羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

ヴィオラ

2008年10月23日 | Weblog
楽器のような名前をもつかわいい花、すみれの仲間のビオラ。
わたしはガーデニングはしたことがない。
野に咲く花が好きだから、というのは言い訳で手入れができない、
というのが正直なところかもしれない。

でもだいぶ前、紫色のスミレそっくりの小さな花が、
コンクリートの隙間から顔をだしてたくましく空を見上げていたとき、
どうしてもその名前が知りたくてサイトで質問してみたら、
「園芸種のビオラが野生化したものでしょう」ということだった。

ビオラは可愛いけど、つよい。
寒さにも負けず、生命力も強いそうだ。
楽器のヴィオラと同じ味わいあるひびき。

ちょうど仕事で手にする機会があり、あまりを貰ってきて、
プランターに植えた。
毎日、見るのが楽しみで、
いずれこの花たちも野生化してくれればいいな、と思ったりしている。

十月桜

2008年10月20日 | Weblog
秋から冬にかけて咲く桜、
「風が冷たくなってきたな」という頃につぼみをつけて、
すっかり秋も深まる頃に花開く。

公園についたときは釣瓶落としの秋の陽は落ちて、
写真は撮れなかったけど、
夕闇のなかに細い枝がのびて桜はひっそりと咲いていました。

大きな手術を無事に終えたともだちのご家族は、
奇跡的な回復力をみせているとのこと。。。。よかった

「冬桜」

わたしと娘で「二人誌」をつくろうと思います。
短歌と詩のコラボ。

ふたりっきりの同人誌、たぶん「薄紫の冬桜」という名前になります。

桜が大好きな娘、さくらいろの花嫁になる日もそう遠くないかも?

待つ

2008年10月16日 | Weblog
「いま病院にいて家族の手術を待っています」という友人からのメール。
ご病気のことは聞いていたけれど、やはり手術になったのか、と俄かに心配になる。
「大丈夫、ぜったいにだいじょうぶよ」と返信する。


わたしも、何回も何回もオペを待った。ストレッチャーで運ばれた家族をひたすらに待った。
たった一人で長い時間、待っていたこともある。
心配をかけたくない、というよりも「心配する人間が増える」ことが辛くて
あまり友達には言わなかった。
それでも「いつ手術?」と聞いてくれる友がいて、日にちを言い、彼女が、
携帯に「だいじょうぶよ、信じて待ってようね」とメールをくれたときは
すごく有り難かった。
本当は泣きたいくらい心細かったんだ、ということが自分で分かった。
携帯のありがたさをあの時ほど感じた日はない。

友人のご家族の手術は難易度の高い、大がかりなものだという。
「無事に終わったよ」というメールがくるのをいま、待っている。

「心のままに」

2008年10月15日 | Weblog
「原稿募集」という通知がきて「心のままに」というテーマだったので、
決められた字数で書いてだしておいた。
ある日、単行本が届いたので「あ、そうだった」と思い出してじぶんのページを眺めてそのまましばらく忘れた。
ふと時間ができて今日、手にとってみた。
ずいぶんとたくさんの人たちが短文を寄せている。
そうか、テーマは「心のままに」でタイトルは自由だったのか。
漠然としているな~と思いつつ何となくまとめた自分の文は、
面白くもなんともない。
でも、他のひとの作品はそれぞれのカラーがみえてちょっと面白いかもしれない。
でもたぶん、こんなにぜんぶは読まない。

編集者はもちろん、たくさんの作品を読んだり選んだり、校正したりしたのだろう。
出版の仕事というのもタイヘンだな、とあらためて思った。

自分自身に

2008年10月10日 | Weblog
ともだちからのメールに吉野弘さんの詩のことが書いてあったので、
久しぶりに吉野さんの詩集をだしてきて読み返す。

「自分自身に」という詩、この詩を書き写して創作の再スタートをきった
あの頃。
もう、若くはない自分を見つめ、このままでいいの?と思っていた。

そして、いま、
詩の話、本の話、こういうメールができるともだちがいてくれてうれしい。

「自分自身に

  他人を励ますことはできても
  自分を励ますことは難しい
  だからーーというべきか
  しかしーーというべきか
  自分がまだひらく花だと
  思える間はそう思うがいい
  すこしの気恥ずかしさに耐え
  すこしの無理をしてでも
  淡い賑やかさのなかに
  自分を遊ばせておくがいい


             吉野 弘」

死にたくなる・・・。

2008年10月09日 | Weblog
「毎日頭が痛いので時々死にたくなります」という投稿があった。
頭痛に悩む患者と家族の会、の会報、会員のひとこと欄。
「10代の頃からの頭痛、毎日薬を飲んでいます。たいていは効くので、
まあ、普通の生活ができます。以前だったら吐いて寝込んでしまうような
頭痛も、レルパックスのおかげで起きていられるようになりました。」
という文を読んだときは自分かと思った。

わたし、会報にひとこと投稿したっけ??書いておいて忘れちゃったのか?
と思ったけど、違うひとだった。

頭痛の多くは生命にはかかわらない。
でも、頭痛患者のそれも女性の多くはうつ病も併発しているという。
イノチにかかわらないからといって軽く考えられる事でもない。
日常的な苦痛は差異の大きさよりも、「日常性」にモンダイありだと思う。

会報を読むとたくさんの同じような人たちがいることが分かり、
何となくホッとする。
先日は集まりもあったので出かけてきた。
知り合った人とメアドを交換したりする。

死にたくなるようなひとも、この患者会のおかげで救われているのだろうと、
会長に感謝。

そしてすこし元気になった気持ちでパソコンを開いたら、
ミクシィのメールボックスに4日も前に頂いていたメールを発見するし、
松下育男さんの「生き事4号」は受付終了していた。。。
そして、メール返信をして閉じようと思ったときにここのコメント管理に
気がつく。。
相変わらずのわたしの毎日。これも「日常」

(再び)コメント。。。

2008年10月08日 | Weblog
ものすごくぼんやりしていて、ずっと以前にいただいていたコメントに
気がつきませんでした。ごめんなさい。
「事前許可制」みたいにしたら、時にはそこを開いて「許可」チェックを
しないといけないのですね。
こんなにぼんやりしてるんだから、仕事もミスするわけだ。やれやれ。
そんなわけで、「許可制」はいったんやめにしてみます。
卑猥なコメント書いちゃうヒマな人がまた出現して嫌気がさしたら、
また考えます。

帰り道

2008年10月01日 | Weblog
あまり体調がよくないので、調整できるほうの仕事を減らしたから、
今日はちょっと久しぶりに古本屋へ行った。

やっぱりこっちの仕事は慣れてるし、本がたくさんあるし、好き。
秋の夕暮れ(もうすぐ夜!)を自転車で帰ってくる道も好き。

道端にくっついて座り込んでる二人や、
おじいさんが作ったらしい引き車に乗せられて散歩している病気の犬や、
新しくできた空き地をゆっくり探検しているブチの猫。

今日、出かけなければ会えなかった人たちや動物たち。
古本屋の仕事があってよかった、と思う帰り道だった。
これから寒くなってくると、自転車の夜道は多少厳しいけれど・・・。