羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

笑顔

2010年04月30日 | Weblog
連休中は大体いつも慌しい。
仕事は忙しいときなので、休めない日もあるし、
準備や雑務でバタバタする。
でもふと休みになって、青空を見上げたりすると、
「どこかに行く?」というやさしい質問のかたちで雲が浮かんでいる。

ここ、国分寺の「多根」というカフェはもともとは果実店らしい。


ランチタイムに行ってみたら、カレーが人気のようだったけれど、
わたしは鮭とブロッコリーのクリームパスタにしてみた。
うれしいことにSサイズ、というのがある。
わたしにはちょうどいい量だった。
ランチを頼むと、ドリンクやデザートが半額になる。
この大きなイチゴとソルベにケーキ(小)のプレートは、
驚くなかれ250円!

そして店員さんがめちゃくちゃかわいい。
色白で笑顔がチャーミングで、思わず「可愛いですね、どちらの方?」と
聞いてみた。ロシアです、ありがとう、嬉しいです!!と答えてくれた。

「日本語、バッチリです」と笑って、店内を軽やかに動き回っていた。


そういえば今日は長女と会って、以前から気になっていた中野の
「エガオ」という喫茶店に入ってみた。
地下にある店は何となく様子が分からないので「どんな店かな?」と
思っていたけれど、入ってみればすこしレトロな普通の喫茶店。
「笑顔」が何故かカタカナ。でも余計なコトを聞けるような雰囲気でもなかった。


就活最前線

2010年04月26日 | Weblog
「お母さん、明日休み?」と娘に聞かれた。
会社説明会の予約をとってほしいという。
A社の筆記試験を受け、B社の面接に行くから、
三時からのC社の説明会予約受付け開始に間に合わない。

「あたしにできるかな?」と聞いたら、
パスワードとIDでログインして予約をとるだけだから。
もしもとれなかったら、いいよ、と言うので引き受けてみた。


そして今日、忘れないように「三時にパソコン」と書いた紙を
テーブルに貼って、家事をしたりしていた。
15分くらい前にパソコンを開く。
確かに26日の15時受付開始、と書いてある。
時計とにらめっこして、五分くらい前にログインしてみたら、
なんと三日間とも「満員」の表示が・・・。
信じられない気持ちでその赤い文字を見つめる。
ヤフオクや、旅行のホテル予約で、ガッカリした気持ちを思い出す。
しかし、待てよ。何故、三時前なのに「満員」なのか・・。
納得できない。。と思ったときはもうそこにあった会社の人事の電話番号を
押していた。
「母親ですが、娘が外出中なので、」と言うと「娘さんのお名前は?」と
聞かれた。
つまり、エントリーしてないとログインできないから、登録してあるわけだ。
でも名乗る必要はなく、質問しているのはこちらで、
「何故、三時から受け付け開始、と明記してあるのに、三時前に満員になっているのか」
ということを聞くと、折り返し責任者から電話します、と言う。

「責任者」?という女性からの説明では、委託業者が早く開始したとか何とか・・。
謝られたけれど、腑に落ちないまま。
ここにその会社の名前を書きたいくらい大手の企業で、もちろんイメージはダウンした。

エントリーして、運良く説明会の予約がとれて、
グループディスカッションやら、筆記試験のあと、数回の面接・・と、
道は果てしなく続く。最終面接までこぎつけてもプツンと、糸を切るように
落とされる。

「社会勉強」とひとことで片付けられない厳しさ、、というか理不尽。
もう何ヶ月もこんな思いをしてるんだな~とはじめてよくわかった。
夕食には次女の好きなハンバーグを作って食べたけれど、
「あ、ごめん、D社の説明会予約時間だ」と席をたってパソコンへ。

小さなところで事務仕事をしたい、と言っていたけれど、
そういう募集がカンタンにみつかるわけでもなく、
まだまだ、この先は長そうだ。
今日は代理を引き受けてみてよかった。
就活生の皆さん、なんとか負けずにがんばってね。



どうかしましたか?

2010年04月25日 | Weblog
時々、「え!?」と見つめなおす数字がアクセス数に表示されて、
とても不思議な気持ちになる。
毎日の訪問者数はそれほど大きく動かない。
更新しなくても50人くらい。更新するとそれが倍近くに増える。
でも数字はほとんど気にならない。
いや、たまに増え方に興味を持つことはあって、ランキングに
参加してみたりもするが、やっぱりそのうちどうでもよくなってくる。

ページビュー(閲覧者数)は検索でやってくる方もいるらしく、
当日にアクセスされる方よりも当然、多い。
それでも、200、とか300とか、それを超える数字を見る時は、
いったい何が起きたのだろう?と疑問符がゆらゆら浮かぶ。

まとめて読まれる方が出現したときにそういう数字が出る事が多いので、
「どうかしましたか?」とおずおずと訊ねたくなる。

ぼそぼそと日常の独り言を書いているだけで、
何かを的確に批評しているとか、理論的だとか、そういう事には無縁で、
嘘はひとつも書いていないけれど、全てを吐露している訳じゃない。
当たり前。
もっと深く掘り下げて内面を書いてみたら、もしかしたら読み応えのある
日記が出来上がるかもしれないけれど、わたしはそこに進もうとは思わない。


たぶん多くのブロガーはそれぞれ似たような経験をしながら、
パソコン(または携帯)の四角い画面を「あれ?」と見つめているんだろう。

セイムタイム・ネクストイヤー

2010年04月21日 | Weblog
旧友と再会したり、このところ「過去へと」遡って感慨にふける事が多く、
たぶん(いや確実に)トシを重ねていることを実感。

加藤健一さんという役者さんが好きで、
「セイムタイム・ネクストイヤー」という芝居を下北沢へ一人で観に行ったのは、
二十年近くも前だった気がする。
数年後に再演されたときもまた観に行った。
二人芝居なので、女優の高畑敦子さんを知りその時から彼女のファンにも
なった。

「加藤健一事務所」からは毎年、お知らせが届く。
でもずいぶん長いこと観劇に行ってなかった。
今回「モリー先生との火曜日」のお知らせを読んだとき何故かすぐに
「行こう!」と思った。
余裕のないような日々を過ごしていると感じていた。
すべてに対してぬぐいきれない「逼迫感」のようなものを感じていた。

こういうときにこそ「文化」や「芸術」に触れる好機かもしれない。

そして、前売りチケットの発売初日だけあの「セイムタイム・ネクストイヤー」の
ビデオ上映がされると書いてあった。
タイミングよく仕事が休みの日だったので、
懐かしいビデオを観ることができた。
「次の年もまた同じときに同じ場所で」・・・、絆と信頼が育んでいくものが、
劇中の二人が交わすまなざしに表れていて、何度みても好きな舞台だった。

あんふぁんて

2010年04月17日 | Weblog
懐かしい友人に会った。
数えてみたら23年ぶりだった。
「むかしと変わってないね」と互いに笑いあった。
わたしが大田区ではじめての育児に直面していた頃、
出合った先輩たち。「あんふぁんて」という女性グループが出来たのは
1975年頃だったと聞いた。
フランス語で「生み出す、出産する」という意味だったと思う。

新幹線におむつ換えの場所を、という提言を始め、
こどもをもった女性たちに積極的に外に出て行こう、と呼びかけて、
それにこたえて集まった若い母親たちの場所だった。

こどもたちは大きくなって親も転居をしたりしながら、
それでも連絡は取り合っていてこうやって久しぶりに再会する事ができた。

彼女に誘われて落語を聴きに出かけた。
昨夜の相談事も頭の中に入っていてきちんと向き合うつもりだけれど、
旧友との再会はうれしく、はじめての落語も楽しかった。
思い出話って何故だか元気になるような、そんな土曜日だった。

四月のみぞれ

2010年04月16日 | Weblog
ブタさん、パンダ、ヒヨコ、ゴマちゃん(あざらし)。
手のひらにすっぽりおさまるミニサイズのお饅頭。
今日いただいたお菓子。

外は今、みぞれが降り始めたようだ。
それぞれがそれぞれの思いのなかで、
前を見ようとしている。


電話で受けた相談の話が重い。
それでもわたしで役にたつことがあるなら、
できるだけのことをしようと思う。
ない知恵も絞ろう。

じぶんを支えるのが精一杯だと感じていた、
ギリギリなのではないかと、実は今朝、思っていた。
でも今夜、電話を受けて手帳を開き、予定をたてようとしている。
ギリギリなんてことはきっとないのだ。

仕事先でいただいたお菓子があどけなく並んでいる。
わたしは降りしきるみぞれ交じりの雨音を聞きながら、
さっき聞いた話の内容を思い出している。
今夜の読書は諦めたほうがよさそうだ。


ゆっくり歩く

2010年04月09日 | Weblog
仕事で嫌なことがあって気が滅入っていたから、
どこかへ行こうと思った。
ひとりで行くつもりだったけれど、
ふと母を誘ってみたら「行くわ」と意外にもすぐ返事があったので、
神代植物園へ。
この春からそこで働き始めた友人が窓口で笑顔で迎えてくれた。
ゆっくりと母と陽だまり散歩。



桜も菜の花も満開。
「横浜緋桜」という濃いピンクの花や、ハナモモ、ミツバツツジなどが、
鮮やかに楽しませてくれる。

母はじぶんの古いコンパクトカメラを持ってきて、
わたしにフィルムをいれさせて、枝垂桜やチューリップの前で、
熱心にカメラを向けていた。

野草園でスミレを見つけたわたしを置いて、
杖をつきながらマイペースで先を行く。

夜、わたしがデジカメで撮った母の写真を何枚か母のパソコンに送っておいた。
さっき「ありがとう。すこし寿命がのびた気がします」と返信がきていた。
教えてあげた笑顔の絵文字が添えられている。

ひとりで出かけなくて良かったと思った。




さよなら、先生。

2010年04月07日 | Weblog
三人のこどもたちはみんな診てもらった。
わたしもいつもそこへ自転車を走らせた。
風邪ひいた、頭痛のクスリが足りない、
いつもいつも先生のところへ行った。


学校の検診で長女の病気が疑われたとき、
先生は最初「よくあること、大丈夫よ」と言ってくれた。
それでも検査を重ね、「これは・・・」と思ったときすぐに、
わたしに電話をしてきてくれた。「すぐ来て、あなただけでいいから」と。
医院からの帰り道、自転車をこぎながら、
大きな不安に胸がふさがれて泣きそうになったことをよく覚えている。

そのあとも、わたしの顔を見ると先生は長女の心配をしてくれた。
彼女が結婚したときは写真をもって報告にいった。
何十年もお世話になったかかりつけの先生。
先月末で閉院となった。
最後の日「長い間ほんとうにありがとうございました」と言葉にしたら、
やっぱり泣きそうになった。

近くに医院はない。
これからどうすればいいのだろう。
先生のところにたどりつき、先生の顔をみたらいつも安心だった。
こんなふうにして、ひとはひとと別れていくんだね。

聖なる力に満ちあふれた人生

2010年04月02日 | Weblog
何気なくジーンズのポケットに手を入れたら、
「聖なる力に満ちあふれた人生」と書いた紙が入っていて、
なんだっけこれ・・・と考えたが思い出せない。
確かに自分の字で古本屋のレシートの裏に走り書きしてある。
思い出せないまま、インパクトのある言葉なので捨てられなかった。

そのまままたポケットに入れて「聖なる人生」はわからないまま、
今日、洗濯しようかどうしようかと迷っていてまた発見した。
とうとうパソコンで検索したらそういう本だったけれど、
じぶん向きの本とも思えない。

だけど、ポケットに入れたときはきっと、息子のことやあれやこれやで
ひかれるものがあったのだろう。
だとしたら、今度どこかで立ち読みしてこようと思った。
救いを求めたいような心境のときってこころが活字をキャッチするから。

ところで今日、うちのネコはトトロに見守られて眠っていた。
安心しきって・・・・。