羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

雨の吉祥寺

2010年07月29日 | Weblog
暑くてぐったりしていたけれど、今日は雨で過ごしやすかった。
娘と待ち合わせをしてランチ。
吉祥寺の「ラ・クールカフェ」という店を探して中道通りを歩く。
イチョウの大きな木がある近く、とどこかに書いてあった。
イチョウの木?と探しながら歩いても見つからず、
いつも見る可愛い洋服屋さんや、カエルの店や、輸入雑貨の店も通り過ぎた。
諦めて戻ったら、中道通りを入ってすぐのところに発見。
銀杏の木はたしかに近くにあった(通りに面してはいないけれど)
このブランチセットは850円。
二階なので大きなガラス窓からの眺めがよくて気に入った。

のんびりできた雨の休日。
これから3チャンネル「北山修、最後の授業」を観る。
四日連続で今夜が最後。

胡瓜を買いに

2010年07月27日 | Weblog
主婦はみんなそうだと思うけど、
朝、家を出るときから夕食のことを考えている。
冷蔵庫にあるもので作れるか、何か買って帰るか。
今日はサラダにする野菜を買いたいなと思ったから、
仕事場の前にある「庭先直販所」へ、昼休みに行くつもりが、
タイミングを逃し、夕方近くに行ってきた。

道路を渡ってキュウリを買いに。
たった一袋だけ残っていた!、セーフ。
キュウリとトマトをいただき筒の中にお金をいれて
クルマが途切れるのを待っていたら、
ププと合図がされて一台が止まってくれた。
でも反対側からもクルマががきてるからぐずぐずしていたら、
そちらのクルマも止まってくれて
(まあ、横断歩道なんだけど)
会釈していそいで渡ってきた。
事務服でトマトとキュウリを持っているオバサンは
車内の笑いを誘ったかもしれない。

それにしても「直販所」というのは意外にあちこちにあって、
もちろん安くて新鮮で美味しい。
以前(冬だった)、調布のほうで見かけて大根を眺めていたら、
「大根いるのか?」と庭の奥から出てきたおじさんに聞かれたことがあった。
「はい」とうなずいたら、
「ほれ、こっちのほうがいいだろ」と奥から葉っぱがふさふさの大きな大根を
持ってきてくれたことがあった。

直販所はたいてい無人なんだけれど、
生産者にお会いできると形の悪い野菜をオマケしてくれたり、
会話が楽しかったりする。

そういえば、先日やはり仕事先の知り合いから、
庭でたくさん出来た(というか出来すぎた)からといって、
大葉をわけていただいた。
その日はすこしお酢をいれたご飯に大葉をたくさん刻んでいれて
白ゴマをたっぷり混ぜて食べた。
暑くて食欲がなくなっている母も「あらおいしそう」と食べてくれた。

野あざみの記録

2010年07月25日 | Weblog
残念無念なことは重なるもので、
昨日はお誘いがふたつあったのに仕事で行けなかった。
ひとつは中野サンプラザの「グループサウンズ回顧コンサート」。
このチケットがあるよと誘ってくれたのは、
「D坂殺人事件」や「美代子的阿佐ヶ谷気分」など不思議な映画を
観に連れて行ってくれたOさん。
伊坂幸太郎の本も何冊か借りたままになっている。

もうひとつは駒場の近代文学館であった「詩人が読む福永武彦」。
小池昌代さんや長田弘さんら三人の詩人たちがパネリストとの事で、
この情報をいただいた時は(中野情報より前だった)
急いでバッグから手帳をだして勤務表を確認してガッカリした。

でも、昨日の様子をアップして伝えていただいたので、
うれしく拝見。
(Tさん、ありがとうございます)

そこに福永作品の「玩草亭・百花譜」のことがあり、
さっそく本棚からだしてきて、今夜は久しぶりに読み返した。
長田弘さんは「百花譜」の最初のスケッチが原爆投下の8月6日という
日付であることと「死の島」との関連性について述べていたそうだ。

まったく気がつかなかったけれど、たしかに最初のスケッチは、
信濃追分 風物写生帖 なつ で8月6日となっている。
病身の作家に見つめられた野アザミはしなやかな茎の上に
ほわほわと紅く咲いている。

クーラー壊れる

2010年07月20日 | Weblog
片頭痛がひどくなるから夏はそうとう苦手だ。
つよい冷房もイヤだけれど、さすがにこの夏はクーラーとお友達。
ところが!そのお友達のご機嫌がよろしくない。
リモコンがおかしいのかと思ったがそうではなく、
とうとう壊れたらしい・・・と、昨夜、気がついた。

今日は休み。
朝から気温上昇
暑くて思考能力は低下。
電気屋さんに電話で聞いてみたが、
何しろ何十年も前に購入した古いクーラー、、、。
部品もないはずなので、買い替えを勧められた。

やれやれ。
大切にしてきたつもり?だけど、お別れのときが来たようだ。

「手紙よ」と言われて涼しい母の部屋にいく。

猫の切手を貼った封筒の中に猫の絵はがきがあり友人から。
「愛娘ミミは子どもの頃から病気一つしないのが自慢でしたが、
やはり年齢には勝てず去る5月15日、天寿を全うしました。」
という文章があった。長く生きて愛された幸せな猫さん。
世田谷の自宅でお洒落な店を開く彼女のところへおじゃまするたび、
お店のすみで商品に隠れるようにして丸くなっていたミミちゃんを思い出す。


エアコンが壊れ、ミミちゃんに会えなくなったこの夏。
母が庭木を全部切りたい!と言い出した。
今日は植木屋さんが見積もりにきた。
あふれる生命力。
とても全部切る気にはなれない。

遠くにいる(2)

2010年07月15日 | Weblog
今日、仕事からの帰り道、意識してよそのお宅の屋根を見てみた。
これまで空ばかり見ていたけれど、
アンテナは実にシッカリと確定的にどこの家の屋根にも立っている。
行儀よく姿勢をただし任務に忠実だ。
電線もこんなに多かったのか。
歩きながら納得し、鳥の形に見える「何か」にも気がついた。
つまりあの日、遠くに鳥はいた。雨に濡れてアンテナにとまり、
小さく動いてもいた。
そして去っていった。
雨の日の「すり替え作戦」みたいに見分けがつかなくなったわけだ。

「遠くにいる」か「いないかもしれない」は楽しかった。

いま、松下育男さんと高階杞一さんというお二人の詩人の『共詩』を
公開なのでリアルタイムで読ませていただいている。
遠くにいても言葉が届く。
遠くにいるのもわるくない。
共詩や、連詩、という作業も興味深い。
わたしにも遠くにいて、思い出したように言葉を交わすひとがいる。
鳥か鳥ではないかと愉しむのに似ている。
見方や意識によって変わるものだから、
言葉もまたそれぞれ自在に変化していく。

遠くにいる

2010年07月14日 | Weblog
ふとパソコンから顔をあげたら鳥がいた。
隣家の屋根のさらに向こうのアンテナ。
雨を見るつもりで投げた視線の先で、
鳥は羽をたたんでアンテナの端にとまり雨を受けている。
何の鳥だろう?
遠すぎてわからない。
オモチャみたいな双眼鏡を持ってくる。
窓をあけて見る。
隣家が留守でよかった、そうでなければちょっとアヤシイ。
むかしむかし野鳥を見に行っていた頃に使っていた双眼鏡は、
たしか押入れの奥にしまいこんであるからとりあえずこの
冗談のようなプラスチックの双眼鏡で・・・。と見てみると、
鳥がいた場所に鳥らしきものは姿勢をかえてそこにいる。
尾も羽も輪郭は定かではなく「こっちを向いた正面!?」と考えてみる。

雨がつよくなってきたよ、こっちにおいで、と心の中で呟く。

よくよく見てみるとかすかに動いているから鳥に間違いない。

なんだか気になって、時どき窓の外を見ていたけれど、
いつまでもみているわけにもいかず、とうとう夜になった。
一夜明けてまず隣の屋根のさらに向こうのアンテナを見る。
信じられないことだけれど、まだそこに鳥らしき何か、がある。
とうとう娘に確かめてもらうと、
「うん、そうみたい。あのふくらみかたは鳥だね、遠いけど。」

だけど、同じ鳥が同じ姿勢でいつまでもいることはないだろう。
仕事から帰っても遠くには何かが見える。
こんど、押入れからちゃんとした双眼鏡をだしておこうと思った。
隣の家の窓が目前なので、すこし気が引けるけど、。



花を見つけた日

2010年07月12日 | Weblog
タリーズベアなんて喜んでいたら、タリーズの誰かが当選した。
どうなんだろ??と疑問もちらつく眠い月曜日の朝。
どうでもいいけど連発される「アジェンダ」が女の子の名前みたいだ。
「マニフェスト」という単語が飛び交っていた時にも多少違和感があった。
だけどとにかく棄権はしない。
手元の参政権は当たり前にあるものではなく女性が勝ち取ってきたものだから。

などとかっこよく言っても実は政治はわからないことだらけで、
ほんのすこしのわかる範囲で、できることをするだけだ。
「子ども手当てじゃなくて就活手当てがほしい」と言っていた次女と、
なつかしい小学校の投票所へ。
ほんとに交通費も昼食代も、もう一年近く毎日、相当な金額になりそうだ。

家の前のアスファルトの隙間から赤い小さな花が顔をだしていた。
以前、ビオラが咲いていたところかもしれない。
野生化したビオラはたくましいスミレの雰囲気だった。
この花も園芸種から飛んできたのだろう。
つよくたくましく咲いてほしい。

七夕のくま(ピンク)

2010年07月08日 | Weblog
母と病院に行く日。予約した時間の前に着いたけど、
いつもより多くのひとが順番を待っている。
ほとんどが付添い人と一緒のお年寄り。
そのうち、看護士から今日は診察が遅れているので、
まだまだ待ち時間あり、と発表されて皆が何となく顔を見合わせる。
素早く昼食をとって来られるような人は誰もいない。

母に「どうする?」と聞いたら、
「ここにいたくないからどこかへ行く」という返事。
「どこか」・・・。この上に屋上があるかと調べたが教授室しかない。
とりあえずエレベーターに乗って一階に降りついでに外へ。
母の歩調を考えて近くのコンビニまで行くことにした。

結局、三時間近くも待って、
ようやく医師から聞いた話はまあ予測はしていたけれど、
喜ばしいものではなかった。
でも母はいつも変わらずおっとりとしている。
疲れた、と言いながらイライラする様子もなく、
付き添う立ち場からするととても楽。
たぶん、明日になったら医師から言われた事の大半は忘れているだろう。

今夜は雨の七夕。
コンビニでピンクのタリーズベアを見つけた。
このシリーズは小さく光るライトがついている。
ピンクのくまは足元にライトがついているため自立できない。
しかし意外なほどシッカリと暗闇を照らしてくれる。

ステル

2010年07月02日 | Weblog


捨ててしまえばいい

あれもこれもいらないと思うのに

じぶんの詩が載っている雑誌は捨てられない

じぶんにあてて書かれた手紙や

ひとこと添えられたやさしいメモ書きさえも

もう一度読んでまたしまう

捨てても棄てても未練がましくのこるもの

ちっぽけなプライドの上にひとたちのやさしさを重ねて

部屋の隅に片付けたつもり

あとはなにもすることがなくて

生ぬるい午後を裁断するような

はげしい夕立を待っている