羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

わたしを離さないで

2008年04月28日 | Weblog
娘に「お母さん、あの本貸して、あの東野さんの短編集」と言われました。
「え?なんだっけ」「ほら、あの」と、次女が内容を話してくれて思い出しました。
そういえばだいぶ前に買って先に娘が読み、あとからわたしが読んで、どこへ置いたっけ。
しかもなんていう本だった?それを次女が友達に貸したいらしいのです。
東野圭吾さんの文庫は何冊か出てきたけど、かんじんのがありません。
こういう時には長女にメール。
「短編集?」といって三つばかりあげてくれたなかで「予知夢」!そう、それ。
長女のは古本屋で買った自分の文庫らしいけど、
さすがに彼女は読書家で、いろいろ知っています。
でも、いまは家にいない。


翌日、次女がその友達と本屋さんへ行って「カズオ イシグロ」とかいう人の本を探してた、というので「わたしを離さないで」ならあるよ(*^。^*)と喜んで(?)
答えました。「あ、そんな題だったかも」ということで、ひと安心。
その長編を貸してあげる(というかもういらないからあげる)ので、いつか「予知夢」が出現するときを待っててね。

血液型

2008年04月26日 | Weblog
「わたしってそんなこと言ったんだっけ?」というシチュエーションに時折ぶつかって恥ずかしいことがあります。
なにやってんだろ、まったく。。。とまあ「自己嫌悪」とまではいかないまでも「やれやれ」とおもうわけです。

ふつうのひとはこんなことはないのかな。

べつに口からでまかせを言ってるわけではなくて、ある意味そのまま正直なことを
しゃべっているのですが、深く考えずに言葉にだしてるってことが、じぶんでよーくわかってなんだかガッカリします。

だから、変なコトを口走ってもわかってくれるような有り難いともだちは大切にしなければ・・・。
そしてわたしの発言を曲解もせずに受け取って「再現」してくれるひとも貴重な存在です、もちろん。
今日は仕事先の若いひととの会話でそれを悟りました。
血液型、の話でした。

もしも言い訳をするならば、わたしは出来るなら「黙って」いたいタイプ。
でもそういうわけにもいかなくて会話に参加しようと思うと真意不明の発言をしてしまうようです。
少し気をつけよう、と思いました。
少なくとも慎重にコトバを選ぶ、ということを職場では自覚しようと思いました。

続ける

2008年04月24日 | Weblog
継続するってことは、やはりそれなりに意味を持つことでしょ?
たいがいはプラスの意味をもつこと。
ブログ、連日更新していると何かいいことあるかしら。
プラスもマイナスもあったりするのかな。。。
面白いのはアクセス数が増えていくこと。
ただの数字だけど、それはひとの数だから、不思議。

灰皿町に、毎日書いていたことがありました。
「はてな」に毎日書いていたこともありました。

じぶんだけのページもあります。
時々そこに帰ります。

今、灰皿町もgooブログも、アプローチのひとつだから。
それは気まぐれの散歩道。いつでもそこを通ると決めたわけじゃない。
いまはこの道が歩き慣れたから、何となく毎日そこを眺めて立ち寄って行く。

気に入った場所があると少し落ち着いて、しばらくはそこで毛繕いしてる野良猫みたい。

ひとりで

2008年04月23日 | Weblog
ふと、ヒマな時間が出現してわたしはひとりでした。
テレビをあまりみないわたしは「何もしたくないけど、なんとなくつまらない」茫漠とした湿地帯のような、
中途半端な時間をもてあましています。

「奇跡のマイミク」。。。?

面白いこと考えるひともいるもんだ。参加はしないけれど、書き込みを読むと時間は過ぎる。
趣味嗜好がピッタリ合うってやっぱりひとは嬉しいものなのね。
そう、それは楽しいことかもしれない。それがコミュニティの特質だから。

読み飽きた視線の先で、ぐっすりと眠っている猫のすがたを写真にとってみる。
ネコは気配を察して薄目をあけたりするけど、欠伸をひとつしてまた眠りに入ろうとしています。

最近のわたし、旅行から帰って多少、風邪気味です。
(喉が痛い)
毎日毎日眠いのは、風邪薬のせいでしょうか・・・、それとも、、?
仕事に行く朝のバスの中ですでに眠い状態。。ネコのアクビに親近感。

足長おじさん

2008年04月22日 | Weblog
こどもの頃に読んだ本で一番好きだったのは「足長おじさん」かもしれない。
ふとそんなことを思い出したのは、先日、新宿駅で「足長おじさん育英会」募金活動している子どもたちを見かけたからだと思います。
急ぎ足で通り過ぎようとした西口構内で、僅かなお金を入れさせて貰って立ち去りました。
そう、「立ち止まる」って「席を譲る」という行為と少しだけ似た気恥ずかしさと動作が必要です。
なんでもないことだからこそ、自然にできればいいと思う。


闘病や事故に直面するたび「どうしてうちなの?」と思うわたしです。
その「どうして?」という理不尽を見つめるとき、じつはもっと広い視野の裾野が
そこに広がりはじめているような気がします。

竹の子ご飯

2008年04月21日 | Weblog
仕事場の敷地内に今年もタケノコが登場しました。わたしは現場は見ていないのだけれど、今年も掃除のおじさんが掘って分けてくれました。
いちおう東京ではあるけれど、ここは郊外なので、農家の庭先販売で野菜が買えたりもします。制服姿でお昼のお弁当を買いに出かけ、大根やサトイモを眺めたりしています。
さて、今日はバイトも休み。やっぱりタケノコご飯でしょう。。と思ったけれど、
アク抜きの糠がない。そうだ、米のとぎ汁でいいんだ、、、おっと、うちは手抜きの、じゃなくて環境にやさしい無洗米。
困ったな~と考えつついつかどこかで頂いたお米が二合ほどあったのを思い出し、
それを研いで利用することにしました。唐辛子もなかったけどパス。
実は去年、タケノコを貰ったときもパソコンでゆで方を調べたのでした。


新米主婦の頃はよく実家に電話して母親に聞いたっけ。
今では経験と検索で、それなりの料理もできるようになりました。
母は鶏肉もいれて作っていたけれど、わたしはシンプルに(というか簡単に)油揚げと人参をプラスするだけ。今日はおこわ風にするため小さく切ったお餅も少し入れて炊き上げました。ぬかがなければとぎ汁で、もち米がなくてもお餅で、案外おいしく作れちゃいます。
昨日スーパーで半額で買ったサーモンをムニエルにして、サラダをたくさん作り、
さつま芋を煮てお味噌汁を作れば夕食の完成。

仕事の日は帰宅が夜になって慌しいので、こういう休みの日に台所に立つとゆっくり支度ができて「主婦パワー」を発揮できるような(?)小さな満足感を味わえます。

ガジュマルの樹

2008年04月16日 | Weblog
沖縄へ行って来ました。春休みが終わり、連休が始まる前の今がチャンスだと思い、「一度は行きたい」と言っていた母親を連れていくのが目的でした。
(こどもとネコは留守番)
杖をついた母と、ゆっくりゆっくり歩きました。10年くらい前にわたしが行った時よりも賑やかになっているようでしたが、海と砂浜の美しさは変わらないように思います。
大江健三郎さんの「沖縄ノート」裁判の話をしながら『ひめゆり』のまえに到着し、花をそなえて手を合わせました。
記念館もゆっくり見るのかと思っていたし、わたしももう一度ゆっくり見るつもりでいたのだけれど、意外にも母は先に歩いて出口へ。追いついたわたしに「いたたまれない」と、一言。
戦争を体験してきたひとたちは私たちの親の世代。時代はスピードを上げて変わってきたけれど、あの戦争はけして遠い昔の出来事ではないと改めて感じた出来事でした。

そのあと、観光地も無理なく見てまわりました。
水族館も、首里城公園も、『琉球村』も、よかったけれど、気に入ったのはこの大きな樹。
地を這って根を伸ばし大きく枝を広げたガジュマルの樹に出会うたび、
寡黙な巨人のようにずっしりとした存在感に不思議な安らぎを覚えました。

見下す

2008年04月07日 | Weblog
朝から僅かな休憩のみで働き続けた次女と、待ち合わせました。

「疲れた~」という感じですが、振り袖の展示会に行ってみることにしたのです。

娘は来年が成人式ですが、一年以上前から大量の振り袖カタログ攻勢に合っていて、友達もそれぞれレンタル品を決めたらしく、多少あせり始めています。

ところで「振り袖姿を見せてあげるのが親孝行」っていったいどういう発想なんでしょう?よく言いますよね。
「立派に成人した晴れ姿を見せてアゲル」ということ?
その支度は親がするんでしょ?

あ、つまりは親の自己満足ですか?よくわからないな~。

まあそれはともかく、次女は「バカバカしい気もするがやっぱり友達と同じように振り袖は着たい」との事。
その日だけのために少なく見積もっても十万円はかかるようです。
着物や小物をセットして、メイク、着付け、写真、とプラスされていきます。

展示会なるものに一度は足を運ぶのもいいかと思いました。
どういうものがあり、どういう内訳になっているのか見たり聞いたりできるかと、
似たもの親娘は考えました。合理的に、出来ればお金もあまりかけないで済む方法があればいいのに、と都合よく考えたりしました。

結果的に感じのよい店員さんとも話が出来ましたが、ちょっとムッとする方もいました。「お金をかけずに」という発想は着物を商売とする人には嬉しくない客には違いありません。

疲れた足取りの帰り道、次女が悔しいような悲しいような顔をしています。
あ、そうか、ああいうのをなんて言うんだっけ?足元を見る?見くびる?
「見下す」かな。
見下されたねって笑っちゃえばいいんだよ。そう、価値観が違うだけでしょ。。

もう、ヤダ、花粉。

2008年04月05日 | Weblog
わたしはずっと前から、この季節になると必ず風邪をひくな~と思っていました。
花粉症、という症状があることを知ったのは7、8年前でしょうか。
内科ではなく、耳鼻科に行ったほうがよいと言われました。
「あーん」が出来ないから大の苦手の耳鼻科。
小さい頃から喉を腫らすことが多かったので、必ず半泣きになる、という予感で緊張する耳鼻科。

でも、やさしい先生に巡り合えたおかげで、いいトシをして涙目になることもなくなりました。わたしの顔を覚えてくれて「お、そうだ、苦手だったね」と笑って無理やり喉を診ることはしないで〈無罪放免〉。

ただ、最近は頭痛の先生が「一緒にだしておくよ」と花粉症の薬まで処方してくれるのでその耳鼻科もしばらく行っていません。

鼻炎が最悪になると本当に辛いので、症状が出る前に二月から抗アレルギー剤を飲み始めます。このパターンでここ数年はあまりひどくならずにすんでいたのに、今年はダメですね。鬱陶しいので、あまりマスクをしなかったり、「花粉を家に持ち込まない努力」なんて面倒でしなかったり、という結果でしょうか。
あと、市販の鼻炎用スプレーを使い過ぎてはいけない、と知っていながらつい人と会う前とか、仕事休憩の時とか、使っていたから、、。ですよね。

また、あのやさしい耳鼻科の先生のところへ行こうかな~と思い始めています。
やっぱり専門の先生を頼りにしないと。。。
でも仕事場や家から離れていて行ける機会がなかなかない。
風邪なら、「そろそろ治る頃」と思える時があるけど、花粉の鼻づまりは毎日続く。あとどれくらいこの状態かしら。ただでさえウッカリしてるのに、思考能力がものすごく低下してる気がするんですけど。。。

「眠る男」

2008年04月03日 | Weblog
小栗康平監督作品全部、東中野で上映中です。
「伽耶子のために」という小説が大好きで、その大好きな本を映画化されたのが
小栗ワールドとの出会いでした。
もう、20年くらい前でしょうか。南果歩さんのデビュー作でした。
大好きな原作を映像化されると、案外ガッカリすることがあるものですが、
この映画は、あたためてきた想いをぴったりと表現してくれました。

「泥の河」「死の棘」「埋もれ木」、そして「眠る男」。
今回ようやく観る機会に恵まれた「眠る男」は群馬県が出資して製作された作品です。

映画おわり部分、役所広司さんが問いかける台詞、
「にんげんって、、大きいんかい、、小さいんかい、、、?」
深い森の場面をくり返し思い出しながら、ひとり、東中野から帰ってきました。

そういえば昔、学校を出て最初に勤めたオモチャの会社はこの辺りだったな、と
思いました。