羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

家出の支度

2008年02月27日 | Weblog
疲れてくると、たいていひとはいろんなことが嫌になってきます、、よね?
わたしは何もかもがイヤになります。
だいたいが怠け者なので「何もかもがイヤになる」スタンバイはいつでもできている状態で、
しょっちゅうなるのはつまり多少、病的なのかも。

同じ慢性頭痛の友達が、「もしお金をだして買えるものなら<頭痛のない人生>が欲しい」と言ったけど、
ほんとうにそのとおりでこの持病の厄介さがもたらす弊害はかなりある、と思ったりします。

さて、「ずどん」と疲れた怠け者のわたしはまずご飯の支度が億劫になりました。
職場でニコニコして話をあわせているうちに頭がボーっとしてきて、帰り道にはもう誰とも話したくない
という心境になっています。ひとりになりたい。。。

そうだ、ひとりになろうと思いました。
明日は休みなので、今日バイトが終わったらどこかへ行こう、と思いました。
「プチ家出」の支度開始。
常用薬、化粧品、携帯の充電器、ウォークマン、それからウサギ模様のミニタオル、冷え性なのでソックス、文庫本二冊、。
仕事に行くバッグにそれらを詰め、仕事用ではない腕時計(大切な人から貰った)をしました。

仕事中に検索して行く先を大体決めながら、やはりわたしは夜になって帰宅しました。
そうね、やっぱりいま家を空けるのは「賢明」ではない、と思えたからです。
でもご飯も作らず、あまり人にも会わず、夜の電車に乗る人々を眺めて少し「自由気分」を味わいました。
じぶんの「自由度」を少しずつ広げていける、そのシュミレーションができたようでとりあえずはOKかな。

「相談」

2008年02月25日 | Weblog
率直にいうと今、家庭内の事と介護の事、で疲れています。
ともだちの相談にものってあげたい、例えば「大人の恋」。。そして今日は遠く離れて暮らす友人からも「夫婦のことで」相談にのってほしいとメールがきました。
誰にもいいカオがしたいわたしは誰の相談にも一生懸命応えようと思います。


でも、じぶんの話はあまりしない。「愚痴をこぼすこと」は自分にとってあまり意味がないような気がしていました。だからどうした、という話はしても仕方ない事だと思っていました。グチを言ったりしてるヒマがあるなら、自分で考えて行動したほうがいいんじゃないかと、、、。

でも、違うんですね。
もしも悩んでいることがあったら、「こんなことがあって、こうで、、」と打ち明けてみると、ともだちはきちんと受け止めて客観的な意見も述べてくれる。

そういうことを、時々経験すると、「狭量」という言葉がぽわんと浮かんでは消えていきます。
じぶんは「聞き役である」という思い込みでせかいを勝手に狭くしているのかもしれない。

たまにこころをオープンにして誰かに話を聞いてもらうと、やさしい言葉がかえってきて泣けてきます。
きっと「グチ」と「相談」は微妙に違うんだよね。
前を向いてるかどうか、が違うのかもしれません。。


心のままに

2008年02月23日 | Weblog

前回のつづきです。
なんの約束もなく「待ち続ける」ことができるほど、きっとひとはつよくないと思います。
いくらじぶんの気持ちだけを信じて見つめていればいいんだよ、と言ったって安穏とはしていられません。

だったら、心のおもむくままに行動してみるのはどうでしょう。
「独り占めしたいわけじゃない、行く手をじゃまするつもりもない」でも「好きだから」という意思表示をすること。
連絡をとること、逢いにいくこと。それは羽がはえたように自由で浮き立つ気持ちかもしれません。

そう、感情は個別であり自由です。
でも自由であることはその裏側も引き受ける、ということでしょう。
傷つく人間はいるに違いありません。じぶんであり、相手であり、周囲の人かもしれません。

「気づくとは 傷つくことだ 刺青のごとく言葉を胸に刻んで」
枡野浩一さんの短歌を、ふと思い出しました。


演歌な女

2008年02月21日 | Weblog

好きなひとをひたすら待ち続ける、という選択について考えています。
じぶんの気持ちに素直になりいまは一緒にいられなくてもいつかは、、、と考えること。

待てと言われずに待つ過酷さは、わたしには想定できません。
もしも「待ってくれ」という男性がいるならその心理とはどういうものでしょう。
そしてやはり、女性は言われたいのでしょうか?

待つも待たないも自由であり、本来的にひとは孤立するものであると思います。
そのうえでなお、相手を求め、相手を思いやります。

ひたすら待ち続ける「演歌な女」にはなれない、とともだちは言いました。
たぶんわたしだってなれないと思います。
だけど軽い約束さえあればいいのかと言えばもちろんそうじゃない。つまりはじぶんの気持ちです。
「思い続ける」というじぶんの気持ちを見つめていくのはやっぱりつらいのかな。

ひとりでいたいけど、ふたりもいいな、そんな気楽な生き方ができればいいのに、、。
ふと、そんなことを思いました。


テンプレート変更

2008年02月18日 | Weblog
赤い色がどうにもつよい。パソコンが新しくなったら画面もワイドになり、気に入っていたテンプレートだけど変更してみました。
紫色でやわらかな雰囲気のものがあればいいのだけれど。。。
そういえば、長女が先日、誕生日プレゼントに送ってきてくれた紫色のショール(リバーシブル!)は、
次女からもらった手袋とまったく同じ色でした。
紫にもいろいろあるのに、別々に買った姉妹が選んだ紫はやさしく深いふかい色でした。温かみのある色でした。
「灰皿町」に写真あります。

姉妹・・・・、昨日書いた「大人の恋」のともだちは、ずっとムカシからの仲。
何故か彼女はわたしを『姉』というポジションにおき、
たしかに年長のわたしは大人になってはじめて出現した『妹』の幸せを願わずにはいられません。


「わからない」

2008年02月17日 | Weblog
ともだちが悩んでいたら、一緒になって考える。   
だけどいくら考えてもわからないことがあり、 
わたしたちはきっともうそういう年齢なのかもしれない、と思ったりします。
考えても答えのでない年齢。
若いときなら倫理は明確でも、この世代になるともうじぶんの責任、という場合もずいぶんあるのではないかしら。
いくら話しても一緒に考えても、結論はでなくて、わたしとともだちの夜は更けて行きました。
お酒の飲めないふたりはジンジャーエールの氷を溶かしながら、、、。
わからないままの「大人の恋」の話。。

ホワイト・マウスくん

2008年02月11日 | Weblog
ノートパソコンの調子が悪く、画面が暗くなったりして、困っていました。修理にだすと、そのときはいい子にしてて「症状が出ないので直せない」といわれてしまいます。しばらく預けても、結果は同じ。そして、家に帰るとまた暗くなる。何故(・・?

困って、パソコンに詳しい兄に助けを求めました。
兄は、手持ちの部品も活用して、新しくパソコンを組み立ててくれました!ノートパソコンもまだ使えるかもしれないけど、
今は兄からのプレゼントの新しいパソコンを有難く使っています。

コードレスのマウスや、白いマウスが、仲間にいました。
兄が接続してみたら、白いマウスは相性が悪いらしく、、、、、。
ホワイト・マウスくんはただいま使用禁止。。。うちの猫に見つめられて部屋の片隅に待機しています。兄に回収される日を待つ仔ネズミって感じ。