羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

広告・・・・。

2012年07月31日 | Weblog
いま気がついたが8月1日からブログ記事の下に広告がでるようになるらしい。
gooブログを始めて7年。「はてなブログ」に行ったりmixiメインになったり
「灰皿町」に毎日書いていたこともありつつ、gooから引越しをしなかったのは
使い慣れてるという事と広告非表示を選択できることがけっこう大きかった。
8月1日って明日じゃん。
広告か~。ちょっとヤダな~。
上記三ヶ所のほかにも実は別人?になって他にブログ開設したことがあったけれど
広告がイヤだった。
例えば記事に「憂鬱な、、」みたいなことを書くと「うつ病のクリニック」という
宣伝があったり「車」という単語にきっちりそれに関連した広告がくっついてきたり。

そのトラウマ?があるのでイヤな感じはするけど、
これもそういう流れなので仕方ないんだと思う。
イヤならここを出て行けばいいんだから、そこはさっぱりと考えたい。
というわけでもしもすみれこブログが消えたら
融通が利かないタチなのでどこかへ行ったんだな、と思って下さい。
たぶんそのときはお知らせしますが。。。

手を差し伸べたい仔猫

2012年07月25日 | Weblog
母のホームを決めた理由のうち「近くに猫さんがたくさんいて
その猫さんたちが見える部屋がちょうど空いていた!」
ということを前に書いた。このタイミングを逃すと新築ピカピカの
「ネコ窓つき」部屋はもう望めないと思ったのだ。
他にも決めた理由はいくつかあって、そのひとつが「図書館に近い」という事。
あの懐かしい東部図書館がほんのすぐ近く。
いつでも行けると思いつつなかなか行けなかった図書館へようやく寄って来た。

今日はカードを持っていなかったので書棚を眺めるだけで帰ろうとした。
そのとき、横道の奥の日蔭で「何か」が見えた。
最初はギクッとした。小さく小さく丸まっている仔猫のあまりの「薄さ」
「存在感の希薄さ」に足が動かなかった。
でも大丈夫だ。よ~くよ~く見ると仔猫は確かにお腹を上下させて仔猫の眠りを眠っていた。

用事を済ませて再び見に行った。
起きていた。
図書館も閉館し静かな夕暮れ、やせっぽちで目脂や皮膚病もあるらしい仔猫がちょこんと座っていた。



おいで、というと用心深くわたしを見る。
何もないのでリンゴジュースを手のひらにいれて差し出してみたがそんなの飲まなかった。

                       

そこへ一匹、もう一匹とすこし身体つきのシッカリした黒猫がやってきた。
みんな警戒してこちらへは近づいてこなかった。

このあたりはほんとうに猫さんたちが多いんだな~と思う。
そういえば今日、母は窓から猫さんたちを眺めていたという。
散歩に行ったときには車椅子の足元にきてくれたそうだ。
スタッフから聞いたとおりだった。
嬉しかったこと、楽しかったことは記憶の引き出しにうまく保存されるらしい。

帰り道はいつも庭先直売(数ヶ所ある)で野菜を買う。
トマトが抜群に美味しい。

今度、図書館に行くときは本を借りる。
仔猫にも会えるだろうか。

記憶の引き出し

2012年07月24日 | Weblog
「ここはどこなんだろう」「どうして自分はここにいるんだろう」と
母はくり返しくり返し何度も考えたに違いない。
わたしにも聞く。孫にも聞く。息子にも聞く。自問する。
認知症状がたどっていく過程や症例を岩波新書で読むと本人のつらさが
あらためてよくわかる。
あらためて良くわかるというより、今までは目前の事に日々追われ
あらためて考えたり母の心情をじっくり思いやったことは少なかった。

先日「大人用紙パンツ」についての商品感想会みたいのがあって、
親の介護経験者が五人ばかり集まったが、
「トイレを詰まらせたことがある」「パッドと下着を洗濯しちゃった事がある」と
みんな同じような困った出来事を体験していて
「うん、うん」とうなずきながら皆「どこもタイヘンなんだわ」という感じだった。

タイヘンなことはたくさんあった。
でも母は消えていく記憶を一生懸命にメモをするひとだった。
12月の入院中もテイッシュの箱にまで何かしら書いていた。
でも先月の入院ではまったくなにもしなくなった。
テレビも見ず、ただただベッドにいた。
ホームに入所したときわたしは母がまた何か書いてくれることを願って、
弱い筆力でも書けるペンと猫のイラストがあるメモ帳を
ベッドサイドテーブルに置いておいた。

ホームのスタッフ皆さんのおかげで寝たきりだった母が車椅子に移乗できるように
なり、とうとう先日は手すりにつかまって歩けるようになった。
おやつのアンパン作りにも参加していた。
焼きたてのアンパンをわたしも頂いた。とっても美味しかった。

そしてようやくまたメモを書くようになってくれた。
一ヶ月以上の空白のあと、またすこしずつ感じた事や出来事を
その記憶をじぶんでとどめるために、書き始めた。
ちょっと見せてもらった。



ここにはホームでの暮らしへの不満はカケラもない。
「今おひるの食事おいしく
みなさんといただきました
ありがとうございます
これからもどうぞよろしくネ
お元気で ガンバってください
おなかポンポコリ」

ここでの暮らしを精一杯受け入れようとしている母の様子がこのメモに表れている。
内向的な母がここに馴染もうとして記憶の引き出しにメモを入れながら
「ポンポコリ」というお茶目も見せていることに
安堵と切なさを感じた日だった。

音もなく、黄昏に、、、。

2012年07月20日 | Weblog
先日ひとり文学散歩で行った鎌倉文学館で特集していた作家たちが
まったく不勉強なわたしにとって新発見だった。
さっそく藤沢周の文庫をブックオフで購入した。

本を読む余裕ができたと思う。

ある日、手帳を取り出したときにハラリとしおりが落ちた。
それはあの時鎌倉文学館でもらったしおり。
(企画展は藤沢周、大道珠貴、柳美里、城戸朱理の四人だった)

その栞は城戸朱理の詩の一節だった。
「都電の幽霊が走っていた。
音もなく 黄昏にまぎれていった」

藤沢周、大道珠貴の作品と城戸朱理詩集を買うつもりだったが、
その「ハラリと落ちた」しおりを読んだ友人が先に詩集を買って
一読後に「プレゼント」と手渡してくれた。
詩集、、、、詩集を読むのはほんとうに久しぶりだった。

名前しか知らなかった詩人。
あたらしくわたしのなかにとりこまれる「詩のことばたち」
詩として生まれた言葉たちの苦しいような歓喜。
詩的感覚がすこし甦りすこし戸惑いすこし震えた。

そんなある日。
アマゾン委託サービスから何度もきていたメールをちゃんと読み返した。
わたしはアマゾンに「巡り合う小舟たち」というweb古書店と
「すみれ舎」という委託サービスでじぶんのたった一冊の詩集を
出している。
その「もう帰るところはありません」を補充するように、というメールだった。
ということはどなたかが購入して在庫がなくなった、ということだ。

有り難い。顔の見えない購入者さんに「ありがとうございます」と
直接申し上げたいくらい。

すみれこの詩がまた読みたい、と友人が言ってくれた。
こちらもすごく有り難い。

音もなく、黄昏にまぎれていって胸の中にだけ残るような詩を
わたしも書いてみたい。

眠い日々

2012年07月17日 | Weblog
この時期、暑さに身体がついていけなくて必ず「夏バテ前半戦症状?」に陥る。
とにかく眠い。ぐったりしてすぐ横になりたいし横になればウトウト眠る。
寝ても寝ても眠い。
もちろんそんなに寝てばかりもいられないのでどうにか一日を過ごす。
それでようやく夜になり眠気のピーク。「寝よう」と意識するとポカッと目があいて
さっぱり眠れなくなるので結局は入眠剤を飲んで寝る、というパターンが
ここ何年も続いていた。
でも本当に珍しく昨夜はクスリに頼らずに眠りの小舟に乗れた。と思ったら、
コワイ夢を見て、夢の中で「目覚めよう、目覚めよう」と思ってようやく目を開けた。
午前三時だった。
今度は夢が怖くて眠りたくない、眠いけど、とぼんやり起きてツイッターに呟く。
そしてぐっすり眠れるように結局はクスリを飲んだ。
浅い眠りと寝苦しい夜。

最近、頭痛の会・会報でmixiにコミュが出来たことを知り久しぶりにmixiにアクセスして
参加した。
やはり夏の暑さと睡眠不足は頭痛の大敵、という会員も多いようだ。
それにしても「全国慢性頭痛友の会」と言って会員外の人に笑われた経験は
わたしだけではなかった。
「野鳥の会に入ってる」と言って笑われたことはないが「頭痛の会」と言って
笑われたことは何度かある。
まあべつに、笑われてもいいんだけどね。

ケーキでエネルギー

2012年07月11日 | Weblog
ほんとうに迷った。
調べに調べて会って相談してその足で母の面会に行って、
毎日頑張ったと思う。
まだデスクトップには「老健」や「ケアハウス」等などの
検索結果や「親を介護」「介護用品レンタル」といったリストが
保存されている。
すこしだけ痩せた。
でも変わらずに甘いものが好きだ。
調布スタジアムの二階にあるイタリアンで食べた食後のデザート。



母の部屋にかけるカーテンを買いにニトリに行った帰りだった。

まわりがみんな「OKそれでいいよ」という流れになっているのだから
その流れにのって進んでいけばいいよ、と大切な友人が言ってくれた。

母は退院してグループホームに入所した。
何もない部屋にベッド、テーブル、テレビを搬入した。
お茶碗、スプーン、パジャマ、タオル、あらゆるものに名前を書いて持ち込む。
その日ホームを出て、遅くなった夕食を兄と二人で食べた。
(なんかうまいもん食いに行こうぜ、と兄が言った)
パッパパスタの食後のデザートワゴンからベリーのムースを選ぶ。

                  

週末、次女が会いに来てくれた。
埼玉から雨の夜、新車(ニッサンのモコ)を運転してきた。

府中でランチ。ギャラリーカフェDODO。わたしはベーグルにした。
カレーは自家製カレー粉から作るらしく味見させて貰ったけど美味しかった。
デザートはココアのシフォンケーキアイス添え。娘はチーズケーキ。

                            


少食でもこれだけシッカリ、ケーキを食べていたらエネルギーも満タンだろう。
退院、入所、という選択は良かったですよと介護コミュのメンバーに言ってもらった。
母の様子をみながらできることを考えていこうと思う。
今日はこれから母の好きなドーナツを持っていく。

七夕のなみだ

2012年07月05日 | Weblog
「風待文庫」店主kazeさんが七夕に来ませんか?と言ってくれた。
七夕、、、わたしは決まって思い出す光景がある。
それは長女のつらく長い闘病のスタートの頃だった。
今から20年くらい前。わたしは泣いてばかりいる母親だったけれど
娘の前ではけして泣かないと決めていた。
K医大病院から帰る夜道、自転車をこぎながら橋を渡った。
二人の兄妹がお腹をすかせて待っている。
滲んだ涙も初夏の風が乾かしてくれた。

小児病棟の七夕はそれはそれは切ない願いに満ちていた。

それでも「短冊を書いてね」と色紙を渡された日、
長男は「ドラゴンボール(のまんが?)が欲しい」と現実的。
ようやく字を覚え始めた幼い次女はひとこと大きな字で
「りんご」と書いてみんなを笑わせてくれた。
かんじんの長女が何を書いたのか覚えていない。


そしていま、
グループホームには笹の葉が飾ってあった。
お年寄りたちは何を願うのか。。。
再び切ない七夕飾りをわたしは見るのだろうか。
でもほとんどベッド上で過ごしていた母が車椅子に乗っている。
車椅子を押してくれるスタッフの笑顔に救われた。

猫待ち

2012年07月02日 | Weblog
調べる。資料請求する。電話をして問い合わせる。
相談員さんに連絡する。会う。
たくさんの事柄があり毎日フル回転でアタマとカラダを
動かしている。
そんなある日、庭ですごく可愛い仔猫の鳴き声がした。
ベランダから見ると、母さん猫と仔猫の兄弟が通過中。
母さんは立ち止まってコドモを待つ。
ふわふわと小さい黒白仔猫はあちこち飛び跳ねて歩く。
ニャーニャーと独特の甲高い鳴き声があたりに響き、
近くで見たい、さわりたい、ほしい!とドキドキするが、
母さん猫がちゃんと引率してどこかへ立ち去った。

グループホームの前に猫さんたちがいると知って、
俄然、身を乗り出す。
猫さんたちはオトナからコドモまで6匹くらいいた。
猫さんたちが見える窓。
母が気に入ってくれるかもしれない。