羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

ナニカアル

2010年02月28日 | Weblog

ミクシィにつなげてよかった。何人かのマイミクさんからメッセージをいただいた。
五年も経ってから架けた橋を些か不安に思っていたが、
ミクシィの「かもめ」はここで羽を休めているので、「やあ」と気軽に声を
かけてくれると、ほんわかうれしい。

うれしいこと、そういえばあのひどい頭痛の回数が緩やかに減少しつつある。
レルパックスは一錠が300円位するし、強い鎮痛剤だから、一ヶ月に10回まで、
といわれていたのを16回くらい飲んでいた。
普通の片頭痛から「薬物乱用性」の頭痛へと移行しているようで嫌だったけれど、
ほんのすこし改善されつつある・・・たぶん。良かった。

嬉しいこと、その2.大好きな桐野夏生さんの新刊がでた。
「ナニカアル」さっそく図書カードで購入してきた。

写真は国分寺に見つけたアンティーク・カフェ。
とくにいろんな柱時計があって、どれも好きだった。



つながっているなら。

2010年02月27日 | Weblog
mixiとつなげることにしました。
何故今頃?それが自分でもさっぱりわからない。
マジメに更新しているとアクセス数が増える。
どうやらたくさんの方達が読んでくれている、という事を
どう考えればいいのだろう。。。
きっとミクシィから来てくださる方も(灰皿経由で)いらっしゃると
思うので、それなら、、という気持ちもあったかも。

どこかで誰かが誰かの日記を読んでいる。
公開される日記の危うさと愉しさ。自己顕示には「欲」という字がプラスされるから
恥ずかしいから隠しておきたい。。表裏一体。
雨は降るのか降らないのか、わたしにだってわからない。
降ったら小雨、もしかしたらどしゃぶり。
曇り空も好き、ぼんやり暗い、曖昧に憂鬱で、見つめ合うだけの無言の会話。
そして、ふいに訪れる青空の眩しさに驚きながら、
いつだってわたしは夕暮れ時を待っている。

「ここまで」、と書ける範囲にラインをひいて、またパソコンに向かう。

無垢の信頼は罪なりや

2010年02月26日 | Weblog
三鷹市報に載っていた「太宰治ウォーキングラリー」、それぞれが自由に参加して、
ポイントに書いてある言葉を書き込んでいく。
いつだったか次女が「斜陽」からこんな言葉を書き出していたのを思い出す。
「無垢の信頼は罪なりや」

その次女と自転車で出発して、最初に見つけたポイントは「連雀湯跡」だった。
そして、なんと!わたしの記憶がふと甦る。「ここは知ってる」
記憶を確かめるため、帰宅後、母に聞いてみたら、
「そうよ、あそこのお風呂屋さんに小さいあなた達を連れてよく行ったわ」。


お風呂屋さん跡にビックリしながら百日紅を探す。
このあたり、と思っていったら間違いだったりして、時間がかかった。




途中、太宰治文学サロンに寄り、スタッフのかたにいろいろ親切に教えてもらう。
ウナギ屋さんがわからないと言ったら、「ご案内しましょうか」とまで言っていただいた。
有り難いお言葉だったが、自転車なので辞退して、そこを出たところで、
同じようにラリーのカードを手にしている女性に会った。
この鰻屋さんで太宰はよく編集者と打ち合わせをしていたとのこと。


10箇所めのポイントは、あの有名な跨線橋。ここで夕陽や山並みを眺めるのが好きだったという。中央線にかかる陸橋で、当時の雰囲気がそのまま残っている場所だから、娘も感慨深いようすで黙って遠くを見ていた。
橋の上に座りこんでパンを食べている親子連れや、散歩の途中に足をとめる人がいる。


近所にこんなにゆかりの場所があったのか、と正直、驚くことが多かった。
山崎富栄の下宿先あと。最後の日、二人で死に場所を求めて出かけたそこは、
ほとんど多摩川上水の目の前。
二人はいつも、この川の流れを見て、そして何を話していたのだろう、ふとそんなことを思った。


今日のランチ

2010年02月26日 | Weblog
三鷹の「トーホーべカリー」はいつの間にやらすっかり有名になった。
わたしが子供の頃からあったパン屋さん。
新装開店して、あちこちで紹介され、お客さんも多い。
美味しいと思う。
そのパン屋さんの前からバスに乗って仕事に行くわたしはよくそこで昼食を買っていく。

最近、その近くにケーキ屋さんができた。
さらにその角を曲がって日本無線の方面に行くとまたパン屋さんがある。
天然酵母のパン屋さんSANAは店内に食べられるスペースがあり、
ランチセットもある。
これはアボカドとチキンのサンドイッチにひよこ豆のスープ、ヨーグルト。

今日はこれを食べてから、
「太宰治ウォーキングラリー」に出発した。
ただし、10箇所すべてまわるには徒歩では無理なので、自転車。
(駅周辺の8箇所でも参加可能で、それなら歩ける)
太宰が好きな次女と一緒。

2月ももうすぐ終わる。
ブログ、何故か火曜木曜は必ず更新していた。
たぶん明日に続きます・・・。

卯の花

2010年02月24日 | Weblog
先日、パン屋さんで貰った「おから」。
ようやく解凍して「卯の花」を作った。
人参、蓮根、牛蒡、さやインゲン、長ネギ、竹輪、と、
冷蔵庫にあったものを細かく切って炒り煮をしたら、
フライパンいっぱいの大量の卯の花が出来上がった。

食べきれないのではないか?と思うくらいだったけれど、
翌日にはみんなトーストのおかずにして出かけて行ったし、
いつの間にかなくなりそうだ。
それにしても「おから」は何故「卯の花」と呼ぶのだろう。
おからは足が早いから保存は冷凍で、と聞いた覚えがある。
いたみやすい、を足が早い、というのは面白い。
卯の花の卯、ウサギ、ダッシュ!


さて、次にわたしを待つのはトルコ土産のサフランだ。
黄金のサフランライスに初挑戦。
サフランは高価な香辛料だという。
これまた大量に頂いた。

「黄金のまどろみ」ゴールデンスランバーでも思い出しながら、
サフランを楽しむことにしよう。
知らない調理法を前にした時にはパソコンは有り難い。
新婚の頃はよく母親に電話して聞いていた。
「タケノコご飯ってどうやって作るの?」とか・・・。

そういえば、結婚した娘から「母の得意なひき肉とコーンのクリーム煮の
作り方を教えて」とメールがきたことがあった。

ある日、喫茶店で。

2010年02月23日 | Weblog
  
その店の名前は「カフェ・ド・スゥヴニール」。
記念品、とか思い出とかいう意味のフランス語だと思うよ、と、
ある日教えてくれたひとがいた。
すこし急な階段。重い扉。美味しいバナナケーキや林檎のタルト。
「アルバイト募集」という小さい貼り紙を目にするたびに
心が動いた。
ここに来るまでの時間や、仕事の内容や、自分の年齢を考えたりした。

そして、昨日、長女と行ったら、新しい店員さんが、
仕事を教わっていた。
真面目そうな大柄な青年だった。

わたしにとって、この店は大切な喫茶店。
「思い出」という言葉はそこに似合いすぎて、ひっそりと隠しておきたい。
中央線のとある駅の横道に、ためらいと期待の急な階段がある。



写真下は、娘たちからもらった誕生日のプレゼント。



朝の光の中で

2010年02月20日 | Weblog
品川のキャノンギャラリーへ椎名誠さんの写真展「五つの旅の物語ープラス1」を
見に行ってきた。
混雑を予想して午前中に行ったので、ゆっくりと見て歩くことができた。
一枚一枚に椎名さんの丁寧なキャプションが添えられていて、
じっくりと読み、写真を何度か見つめて堪能した。

「一枚の写真にはかならず物語がある。二枚になればもうすこし物語がすすむ。
もっとその先に、思いがけない話があるかもしれない。」とパンフレットには、
書いてある。

細々とした日々の雑事からすっかり解放されて、遠い異国へと思いを馳せた朝だった。












ロールキャベツ

2010年02月19日 | Weblog

今日、娘と自転車に乗り、井の頭公園を抜けて坂道をのぼり、
懐かしい道を通り(以前、ベビーシッターに通っていたお宅がある)
吉祥寺方面に出てカフェ「無花果」へ行った。

母娘がオープンした可愛いカフェ、と何かで読んで一度は行ってみたかった。
開店してから一年が経ったとのこと。
美人のお嬢さんとこれも美しく若いお母さまのお二人。
ランチは、この店のおすすめ「ロールキャベツ」と、
いろいろお惣菜10品盛り合わせを頼んで、娘と半分ずつ頂いた。

ロールキャベツは生姜の香りと椎茸の旨みがきいてとても美味しかった。
そう、ロールキャベツ、作るのも好きだし、お店で食べるのも好き。
吉祥寺には老舗の名店、「バンビ」があった。
いまは店名が変わっているが絶品のロールキャベツは健在。
それから、マイミクさんに教えてもらった新宿の「アカシア」・・店の前まで
行ってそのときは入れなかったので、次の機会のお楽しみ。


「無花果」はこじんまりした期待通りの店だった。
今度はケーキを食べてみたい。



「春を待つ手紙」

2010年02月18日 | Weblog

最近よく聞いているのが拓郎さんの「春を待つ手紙」。
昔よく聴いていた歌は時を経てふと蘇えってくるものだ。「ここでも、春を待つ人々に会えるでしょう、泣きたい気持ちで冬を越えてきた人」というところが印象的だった。


 「春夏秋は冬を待つ季節」というみゆきさんの歌もそういえば好きだった。

若い頃は、冬と秋はおなじくらい好きだった。
詩を書くのも秋と冬が多いような気がする。それなのに、この冬は詩も眠っている。

現実の出来事に目を奪われてあたふたしているうちに、詩となるべき言葉は沈黙してしまったようだ。
ほんとうをいうと、すこし焦りも感じている。
書かれなかった言葉たち、、。書こうとしなければ詩は生まれないのだから、生まれなかった言葉たちに努力を怠ったような申し訳ない気もしている。
「最近、書いていますか?」と松下育男さんも言ってくださったのに、「あまり書いてません・・・」と答えるしかなかった。
書くことができなくても、せめて「読む」ことは続けたい。
春がくるまでに、かすかな産声でも聞ければいいのだけれど。

 


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母と一緒

2010年02月16日 | Weblog
また雪?
二月はこうでなくちゃ・・・、といいつつも寒い。
日曜日、母が転倒してしまった。
その日、わたしは仕事で、すごく忙しかったが六時近くなりようやく、
集計をしているところだった。
夜は、同じ二月生まれの母と家族で外食をする予定だった。
わたしの仕事場に家族が車でくる途中、ちょっと買い物にでた間の出来事だったらしい。
娘が電話してきて「おばあちゃんが転んで、血がでてるから家に引き返す」と言った時は
動揺したが、救急車で運ばれたというわけでもないらしいので、
とにかく気持ちを落ち着けて作業を終わらせた。

怪我は、顔(唇)と、両足の打撲と擦り傷だった。
唇とその近くを切ったので唾液に混じって血が多い。
心細そうにわたしを待っていた。

父も、義父も、転倒してからどんどん具合が悪くなっていった。
母もどうなることかとおもったけれど、弱気にはなりつつ案外と元気を取り戻しつつある。
よかった。

そしてふと思った。
家族は「ちょっと買い物してすぐ戻るから待っててね」と母に言ったのに、
ひとりで車の外に出てしまったという。
わたしがいたら、ちゃんと付き添っていただろうか。
やっぱり、母を残して「すぐ戻るからね」と買い物に出たかもしれない。
すぐに戻るつもりが、ちょっと余計なモノまで見ていたかもしれない。

気を配ろう、とあらためて思った。

今日、母はまだ痛い足をひきずりながら、玄関の花かごに霧吹きで、
水をかけていた。
結婚した長女が、母の84歳の誕生日に、今年も送ってきてくれた。