羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

水音

2013年10月30日 | Weblog

「宮沢賢治と法華経展」を開催中というチラシを目にしたので、
最終日は京都佛立ミュージアムに行ってみようかと思っていた。
でも前日、ホテルでスマホ検索してバスでの行き方、所要時間など調べて、
どうもあまり余裕のないことがわかり、、、
最終日は鴨川の近くでのんびりしたいかも?という気持ちもあったので、
賢治さんは見送ることに。

手元にガイドブックはないので事前に調べたことを思い出しながら、
地下鉄に乗り、「陶板名画の庭」と植物園へ。
この日はのんびりしたい日。できれば川の近く。なるべく人が少ない所。
そしてじぶんのなにかに耳を傾ける。

陶板に再現、拡大されたゴッホの作品(糸杉と星の道)。また原寸大の「最後の晩餐」や
好きな鳥獣戯画など、水辺にたってゆっくりと鑑賞した。
まったく誰もいない。

植物園も奧へと歩いていくと森の中へ迷い込んだようにひっそりと静か。
水車があり、苔むした小さな石橋を渡り、水琴窟を発見。
               

やさしいやさしい音がした。
植物園を出てカフェを探してランチタイム。(キッシュ)。
体力があるわけではないのでやっぱり3日くらいがちょうどいいのかな。
もっといたいと思ったけれど、もう東京の仕事場をチラチラと思い出す。
帰ろう。そして働いたらまた旅にでよう。

京都3日め

2013年10月29日 | Weblog
今朝は曇り空。
でも暑くなく寒くなく雨もなく、
これくらいの気候は旅日和。
昨日は平岡八幡宮の花天井拝観。
やはり秋の特別公開。
仁和寺の庭園で五重塔をみてゆっくりして
雫さんの京都案内を楽しませていただきました。
ランチは油屋さんの町屋カフェ。
デザートは京野菜の店で「秋いっぱいパフェ」。
さいごに正伝寺で比叡山借景の庭園。
そして血天井を見上げてため息。
天井に始まり天井で終わった一日でした、。
雫さんありがとう。
今日はこれからスタートします。

京都初秋

2013年10月27日 | Weblog
京都にいます。
六波羅密寺で空也さんに再会。
祇園を歩いて、夕方には高台寺の
「秋の夜間特別拝観」へ。
ライトアップされた臥龍池の水鏡に
しばし立ち尽くしました。
いつかできたら写真をアップします。

横浜

2013年10月26日 | Weblog
雨が続いて数日、母のところへ行けなかったら、
二日続けて夢をみた。
夢で、母はとても元気で普通に歩けるが、「おや?」と思う言動は
たしかにある。そういう夢だった。
それで今日は家人の車に乗せてもらって母に会いに行った。
変わらずに穏やかにしていて安心した。
母に「どこか行きたいところある?」と聞いてみた。
あるんだけどいいの、いえない、などと言っていたがよく聞くと
「横浜」だった。
行った事なかったっけ?と聞くとないという。
あちこち家族で旅行したし横浜も行ったと思うが、
「どういうところなのか一度行ってみたい」そうだ。
タイミングよくクルマを運転する人が今日は一緒だったので、
それでは来月行きましょう、ということになった。

先月、ホームでぶどう狩りに行って、
2時間くらいならドライブできるとわかったので、
行くなら今のうちである。
来月は母と横浜へ。
そしてわたしは明日から京都へ。
行って来ます。

吉祥寺の買い物

2013年10月25日 | Weblog
今日は仕事の帰りに吉祥寺に行った。
吉祥寺は雨にも関わらず相変わらず人がいっぱい。
東急デパートが見えるドトールのカウンター席でひとやすみ。
東急デパートはそのむかし「名店会館」とかいう名の商業施設だった。
ここいらで唯一の大きい店だった。
一階に文房具店があってボーイフレンドとそこで
「おそろい」を仲良く買ったことがある。
女子高生だったわたし。
ささやかにいくつか選び、さいごに消しゴム。
その消しゴムは半分こにしようと彼が言い出した。
店員にカッターを借りてその場で半分に切られてしまった
かわいそうな消しゴム。
にこにこはしゃいで見せていた幼いじぶんが懐かしい。
消しゴムは半分でも使い切らないうちに彼とは別れた。

今日、ドトールで席を立とうとしたら
隣の席にいた女性が忘れ物をしていたことに気がついた。
同じような注文をして同じようにスマホを見たあと同じように
文庫本を読んでいたひとだった。
店員に託し、じぶんも気をつけようと店をでる。

すると今度はアトレの中でお財布が落ちているのを見つけてしまった。
今日は拾う日だ。
これも店員に託す。
雨だし買い物して荷物も多いし「失くさないように」そして
「滑らないように」と念じながら帰ってきたらすっかり疲れて、
やっぱり今日も肩と首が痛い。

母娘映画鑑賞会

2013年10月24日 | Weblog
仕事の帰りに長女と待ち合わせて映画を観た。
でも映画館に行ったわけじゃない。
DVDをレンタルして食料を買ってうちで観た。
ふたりの映画会。タイトルは「ファインド・アウト」。
アマンダ・セイフライドというわたしは知らなかった女優さんが
拳銃をもってカッコよく頑張っていた。
精神科で投薬を受けている彼女が「一人でも闘う」と決めたときに
その薬を捨てる。必死の決意に、
観ているわたしはつい「母の気分」で「がんばれ」と願っていた。

映画のあとはやっぱりいろいろ楽しくお喋り。
話題はまあひとことで言うなら「本とオトコ」である。
(と書くとこれは映画よりも現実味があるからちょっとすごい。)
午後の時間はするすると過ぎ、
夜になって真っ暗なところを帰らせるのが心配なので
「今日はもう泊まっちゃえば?」といったけど、
娘は「クスリを持ってきてない」と笑って実家をあとにした。
そうだ、クスリを捨ててまで闘うようなマネだけは娘にはけしてして欲しくない。
勝ち目がなくなったとしても出来うる手段を全部つかって
一生懸命生き抜いて欲しい。

ひとりごと

2013年10月23日 | Weblog
今日、スーパーの精肉売り場ですごく迷ってるおじさんがいた。
ただ迷ってるのではなくて声にだして困っている。
あれとこれとどこがどうで何とか、、、と大きいひとり言。
親切なら「お困りですか?」と声をかけるところだが、
それほど親切ではないのでさっさと通り過ぎた。

本当に困っているならもっと真剣に周囲を見渡すか店員を探すはずだ。

それで思い出したのだが、「ひとり言をいうおじさん」は結構いる。
はやい話、うちにもひとりいた。
それからつい最近、仕事で一緒になった男性。
共通しているのが大体60歳近いかさらに上でしょう、という年代。
ひとり言にしては大きいので、最初は話しかけられたのかと身構える。
しかし彼等は自分に言い聞かせるごとく喋っていて、なおかつ、
そばに誰か存在することも意識しているのである。
そうでなきゃ「聞こえよがし」みたいな呟きは発生しない。

一歩間違えると「あぶない人」。そばにいる人間には若干迷惑。
(対応に困るから)

そのてんおばちゃんの大きなひとり言、はまず聞かない。
誰彼かまわず話しかけるご婦人はよく見かける。
困っていたらどうにかするべく行動する。
人生後半をしっかり生きている女性が頼もしく見えるのはそういう時である。

理由

2013年10月22日 | Weblog
連続して更新している。
理由がすこしだけある。
すこしだけの理由をじぶんの尺度で見つけると
これはちょっと作動する。
多少なりとも「書き慣れて」いるので
「書いとくか」と思うと何でもかけるのである。(おおきくでた)

むかしともだちに頼まれてラブレターの代筆をしたこともあったし、
「息子の就活に必要な作文」を代筆してほしいと頼まれたこともある。
頼まれれば誠実に応える。困っているなら助け舟をだしたい。
そのあとどうなるとか、結局は良い結果にならないとか、
そういうことは関与しない。

理由は各自がみつけるもので、固有のものである。

先日、高校のときの同窓会があった。
当時大学をでたばかりで女子高生の担任となった彼女は、
わたしたちと五歳しか違わない。
感心なことに先生はよく名前と顔を覚えていてくれた。
「文学少女!」と開口一番仰った。
仲良くしていた覚えは全くないのだけれど(むしろ逆?)
どうも互いの記憶はちぐはぐで先生はすごく嬉しそうなお顔を
されていたのですこしホッとした。
カメラ係りが来るとシッカリわたしの腕をとってにこにこ笑顔で
写真に収まった。

ひとと出会う

2013年10月21日 | Weblog
昨日ブログを細々と書いていたおかげで親しくなれたひとのことを
書いたけれどネットのせかいにはそういう「繋がり」が溢れている。

かなしい出来事もおこる。
うちの近くでおきた痛ましいストーカー事件もネットが発端だときく。
発端はネットでも「これは、、、」と彼女は気づきどうにかしようとしたのに
間に合わなかった。
とてもつらい事件だった。

わたしはここやどこかで何かを発信しているうちに
ひととも出会えたしいろんなことも知った(気がする)。
桜木紫乃という作家を知ったのもここにきてくれたshibatosonoさんのおかげである。
「ホテルローヤル」で直木賞を受賞するずっと前からsさんは桜木紫乃を読破していた。
今回の受賞作、図書館で借りて読んだけれど、
わたしはやっぱり「ラブレス」などの長編が好きだな。

得るものとうしなうものがあるとする。
損失は、、、取り返しがつかないこともあるのだから慎重にしようねと
みんなはいうのである。
得るものはじぶんの大切なものへとおおきく変わることがある。

ふらりと戻ってくる

2013年10月20日 | Weblog
誰も知らないところにいけるわけはない。
ひとりはさびしいから。でも架空世界ではそれができる。
たとえばこのブログをすてて誰も知らない場所へ
逃げ出してぽそぽそ綴っていたこともある。でもそこすら置き去りにして
またここに戻ってくる。
じぶんを知るひとがいない気楽さとさびしさ。
本音やありのままを綴るスッキリ感。いろいろだ。

誰も知らないところにいっても誰かがわたしに声をかける。
知らなかったひとが毎回コメントを書いてくれたりする。
うれしいのかやっかいなのかじぶんでもわからない。
たぶん両方だろう。

放り出したブログに(そこが帰るところな気がして)
寅さんみたいにふらりと戻ってくると
アクセス数が150とか訪問者数1日で111人とか不思議な数字に出会う事がある。
数字が「また何か書けば?読まれてるよ」とそそのかす。

そういえば今月末の京都。
ここによくきていただいた雫さんに会える。
途切れがちなブログでも読みにきてくださるひとがいて
ふとメールが行き交い親しくなる。
夏に東京で会って以来の再会。
梶井基次郎が檸檬を買った八百屋さんにご案内できますよ、と昨日のメールにあった。

人見知りのつもりで黙っていても
わたしたちはいつのまにかどこかで出会う。
誰かと知り合う。
誰も知らないところにいく気まぐれを愉しみながらも
知り合って親しくなる嬉しさはすてられない。