羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

灰皿町に行かなくちゃ・・・。

2010年12月28日 | Weblog
考えても考えなくても、行動してもしなくても、
時は過ぎ行き今年も終わる。
どうなることかと思っていた母の病も快方に向かっている。
病院に着き、車椅子を探す母に「歩けるよ、歩こう、ゆっくり」と
声をかけて杖とわたしの手で外来受診も無事に終えた。
帰り道は「久しぶりの外出と歩行でお腹がすいた」と嬉しい言葉を
聞いて、ちょうど用事を済ませた次女も一緒に「木曽路」でランチ。
驚いたことにほとんど食べてくれた。

薬効とはいえ、これほど元気になってくれて本当に良かった。

あと心配なのは長女の具合だった。
女子医大で久しぶりに会った。
検査結果を聞くまでは心配だったが、ビックリするような悪化はない。
とりあえず大丈夫。
よかった・・

残るは、息子。
彼はこちらの状況を知っていて自分のことはあまり言わない。
わたしも、やさしい恋人にまかせきりにしているが、
明日にでもメールしてみよう。

そして、この冬には「薄紫の冬桜 二号」をだすつもりだったのに、
結局延期になっている。
代わりという訳ではないが、初めてパソコンのワードで賀状を作成してみた。
来年は大好きなうさぎが干支なので、うさぎの詩を即興で添えた。
(「薄紫の冬桜」創刊号を読んでいただいた方は住所録にあるので、
お送りするかも・・・しれません。)

そして今年も「灰皿町」では恒例のアンソロジー募集中。
詩の大先輩の方々のすみっこにまた参加させていただこうと思う。
その作品を仕上げてきっと今年も終わりを告げる。

採用通知

2010年12月22日 | Weblog
とうとう待っていた採用通知が速達で届いた。
次女と手を取り合ってなみだ目で喜んだ。

先日の新聞に今年は優秀な人材が残っているため人事課でふるいに
かけられず重役面接に任せるため三次まで残る学生が多いと書いてあった。
就職試験、一次面接、二次、そして最終の三次まできて、
そこで落とされる学生数が多いと言うことだ。
三次で落とされる学生の憔悴は親から見ているのもとてもきつい。

推薦で都立高に入り、さらに指定校推薦で大学に進んだ娘。
おっとりほわほわしていた彼女のもとに今日届いた採用通知には、
「厳しい環境の中を闘ってきたあなたのバイタリティ」という文があり
ほんとうにたくましく頑張ってきた彼女の成長を感じた。

ここは春に採用決定をしているのだが、
まだくじけずに就職活動をしている学生たちの中にたゆまぬ努力をする
きっと素晴らしい人材を見つけられるに違いないと、
追加枠を1~2名、設けたところ、百人を超える学生が応募してきて
驚いた、と説明会で言っていたそうだ。

最近は就活から帰宅しても、「どうだった?」なんて迂闊に聞けない雰囲気だった。
何十社も受けて三次までいったところも9社はあると思うとのこと。
ここも、最終面接に7人が残っていたという。


採用通知の日付はなんと12月20日、娘の誕生日。
春から彼女は医大の事務職員として、新しい一歩を踏み出す。

髪を洗う

2010年12月19日 | Weblog
高齢だから思うようにいかないこともありながら、それなりに
元気に過ごしていた母がちょっとしたことがきっかけで
すっかり病人になってしまった。

「忘れちゃった」と言いながらもにこにこしていたし、
たいていのことは一生懸命じぶんでしていた。

紅葉と冬桜を見せたいとドライブに誘ったときも
とても喜んで同行したし長距離で疲れたと思うのに、
愚痴もこぼさず「きれいだったねぇ」と何度も言っていた。




埼玉県と群馬県の境目にあるこの城峰公園に日帰りドライブをした頃が、
遠い昔みたいだと母は言うけれど、実際にはほんの一ヶ月ほど前のこと。
ほんとうにちょっとしたきっかけで年老いた人はどんどん弱気になり、
それと同時に病状も進行していくようだ。

今は、何もしたくないし何も食べたくないといって、
一日中椅子に座っている。
でも起きてくれるようになったしわたしが作ったスープも飲んでくれる。

今日は暖かいし仕事も休みなので、「今日こそ髪を洗おうね」と促した。
12月初旬は寝ていたし、ようやく起きている時間が長くなった今、
そう、今日がいい。
きれい好きの母を思ってこれまでにも何度か声をかけてみたが、
首をふるばかり。
だけど、かれこれもう二週間以上は洗えてなかったと思う。
今日も「まだ早い」「アタマはかゆくない」挙句は「何だか寒気がする」と
言っていたが燦々と日差しが差し込む二階の台所にストーブまでつけて
流しの前の椅子に座ってもらって手早く優しく洗髪した。
洗っていたら白とグレイの短い母の髪の毛がわたしの手のひらいっぱいに抜けて
「あ」と思った。

手をつないで別の椅子に移動して座らせてドライヤーで乾かした。

母のいる一階よりも陽の当たるここの二階になるべく長くいて貰おうと思った。

看病も介護も、思うようにいかないこともある。
ついイライラしてつよく言ってしまって後悔することもあるし、
それを思うと涙もでてくる。
でも、できる範囲で出来ることを手助けしながら、
どうにかやっていこうと思う。
老人性うつ病は手ごわいかもしれないけれど、
母の笑顔がまた見たい。




大学生の12月

2010年12月08日 | Weblog
次女の卒論が大詰めらしい。
卒論に明け暮れ時どきバイトに行きまだ負けずに就活をしている。

就活の話はうかつに聞けないくらい厳しい。
中小企業なら求人はあるはずだとよく言われるけれど、
それは総合職の男子の場合。
小規模な会社で事務仕事をしたい、と彼女は考えているが、
小規模な会社にたくさんの事務員は必要がない。
ひとりかふたりしか採用しない。
その席のためにもう一年も神経をすり減らしている。
女子大生はことのほか厳しい。
「いい大学なのにねぇ・・・」といつも祖母がため息をついている。

彼女の卒論テーマは江戸文学だ。
さらにしぼって浮世絵に近づき「判じもの」について調べている。
「浮世絵で遊ぼう」という企画があったので
秋には朝霞博物館へとつきあった。


このチラシの絵、顔も手も全部見事に人でできている。

判じものとは、江戸時代の庶民の知的娯楽のひとつで、
言葉が絵に置き換えられている。
なぞなぞに近く、たくさんあって、解明されていないのもあるらしく、
難しいものはいくら絵をにらんでいてもわからない。

答えがすでにあるのは例えばこれ。




これらは「勝手道具はんじもの」つまり台所用具の絵。
お茶をたてているがまがえるはなかなかいい顔をしている。
これは『茶釜』
その下の9番は被風(ひふ)を着た人が竹を持っている。
『火吹き竹』
ついでに8番は香と髪の毛で『小桶』という具合。

卒論を提出し、就職も決まったら、
長女と女三人で、おいしいものでも食べに行こう。

さよなら、うさぎ。

2010年12月06日 | Weblog
パソコンで飼えるブログペットというのを発見したのは今年の始めだった。
猫も犬も可愛かったがやっぱりうさぎにした。
ブログ左側で走ったり寝たり、すこし言葉を覚えたりしていた。
わたしと同じ2月生まれで「kisara」という。
ケセラセラみたいな名前を思いつきでつけた。
クリックするとこちらに向かって走ってくるのが可愛かった。
でもこのブログペットサービスがなくなるという。
今月15日で、kisaraは消滅する。
すこしさびしい。
臆病だけどいざとなったらぴょんぴょん走る野ウサギみたいに、
来年も生き抜いていけるかな。

写真は大泉学園にあるハンバーガー屋さん「ブッチャーズテーブル
熊がハンバーガーを食べている看板。
そしてハワイアンチーズバーガー。
娘が頼んだビッグコーラが大きな牛乳パックみたいでビックリした。






猫がいて

2010年12月02日 | Weblog
書きかけの詩をベッドに置いておいたら、
猫がそのうえでまるくなって寝ていた。

もう年寄りの猫だとおもうのだけれど、
まだ甘えるし遊ぶしケンカもうる。
銀紙を小さく丸めたのが好きで
転がして遊んでると思っていたら
飽きたのか長ーくなってねそべっていた。



もうひとつ銀紙ころころを作ってやったがちょっとだけ遊んで
「もうつきあってやんない」とばかりにカーペットに落ち着いた。
ところが、昨日、次女が出かけようとしたら
なんとブーツの中に二つとも銀紙おもちゃが入っていた。

大笑いしたあと外出して帰宅したら、一個はそのまま玄関に。
もう一個は二階の居間入り口にあった。
くわえて運んできたらしい。
一階と二階にそれぞれお気に入りを配分したようだ。

そしていま、わたしの背後でくちゃくちゃ何やら妙な音がする。
振り向くと猫がしきりに何かを噛んでいる。
ヘンなものではないか?いったいなんだ?
不思議に思って「駿?」と声をかけてみた。
かれは「ん?」という顔でまっすぐわたしを見る。
赤いビニールの結束だった。
犬みたいに何かをかじるようなことは今までなかったのに、
猫もトシをとると不思議な行動をするのだろうか。
おかしいような、すこし心配なような、、、。

そういえばこの間、松浦理英子さんの「犬身」を読んだ。
とにかく犬が好きで「種同一性障害」と自分で考えるほど、
犬に憧れる女性が、理想の飼い主に巡り合って犬に変身する話。
これはこれでなかなか面白かった。