羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

目標は10月

2014年08月27日 | Weblog
旅にでることを考えるのが好きで、計画をたてるのは楽しいし得意。
今日、信号待ちをしているときに代理店があったのでパンフをすこし貰っておいた。
参考になるし見てるのはおもしろい。

それを持ってヨドバシに入ったら浄水器の宣伝をしていた女の子に呼び止められて
お水を頂いていたら「旅行、行かれるんですか?」と聞かれた。「どこに?」とさらに
聞かれたので(平日の雨の午後で、客はちらほらで、ヒマだったんだね)
「来月は軽井沢、それから11月は新潟」と素直に答えたら
なんだかずいぶんビックリされた。
「えー!?そんなに?」と言われるほどのこともないと思う。
先月は山梨、5月は那須、その前は三島、と言ってプラスアルファしてみたら
きっとビックリの度をこえたかなりのオーバーアクションが見られたことだろう。

寅さんみたいに旅しながら生きて行けたらいいのにな、と時々思う。
帰ってくる家があり、待っている人がいるから寅さんは旅に出る。

わたしのはただ日常を離れたいだけだ。

さて、「薄紫の冬桜」だします宣言をしてしまった。
あとにはひけないからじわじわとがんばってみようと思う。
完成したら「できました」というので半ば忘れていてください。

そういえば長女から「書いてる~?」と電話があった。
「あたしは短歌がんばってるよ」とすこしまえにメールにかいてあったので
自分のことは棚に上げて彼女の作品を読むのが楽しみだ。
しかし電話で聞いたところ、彼女もまた旅にでるらしい。
また、海外。ケニア・・・って言ったと思う。
ケニアと新潟の間の10月に、完成を目指します。

秋に向かって

2014年08月23日 | Weblog



南大沢のカフェ、アトリエ・バーゼルのそば粉のガレット。
アイスハニーレモン。ケーキ屋さんらしくショーウィンドウには美味しそうなケーキがたくさんあった。

さて夏を送り秋になったらようやく「二人誌・薄紫の冬桜」三号をだそうと思う。
三年かかってやっと一冊、歩みはのろすぎてもう誰も気にしてない。
前回の「薄紫の冬桜二号」はアザミ書房の同人誌のページにひっそりと・・・。
http://www2.ocn.ne.jp/~kesi/f108.html#po10

今回、初の試みとしてゲストをお迎えしたいと思っている。
このブログを読んでいただいているかたで参加希望の方がいらしたらご連絡を。
ただし、やはり「誰でも何でもOK」というほどこちらも寛容ではないので、
主催者二名による考査はさせていただきます。

いつも秋の半ばにひょっこり登場するささやかな冊子。
それが何を意味するのかはきっと誰にもわからない。



解けない謎

2014年08月20日 | Weblog
「冷たい炎の画家」ヴァロットン展へ行ってきた。
三菱一号館美術館。 

                             
  

この絵は「ボール」という。ボールは前方にもあるし後方にもある。
追いかけているようでもあり、追われているようでもある。
緑陰が濃く、こどもが遊んでいる絵という単純な印象ではない。
遠くに女性が二人いて妊婦なのか?という想像もさせる。

ヴァロットンという画家はまったく知らなかった。
この美術館で「バルテュス最後の写真展」を開催しているので、
事前に調べたところバルテュスは資料室で開催中、展覧会はこの画家だった。

パンフレットには「パリで31万人が熱狂。知られざる画家、日本発の回顧展」とある。
「解けない謎のように重層的な作品群」ともあった。
まさにその通りで、どれも見ごたえのある作品ばかり。
そしてすべてが不思議な問いかけを含んでいてどこかにメッセージがあるのでは、と見入ってしまう。
不穏なムードが漂い、どうにも落ち着かない不安感がこうして絵や版画になると、
奥深い魅力を放つ。

好みの作品をもしも一点だけあげるなら、この版画。
「怠惰」

白猫と触れ合ってる指先がやさしく、
どういう状況でこの場面なのかは、観る者の想像に委ねられている。

武蔵野プレイス

2014年08月15日 | Weblog

仕事終わり、西荻窪のデリカフェKIKUでランチを食べる。

      

いつも3品を選ぶのに迷う。どれをいただいても必ず美味しいしお腹いっぱいになる。
でも見てると、みんな迷ってる。真剣に迷って貴重な一食を決める。
今日は豚肉とゴーヤーのサラダ、ハンバーグ、鶏肉と根菜の柚子胡椒風味、の3品。
ここに来たのは4度目だけれどいつも好きなアボカドと海老のサラダや鶏肉の黒酢炒めに
目を奪われて同じ品を頼みそうになる。
なので今回は落ち着いて新しいメニューを選択した。
美味しいお惣菜をいただくと自分で作ってみよう、と思う。
野菜の切り方や取り合わせや味付けが参考になる。
今度は豚肉とゴーヤーのサラダを作ってみたい。

この店にはじめてきたときは次女と一緒だった。
結婚の話をここで聞いた。
そんなことを思い出しながらひとりでパクパクと食べ終えて、武蔵境へ。

武蔵境にできた「武蔵野プレイス」にようやく行ってきた。
大きな新しい図書館。地下二階、地上四階。
一歩中に入ると「うわあ」と声をだしたくなるくらいきれいで広い。
何でもありそうでわくわくする。
館内にはカフェもあり、パンケーキがすごく美味しそうなので次回はここで食べることに決める。
全部を見て回る時間はなかったので今回はざっと歩いた。
まずは「近隣住民用」の貸し出しカードを作ることにする。

楽しみがひとつできたのでちょっと嬉しく、厳しい夏が過ぎるのを待つ。

夏休み

2014年08月13日 | Weblog
夏休み真っ盛り。
仕事先も休み多し。
すこし電車がすいている。
商店街を歩くと「夏休みのお知らせ」が貼ってある。
通るたびに羨ましくてならないのが
「8月5日から9月1日まで休みます」という貼り紙だ。
ここを通るたびに見つめずにはいられない。
まさにロングバケーション。優雅な命の洗濯を想像する。
店舗というより貸しギャラリーのような店なのでそれも有りなんだろう。

パートの身分に夏休みはない。
来月、有給を使ってほんのすこし出かけるだけ。
それで仕事休みの日は家でひたすらくつろいでいる。

一日外に出ない日もある。
出かけるときはジムに行き、図書館に寄り、母のいるホームに行って、
午後には戻る。
長女が貸してくれた漫画(伊藤理佐さん&吉田戦車さん)を読んだり
息子が貸してくれた映画のDVDを観たり、パソコンでゲームをしたりしている。
(キャンディクラッシュはようやく100ステージを越えた。)

映画は感想を書くという条件つきで息子が仕事関係の作品を貸してくれた。
「私の男」。
彼の「映画ノート」を真似してわたしも今年から映画ノートを作ってみたけれど、
結局は面倒になって続いていない。観っぱなし。
しかし今回は約束だったので簡単に書いてみた。(ひと言でいいのだ)

いやはや漠然と感じたことを言語化する、文にして表す、というのは、
予測すると面倒なようだが、いざ実行してみると、スッキリするもだった。
こんな当たり前のこと、しかも仮にも「読み書きスキです母」なのに、
おざなりに過ごしてきた気がして改めてわが息子なかなかやるな~と思った。

そして作品(本でも映画でも)の感想を述べ合う、というのは面白く楽しいことかもしれない。
わたしは映画について、つい検索してしまうほうだが、
彼はパソコンもスマホも所持せず(職場で使うのみ)、検索はしないという。

メールに「つまらない映画の悪いところだけを挙げる意見はオレはくだらないと思ってる」とあった。

あんなに小さくて夏休みにはよく遊んでいた息子もすっかりしっかりオトナになったものだ。

検査結果

2014年08月11日 | Weblog
先週、友人から聞いたその病名はドキッとするものだった。
彼女の小学生の息子さんにその疑いがあり、来週、検査入院。
とにかく不安で怖い。とメールに書いてあった。

子どもの検査や入院、闘病は親にとっても大きな試練。
わたしはまずその病気(脳脊髄液減少症)について検索した。
そして友人にすぐ返信した。
悲しさや悔しさはたくさんあっても、
とにかく今は「母としてつよくなり」がんばってほしい。
不安で怖いと母が感じていると、子どもは余計につらいんだよ、と。

今日、彼女からまたメールがきた。
検査結果、少しずつでてきているようだ。
わかってきたこともあるから前向きに、と奮い立たせつつも、心の中は涙でいっぱい、
という一文があった。
そうだよね。
わたしもそうだったからとてもよくわかる。
がんばれ、すぐにでも会いにいって彼女のそばにいてあげたいと思った。

お父さんを亡くしたばかり。
泣かないで頑張り続けることはできない。
どこまでできるかわからないけれど少しでも気持ちに寄り添えれば、と思う。

ラ・ジャポネーズ!

2014年08月04日 | Weblog
世田谷美術館に「ボストン美術館~華麗なるジャポニズム展」を観に行ってきた。   


運よくボストン美術館特集の古い美術雑誌を持っていたのですこし予習してから行った。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、西洋でおきた日本趣味のブーム。
浮世絵などにみる大胆な構図や色使い、日本独特の装飾品など。
影響を受けた画家は驚くほど多く、ゴッホやマネの作品も
いわれてみれば似通った雰囲気の日本画があり、並べて展示してあるので面白い。

睡蓮の絵が有名なクロード・モネも1867年のパリ万国博覧会をきっかけに、
日本への憧憬と愛好を持ち始めた一人だったが、この「日本娘」を発表した頃はまだ、
売れない画家だったという。
モデルとなった妻、カミーユは夫の成功をみることなく32歳でこの世を去った。

カミーユ・・・!なんと可憐なやさしい表情。貧しい売れない画家の夫に寄り添って。。。
あなたの笑顔は、130年の時を越えて今こうして日本の人々をとりこにしていますよ、と
胸のうちで呼びかけた。

失意のモネを献身的に支えた女性がいた。画商の夫をもつ人で、病床のカミーユを看病し、
のこされた子供たちの世話をした。
着々と名声を築きつつあるモネの心の支えになったのはその女性、アリスの存在だった。
旅先からいつもアリスに送られてくる手紙。
「僕があなたを愛し、あなたなしでは生きていけないことを憶えていて下さい」

二人はアリスの夫が亡くなった後に結婚。モネは51歳になっていた。
(立会人はカイユボット。そうそう、カイユボット展にも行ってみてよかった。)

モネが晩年を過ごした庭には睡蓮の池があり、降り注ぐ光を受けて、
彼の創作意欲に応え続けた。
その池には日本風の太鼓橋が架かっていたという。