羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

10日間

2011年03月21日 | Weblog
10日が経った。時どきパソコンの調子を見ながらここに来てみると、
更新の兆しもないのに毎日アクセスしてくださる方々が・・・。
もしかして、ブログのすみれに異変はないか?と心配していただいている有り難い方も
いらっしゃるのかもしれない。元気ではないけど大丈夫です。ご心配なく、、。


松島への旅行は8日か11日どちらかの出発にしようと決め、早めて8日に新幹線に乗った。
娘と二人「就職祝い旅行」。仙台から仙石線に乗ると海岸線ギリギリに走るので「すごい!」と
歓声をあげて喜んだ。野蒜駅で降りた観光客は他にいなくて、タクシーで大高森までお願いすると
運転手さんがいろんな話をしてくれた。
「今日は霧が晴れて眺めがいいよ」という意味を方言から一生懸命ふたりで聞き取った。
バスもない場所なので、またタクシーを呼ぶ電話をして防波堤にもたれて過ごした。

野蒜地区で200人以上の遺体発見、というニュースを見たとき、真っ先に思い出したのは、
あの美しい海岸と親切な運転手さんや現地の方たちのことだった。
出発を11日にしていたら、わたしたちはどうなっていただろう。

仙台では秋保温泉に泊まった。
9日、体験工房で記念にと箸を作った。「仲がいいですね」とおじさんがにこにこしていた。
その完成品はきちんと遅れずに届けられた。工房の方のご無事を知り、この状況の中で果たされた約束に
ただ感謝している。


帰りの新幹線の中で、高齢の母親(猫もいないので一人で留守番してくれていた)が転倒して、
救急車で搬送されたという知らせを受けた。
荷物を持ったまま娘と今度は都会の夜中のタクシーに乗る、という慌しさだった。

幸い、大事には至らず母は自宅療養をしている。
雪の仙台で過ごした思い出の旅行、帰りには病院からの知らせ、翌日に起きた大地震。
いまわたしがここにいること、巣立つ娘が一人暮らしの準備をしている日々。
あの場所とこの場所。
たくさんのことを考えて、言葉にならないまま三月が過ぎて行く。

慣れない

2011年03月04日 | Weblog
パソコンの調子が悪くてブログも開けない。
携帯でも投稿できるし、きっと文字を打つのは携帯のほうが早い。
でも、携帯からブログを投稿することに慣れていない。
思ったことを書き表すのは、昔は必ず紙とペンだった。
それがワープロになり、パソコンになった。
携帯は左手だけ活躍する。メールを手早く打つのは左手親指の特技。
きっと、大きな全体が見える画面で右手主体がつれづれなる思考を請け負ってくれる習慣なのだろう。

慣れる、ということ。
昨夜、考えた。
猫がいなくなって1ヶ月。さびしい。
本当に死んでしまったんだ、、もう、永遠に逢えないんだ、ということがようやく浸透してきて、そこからまた新たな涙が滲んでくる。
不在に慣れるだろう、と思っていた。
寝坊しても起こされない、夜遅くなっても餌の心配をしなくていい。トイレの砂は散らからないし、布団についた毛を取る必要もない。
居間は少し片付いた。末っ子の巣立ちに合わせるように、駿はわたしに自由な時間をくれたのかもしれない。

でも、やっぱり嫌だ、と思う。駿がいないのは嫌だ。
いつも一緒にいた。わたしが一階から上がってくるのを階段の真ん中で待っていた。
あの毛並み、手触りと重み、鳴き声。。 やっぱりまだ慣れない。
掃除をしていたらストーブの後ろから丸めた銀紙が出てきた。くわえて転がして遊んでいた駿のオモチャだった。