羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

小さなマイスリー

2012年10月28日 | Weblog
どんなに疲れていても、睡眠不足で本当に眠くても、
クスリがなくては眠れない、という状態が長く続いたので
ずっと安定剤や睡眠導入剤を頼りにしてきた。
先日、頭痛外来の先生に「どう?マイスリー半量にしてみる?」と
聞かれた。いま余分に貰ってあるのでお試しに半量の錠剤も10日分だけ
だしてもらった。先日、この錠剤を手にしてみたら本当に小さな薬で、
なんとはなしに不安も覚えるが、「試しに」飲んでみた。

不安感は緊張を生むのでベッドの中でなるべく「習ったばかりの呼吸法」を
思い出したりして気を紛らわせていたら、いつのまにか眠っていた。
夜半、ふと目が覚めて「あ、小さなマイスリーでも眠れた!」と思った。
安心してまた眠りに落ちた。

以前、明け方に必ずやってくるひどい頭痛に苦しんだ時期があった。
半覚醒でレルパックスを飲み、どうにかもうすこし眠ってから
仕事に出かけた。
あの頃の苦しいクスリ依存の日々から一歩ずつ抜け出してきている気がする。
生活スタイルも変わり、年齢も重ねた。
また今後どのように変化していくのかわからないけれど。

ところで、秋は深まり、図書館に通う日々がまたやってきた。
読みたい本は検索して、あれば借りるしなければ予約しておく。
予約すると「あなたは何番目です」と館内のパソコンが教えてくれる。
水村美苗さんの新刊「母の遺産・新聞小説」だけがまだまだ順番が回ってこない。

でも三木卓さんの「K]や黒井千次さんの「高く手を振る日」など
予約順番が「一番目です」と画面にでてくる本もあって、
それらは本館だったり駅前図書館にあったりしてわたしの行く東部図書館まで
翌々日くらいにはやってくるのである。
図書館入り口の予約確認機械にカードを入れるとそれがわかる。
昨日、借りてきた本を並べてみたら「西部」「駅前」「本館」「東部」と
ラベルの色が全部違っていてカラフルだった。
便利だな~図書館!と思う。タイミングよく行くと「持ち帰ってよい雑誌」の箱の中に
短歌雑誌がある。河野裕子さんの追悼号を見つけたときは嬉しかった。

旅のつづき

2012年10月27日 | Weblog
亡き父が使い、長女が使ったこの部屋のガスストーブが壊れたらしい。
昨夜ふとつけてみたがダメだった。
夜になるとフリースを着こんで部屋にいる。

そうそう、旅の続きをまだ書いてなかった。
二日目、伊良湖岬から鳥羽へと向かうフェリーに乗船した。
鳥羽では次女が探していた「とばーがー」の昼食。「真珠アイス」のデザート。
そして伊勢神宮に参拝してだいぶ歩いた頃に日が暮れてきた。
「おかげ横丁」で娘はちゃんと「伊勢海老コロッケ」や「豆腐ソフト」を
ゲットしていた。少食なのに食いしん坊なのがムスメの可愛いところである。

ふと気がついて鳥羽駅に帰らなくては、と地図を見る。
どうにかバス停を発見した。
実はここに来るまでわたしが疲れてタクシーを使って予算外の出費を
していたので今度はバスと近鉄で戻ろうと思っていた。

バスの時刻表と近鉄の駅に行くことを確認した頃は陽が傾いていた。
鳥羽に迎えに来るホテルの最終バスには間に合わないので「遅くなります」と
電話をしたら時間外だが迎えにきてくれるという。

ここで安心したのもつかの間、この市内バスが宇治山田の駅に着いたのは、
乗るべき電車の二分前走った。この電車に乗らないと鳥羽駅に行けない。
急いで次女が切符を二枚買い、階段を駆け上がって「間に合った電車きてないよね」と
言いながら振り向いたら、電車は二両編成なのでホーム後方にちゃんと停まっていた。
慌ててまた走ってようやく乗り込んだ。
ふだんのんびりしているので走る、なんてことはまず、ない。
「お母さん、大丈夫?」「うん、どうにか。」と言いながら笑いあった。

じゃらん、で予約したホテルに落ち着きお風呂も入ってしばし休息していたら
娘が壁にクモ発見。しかも大きい。フロントに電話したら係りの人が
殺虫スプレーやハエ叩きや雑巾を持って退治しにきた。
しかしクモは逃げ、部屋替え、ということになった。
クモのおかげで和洋室のステキな部屋にグレードアップされた。
一階から七階に移ったので窓に広がる海の景色もずいぶん違って見える。

翌日は鳥羽から名古屋に行き名古屋城見物をして帰京した。






海の青、空の青

2012年10月26日 | Weblog
そういえば5月に遠野、岩手をふたりで旅したときも
パタパタして地元のみなさまに助けていただいた。
何故だろう?と考えるに、次女は「列車旅熟練の母」と一緒だと思ってるし
わたしも「シッカリ者の次女」同行だと思ってそれぞれ甘えてる部分もあり
油断しているからなんだと思う。
でもそれがまた旅の思い出となって笑えて感謝して愉しい。
わたしは昨年、仕事を辞めたときから腕時計をしていない。
娘が彼氏から貰った華奢な時計が正確に時を刻んでいて、のんきな二人に
やきもきしていたようだ。
でも海風に吹かれていると、ときが経つのを忘れる。

竹島にて。



   
    
                  伊良湖岬灯台
                    


時手紙

2012年10月24日 | Weblog
次女との旅は何だかあわわとする事が多発した。
ひとり旅だとゆっくりのんびりしているわたしも
次女のあれも見たい、そこに行きたい、これも食べたいパワーに楽しくつきあう。
しかし二人ともどこか抜けているところが共通点らしく、
いろいろなことがあった。
まず、詳細に決めておかなかったので東京駅で会うのに手間取った。
会ったら安堵して朝食のパンをのんきに買っていたらあやうく新幹線に
乗り遅れそうになった。
蒲郡では竹島が素晴らしく、橋を渡って石段をのぼり、ぐるりと歩いた。



海辺の文学館に着いた頃はかなり疲れていて、
「ここからバス停まで歩くとどれくらいですか?」と情けない顔をした母娘に
同情して、、たまたま居合わせた観光協会の方が車に乗せてくれた。
そして蒲郡の駅前に喫茶店を見つけ、やれやれと腰をおろす。

半分にしたいので、とトーストを注文し「雪んこ」という可愛い名前のアイスコーヒーも
頼んでしばらくすると次女が気がついた。
10分後に出る電車に乗って豊橋に行かないと宿泊地の伊良湖岬までたどり着けない!
間に合わない、マスターに事情を話そう、と立ち上がったと同時に
出来立てトーストを運んできたマスターと目があった。
「電車、間に合わないの!?」と一瞬で理解した彼はラップでトーストを包んでくれた。

蒲郡駅のホームとそこから豊橋に行くガランと空いた列車で食べた小倉トースト(半分)と
店の名がついた「茶太郎トースト」(半分)は予測を超える大きさだったけど、
美味しくて二人とも全部食べた。
「茶太郎」のマスターありがとう!

無事に着いた伊良湖岬は高台にホテルがあって恋路が浜に夕陽が沈むのを見ることができた。

この日、竹島の文学館でわたしたちは十年後の自分に届く「時手紙」を書いた。
十年後もこうして娘と仲良く元気で旅をしていられるといいな。

さてさて二人は翌日もあれあれと同じようなスリリングな旅をして3日後どうにか無事に
帰ってきた。書けたらまたそのうちに・・・。


ゆりあぺむぺる

2012年10月17日 | Weblog
ここのところずーっと暑くなったり寒くなったりしてる。
寒がりのはずだと自分をかばって上着を着こんで出かけると
暑くて必ず脱ぐ。更年期のせいか?じわっと暑くなってしまう。
でも夕方から夜は寒くなってきてどんどん上に着ていく。
喉が渇いてアイスコーヒーをごくごく飲んだかと思うと
ホットココアを両手でつつんでパソコンの前にいる。

日曜日は紅テントを観劇するために友人と吉祥寺駅から西圓へ歩いた。
素直にバス通りから行けばよいのに地元だからと井の頭公園を抜けようとして
真っ暗な夜道で遠回りをしてやたらに歩き、疲れて、汗をかいた。
月曜日は頭痛外来に行き、三鷹で用事をすませてデリス2階でパンを食べていたら
向かいの「プーの森」にいる人の雰囲気がどうも友人に似ている。
ガラス窓から眺めていても視力の弱いわたしには確定できない。

食べ終えて行ってみたらやっぱり彼女だった。
偶然に出会えるってなんだかうれしいね。

そして昨日の朝、目が覚めたらすごく喉が痛くて「あ~風邪ひいた~」と
ベッドにもう一度もぐりこむ。
手元にたくさんある薬の中からフロモックスを飲み、ついでにカロナールも飲む。
のどぬ~るスプレーは大切なおともだち。
喉が痛くなりやすいのはむかしから変わらない。
(しかも、あーん・・・がうまくできない)

今日はやっぱりコンコンとセキをしている。
次女との旅行近し。
気力で治していこうと思う。

写真は吉祥寺の老舗喫茶店「ゆりあぺむぺる」のミラノ風チキントマトシチュー。
ゆりあぺむぺるは宮沢賢治の詩の一節らしい。



蜜柑

2012年10月15日 | Weblog
母の部屋へ顔をだすと「あらっ」と驚きと喜びの笑顔を見せてくれることが
多くなった。うれしい。
「あら、ビックリしたわ~、急にくるんだもの」と必ず穏やかに可愛い表情を見せる。
わたしがムスメであることもちゃんとわかっている。
(混乱時は危うかった)

話をしてくれるのは女学生の頃の思い出と福島の故郷で育った七人兄弟の名前など。
だいたいいつも同じ話がくりかえされる。
なかでも聞くたびに胸に響くのは若くして自死を選んでしまったすぐ下の弟の話。
農協に勤めていたこと、カルモチンで山でたった一人で死んでしまったこと。
かわいがっていた大好きな弟だったけれど気が弱かったこと。

なかでもジーンとするのは母がお嫁に行くため上京するとき、
列車の窓から見ると弟が田んぼに立って「姉ちゃーん」と手をふっていた話である。
このエピソードは母の身振りが添えられるので何とも切ない情景として心に残る。

何だか芥川龍之介の「蜜柑」を思い出す。

家にいるときも聞いた覚えがあるけれど家にいるときは余裕がなくて、
ほんとうにじっくり母の話に耳を傾けることがなかった。
「じゃーね」と手を振って(ときには握手をして)母と短いサヨナラをする、なんていう事も
なかった。
ホームで暮らし始めてわたしたちはようやく微笑みながら会話をしたり挨拶したり
できるようになった。
気候もよくなったので車椅子で散歩に行くこともできる。
ここでの暮らしに慣れてきたようなので友人の助言通りいったん自宅に戻ることも
考えている。
「お母さんの部屋ね、いつでも帰れるようにしてあるよ、体調良くなったら帰ろうね。」と
話すと「そうなの、ありがとう」と安心したような柔らかい表情がみえる。

ハニーバナナトースト

2012年10月11日 | Weblog
去年の5月に展示場仕事を辞めたとき「これからは自分時間を意識的に作ろう」と
思った。
また旅がしたい。5月と10月の連休を外した頃は気候が良くて歩きやすい。
プランも安くたてられる。ということで去年は一人で長崎と伊豆を旅した。
今年は次女とふたり旅。5月に岩手に行って今月末は渥美半島に行く。

わたしも彼女も日本あちこち行ってきたので地図を広げて
「近くまで行ったけど時間がなくてそこは行けなかった」という所を探す。

むかし時刻表を見るのが大好きだった若い頃、わたしはずいぶん旅をしてきたし、
次女は学生時代に「全国の滝とご当地ハンバーガー&アイスを制覇する」旅をしてきた。
次女の場合はわたしの時のように時刻表を片手、ではなくて友人と車で寝泊りする旅だった。

さて彼女の仕事の都合で出発日も決めた。
行く先は渥美半島の伊良湖岬である。
椰子の実が流れ着いたところだあ、「潮騒」の舞台の神島がある
ふたりで話しているとあっという間に時間が過ぎた。

夜中まで調べたり話したりしていたので翌朝は寝ぼけまなこの朝食。
カフェオレとハニーバナナトースト
パンにバターをぬってスライスしたバナナをたくさんのせる。
あればシナモンパウダーをふりかけてトーストする。
仕上げにハチミツをプラス。

二人で台所に立ちながらバナナにマシュマロのせてトーストしたことあったよね~、
あれも美味しかったね~と話す。

朝食後はまたまた旅計画を話して、次女は埼玉に帰って行った。
次に会うのは東京駅だ。
伊良湖岬から鳥羽に行くフェリーがあるので伊勢志摩をまわってくることにした。
次女は鳥羽で「とばーがー」を食べるらしい

秋の深呼吸

2012年10月10日 | Weblog
「ストレス」というのは誰にだってあるし負荷に耐えられるバネが
しなやかなほうが生きやすいはずだと思う。
気持ちや身体が弱っているときに表れる症状はいろいろあって、
メマイ、眼窩けいれん、首の後ろの湿疹や口内炎。
これらが次々と自覚されるときには「参りました、降参です」とお手上げになる。
いやはや、こりゃ参ってるみたいだなということで護りの体勢に入る。

しばらく静かにしていた。
でも秋なので黄昏時には散歩に行く。
散歩道で猫さんたちに再会した。


                    


そして夏に申し込んでおいた日体大の秋期地域交流講座に行き始めた。
講座名は「健康呼吸法」。
素足になって身体のこえをきく。
けして無理はしないようにということですこしずつ参加していく。
終わったらジャケットを忘れるくらい身体がじんわり温かかった。

ららら♪クラシック

2012年10月05日 | Weblog
実は昨日ブログで書いた「園子温・希望の国」の番組は「ららら♪クラシック」という
番組のあとにそれこそNHKなのでCMも合間もなくあっという間に始まって
引き込まれたものだった。
そしてこの「ららら♪クラシック」は音楽オンチのわたしにとって初めての視聴体験。
わけあってテレビで時間をつぶすことになって得た愉しいひとときだった。

タイトルは「北京に響くチャイコフスキー」。
このタイミングでのN響スペシャル。日中国交正常化40周年の公演とのことだった。
音楽がチンプンカンプンのわたしにでも短い解説が字幕で流れるので
ほんのすこし手がかりをつかめる。
指揮者と楽団員の表情。何だろうあの楽器は?などと思いをめぐらせる。

そして興味深かったのは画面に入ってくる観客たちである。
夫婦、少年を連れた婦人、女優かと思うほどの美しいひと(彼女は嫣然と微笑みを絶やさない)。
それから必ずあるカメラワークになると映しだされる青いシャツの男性。
いつ映っても彼がしっかりと目を閉じて微動だにしないので
失礼なことに「寝ているのでは?」という疑問も一瞬ちらり。
いやいやそんなことはなかった。
演奏が終了すると盛大な拍手がおくられる。彼もちゃんと目を開けて人一倍大きな拍手を
おくっていた。目を閉じて聴き入っていたということがちゃんとわかった。


わたしにとって音楽はやはり難解だったけれど、楽器を奏でる人々は素晴らしかった。
楽器と人とのきわめて親密で真剣な交感を垣間見ることができた。

希望の国

2012年10月04日 | Weblog

テレビをつけるときはCMにややうんざりして
NHKや教育テレビをみていることが多い。
だからといって連続ドラマや大河ドラマは見続けるのが面倒なので
ほとんどみない。

先日、何となく教育テレビをつけたら
園子温(そのしおん)監督の最新作映画「希望の国
ドキュメントだった。
話題になることも多い監督だし一度はDVDをレンタルしようと思っていたので
ちょうど良いタイミングだった。

原発によってあちら側とこちら側に分れてしまったひとつの場所。
それを映画化して世に問うということ。
番組中にながれた監督の「数」という詩がその決意を表している。
表現者としてできることは何か、という「気合」を感じた。
「帰ろうよ、ねえ、帰ろうよぉ」と映画の中で大谷直子演じる女性がくりかえす呟きは
とても象徴的だ。
番組では映画試写会をハンカチを握りしめながら観ている人々も映し出す。

それにしてもこの作品制作のための資金援助となるスポンサーが
なかなか集まらなかったという。
園監督は話題性のある監督なので話はすぐに進むかに思えてその実、
内容をきいて辞退するスポンサーが続出したとのこと。
『まだ早い』とか『不謹慎』などという言葉が囁かれたのだろうか。
わたしはひとりで過ごす日曜日の夜にこの番組を偶然にキャッチできて
良かったと思う。