羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

母のいない母の部屋

2018年10月07日 | Weblog
久しぶりに母の部屋の雨戸を開けた。
がたんカタンとあけて眩しすぎる秋の日差しをいっぱいにいれた。
サービス過剰な秋の休日のお日さまだ。

母は生前よく片付け物をしていた。
いるものもいらないものもごっちゃに捨てた。
燃えるゴミの袋に使える電話の子機が捨ててあってわたしに怒られた。
母はわたしに怒られて小さくなっていた。
翌日ふと気がつくとその電話の子機は「使える捨てない」と、
マジックペンで大きく黒々と書かれていた。

母は認知症と必死に闘っていた。
おびただしいメモがそれを物語っている。
ふすまにさえ日にちがマジックで書かれている。
そのふすまには幼いわたしと兄の白黒写真が数枚貼られてもいた。

いろいろ捨てながら、これは大切、とそのとき思ったものは
ちゃんとより分けていたのかもしれない。
あまりにもメモが多かったので、もうだいぶ捨ててしまった。

母の部屋に入り片付けを再開している。
生前だいぶ整理していたようだがまだまだ大量にいろんなものがある。
以前は捨てられなかった写真、アルバム、旅の思い出、のようなものも、
もう処分することにした。
わたしもやがてここを出て行く。
身軽にならなければならない。
7人で住んでいた家にはものすごい量のものがある。
長女の入院に寄り添ってくれた大小のうさぎのぬいぐるみ。
彼女に「もうお別れしていいよ」と言われてから一年たった。
ようやく決心して先日、捨てた。
「ありがとう、ごめんね」と呟いていた。

そう思いながらまだまだたくさんのものたちを捨てなければならない。