羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

「もう、別れよう」

2005年06月26日 | Weblog
「もう、別れよう」と、何度思ったかわかりません。
優しい慰めの言葉や、労わりや励ましを求めてもムダと
分ってからはせめて『共感』という感情を分け合いたいと
思っても、Aの理論展開によってそれさえ叶いませんでした。

例えば彼はわたしが「寂しい」ということを嫌いました。
その言葉が何故マイナスなのか、彼独特の思考法をいつも聞かされながら
いつでもわかったようなわからないような気分。
わたしを批判したりするわけでもなく淡々と、教え諭すような言い方でも、
わたしは必ず反発し、ムキになって反論し、感情を前面にだすから
すれ違いは当然だったのかもしれません。

彼を好きだと思っているのに、その恋はわたしには難解で、
でも離れられずに、

まるで宗教のように、わたしは彼の世界に拘泥していました。

仕事の性質上、会える日は全く予定できませんでした。
わたしが自分のバイトの休みを伝えておくと、唐突に「今日は時間があるよ」と、
その日にメールが来たりするのです。
わたしはメールや電話で口論ばかり繰り返していても、
顔を見ればまた何かがわかるような気がするし会いたかったから、
連絡があればなるべく出かけて行きました。
必ず、彼の車は時間に遅れて待ち合わせ場所にやってきました。
わたしは道路の端に立っていつも、赤いアルファロメオが来るのを
じっと待ち続けていました。