羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

真夜中のギター

2009年07月26日 | Weblog
暑くて寝苦しいからか、いろんな夢をみる。
昨夜は、ありえない夢を見た。

ギターを抱えて歌う羽目になっている。
仕方がないので、大好きだった千賀かほるさんの「真夜中のギター」を
歌ったりしていた。

わたしは、いまのわたしではなく、そんなに昔の自分でもない。
(はたしてほんとうにわたしなのか!?)
中途半端なボブにくしゃっととれかけたパーマが、年齢不詳。

歌わなくてはいけない羽目になったので、
覚悟を決めて、どうにか歌い始めたのを誰かが撮影していて、
それを自分でみている(何しろ夢だから)。

俯いていたじぶんがとつぜん覚悟を決めてこちらを向く。
静かに淡々とどうにか歌い終えた。
♪「街のどこかで、寂しがりやがひとり、今にも泣きそうに・・・」

見ているじぶんは覚悟を決めた瞬間の自分を確認したので、
とりあえずそれでよし。

そんな夢だった。

女一匹

2009年07月25日 | Weblog
すこし風邪もよくなってきて、すこし嬉しいこともあった。
すこしがふたつ重なって小さな元気がでてきたので、


小雨降る日、駅前で用事を済ませてから、
古本カフェ「フォスフォレッセンス」へと歩いた。
いつもは自転車か、バスなのに、何故だか歩ける気がしていた。

予想以上に遠かったけれど、無事に到着した。
店主は相変わらずやさしくあたたかい笑顔で迎えてくれた。

わたしの詩集は谷川俊太郎さんと茨木のり子さんの間で、
恥ずかしくていたたまれない、という感じで収まっていた。

アイスコーヒーを飲んでお喋りをして、
佐野洋子さんのこの絵本「女一匹」を買って帰った。

ワニの花子が失恋する話。
ネズミのちよこの友情のもとだんだんと元気になってくる。
「女一匹」のいじらしさとエネルギーが心を和ませる。

揺れるフリル

2009年07月22日 | Weblog

結局、風邪症状は改善しなかったので、いちにちゆっくりさせて貰った。
面白くなさそうなカオをやはり見ることになったけれど、
それはすっかりオトナになった娘ではなく、
出会ったときから大人だったひとだ。

休み明けに医院に薬を貰いに行き、街に出て用事を済ませ、
それから午後はゆっくりと眠った。
眠ることに救いがあり、そこに源があるように、
みなもとのみずうみに小舟を浮かべて、ひたすら眠った。

カンペキではないけれど、すこし元気になって今日は仕事へ。

百日紅(さるすべり)のピンクの花びらは可憐なフリルのようだ。
いま、小さな公園の主役。風に揺れている。

公園の出口には芙蓉の花もあった。

あした

2009年07月19日 | Weblog
風邪をひいた、というような兆候はなかったのだけれど
セキが時々でていた、、、と思ったら、
今朝は声がほとんど出なくなっていた。
喉は弱点で、扁桃腺は小さい頃から腫れやすかった。
でも、今回あまり喉の痛みがないまま進行していたみたい。

「喉ぬーるスプレー」は大切なお友だちだ。
かかりつけの先生にお願いして抗生物質も貰ってある。

とにかくその二点セットにプラス市販の咳止めを飲んで、
暑い連休の真ん中、仕事に行った。

朝、一生懸命にうがいをしていたせいか、
時間と共に声もでるようになっていたので、
忙しい一日が無事に終わった。

朝、「ヤバイな」と思ったとき頭の中にこれからの予定が
ポツポツと浮かんだ。
動けるつもりで手帳を埋めているけど、
実際はあしたはどうなるかわからない。
外出を楽しみにしている家族や、久しぶりに再会する友達を思う。
ゆっくり休養したほがいいのかもしれないのに、
たぶん、薬を飲んで出かけるだろう。
「お母さんが一緒じゃないなら行かない」と家族はそれぞれが
口にする。どこの家庭の主婦もそうなのだろうか。

2000年前の花

2009年07月15日 | Weblog
古代ハスを研究して開花に成功した大輪の蓮はその植物学者の名をとって
「大賀蓮」という。千葉が出所で、全国に行き渡ったらしい。
2000年以上も前の古代ハスが埋没していると博士が知ったのは今から約50年前。
地元の人たちと協力して発掘したが見つからず、諦めかけたその時に
一人の女子中学生が見つけたらしい。そのたったひと粒の実。
いま、こうして人々の目を楽しませている。
午前中に行かないと閉じてしまうと聞いて、府中の森公園へ。


D坂殺人事件

2009年07月13日 | Weblog
千駄木の団子坂交差点にある喫茶店「千駄木倶楽部」のケーキが
美味しかった。
それから坂を上って行く。森鴎外旧居跡は工事中で残念。
坂を上りきったところを曲がり
ごく小さな公園の奥に不思議な佇まいの芝居小屋?
そこで「D坂美女幻想」というやはり不思議な短編映画を観た。
江戸川乱歩「D坂殺人事件」は読んでいないから、
なんともいえないが、これはこれで妖しげな雰囲気を充分にもつ
掌編だった。
時間と体調に余力があったので、
同行者の希望に沿いその後、渋谷に出て、
やはり小さな映画館で「美代子阿佐ヶ谷気分」を鑑賞。
70年代、「ガロ」。つげ義春や、永島慎二の世界が、
今また若いひとたちに受けいれられているのは面白いと思った。
ただ、映画のモデルとなった安部慎一という漫画家は知らない。

知らない、でも、興味あるかも・・・・というところから
いつもこうして広がっていく。
それはいつまでも(いくつになっても)変わらない。
その日、映画に誘ってくれた人がタイミングよく
読みたかった本を持ってきて貸してくれた。
本を胸に抱いて、夜道を帰ってくるのは久しぶりだった。

自立への道

2009年07月10日 | Weblog
仕事が終わって、バスを待つ時間。
紺色の制服を脱ぎ、花柄のフレアースカートに着替えて
夕刻の風に吹かれながら、短い時間いつも何かを考えている。

5日も連続した頭痛が今日はストップしたので嬉しい。
毎朝の頭痛は間違いなく薬物連用によるもので、こうなるとまた抜け出すのが
大変になるとわかっている。

単純なもので、少しでも体調が良くなると、希望が見える。
もっと働けるような気もしてくるし、何かにチャレンジもしたくなる。

連日の頭痛とうつ状態で自死を選んでしまったひとがいるけれど、
とてもよくわかる。

ある出来事をきっかけとして、夫が給料を管理するようになり、
管理しきれなくなり、わたしに渡す生活費が減り始め、
いま、家のローンと地代を支払うとそれは消滅する。

先日、頭痛外来で調子が悪かったので、ベッドで注射をしてもらった。
この注射、自分でもできるので先生が「処方するか?」と
聞いてくれた。でも「先生、あたしお金がないの、だからいいです」と、
ニコニコ笑って答えたら、先生は「そうか」と半信半疑(?)の穏やかな
笑顔を返してくれた。

まァ、お金がなくても何とか生きていける。
この仕事と、他のバイトをしながら・・・。
パート代を全部、生活費に当てるのはカナシイけれど仕方ない。
本代、友だちや娘とのランチ、それさえどうにか捻出できれば、
涼しいカオしてもう少し生きて行ける。
だから、やっぱり、丈夫な身体とつよいココロが欲しい。

恋人たちのように

2009年07月07日 | Weblog
七夕。すごく懐かしい友人と電話で話した。
彼女は携帯を持たないし、互いにパートも忙しく、
なかなか逢えなくなって、もう何年?
「でもね、わたしあなたのこといつもどうしてるかな?って考えてるよ。」
「わたしもよ、なんかね、一番逢いたい人なの。」
「それって恋人同士みたいだよね。」
「うん、そうそう」と電話口で笑いあった。

そうだね、今夜は七夕。

彼女はわたしの娘の病気がわかり、一番辛かったときに、
いつもそばにいてくれた。
そばにいてくれて、いまでも気にかけてくれる優しい人たちは
何人もいるけれど、
彼女とは末っ子が同じ年の同じ12月生まれで、
「親子で遊ぼう」みたいなところで出会ったので、
本当に毎日のように子連れで会い、いろんな話をした。

彼女が千葉に引っ越してしまったときは本当に寂しかった。

七夕になるとわたしは小さかった長女が入院したときの、
小児病棟の笹飾りを思い出す。
短冊に書かれたこどもたちの願い事は、切実すぎて辛かった。

あれから歳月は流れ、
二歳だった二人のオチビさんたちはハタチになり、
長女は病をのりこえて結婚をした。

彼女と会う約束をした。楽しみ。

写真は三鷹にある日本茶専門の喫茶店「さらさら」。
いつも横目で見て入ってみたいな、と思っていた。
市内の友人と行くことができた。
♪「笹の葉、さらさら」・・・という絶妙のタイミング。

湿生花園

2009年07月05日 | Weblog
深大寺に湿生花園があるらしいと知って、
カメラを持って出かけた。
園内は思いのほか広く、木の道をゆっくり歩く。
ミソハギが満開だった。
この白い房状の花と葉はなんていうのだろうと立て札を探す。

半夏生(ハンゲショウ)というらしい。
夏至から11日ごろ七月2日頃に咲く。ドクダミの仲間。
帰宅して調べたら、葉っぱがすこしずつ白くなっていく様子から
「半化粧」とも呼ばれるらしい。
そういえば、お化粧途中の半分白い葉が中途半端で面白かった。

園内をどんどん歩いて行くと、山百合に出会った。



これはヘメロカリスという名前がついていた。

花言葉、「媚態」・・・。
まるで寂しがりやの娼婦みたいな名前だ。


2009年07月03日 | Weblog
漆黒の夜の中に猫はなにを見ているのだろう。
彼にしか見えない何か。
窓辺にたって雨音をきいているのか、
雨の中にみえるものがあるのか。
あるいは夜の匂いをかいでいるのか。

それが知りたくて猫の名を呼ぶ。

ねぇ、駿、あたし海に行きたい。
ひとりで行きたい。それでね、
いまそういう詩をかきかけてるけどうまくいかない。

いろんな海の思い出がざわざわと胸にいたい。

でも猫は静かにわたしを見下ろしている。
そう、黙ったままで。
今夜はもう、なにも考えずに眠ったら?と
言っているようにも思える。