを感じるために。
何故本を持って行かないかというと、とにかく重い物を持ちたくないという軟弱な発想と
活字よりも空気や大気や雰囲気に浸りたいから。
だから長崎も伊豆もガイドブックは持参せず。
下調べしたプリントと現地のチラシとその場で見るバスや列車の時刻表が頼り。

今回はこの本があったので、車窓に飽きたとき、宿の夜、短編を読み直すことができた。

秋の旅。川沿いを歩きながら「ひとりの自由時間」を満喫した。
ようやく「頑張ってきたよね、あたし」という気持ちがこころの中に場所を見つけた。
仕事の帰りでも休みの日でも、いつも娘の病院へと通い続けた日々を思い出す。
たいへんなのは彼女であってじぶんではない、と思い続けてきた。
だけどもう「ひとりの自由時間」を愉しむときがあっていいんだと思う。
「おかえりなさい、あたし」そんな感じかな。

帰宅して数日後、萩原朔太郎展へと行ってきた。

「浄罪詩篇ノオト」にこの一文があって足がとまった。
「此の頃僕の内部で何かえたいのわからぬ奇異な光が受胎して居る。そいつがだんだんあばれ出す。」
この記録は1914年。
朔太郎と梶井が湯ヶ島で出会ったのはいつだったろう、、と帰宅して調べてみた。
1926年頃の事らしい。
朔太郎展には「ことば以上の、ことば」というポスターがあった。
「えたいのしれない」という言葉の衝動。