羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

楽風

2007年08月18日 | Weblog
「らふ」とよみます。
古い日本家屋を改装して作った和風喫茶とギャラリー。
何種類もの日本茶の中から好きなのを選び、お菓子とセットにできます。

一人用の急須が来るので、お替りは自分で白湯を入れにいって
三回くらいは飲めます。
わたしは「芽茶」にしました。
落ち着く、いい雰囲気の店でした。

写真は外にあった札。好きなうさぎさん。

過ぎた日

2007年08月16日 | Weblog
「灰皿町」を経由して、ここに来て下さるかたが時々いらっしゃいます。

わたしはまったくの「独り言」呟き、として思うままにこのブログを
書き始めました。知り合いにはほとんど内緒でした。
知ってる人に読まれることを意識するのとしないのとでは、内容も違ってくる。

でも、詩集をだした頃から、「ま、いいか、誰が読んでも」と半ば開き直ったような雰囲気になりつつあります。

きっとこれからも独り言みたいに書き続けていくと思います。
(気紛れに)

それで、過去記事ですが、1ページの一番下が一番古い日記です。
当たり前だけど、日記は日々積み重なり、ページトップがこのように
最新です。
一ページに一日しか表示しない方法もあるけど、下の空白がピンとこない。

遡って読もうとすると読みにくいので、
「はてな」に移動して一年分をまとめて小さな紫の本にもしました。
でもね、過ぎた日記なんてそんなには意味がない。
少なくとも今のわたしには・・・。

そのときには確かにそれなりの意味ある表記行為だったけれど、
月日が経つと「意味」はかたちを変える。

ずっと変えなかったプロフの写真も変えてみた。
そして、これは近いうちにまた変えるつもり。

過ぎた日が再び意味を持つ日はきっとまたあるだろうけれど。

別れと決意

2007年08月15日 | Weblog
この世代の女性が仲良くなって、少し親しい話をするようになると、
やはり「離婚」とか「別居したい」という話題がでてくる。

夫婦仲睦まじく年老いていくのは理想かもしれないけれど、
なかなか理想通りにはいかない。
いかないので、そういう夫婦を(例えば有名人なんかで)見たりすると、
すごいなーと、羨ましく思ったりはする。

でもきっと、みんなそれぞれいろいろなものを抱えているんだよね。
そのうえで、一緒にいることを前向きに選択するか、
惰性に流されながら、ぼやぼやと日常に引きずられているか、、。

新聞で、あの小田実さんのパートナーの記事を読んだ。
亡くなってしまったけれど小田さんは「人生の同行者」と彼女を
よんでいたそうだ。。いい言葉。

ところで、わたしは「はてな」からここへ戻ってくることを決めました。
初めてgooでブログを書き始め、それから、ここを家出してあちこちに書き、
またここに立ち寄って。
空白部分を埋めたくなって以前の「はてな」記事を少し運んできたり、
これって「出戻り」みたいだよね。

☆本拠地を「灰皿町」とします。http://www.haizara.net/

大げさに考えなくても「別れと決意」はありきたりに毎日ある。
些細なことでも取捨選択しながら、きっとひとは前に進もうとする。
些細じゃないことにはシッカリと向き合おう。

肉じゃが

2007年08月08日 | Weblog
「台所仕事っていろんなこと考えるよね」という話があった。
本当にそう思う。
黙々と手を動かしているからだろうか。

昨日、肉じゃがを作りながら思い出したことがあった。

数年前のこと。

わたしはバイト休みで、長女は病院へ定期健診に一人で行っていた。
彼女から「どうも検査の数値が悪いらしい」という連絡があって、
のんびり休んでいたわたしは俄かに落ち着かなくなった。

次の連絡を待つ。
『拒絶反応の可能性』という一番聞きたくない言葉が掠める。

そのときわたしは、台所に立ち、黙々とジャガイモをむき始めた。
手を動かしていないと落ち着かない。
たぶん、もう一度連絡がきたら、わたしも病院へ行くことになるだろう。
留守に兄妹が食べられるように、わたしの不在で困らないように。
そしてお腹をすかせた長女が帰宅出来て、ひと口でも食べられるように。
娘の大好きな肉ジャガが鍋いっぱいに出来た頃、連絡があった。

緊急入院だった。
荷物を取りに一度、帰宅する許可はでたと言う。
夕方、彼女は緊迫した表情でタクシーで帰宅し、手早く荷物をまとめた。

「あー、肉ジャガのいい匂いがする~、食べたいけど時間ない!」

結局、わたしたちは夕食をとらずにすぐに病院へ行った。

いつもの派手な格好の娘は夜の病院では目立った。
見た目では元気だし、
実際に私たちは緊急事態を受け容れたくない気持ちのままハイテンションで、
会話していたと思う。

娘はあのときの気持ちを忘れていないと言う。
大好きな肉ジャガの匂いだけ嗅いで、再び病院へと急いだあの日。

検査結果の説明は信じたくない話ばかりだったあのとき。

「受け容れる」ことを再び考えた日々だった。

入院した娘と手紙の交換をした。
娘の前ではけして見せないときめた涙がぽろぽろこぼれた日は数え切れない。

事態が悪化する日々、
あの頃、わたしはバイトと娘の入院先(緊急だったので遠くへいった)へ
通い続けた。
ある日は、ポトフを鍋いっぱいに作ってから行った。
不在のときに家族が食べ、疲れて帰宅した自分も食べた。

制限のある病院食を一人で食べている娘には言えないことだった。

当時、「歩く」という詩が、ポツン、、と生まれた。

あたしの灰皿

2007年08月02日 | Weblog
若い頃はみんなそうかもしれないけれど、
わたしもタバコが好きだった。

高校生の頃からベッドの下には灰皿を隠していた。

少しだけ大人になり、わたしはあるひとと出会った。
彼は言った、「結婚して、赤ちゃんできたらタバコやめるでしょ?」
わたし、「やめないよ、それにそんなの今言われてもわかんないよ。」

結果的に、妊娠したらタバコの匂いがダメで自然に吸わなくなったけれど・・。

歳を重ねたいま、煙草は好きでも嫌いでもない。

でも、好きな人が煙草を吸っているのを眺めているのは好きだ。


「灰皿町」という詩人のみなさまが集うサイトに家を作ってもらいました。
こことリンクしています。「はてな」「ステージ」「ミクシィ」あちこち
気紛れに書き散らしてきたけれど、少し落ち着こうかと思ってます。


かつて好きだったあたしの灰皿を何だかひどく懐かしく思い出したりしながら・・。