羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

ローズガーデン

2010年05月29日 | Weblog
今が満開のバラが咲き誇る庭で、ランチができる店。
国分寺にあるイングリッシュガーデン・ローズカフェ



テラスはこんな感じ。



バラは撮られることによく慣れているモデルのように、
美しくたたずんでいる。






次女(まだ就活中)が携帯で撮った今日のランチ。



花とひとの賑わい。庭で食事するにはちょっと寒い五月の土曜日だった。

わかれ

2010年05月28日 | Weblog
「また台風がくるらしいという
今度の遠足もまただめらしい
鬼のいない間の僕らの青春
僕のいのちも長くはなさそうだ」

こうして「わかれ」という詩は始まる。
片桐ユズルさんの詩集はすっかり色あせているけれど、
萩原朔太郎や、三好達治の詩集と並んで本棚でわたしを待っている。
詩集をひらくときは古い引き出しを開けるときに似ている。
たいていは何かを、探しているのだ。

わたしが学生の頃読んで好きだった詩を書き出して、
娘の誕生日に添えたことがあった。
受験生だった彼女は、文字通りその紙片を机の引き出しに入れて、
今も、時々読み返すという。

「ふつうの女の子に」という詩。

ひとり たたかうしかない たたかいなんだね
あなたが そこまで おもいつめたとは
あなたの こどくが ぼくのみにしみる

ボストンバッグに きものをつめて
退学とどけ と 片道キップ
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね

ぼくは あなたに なにもしてあげられない
ぼくには かねもなく コネもない
あなたの こどくが ぼくのみにしみる

ただ がんばれと 声をかけるだけ
ただ 花束と キスをおくるだけ
ひとり たたかうしかない たたかいなんだね

  (後略)


この詩を読んだのはちょうど今の娘くらいの頃だったろうか。
ときをこえて、言葉はたしかな力をもつ。
きっと静かに眠っているように見えるだけなのだ。

ふと思いついて片桐ユズルさんを検索してみた。
詩集の裏表紙の写真はギターを抱えた青年だった。
面影をそのまま残して、ご活躍中。
SPYSEE(スパイシー)の相関図では、中川五郎さんや高田渡さんと、
つながっていた。

大きいうさぎと小さいウサギ

2010年05月21日 | Weblog


浦和にある調神社、これで「つきじんじゃ」と読み地元では「つきのみや」と
親しまれているらしい。
うさぎの神社、とどこかで読んで行ってみた。
いきなり狛犬ではなく、うさぎが両側で迎えてくれた。



境内に入ると、うさぎの口から水・・・。



社殿にはうさぎの彫り物があった。



たしかにあちこちにうさぎあり。
なぜかというと「つき神社」なので「月」。月待ち信仰としてのうさぎは使者である。

奥のほうにキツネを発見。そして足元に抱え込んでいるのは、
うさぎか?と思うが耳が極端に短い。むしろ蛙に見える。
でも尻尾が長い。


池の中にもうさぎがいた。
よく見ると大きいうさぎの近くに小さいうさぎがいる。
大小ふたつの寄り添う月のように、誰からも手の届かない場所にいる、
母と子のようだった。



うさぎのレッスン

2010年05月19日 | Weblog
ちょっと時間のあるときには「兎に角」片付けをして、
なるべく部屋をスッキリさせようと心がけている。
これは娘たちのレッスンバックで、長女の名前の上に線をひいて、
次女の名前を書き、幼稚園から小学校までお供をしていた。
発見されたときはホコリをかぶり角が擦り切れて、
「もう充分です」という表情だった。
中には「希望の歌」という楽譜が入っていた。

手芸をするのは好きだった。
学生の頃は定期入れや煙草ケースなどをオリジナルで作っていた。
でも、結婚して子供ができて、必要に迫られて作成した物は、
なかなかうまく出来なかった。
お弁当箱入れ、上履き袋、体操着袋、、、、。
末っ子には扱いやすいようなリュックサックを作って、
星の子のマークをアップリケしたりした。
やはり不器用さが否めないのかどうも不恰好だったけれど、
無邪気に喜ぶ子供たちの笑顔に救われたものだ。

とくに動物の刺繍が難しい、と気がついた。
クルマや、スプーンや、果物ならどうにかごまかせるが、
生き物は顔があるから難しい。
このウサギもちっとも可愛くなくて「うさぎの女の子」のつもりが
どう見ても「兎のお母さん」に仕上がってしまった。

それでも、長女から引き継ぎ、次女も使ってくれた。
丈夫でシッカリしていた、「理想の」お母さんうさぎだったかもしれない。
必要がなくなったモノなので、写真を撮ってからお別れした。
「ねえ、ウサギのレッスンバック、写真撮ったから捨ててもいいよね?」と、
次女の部屋に向かって声をかけたら、「うん」と見もせずにあっけなくひとこと。
役目を終えたものの終わりは潔く、こんな感じか・・・・。

牡丹と菫(または萩)

2010年05月17日 | Weblog
高齢になった母と一緒に、故郷の福島県へと行って来た。
体力の衰えも日々実感している母は出発直前まで、
「やっぱり無理だと思う」と言いつつ、数時間経つと気を取り直して
支度を始める、ということをくり返していた。

結果としては思った以上に元気よく行って一泊して帰ってきた。
実家で待っていてくれた人たちと会い、祖先に墓参をし、
遊び場だったという神社に行ってすごく懐かしがり、
出身の小学校は様子が変わっていて首をかしげていた。

女学校へ通う鉄道の駅で、いつも男の子が待っていてくれた、
などという驚きの発言も飛び出した。
おさげ髪にセーラー服で頬を染めた母を思った。

一時はどうなることかと思った数年ぶりの帰郷。
暑くもなく寒くもなく雨にも降られず、本当に良かった。

母がよく遠足にきたという牡丹園。
ちょうど今が盛りと咲いていた。

桐、牡丹、ときて花札を連想する人もいるかと思うので、
ついでに書くと泊まったのは磐梯熱海という所の温泉宿で「萩姫の湯」という。


部屋からは『萩姫伝説の五百川』と線路が見えて、
赤べこのマークがついた列車がゴトゴト走っていく。
案内された部屋の名前は「菫」だった。


桐の花事件、その2

2010年05月10日 | Weblog
あの桐の大木が倒れそうで危険ではないのか、という通報があったらしい。
今朝、仕事に行ってその事を知り、初めてその深い空洞に気がついた。
幹に大きな傷もあった。
わたしは公園のカギは開けるが、隣接する事務所にいるだけで、
園内にはめったに行かないし、公園の管理をしているわけでもない。
でも、公園のことはやはり隣接する事務所から目が届く。

今朝、警備員さんと一緒に桐の木を見上げ、
散歩にくるこどもたちの引率者には「注意して遊んでください」と伝える。
そしてまず役所の人がきて、次に樹木の専門家がきた。
空洞に雨水が溜まって侵食し、枝ぶりで斜めに傾き、倒れる危険性有りと
判断され、午後には伐採に行きますと連絡がある。

「切られる?」
毎年楽しませてくれた桐の花。大木の下の薄紫のじゅうたん。

電話を受けてから外に出て見ると、
自転車をとめて佇んでいる女性がいる。
思わず近くに行って「この木、切られてしまうんです」と話しかけていた。
「あらそう、毎年ここを通って見とれてたのよ、残念だわ」
「そうですよね、さびしいです」


わたしは月曜日で煩雑な事務仕事の合間に携帯をもって木のそばに行き、
今までありがとう、、、ごめんね。と声をかけて幹に手をあて、
何枚か写真を撮った。




満開の時を過ぎて桐の花はさわさわとこぼれていく。涙みたいだ。

作業はあっけないほど簡単に済んだ。
わたしは倒れた木から細い枝を何本か貰って帰ろうと思い立ち、
園内に入ると、今朝の役所の人がよく切れる枝きり鋏を貸してくれた。

濡れた新聞紙で切り口を包み、事務所のテーブルに置いておくと、
甘くやさしい香りで室内が満たされる。
いつ終わるかと思うほどの仕事量も、その香りに包まれているからイライラもせずに
どうにか終えた。
すっかり暗くなった道を帰って母に見せる。
「桐の花?初めて見たわ」何度も言いながら、母は花瓶を探し始めた。
「いい匂い、ね」と枝にさわりながら猫か花を相手に話しかけている。

深い空洞を抱えたまま立っているのは精一杯だったろうか。
撮ってきた写真を見ていたらふと、そんなことを思った。

就活最前線、その2

2010年05月09日 | Weblog
先日このブログで「就活最前線」を書いたときと前後して、
新聞に「就活に四苦八苦の娘、頑張れ」という投書があり、
ほんとうにその通り!と思いながら読んだ。
たくさんの家族が同じ思いをしているのだろう。

「最終選考で落ちた」というのは、うちの子も経験したし、
二回も三回もそういう悲しい体験をしている学生も少なくない。
どう考えてもかわいそうなのは落ちた学生に何の連絡もない会社が多い、
ということだ。

筆記、一次、二次、と受かれば連絡がある。
落ち着かない気分で待つ本人、とその家族。
一日待ち、二日待ち、、、、、やがて諦める。

不採用の場合は「今回はご縁がなかったということで」という連絡を
されるのが常識だと思っていた

娘はあした四次面接を受ける。
こちらまでがドキドキしている。
(四次の次が最終選考だと思う)

わたしは、新聞に投書をして就活生の母親の声を代弁してくれた女性と、
メール交換するようになった。
みんながそれぞれの望むところやふさわしいところに就職できますように。

         

桐の花事件

2010年05月08日 | Weblog
仕事先の公園で今年も桐の花が咲いた。
薄紫の花々が、大木の下に散り始めている。
美しく咲いて散っていく。
わたしは朝、公園のカギを開けてそれを見ることが日課となる。
しばらくすると保育園のこどもたちがやってきて、
桐の花は小さな手に拾われて駆けていく。


北原白秋の歌集に「桐の花」というのがあったと思う。
『姦通罪』というあの出来事があったからそれは、
「桐の花事件」ともいうらしい。
白秋は大空に枝を伸ばした桐の木や薄紫のあの花を
どんな気持ちで見ていたのだろう。

本の完成

2010年05月03日 | Weblog
「野上弥生子の文学とその周辺」がようやく出来上がってきた。
わたしが詩集を出す前にでるはずの本だったから、
予定より何年も遅れた。

固辞したつもりだったのに、結局、巻頭詩を引き受けてしまったので、
イマサラ読み返すと本気で恥ずかしい。
じぶんのなかでは、すでに「過去の作品」というか、
あの頃の作品、という印象で、詩には罪はなく無邪気だけれど、
製作者はそこを飛ばして読みたい気分。

年賦の件では、いい勉強をした。
わたしはそれまで野上弥生子というすごい作家のことを
あまりに知らなかったので、年賦に関わることで、
漱石の激励で弥生子が小説を書き始めた事を知り、
伊籐野枝と大杉栄に興味をもった。
夫亡き後、弥生子が哲学者の田辺元と交流し、たくさんの手紙が交わされたことも
興味深かった。

勉強の機会を与えてもらったことに感謝したいと思う。
本は弥生子ゆかりの「軽井沢高原文庫」にも置かれるという。