羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

りすにあいに

2013年01月30日 | Weblog
風邪気味だったけど薬も効いてだいぶよくなってきたので、
昨日も今日も冬の日差しをあびたくて散歩。
猫の本を続けて読んだせいかやっぱり猫がほしい。
駿じゃなきゃヤダと思ってきたけれどすこしこころの変化。
それで仔猫、落ちてないかな~と思いながら歩く。
落ちてたらぜったいポケットに入れて帰ろうと思う。

昨日、うちに帰ってきたとき玄関先にすごく大きな猫がいた。
持ち上がらないだろうと思うくらい太って大きかった。
それがあの、いくえみ綾さんのコミックにでてくる「チョビッコ」に
あまりに似ていたので(模様と言い顔つきといい体格といい)
思わず「チョビッコさん?」と話しかけてしまった。

相手はしばらく不審な顔でマスクしたわたしの顔をみていたが、
写真とろうとスマホだしてる隙に消えていた。

今日は井の頭自然文化園へ散歩。
最近66歳と日本一高齢になったぞうのはな子さんをベンチから眺めた。
近くに「はな子カフェ」という売店があったので
サンドイッチランチ。
                


そして懐かしい植物園へ。ここは南国の熱帯植物園で鳥も飛んでいる。
閉園?という記事を最近読んだような気がする。

今日の目的は「リスの小径」そういえば去年の台風で出入り口が壊れて脱走したリスが
何匹もいて話題になった。リスには思い切った大冒険だっただろう。
このリス園の中でも縦横無尽に走り抜けるリスたち。見ていて飽きない。

薬膳粥

2013年01月25日 | Weblog
ようやく母の退院が決まった。
待っていてくれるホームに連絡したところ、
ノロウィルス感染者がでてしまったので、
できればもうすこし時間を、、、とのことだった。
ノロはわたしも数年前にかかったけれど苦しかった。
でもあのときは高齢の母にも家族の誰にもうつすことなく、
ひたすら猫と寝ていた。
そんなことを思い出しながら病院へ母を見舞い、
「もうすぐ退院できるよ」と言って喜ぶ顔をみて安心した、その夜、
何故か気分が悪くて目が覚めた。
「え!?まさか・・・」と真夜中じっとしていたらいつの間にか眠っていた。

そういえば理由もなく食欲がなくなったりすごく眠くなったりすることは
たまにある。
自然にしていればいつの間にか復活している。

花小金井にある前から気になっていた「茶房 萌木」に行く機会が訪れた。
古民家ふうのカフェ。木の扉をあけてスリッパに履き替えて入る。
ちょうどよいことに「薬膳粥」があって迷わずそれをいただく。


身体の底から温まり本当に美味しかった。これで600円は安い。

               店内

この写真の真ん中、ランプの斜め上にお客さんが作ったという小さな小さな白猫さんが
火鉢のそばで寛いでいる。猫さんは2㎝ほど。

近頃の冬と本

2013年01月23日 | Weblog
近頃。
壱、父の十三回忌。お墓には卒業生さんたちのお花がいっぱいだった。
  入りきらない花はお隣のお墓に。ここも親戚だよ、誰?と娘が聞く。
  おじいちゃんのお母さんの実家。そっか~。ひとまわり小さな墓石に冬の日差し。
弐、美容院で飲んだゆず茶が美味しかった。
  家に一個残っていたのを思い出し、きれいに洗う。細かく刻む。
  はちみつと煮る、ゆずマーマレード完成。お湯で薄めて飲む。温まる。

(そういえば墓参りの冬の日、息子に母の髪が赤い、妹の髪が緑、末っ子は茶色と言われた。
 わたしのは赤ではなくワインカラー、と訂正しておいた、しかも白髪を染めただけ。)

三、雪道がとけて、ひだまり散歩にすこし歩く。
  思い出して三鷹台の「キッチンひだまり」に行く。
                 
         

  今日のお魚ランチ。メカジキのソテー、ポテトサラダ、高野豆腐の煮物等などと玄米ご飯。
  840円。食器も手製の温もり。

さてそして近頃は図書館に予約しておいた本が順調に回ってきているので、
たいていいつも夜は読書。
あるいは楽天レンタルしたDVDひとり静かに鑑賞会。

小川洋子さんの「最果てアーケード」酒井駒子さんの装画がかわいい。
谷川直子さんの「おしかくさま」は話題の新作。
そしてこれ井上荒野さんの「さようなら、猫」表紙からして切ない。

       

雪道

2013年01月15日 | Weblog
昨日出かける前には想像していなかったほどの雪が東京に降り積もった。
友人と恵比寿の写真美術館で「いつか見た風景」北井一夫展を観終わって、
新宿に出てランチでも、、、と思う頃にはもうそうとうな雪が暗い空から
しきりに落ちてきていて、それは容赦のない吹雪のような壮観な景色だった。

ランチしてお茶を飲んでもやむ気配がないので、とうとう帰ることにした。
友人と別れ、大江戸線で東中野に出て総武線に乗ろうとしたら運休中の札。
他に方法がなくまた地下鉄大江戸線に乗る。飯田橋まで行って東西線で
帰ろうかと考えつつ車内でスマホで調べていたら東西線も三鷹へ行く電車は
止まっている、とわかり何度も大江戸線に戻りながら結局また西新宿から
JRに乗ってようやく帰ってきた。
東中野で「JRは7割運行していますがかなり遅れています」と聞いたので
ものすごい混雑を覚悟していたが案外大丈夫だった。

今日は青空がでているし雪道もとけ始めていたので母の病院へと向かった。
しかしバスがこない。病院は不便な場所にあってあてにならないバスが走っている。
でもそのバスに土曜日乗れたので今日も期待したのが間違いだった。
北風が冷たく、コートの中に顔をうずめて時々くる行く先の違うバスを見つめ続け
30分位立ち尽くして、
タクシーでいいからと思ってもそれもこない。
結局他の病院へバスで行きそこからようやくタクシーをひろった。

母は日に日にボンヤリしてくるようだ。
日に日に快復して元気になって退院する人たちとは違う。
できていたことができなくなる日々、それが高齢者の入院生活だ。
わたしはそういうひとたちを何度もみてきた。
でも飲食禁止だった母がジュースを飲めるようになっていたし、
やはり検査が終わるまでは仕方ないのだろう。

夕方になり病院をでて久しぶりに「風待文庫」に向かった。
「寒い寒い」というわたしに店主kazeさんがいれてくれた紅茶、美味しかった。
先刻あまりに北風に吹かれてバスを待っていたせいで頭痛になりかけていた。
だからkazeさんがご飯に誘ってくれたけれど帰ることにする。
これ、どう?とふかふかニット手編みの帽子をkazeさんがかぶせてくれた。
あ、似合うわよ、プレゼントしてあげると彼女はやっぱりお姉さんみたいなのだった。
おかげさまで帰りは暗い雪道だったけどもうそんなには寒くなかった。


衝撃の誤報

2013年01月09日 | Weblog

母は日曜日の夜、前回と同じ症状が突然おきて救急車で入院した。
でも本人はほとんど自覚症状がなく下血もおさまり私たちはホッとしていた。
たぶん1~2週間で退院できるはずだった。

ところが、、、。
昨夜、病院から電話があった。
家の電話で話中のわたしの携帯が鳴った。
家の電話を切ろうとしたら携帯も切れてしまい発信が病院だったので、
「!」と思っているうちにすぐにまたかかってきた。
「血圧が下がり始めて、意識レベルが低下しています。」と言う
衝撃の連絡だった。

あんなに元気そうに見えたのに高齢者は急変するんだ
突如訪れた非常事態に、もう半泣き
とにかく急いで兄に連絡し長女にも連絡した。

入院する前日、母は旧式の自分のカメラで写真の撮りっこを楽しみ、
スタッフに「一緒に撮って」と頼んでわたしをベッドの横に座らせた。
一枚目で「あ、動いちゃった」というので「じゃ、動かないように。」と
わたしが母の肩を抱いて寄り添ってポーズ。
母とわたし、けして仲良しとはいえなかった二人の初めてのにこにこツーショットだった。

そんなことを思い出すと涙がでてとまらない。
シッカリしなくちゃ、と病院に到着。
ナースセンターで名前を告げると何故かざわついた不穏な空気が流れ、
「あ、彼女、間違って電話したんだ・・・」と誰かが呟いて力が抜けた。

すぐにその間違い電話をした看護士が階段をかけあがってきて
平身低頭で謝罪された。
「○○さんの携帯ですか? ○○さんが、、」と私の名も母の名前も言ったから
まさかこういう顛末になるとは思ってもいなかった。

兄に「間違い!」と電話したら自分はお酒を飲んでいたので長男次男を呼んで
品川からこちらに向かっていた。
娘もすでにタクシーの中だった。

たとえば容態があまりよくなかったら、ある程度の「覚悟」もする。
しかし今回ばかりは不意打ちだったのでショックが大きく、
いくら謝られても「ははは」と笑えるようなものでもなかった

とにかくその夜は母の穏やかな寝顔を見てから帰宅した。
今日、もちろん「元気な」母に会いにいった。
もっともっと母に優しくしよう、そう思えたことで、
衝撃の誤報もまあ「良かった」とは思えないがよしとするか。
ところで家人がぼそっと言った。
「あのさ、苗字の似てる別人と間違えたって言ってたよね、そちらの家族へは
ちゃんと連絡し直したんだろうか、、、間に合ったのかな、、」。。。

おみくじ

2013年01月05日 | Weblog
大晦日に中村文則「掏摸」を読み終えた。
「新年おめでとう」という雰囲気からかけ離れた小説だったが
このひとの作品をまた読もうと思った。
(そして「スリ」の小説だったので
 正月の混んだ電車の中でちょっと用心深くなったりした。)

元旦は穏やかに晴れていた。
母のところへ自転車を走らせた。
母は何でもよく分っているところがあるので、
お正月なのに誰もこないの?と寂しがっているかと気がせいたが、
心配はいらなかった。
皆さんで初詣に行き母は車椅子で連れて行ってもらったそうだ。
そしてカルタとりもしたとのこと。
母のメモに「かるたとり、いちばんだったよ、ミヨ」とあり自分の顔まで
書いてあって微笑ましくて嬉しかった。

二日には家に帰ってきてもらった。
孫たちに囲まれてほんとうに嬉しそうだった。
そのとき「おみくじ入りクッキー」をみんなで一個ずつとり
ああだこうだと大笑いした。
今日、母のところへ行ったらその小さなおみくじがちゃんとテーブルの上にあった。
(中吉だった)
ああだこうだ笑いながらぽいと置いていった人たちもいたが、
母はちゃんとカーディガンのポケットにしまって持ち帰っていたのだ。

ところで母は、何故かいろんなものを紛失する。
今日は卒業生さんから頂いた新しい手製のカレンダーが行方不明だった。

「またなくしちゃったの!?」と家にいる頃は何度言ったかわからない。
責める口調になっていたと思う。
ホームに入って良かったことはわたしに心の余裕ができたことだ。
どうしてなくなるのか、、捨てた?のかわからないが、もう以前のように
イライラすることはない。
『誰のせいでもない』
小さなおみくじの紙片がテーブルのすみっこで「そのうち出てくるさ」と
いっていた。