羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

大晦日

2016年12月31日 | Weblog
終わる。過ぎて行く。それってキライじゃない。
いろいろあってもすすっとそこを過ぎて行く。
乗り越えてきたものもある。逃げてきたものもある。
置いてきたものもある。わからないままのことはいつでもたくさんある。

それでもまあとりあえず過ごして行く。
やり過ごしているみたいなちょっぴり後ろめたさにもひとりでくすっと笑う。

昨日まで仕事だったという、うまい言い訳があったので
今日になって部屋や廊下や玄関を片付けていた。
ふと鏡に映ったじぶんは髪をひとつに結んだすっぴんおばさん。
毛玉のついたセーター。
やっぱりくすっと笑ってしまった。

今年は家族の病気に心配がつきずじぶんも春にすこし寝込んだ。
母はながい道のりを歩いて遠くへと旅立っていった。
三回忌、という二人の知人に同じ言葉を聞いた。
「今がとてもさびしい、とても会いたい」と。

喪中なので何もしない正月。
母がくれた「お休み」。
おせち料理、お飾りのしたく、何十年もしてきたことにお休みを貰って
なんだかスッキリとラクチン。

来月早々、長女は入院する。
大きな手術に挑む。
また女子医大へ付き添いに通う日々が始まる。
冬を乗り越えていこう。

そしてまた旅にでたい。

あまり更新しないこのブログに今年もおつきあいいただいた皆様
ありがとうございました。
よいお年を。

桜の喪中ハガキ

2016年12月25日 | Weblog
母の告別式に配った会葬礼状も、あとから知った方に送ったお礼状も、
形式にあまりこだわらずわたしらしい文章にしてみた。
それが大丈夫だったので喪中ハガキもユニークなものになった。

桜の写真に水色の縁取り。いちおうネット検索した喪中ハガキのテンプレート。
そこに桜にまつわる母との思い出を書いた。
11月に投函してから「変りすぎてるかな?」と少々の不安もあった。
「いいね!」と言ってくれたのはこどもたちで
家人は見せても無言で返してきた。

ところが、このハガキが意外なほど反響があり、
ハガキ、手紙、メール、などなど有難いほど返していただいた。
母宛にいつも年賀状をいただく「父のむかしの教え子さん」たち。
蒲田に住んでいた頃の友達、学生時代の友人、、、、。
みなさんがやはりお母様と桜の思い出を綴っていた。

風変わりな喪中ハガキも受け入れてもらえたようでホッとしている。

ところで先日ここに書いたフォトブック、友人に見せたら好評だったので
パソコンやスマホにある写真をまたまとめ始めることにした。
2013年版が完成した。
最初のページは母も三鷹の家に帰ったお正月。
次は2月、母の米寿祝い。
母はまだ杖があればゆっくり歩くことができた。
家族と一緒にうれしそうな笑顔も見せている。

この写真集の表紙は次女と行った倉敷、大原美術館の睡蓮の池である。

いのちのかたち

2016年12月02日 | Weblog
もっともっと寒くなると動きが鈍くなるので
わたしがごそごそ活動するのはいまのうち。

新宿へ「いのちのかたち」というドキュメンタリー映画を観に行ってきた。
大好きな絵本画家、いせひでこさん。
短期間しかやってないので情報をキャッチしてすぐに行った。
被災した宮城のクロマツとの出会い。
安曇野のアカマツ林。木たち。みんなちがう木々。

「風 吹いている 木 立っている 
ああこんなよる  立っているのね 木」という吉原幸子さんの詩を思い出す。

映画では、いせさんが最初から参加している「1000人のチェロコンサート」の様子もあった。
久しぶりに出会えた懐かしい大好きなひとみたい。
帰りには紀ノ国屋で絵本「わたしの木、こころの木」を買って温かい気持ちで帰った。



来週には宇都宮方面に行く。
有給休暇はせっせと使う。
北陸へ旅したとき貰った三千円の宿泊券で一泊。
大谷石採石場跡にある広い博物館が目的。