羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

懐かしい詩①

2009年09月30日 | Weblog
古いパソコンのフロッピーに入っていたものです。
このパソコンを作ってくれた兄が移動しておいてくれました。



  秋(そして幾度めかの、、)


                
浅い夢の中へあなたを返して
陶酔のように降り注ぐ枯葉の中を
どこへともなく歩く
そこはあの懐かしい森へと続いていかない
温かく湿った野うさぎの巣穴もない

諦めることが唯一残された希望の光なら
「家族」という集合体や
「夫婦」という単位から
自分を解き放ち
切り離すときには
あなたの舟も見送らなければならない

優しく分けあった甘い贖罪に身を委ねて
どこまでも流れて往きたかったけれど
地図を持たないわたしは
はじめから方向を失っている
この季節に寄り添うための傷みを
いつから知ってしまったのだろう

風のように少女が横切る
気がつくと突然に現れた空き地が
無意味に秋の空を押し広げている
つきつけられた不在にうなだれながら
夕暮れの角を曲がる
どこまで行けばこの闇の中に
溶け込んで消えていけるのだろう
それとも陽気な噂話のように
この拘泥の向こうに
幻のように儚い未来が
あるのだろうか

人気投票

2009年09月29日 | Weblog
前回の続き。
(ちなみにタイトルは薄紫の夕陽を見上げて、前回これが、
夕焼けになってました・新しい詩集のタイトルのつもりでいる自分が可笑しい)

創作広場には人気投票があると書きましたが、ちなみに人気作品を
拝見させていただこうと思ったわけです。
ほぼ予測通りでした。
素直な表現、歌謡曲のような親しみやすさ、演歌のような言葉の一人歩き。
もちろん、それはそれでいいのです。

そして、わたしにはそういう作品が書けるだろうか、と思いました。
「言葉遊びなんてカンタンでしょ」と不遜な事に考えました。
でも、実際はどうでしょう。
内面へとたどって行く方法でしか詩の在り処に行けないわたしは、
表面上でさらりとながしていくのは案外難しいかも。

それは、どちらが良いとか優れているとかいうモンダイではなく、
わたし自身が求めていく方法の選択かもしれません。

いずれにせよ、不動の人気を得ている作品にはそれだけの力が
あるわけで、その力はわたしが求めているものとは異質である、
それは間違いないようです。

でも、マイペースは得意なので、
たぶんもう少し淡々と我が道を行きます。
ワードを開いて懐かしいような作品に出会えるのも楽しかったりして。
次回はその、懐かしい作品を紹介します。

秋から始まる

2009年09月27日 | Weblog
先日、登録したサイトに「創作広場」というコーナーがあり、
実にたくさんの人々が作品を発表しています。小説、エッセイ、詩、
短歌、俳句、等など、丁寧にランクづけがされ、人気順位が示されます。
(親切なことに自費出版のスポンサーがついているようです)

さらに面白いのは、編集部(サイト管理)がテーマを決めて、
定期的(?)に作品を募集するらしい、ということです。

さて、今回「喫茶店」というテーマが提示されていたので、
それに沿ってわたしもひとつ詩を書いて発表しました。
創作者マイページを設定したついでに、「喫茶店」だけではなく、
他の作品も載せてみようかな、とヒマなことを考えました。

いま、「秋」に関連した過去の詩をすこしずつ拾ってきて、
詩集「薄紫の夕焼けを見上げて」(仮題)の第一章を作成しています。

そのむかし「もう帰るところはありません」という、すみれこ詩集が
ありましたが、その時、本には載せなかった詩が半分くらいありました。
同じように同じ草むらから生まれてきた「イノチ」たちが、
明確な理由がないまま活字とはならずに、数人の目に触れただけで、
ひっそりと眠っていました。

この機会に「ねえ、ねえ、起きて、ほら、秋だよ」って、
言ってみたくなりました。
秋から始まる物語が、いつもわたしは好きだったから。

枯れ葉の降り積もる季節は、すぐそこまできています。

秋の夕暮れ

2009年09月24日 | Weblog
窓からは高校のグラウンドが見えて、たいてい男の子たちがサッカーを
している。
その先に、小さい教会があり、そのあたりはいま、秋色の夕焼けです。
胸のなかに染み込んでくるような夕焼け空のずっと上に、
三日月が浮かんでいます。
仔猫の爪みたい。小さくてまだ白い。
きっと見る間にあたりは暗くなって、月ももっとハッキリ姿を見せるでしょう。


絶つことや、壊れることばかりを考えていたこの頃、
仕事休みの今日、秋の夕暮れにやさしくなだめられています。

2009年09月23日 | Weblog
川を眺めているのが好きです。
子どもの頃から好きでした。

いつかミクシィ「春樹コミュ」のお散歩会で、来たところ。
偶然にまた通りがかりました。
川の上を横切って銀と黄色の西武線が走って行きます。


目の前を走り去る電車。
乗らないわたし。(橋の上から見てるだけ)

その先の木の橋は「うさぎ橋」という名前がついていました。

そういえば、駅近くの小さなギャラリーで、
「うさぎ展」を観ることができました。
背伸びして窓の外を見ているウサギの絵。
擬人化の似合う可愛らしさ。

「うさぎが好きです」とギャラリーのオーナーに言ったら。
「あら、私も・・・」と嬉しそうに答えてくれました。

再び、橋を渡って夕暮れの道を帰ってきました。

病院の屋上

2009年09月15日 | Weblog
体調が悪いです。
毎日眠くてもちろん頭痛も律儀にやってきます。
右側の肩こりがとくにひどいのは、何故かしら。
右側のかるい顔面痙攣の再発、リンパ腺の腫れも再発。
それでも、毎朝起きて(起きてもだるい)クスリを飲み、
その日の予定をこなします。

今日は母を連れて大きな病院に検査に行きました。
検査中の待ち時間に文庫を持って行ったのに、
母が検査室に入ったとたんにものすごく眠くなってウトウト・・・。

検査が終わり、会計を待つ間、母と「この病院にきたのは久しぶりね」と
話しました。屋上からの眺めがとてもよかったね、と。
そう、わたしは母の洗濯物をするために、ここの屋上によく来ました。
母は今のわたしと同じくらいの年齢で、癌でした。
大学生だったわたしは、学校に行き、母の病院に通い、
父と兄の食事の支度をしていました。

その頃、今でも仲の良い男友達と『焦土』という同人誌を
作ったりしていました。

病院の屋上は何故かわたしに詩を書かせます。
不思議ですね。

考えてみたら、病院とはまったく縁が切れないまま過ごしてきました。
母はとても元気になりました。でも、高齢です。
今年、結婚した娘は何回、入退院を繰り返してきたのでしょう。
何回、手術したのでしょう。

自分の体調が悪いときに、苛々するのは、案外症状が中途半端なことです。
クスリを飲んで頑張れば、どうにか(めちゃくちゃ眠くても)
頑張れてしまう、ということです。
本当は何もしたくないし、どこにも行きたくない、と思うことが
度々あるのに、現実の生活の手立てが大きく目の前に立ちふさがっている。

そんなわけで、あしたもバイトです。
リトル・ピープルの話でもすこし読んで寝ることにします。

感性の振幅

2009年09月12日 | Weblog
まったく何日も更新せず放置しているのに、
毎日せっせとアクセスしてくださるみなさま。
お顔はこちらからは見えないし、何十人もどういう方々が何故?と
不思議かつ申し訳ない気持ちになります。

そしてとんでもないことに、今日ふとしたはずみで、
またひとつブログ登録してしまいました。

しかも、けしからんことに仕事中。
雨の土曜日、ヒマ時間が出現して、パソコンを眺めていました。

そうね、やっぱり好奇心!?
アナザー・ワールドをちょいと覗いてみたくなるのですね。

ハンドルを書くとすぐに見つかってしまって面白くないので、
伏せますが、自己紹介は思いつくままこんなふうに・・・・。

「寄せてはかえす波の揺らぎ
 森をわたる風のささやき
 感性の振幅を静かに受けいれながら
 わたしらしく生きる道を模索中です」


どこかでこういう自己紹介を書いていてしかも日記を
ほとんど書いていないひとがいたら、それはわたしです。

さっき、とりあえず自己紹介に海&鴎の写真を貼り、
村上春樹コミュに入っておきました。
驚くほど読書サークルはありませんでした。
たまにあっても、「面白い本や勉強になる本を教えて・・・」
みたいなコミュ説明があり、
こ、このトシになって「勉強」と言われてもな~と思って
(中高年向けサイトなのです)パスしました。
たぶん、いずれ退会するでしょう。

気まぐれは取りえでしょうか、欠点でしょうか。
それともすべては、その取り込みかた次第?
ふんわり大気を吸収した洗濯物みたいに、
うまいことじぶんにとりこんでいけたらいいのかもしれません。

カラオケ

2009年09月01日 | Weblog
自慢じゃないけど、歌は聴くもので、歌うものじゃない。
絶対的に苦手なカラオケ。
今日、長女と二人で行ってみた。
おそるおそる受付に行くと、たくさんの若者が順番待ちしている。
場違いな気がして逃げ出したくなるような感じだったが、
娘が順番ノートに名前を書いてくれたので、
小さくなって待っていた。
「○○さま」とお姉さんが娘の新しい姓を呼ぶのを「!」と聞く。

実はわたしはカラオケ店でバイトをしていた事があるのだが、
もっと小さい店で、しかも調理場でポテトを揚げたりしていたので、
表のこれほどの賑やかさは知らない。
忙しい時にはアイスコーヒーと、コーラの見分けがつかなくなったけれど。

今日、カラオケに行ったのは歌うためではない。
(娘も歌わない)
人目と時間を気にせず、静かなところで、
すこし真剣な話をするために、彼女が提案した。

娘がいて、よかった。
そう思える日だった。
話しておこう、とわたしが決意して、彼女と待ち合わせた。

帰り道、ふたりで秋の服を見ながら歩いた。
秋色のストール、すこし気持ちも軽くなり柔らかな素材に手を触れる。