羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

自転車に乗って

2011年05月31日 | Weblog
新しい仕事が決まるまでは古本屋バイトだけ。
時間がたくさんある・・・と今は思っている。
まずたくさん溜め込んでいた母の洗濯物をあちこちから出して、
(隠してあったりするので、あらこんなところに、と発見した)洗濯して干し、
それから頭痛外来へ一ヶ月ぶりに行き、午後は歯科の定期健診。
歯科は本当は母の予約もとっていたのだが、ちょっとまだ無理なので、
ひとりで行った。
それがすぐに終わったのでふと思いつき図書館へと自転車を走らせた。
駅前の図書館ではなく、よく子どもたちと行った懐かしい東部図書館へ。

図書館の前には細い黒猫がいた。
(行きも帰りもいてくれた)
読みたかった雑誌(クロワッサン)と桜木紫乃さんの単行本、それから
野原すみれさん(名前が・・・)の「がんばらない介護」
そして、ひそかに計画している旅のガイドブック。
これで今読んでいる梨木香歩さんの「f(エフ)植物園の巣穴」のあと読む本に
苦労しない。

細い黒猫の後姿(ふん・・・と歩いて行ってしまった)を見送ってから、
自転車で走ると、行きも知らない道に出たが帰りもまた、、
走り慣れた図書館からの道だったはずなのにいつの間にやら見知らぬ道へ。

母の好きなクリームパンを買って帰る。
夜ご飯の支度をしなくて良い日なのでなんだかうれしい。
いつもいつも五人分の夕食やお弁当の事が頭から離れなかった日々を思う。
そう、あの図書館に通っていた頃。何年前だろう、道も変わるわけだね。

ふと思いついて古いマニキュアを処分する。いつかやろうと思っていた。
いつか、、、と思っていたことをやり始めるときだ。




退職

2011年05月30日 | Weblog
有難いことに多くの方々に「さびしくなるよ」「元気でね」と
言っていただいた。
よく古本をわけていただいた警備員さんから紙袋いっぱいの本。
「姉妹店」のような存在の先輩から頂いた藍染めのエプロンが、
メーカーさんから頂いた和風のカップと色合いと雰囲気が偶然よく似ている。
お菓子もケーキも珈琲も嬉しかった。
面接で採用してくれたひとは当時、カッコイイ独身だったけれど、
今では「イクメン」パパ。今日は花束を手にして現れた。



いつも本の話題で楽しく過ごした新聞社の若い彼も、会いにきてくれた。
「帰ったらあけてください」と手渡された包みが気になって、
夕方そっとあけてみたら、優しい朱色のブックカバーと揃いのカードケース。
これも和風の模様がすごく素敵で「かわいい!」と思わず声にだしていた。

こんなにもたくさんの人たちに支えられてきたことをあらためて思った。
仕事内容もまったく分からずに入って四年半。
対人関係をきついと感じ「辞めたい、でも周りがみんないい人だから
辞めたくない」とくり返しくり返し思ってきた。

その葛藤を知っていた長女が先日「退職祝いだよ」と井の頭公園近くの
レストランを予約しておいてご飯をご馳走してくれた。

もちろん、次の仕事をもう探し始めている。
開放感もさびしさもあるけれど、ひとつの区切りを笑顔で迎えられたことを
たくさんのひとたちに感謝したい。

250円の幸せ

2011年05月28日 | Weblog
ドライブに連れて行った兄の推測どおり母は、帰宅後数日してから
からだの不調を訴え始めていろいろなことがまた出来なくなった。

でも、昼間は留守番して待っていてくれる。
四点杖に頼ってトイレにも行く。
テレビの前とキッチンは数歩なので好きなものを食べる。

退院直後から先日までは徐々に元気を取り戻して、
郵便受けに取りに行って新聞を読み、洗濯をして二階のベランダに干す、
というところまできていた。
次女が五月始め、一ヶ月ぶりに帰宅したとき「おばあちゃんがエプロンして
台所掃除をしてる!」とビックリ仰天していた。

その快調のままドライブにも行ったけれど、やはり帰宅後の疲労は大きく、
だいぶ逆戻りしてしまった。本人が一番つらいだろうと思う。
以前じぶんがどれくらい回復していたか、という記憶はないようだけれど。

トイレ洪水事件もあれば、異臭騒ぎもある。
食事を片付けにいけば咀嚼して口から出たものが必ず残っている。

やさしくしてあげたいのにイライラしてイライラが態度にでてしまう事も
変わらずにある。

でも、昼間はわたしは外出できる。
いつも携帯を気にかけてはいるけれど。
大好きなドイツパンのお店に久しぶりに行った。
ここは必ずひとりで行く(誰にも教えていない)。
二階の窓ガラスに面したカウンター、同じ椅子がいつも必ず空いている。
一階でパンを選んで二階で飲み物を頼む。
クリームチーズとトマトとレタスのセサミブレッド。
クルミいりライ麦パンのチョコサンド。
小さな薄いサンドイッチ、250円のささやかな幸せ。
この店を見つけてもう5年くらいは経つだろうか。
「ほんとうにひとりになれる」場所。ここがあって良かった。

介護の日々

2011年05月20日 | Weblog
かならず誰かが傍にいて目を配る日々を過ぎて、
母は昼間なら一人でも大丈夫なようになった。


相変わらず入浴や洗髪は乗り気ではない。
さわやかな五月の朝、「お母さん、そこの美容院に行こうか?」と
声をかけてみた。何度もかけた言葉、気のない返答。
その日も声だけかけて二階で新聞を広げていたら、
母がゆっくりと階段を上がってくる。そして「何時頃行くの?」と、
すっかり身支度を整えて口紅さえ薄くつけていたので、
部屋着で朝食の皿もそのままに寛いでいたわたしは大慌て。
母の気が変わらないうちにと急いで顔を洗って着替えて、
一緒に外に出た。外を歩くのは何日ぶりか、シャンプーは何日ぶりか、
髪を切るのは何ヶ月ぶりか、、、、。

帰り道、母はすっかりご機嫌で「ああ、さっぱりした」と何度も呟いていた。


その数日後、用事があって家を空けることになり、
夜にわたしが不在なのは初めてなので兄が来てくれるという。
兄はいつもいつもわたしと母を助けてくれるので、有難い。
が、しかし、母をドライブに連れて行って伊豆に一泊するというので、
にわかに心配になった。
わたしは紙袋に母のお泊りセットを作った。
「パッド(昼と夜)、下着、ソックス、化粧品、、万が一のための介護用品など」

当日は「帰りたいと言っていないか、下着を濡らして困っていないか」と、
まるでじぶんが母親になったようで内心苦笑いしつつ、
兄からのメールで「万事オーケー」と知りひと安心。

無事に帰宅して「船に乗った」と何度も嬉しそうに話してくれた。

そして昨日、また母がゆっくりと階段を上ってきた。
「どうしたの?」と聞くと「これ」と手の中にわたしが書いた「お泊りセット」の
説明書きがある。「これね、旅館で見つけて涙がでそうになったの」という。
「こんなヘンな親なのになんていい子なんだろうって」、、、、。

正直なところ、ものすごくビックリした。
母はおとなしいひとだけれど強気で、泣いたところなど見たことがない。
テレビを見ては泣き、ケンカしては泣き、駿がいなくなった時も号泣したわたしとは
大違いだ。

母も弱気になった、あらためて当たり前の事を思い、感謝の言葉を面と向かって
かけられたので「そう、良かったわ」と照れ笑いしながらも、
洗濯物を取り込みながらベランダで泣いた。

介護をしていて「もうイヤだ」と思ったことは何度もある。
病気だとわかっているのにやさしくできなくて後悔することも度々ある。
置いておいた食べ物をどんどん食べちゃっても、
わけのわからないことをくり返し言われても、まだまだタイヘンなのは、
これからだと思う。
母が言ってくれた言葉をいつも思い出しながら向き合っていこうと思った。


長靴の女の子

2011年05月18日 | Weblog
日曜日の夕方、「トイレ貸してくださーい」と若いママがやってきた。
「どうぞ~」と椅子から立ってみるとママは小さな女の子と一緒だった。
「ありがとうございました」と礼儀正しく彼女が去っていくとき
ふとおチビさんの足元に目がいって「可愛い長靴!」と思わず声をかけていた。
カエルの顔したかわいい長靴だった

「あ、この子、長靴ばかり履くんです、、、もう困っちゃって、、」とママが言うので
「そうそう、うちの子も同じでしたよ、お気に入りの長靴ばかり履いて、
じぶんでスポッと履けるからうれしいらしくて、、、」という話をした。
ママの顔が心もち明るくなり「お天気なのにいつも長靴で、何か恥ずかしくて、、」と言う。
「いつかは直るっていうか、ちゃんと靴も履くようになるんでしょうか」、、、、。

もちろんですよ、と笑顔で休日の夕刻の会場へ送り出した。
小さいながらも毅然と意思を持った二歳くらいの女の子は繋いだママの手を前へと誘う。

その表情がいつまでも心に残り、外へ出る、ということは「出会う」ということだと思った。
今月、あと数回行って終わることになった。

融通の利かないシフトに縛られて不自由だった日々からようやく解放される。
六月の手帳が白くてまぶしい。

「よく頑張ったね」

2011年05月12日 | Weblog
仕事を辞めることについて、周囲の人たちに告げ始めて数日。

「え!?」とこちらがたじろぐほど驚いてくださる方も思いのほかいて、
ここで働いた四年半の長さを思う。
わりと近くに同じ会社の「姉妹店?」みたいな存在の場所が有り、
そこの皆さんには本当にお世話になったし、いつも愚痴や泣き言も、
聞いていただいた。
じぶんから話すことはなくても、わたしの前任者が二人も辞めている事もあり、
「どう?」とよく気をつかってもらった。

そのうちのお一人に先日、電話で「わたしはもうひきとめられない、
よく頑張ったね、と言ってあげたい」といっていただき本当に嬉しかった。

仕事自体は毎回いろいろな場面があり、どうにか対応できるようになった。
メーカーさんには仲良くなったひとも何人もいる。
長女が事故に遭ったとき(それでもなかなか休めなかった時)、
「あとは任せて、病院に行っておいで」と言ってくれたひともいた。
何人ものメーカーさんの女性が他へ移ったりり退職したりしたが、
今でもメールをしたりランチをしたりしている。

それにひきかえ同じ職場内の対人関係はほんとうにつらかった。
この年齢でこういうひとがいる、ということには驚きさえあった。

たぶんこちらにも落ち度はあったと思う。
「気が合わない」だけのことではないのだと思う。

本当に体調も良くないままなので、周囲のひとたちにはそういう理由にした。
(咽頭痛が治らないまま医者に耳鼻科へ行くように勧められ、
検査して結局、原因不明、、、という情けない状況、、、

パートだから毎日行くわけでもなく、それでも慌しいキャンペーンも
このときばかりは協力しあって分担してどうにか終えた。
残りあと何日行くかまだ分らない。
今日も終業ギリギリまで集計作業をしてきた。
出来うる限り一生懸命さいごまで仕事をしようと思う。

猫鳴り(沼田まほかる)

2011年05月06日 | Weblog
毎日寝る前に楽しみに読んでいたが、「もっと」と思いながら結局、
早く読み終えてしまった。
未消化の部分もある気がする。ありがちな「猫物語」でもなかった。
でもやはりこの本はかなり好きだ。
まほかるさんの著作は何冊か読んできたがここへきて彼女の筆力を
再認識した。
とくに仔猫の描写が力強い。
棄てられても棄てられても戻ってきた仔猫が、幾度も追放されたあと、
もう人の手元には戻ろうとせずに「確信をもった懸命な足どりで逆の方へ」
森の奥へ歩いて行く、読者にようやくつかの間の安堵が訪れる場面だ。
彼方に待ち受ける不安や怖れにも向かっていけると思わせる。


この本を読んでいたらまた仔猫が欲しくなってしまった。


忙しかった連休の谷間。
今日も慌しく一日が過ぎた。
先月決めた五月のこと。
今月中にこの仕事を辞めようと思う。
もう一ヶ所、古本屋のバイトだけは続ける、もちろん。
今日、一番近しい立場の人が話をしに来てくれた。
ひきとめたい、と言っていただけるのは有り難いと思う。
でも後悔はしない。前へ進む。(仔猫だって力強く生きていくんだし)
まだまだ連休の作業、たくさんある。