羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

世界の終わり

2009年11月26日 | Weblog
「あなたは他の土地からここにやってきたの?」と彼女はふと思い出したように僕に訊ねた。

「そうだよ」と僕は言った。

    ・
    ・
    ・
「僕に思い出せることはふたつしかない。

 僕の住んでいた街は壁に囲まれてはいなかったし、我々はみんな影をひきずって歩いていた」




そう、我々は影を引きずって歩いていた。この街にやってきたとき、
僕は門番に自分の影を預けなければならなかった。

「それを身につけたまま街に入ることはできんよ」と門番は言った。
「影を捨てるか、中に入るのをあきらめるか、どちらかだ」

 僕は影を捨てた。


       ~世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

                  村上春樹~

2009年11月25日 | Weblog
秋が終わろうとしている
枯れ葉の林に足を踏み入れようとすると
わたしよりもさきに影が
池のほうまで行くのだと
もう振り向きもしない

影だけが先に行く
わたしから離れていくようで立ち止まる
どこかであの門番にあったはずなのに
気がつかなかったのだろうか

コアラのホッカイロ

2009年11月22日 | Weblog
またこの季節がやってきた。
ドア全開放で仕事をしなければならない休日。
制服の上にショールを羽織って机に向かう。

休日なので、たいてい夫が仕事先まで車で送ってくれる。
途中で昼食を買う。
(のんびり食べている時間はないので、パンか小さいお弁当)
コンビニに行くとき「今日は寒いだろうな~」と呟いていたのを聞いていた夫が
これを買ってくれた。

コアラのマーチのホッカイロ入れ。
今日はこれを制服のポケットに入れて、時々手を温めていた。
ふと取り出してみると四葉のクローバーを手にウィンクしているコアラ。

さてさて、寒さに震えながらも少々の暖をとりつつ過ごす一日。
そういえば今朝も明け方に目覚めて頭痛薬を飲んできたことを思い出しながら、
いろいろなことが、ひらりひらりと頭のすみっこを掠めていく。

振り払っても消えないことってあると思う。
それでもなお、大切なことを見きわめなくてはいけない。



母さんのコート

2009年11月19日 | Weblog
いつも明るい笑顔の友だちと待ち合わせた。
いつからか仕事先で仲良くなった。
素敵なデザインのコートを着こなしている。
「いいね」と言ったら「これ、母のよ」という返事。
お母さんは体型が変わってしまってもう着られないからと、
譲り受けたそうだ。
彼女はいま、仕事をやめてお母さんのお世話をしている。


「このコート、母のよ」という言葉を去年の今頃やはり、
別の友人から聞いた。
彼女は、故郷の福岡に介護のため頻繁に通っていた。
そして、とうとう別れのときがきた。
コートはお母さんの大切な形見。それが誂えたようにピッタリと
友人に馴染んでいた。


かくいうわたしも母のコートを愛用している。
去年、「これ、もういらないんだけど」と見せられた葡萄酒色の短いコート。
胡桃ボタンがかわいくて襟ぐりが丸く開いていて合わせやすい。
見たときは嬉しくて「貰う!ありがとう!」と喜んだ。
冬の間中、ほとんどそれを着ていた。
「ただいま」と帰ってくると母が玄関で「あれまぁ、またそれ着てるんだ、
他にはないの?」とか「このコートもしあわせもんだね~」と言っていた。
その前に着ていたのは古着屋で買ったコートばかりで、それでも、
じぶんなりに着こなしていたつもりだから良しとしていたが、、、。


母がいつごろこのコートを着ていたのか、わたしの中の記憶にはない。
聞いてみたら昔のことで、本人の記憶も定かではないようだ。


わたしたちの母親はものを大切にする人たちだった。
その気持ちがコートをほんわかと暖かくしている。
そして、母親の着ていた物が似合うような歳になった、という事もある。
ちなみにわたしの礼装用の黒いコートは叔母が仕立て屋さんで作ったもの。
数年前、父の病院で叔母に会うと「○○子はそのコートしかないのかい?」と、
困ったような顔をしていた。
叔母は父のお姉さん。叔母の愛用品だった黒いコートにわたしは、
父親の告別式で初めて袖を通した。

逢魔が時

2009年11月16日 | Weblog
雨が降る日も嫌いじゃない。
でも雨が降らない休日があって、
黄昏時にじぶんの部屋にいられたら、うれしい。
父の書斎だったこの部屋から、
父が「誰そ彼」と教えてくれた「たそがれ」の窓を見る。
飽きずに見ていても夕刻の足し算は早い。

父もここに机を置いていた。
退院するとすぐにこの二階の自室にひきあげた。
そんなことを思い出している。
「逢魔時」という言葉がひらりとすり抜けていく。

父も見ていた向こうの空の彼方にカメラを向けてみた。

ハーゲンダッツの幸せ

2009年11月13日 | Weblog
不安に押しつぶされそうな夜。
この選択にミスはないのか、本当にこれでいいのか、
たったひとりではないけれど、結局は一人だと思う夜、
暗い夜の海に心もとなく漕ぎ出す小舟のような気持ちのとき。


冷凍庫を開ける。
ハーゲンダッツドルチェ。今夜はクレームブリュレ。
甘く冷たいささやかな幸せ。

頭痛薬やたくさんの予防薬で維持している日常も、
一向に治らないひどい手の湿疹も、あれもこれも、
一瞬だけ忘れて銀のスプーン。

間違えないなんて確証はどこにもありはしない。
とにかく生きよう、と北山修さんが言ったように、
とにかく進むしかない。

小舟にハーゲンダッツドルチェを積んで、
わたしはわたしのいくみちをじぶんで決めよう。


湖へ(山梨県)

2009年11月09日 | Weblog
母親と一緒に小さな旅。
兄の車に乗せてもらって南アルプスという山間の町へ。
写真は伊奈ヶ湖。
嬉しそうな母の様子を見ているとホッとする。
近くには芦安山岳館というきれいな資料館もあっって、
とても感じのいい係りの方が北岳のビデオを流してくれた。
山並みを眺めて、深呼吸するときいつも「あ~ここで暮らしたい」と思う。

「大丈夫だよ」

2009年11月03日 | Weblog
浅い夢のなかで、わたしは誰かの仕事を手伝っていた。
その人と分担して教えられた作業をするのだが、
わたしのことだから、「詰めが甘い」というか「中途半端」というか、
何だかちょっとマズイかも?という感じになりつつ、
仕事先の人がよく見ずにOKをだしたので戻ってきてしまう。
その誰か(仕事を分担した相手)と落ち合い「やれやれ」というところで、
やはり「マズイ」ことは発覚し目に見えるかたちとなる。
面白いことに何しろ夢だから、後方で「マズイ」事態は発火したりしていて。


そのとき、わたしと一緒にいたひとは慌てず騒がず冷静に、
「大丈夫だよ」とひとこと。
言葉だけでなく、後方の発火地点の原因箇所に一緒に行き、
落ち着いて対処してくれる。

火は消えた。
わたしは「大丈夫だよ」というたったひとことをかみ締めている。

あなたは誰?

雨が降っている

2009年11月01日 | Weblog
書きたいことがあったとして、書く時間もあったとしても、
やはり書けないことはある。
オープンにしているブログとはそういうものだ。

そういうときは自分だけのワードを開くか、
誰かのブログを読ませていただく。
松下育男さんの詩のブログ、残間里江子さんのブログ。
ものすごくお忙しく、しかも「お身体大丈夫?」と心配になる
このお二人が毎日欠かすことなくブログを更新されているのには、
本当に頭が下がる。

最近では、残間さんが加藤和彦さんの葬儀の参列したときの日記が
印象的だった。
加藤さんと残間さんは対談もされていて「クラブウィルビー」には
そのときの様子がとてもいい雰囲気の写真と一緒に載っている。

加藤さんの葬儀で北山修さんが言っていたというこの部分、

「おらは死んじまっただあ」ではなく「おらは生きちまっただあ」というふうに、
とにかく僕たちは生きよう。生きて、生きて、生き抜こう。

死を深く意識した者にはじ~んと伝わる言葉だと思った。

今夜も雨が降っている。

わたしは「死なない理由」という新書を新聞の読書欄に眺めている。