羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

はぐ

2013年04月18日 | Weblog
仕事はじぶんで考えていた日程よりさらに遅れて
来月中旬からスタートらしい。
この連絡がくるまで毎日が落ち着かなかった。
正式に採用と派遣先の通知がきてこれでOKと思えば前に進む。
躊躇があるなら保留する。
そういうふうにして春がそよそよと過ぎていく。

わたしはブログを更新しないでじぶんだけのワードを綴っていた。
わたしの部屋にはカギがかかっている。
パソコンはパスワードで閉ざされている。
さらにワードの森の中の片隅に暗号でひらく扉がある。
実体が消えるときにいっしょに闇の中に消えるものがあったら
それは素敵なことだと思う。

先日、武蔵野市立美術館の「佐々木マキ展」(佐々木マキ見本帖)に行ってきた。



何をするでもない春の宵、この「はぐ」という絵本を眺めている。
デミタスカップを箱からだして手のひらにのせてみる。
読みかけの文庫のそばにも置いてみる。

デミタスカップって手の中にすんなり馴染み落ち着いてあたたかい。
ぼんやり考え事をするときには空っぽのデミタスカップ。
小さな白い空洞。

阿佐ヶ谷ラピュタでランチ

2013年04月10日 | Weblog
長女の誕生日ランチを一度は行ってみたかった阿佐ヶ谷の
「山猫軒」で。予約しておいて良かった。
「本日は予約のお客さまで満席です」と貼り紙がしてあった。
そういえば予約したとき「階段に不自由な方はいらっしゃいますか?」と
聞かれて、いいえと答えた覚えがあるが外階段を上って三階まで行くと
どうぞこちらへ、と店内の急な階段をさらに上るのだった。
お料理は期待通り美味しかった。
ここは駅から近いのにいつも「どっちだっけ?」と思う。
文字通り「天空の城ラピュタ」そのままの雰囲気がある阿佐ヶ谷ラピュタ

1、2階は映画館。古きよき時代の企画がいつも組まれている。
地下は「ザムザ」という劇場である。

長女の誕生日ランチだったのに長女から「就職祝い」とプレゼントを貰ってしまった。

可愛いネコ型押しの財布とこのブック型。娘が見つけてどちらがいい?と聞かれ、
すごく迷った結果、このユニークな形に。(店で選ばせてくれた)
仕事の研修は中旬からで配属は下旬からだと思う。
今はまだのんびりと読書。

娘と話していて楽しいのは本の話がたくさんできること。
「困ってるひと」も読んでみるね、と言っていた。
そういえば作者の大野更紗さんは福島の安積女子高校出身、わたしの母はそこの女学校だった。
そして上智大学は父の母校でもある。
「あ、同じだー」と思うことは何となく面白い。

新聞の投書

2013年04月08日 | Weblog
ある朝、電話が鳴った。
電話はたいていお墓はありますか?とか外壁を塗り替えませんか?と
いうのが多い。「もしもし」というすこし年配の女性の声がした。
わたしの名前を確認し「八木です」と仰った。
瞬時にパッとそのお名前を思い出した。
おわかりになりますか?と聞かれた。はい、覚えています、と答えた。

たくさんのことをものすごく忘れる。
それなのにそのお名前、たった一度頂いた電話のこと、20年のときが
あっというまに甦った。

彼女は朝日新聞の家庭欄に「自分の腎臓を移植した娘が出産した喜び」を
投書されていた。
わたしは長女の病気について何も分らずただ不安でよく泣いていた。
そのときその投書を読み、「移植」という選択、さらには出産という希望、
何も諦めることなく前向きに進んでいけばよい、という事を知って嬉しく、
記事を切り抜くとともに手紙を書いたことを記憶している。

若い母親だったわたしに50代だった八木さんは電話をくれて、
励ましてくれた。
今回、身辺整理をされていて記事や手紙がでてきて懐かしく、
電話をしていただいたとのことだった。そう、あれから20年。

どうされていますか?と聞いていただいたので娘は結婚して元気ですと伝えた。
こちらもいろいろありました、と電話の向こう。
いろいろありました、わたしも、、。そうですよね、20年です。
実は娘は交通事故に遭いました、という事を正直に伝えると息を呑む気配があった。
後遺症もあります、でも今は元気で旅行にばかり行ってます、、。
そうですか、とお互いのことをポツポツと話した。
あのときお生まれになったお孫さんは大学生だそうだ。

気にかけていただき、電話をかけていただいて本当に有り難いと思った。
泣いてばかりいる母だったわたしはやがて「行動する母」になった。
頭痛薬を飲みながら、そして周りに助けられながら。。。
「食事療法をする患者のためにすべての食品に栄養表示を」と新聞に投書を
したこともあった。投書には少なくない反響があった。
そして今度はわたしが、病気の子どもを抱えるお母さんを励ます立ち場になったりした。

新聞は侮れない。こうして誰かがちょっと元気になりつよくもなり、
縁も生まれる。

困ってるひとたち

2013年04月05日 | Weblog
大野更紗さんの「困ってるひと」を読む。
怒濤の闘病生活、すこし前に話題になった本を図書館で見つけた。
元気な大学生だった彼女がある日前触れもなく難病患者となる。
「免疫抑制剤」「プレドニン」「ジェイゾロフト」「難病医療費等助成制度」
突然に病に襲われた彼女に次から次へとやってきた見知らぬ医療用語。
わたしにはなじみのある言葉ばかりなので次に何がくるのかと待ち受けるように
ページを繰って半分ほど読み終えた。
そういえば水村美苗さんの「母の遺産 新聞小説」でも主人公の女性が
「イロウ」「ケイビ」などこれまで無縁だった言葉を知る不思議な思いに
とらわれていた。「胃ろう」「経鼻」は高齢などで嚥下が困難な人のための
栄養摂取手段だ。
知らない言葉がじぶんの耳から入り字をみて、意味を理解しやがて馴染んでいく。
そうそう頭痛患者には「トリプタン製剤」という薬のグループがある事も、
たぶんだいぶ知られるようになってきたと思う。

最近、頭痛で毎日毎日くすりを飲んでしまう、という女性と知り合いになった。
(偶然、頭痛の話になった)
市販薬を飲み続けているという。心配。
すこしだけわかることを書いて手紙にして渡した。
やっぱり医院に行ったほうがいいと思うよ、うん、そうする、と言ってくれた。
今日会ったらこの間最大の(頭痛)がきた、でもまだ病院に行ってない、というので
一緒に行ってあげようか?と半ば冗談で言ったら「うん~行ってもらおうかな」と。

まあ何となくクスリや病気のことについてはちょっとだけ分るかもしれない。
でも専門的なことはもちろん知らない。つらい病に寄り添う心意気だけは
もっていたいかな。

青空へと一変する

2013年04月04日 | Weblog
先日受けた「採用試験」のあとまたパソコンで検索して見つけた所に
履歴書を「何回目だろう」と思いながら書いていた。
「ヘタな鉄砲状態かな」・・・と思いつつ書き終わったところで電話が鳴り
『合格しましたので健康診断を受けに行ってください」とのこと。
あれま、、?だってあのとき時間差で面接に呼ばれてわたしは三番目だったが
先に行って真剣に話している(大きい部屋の三ヶ所に分散していた)
キリッとしたお二人の女性よりも早々と話が終わってしまったのだ。

早々と話が終わって皆がまだ静かに小論文を書いている部屋に戻り、
すこし書き足してしばらく考えたけど提出して帰ってきてしまった。

今日は昨日の嵐のような日から一変して青空。
また高層ビルの間で迷うと思ったので早めに出て検診センターに行くと、
受付には(当たり前だが)ちゃんと会社名と私の名前を書いた
書類が用意されていて採用が本当なんだと改めて緊張する。

今朝うちから一歩出たときすごく賑やかな晴々とした音楽が空からふってきた。
と思ったらうちの前の高校の入学式らしくブラスバンドの祝福の演奏。
ちょっとタイミングいいかも、と思う。
でもまだ不安のほうが大きい。
派遣先も条件も未確認だし、確か厳しい研修があったはずだ。
あの日研修の様子をVTRで見たとき「わっ」と思ったのを覚えてる。
でも「あたしどうせ受からないし」みたいに思ったのだ。
この気の抜けたところをシッカリ引き締めてがんばらないと。

「求職活動中~」と息子にいったら「あまり丈夫じゃないんだからムリしないで」と
メールが返ってきた。
やさしい言葉をあちこちからいただいた二ヵ月半だった。