羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

夜の気配

2010年09月29日 | Weblog
この頃、古本屋の仕事は七時まで、というパターンが多い。
六時までだった頃は買い物に迷う時間もあった。
自転車をこぎながら夕焼け空を見上げていた。
七時に店を出ると夕焼けの時間はきっちり終わっていて夜の気配。
見上げる空の広がりがないので、風に吹かれてのんびり走っていると、
「家路を急ぐ人々」を目の当たりにする。
なかには真剣に地道に早足で前を行く少年もいる。
きっとお腹がすいているんだろうな~と思う。
「ただいまー」を言うために急いでいるのだ。

夜の空気を吸い込みながら走っていると、
むかしベビーシッターをしていた頃を思い出した。
自宅の夕食を作り(留守番の子どもたちが温めて食べられるもの)、
シッターする子を保育園に迎えに行き、その子の家で夕食を作って、
食べさせながらパパやママを待っていた。

親に子どもを返して、我が子が待つ家に帰るために自転車を走らせていた
あの頃、夜風が心地よくてどこまでも走って行きたい気分だった。

企みの削除

2010年09月24日 | Weblog
ブログ更新せず、新記録!・・・を目指しているわけではもちろんなく。
ただ、ブログは書かなくなるとずるずると書かなくなる。
また「なんのために?」なんて無意味な問いが待つスタート地点に戻る。

たぶん、書き始めるとまた気ままに更新していくだろう。
「なぜ?」はいつもあたまのうえの綿雲だ

更新しないあいだ、もちろんいろんなことがあって、
いろんなことは継続するから日常はいたって平穏だ。

非通知の電話をかけてこなくなったひとからはメールがきて、
たくらみを含んだわたしの返信は未送信のままずっと携帯の中で眠っていた。
もう、10日くらい。眠っていたのか寝たふりだったのか、
自分でもよくわからないままさっき削除した。
まったくだれにも打ち明けないわたしだけの小さな迷い。
それはイタズラな企みで、迷いは「葛藤」ほど大きくもなく、
あっさりと片手で削除された。

そう、更新しない間、古い友人が落語に誘ってくれた。
たのしい時間だった。
できればもっとゆっくり余韻を味わいたかったが、都合があって帰ってきた。

それから更新しない間、こんな本を読んだ。
「二重生活」折原一・新津きよみ(夫婦でミステリ作家お二人の共著)
「真昼なのに昏い部屋」江國香織(せめてきちんとした不倫妻になろう)
「怪訝山」小池昌代(この詩人の特質的な生と性の深遠)
「しずかな日々」椰月美智子(野間児童文芸賞と坪田讓治文学賞をw受賞したとの事)

それから映画は「悪人」
新聞の夕刊に連載されているときは、朝刊が桐野さんの「メタボラ」で、
夕刊が吉田修一さんの「悪人」で束芋さんの強烈な挿絵が印象的だった。
夢中で読んだ「悪人」すごくいい映画になっていた。
もう一度原作を読みたくなった。

今日は休み。明日は仕事。明後日から一泊だけの小さな旅へ。
渓谷。それって海よりも山よりも気持ちに寄り添うときがある。

むかし、高校生だった。

2010年09月06日 | Weblog
とても久しぶりに高校の時の友人と会った。


積もる話をたくさんしたあとにふと思うことは、
何年経っても「堅実な」友人と「奔放な」わたしは変わらないという事だ。

彼女はいつもブレザーに赤いネクタイをきちんとしていた。
わたしはというと校則違反の黒いセーターが気に入っていたし、
上履きのかかとを踏みながら歩いては教師に怒られていた。

おっとりとやさしい彼女が仲良くしてくれたのは嬉しかった。
わたしたちは別々の大学に進み、友人は小学校の先生になって、
今でも大ベテランの先生だ。
そして二人とも三人の子どもの母親になった。

わたしに長女が生まれたとき、お祝いに持ってきてくれた姫林檎の苗木は
すくすくと大きくなって二階のベランダまで伸び、
毎年かわいい実をつける。

そんなことを吉祥寺のくぐつ草でオムカレーを食べながら話した。



街の喧騒から離れたこの地下の洞窟のようなコーヒーホール。
彼女はとても気に入ってくれた。
ここは劇団結城座が経営する(くぐつ、はあやつり人形の意味)
カレーがおいしい店。
ランチセットには飲み物がついてくる。
アイスコーヒーのカップには「くぐつ草」という文字が躍っていた。