羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

武蔵野から

2016年08月19日 | Weblog
母の部屋を時々片付ける。
たくさんのものがある。
母は捨てるのが得意だった。
あれもこれもゴミ袋にいれていた。
鳴らない電話機(ふだんはひっそりとしている子機)
クッション(ちょっとシミがついていた)
記憶に無いみやげ物や古い家計簿。。

それらを仕分けしたり必要なものを救い出したりするのは
わたしの役目だった。
あんなにたくさん捨てられたのにまだまだいろいろなものがある。

青年教師だった頃の父の写真もある。
教会をバックにした両親の結婚写真もある。
よそ行きの着物を着て髪飾りがかわいい母はたしか24歳だった。

ぱらりと落ちた紙片はむかしのわたしの詩のコピーだった。
わたしも母のように24歳だった。
「億土」という同人誌で詩を書いていた。
結婚するとき「億土」に旅立つ詩と親への挨拶を小文にして載せた。

結婚したので三鷹の家に届いたのはわたしの身代わりになった「億土」だった。
詩は「武蔵野から」という。
コピーをとったのは父で日付が記されている。
父がコピーをとっておいてくれた。
母が何十年も保存しておいた。
ゴミ袋には入らなかったのだ。
折りたたまれた「武蔵野から」と「挨拶状」をひどく懐かしい思いで見つめている。


空を見上げる

2016年08月04日 | Weblog
七月はそれなりにするべき仕事があったので毎日、勤務室を出るときに誰が来て誰が見てもわかるように
メモを書いて整理してよく見てから帰ってきた。
じぶんがいなくてもなんとでもなるんだけど、やはり落ち着かないので進行や予定は今でもメモ。

キライな苦手なこの夏がはやく過ぎていきますように。
毎朝そう思いながら電車に乗る。
今日も始まった一日が途切れることのない日々の流れの淀んだ川の流れなのか
もしかしたらあとから思ったときに美しい黄昏どきなのか
山並みを眺めるように都会の空を見上げてみる。

続いていることが穏やかにしあわせで、不意に途切れる予感はやっぱりこわい。
こわいのにすこし期待してる。

最近、長女が貸してくれた窪美澄さんの「水やりはいつも深夜だけれど」が面白かった。
「ふがいない僕は空を見た」しか窪さんの本は知らなかったので、これは新発見。
それで図書館で同じく窪さんの「さよなら ニルヴァーナ」を借りてきたがこれがまたすごかった。
そんな本の話を長女とラインでしている。
彼女には綾瀬まるさんという作家の本も何冊か借りた。面白い。

さきほどその長女から「窪さんのアカガミをブックオフでゲット」とメールがきた。
小川洋子さんの「琥珀」を借りる約束だけれど「アカガミ」もやがてまわってきそうだ。
うれしい。
今は図書館で借りた井上荒野さんの「ベーコン」を読んでいる。

仕事を終え自宅で読書、時々スマホゲーム。
静かに過ぎていきそうだけれどそうはいかない。