羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

ミッドナイトプレス

2005年05月31日 | Weblog
このところ体調が悪く、薬を飲み続けています。
同じように娘も、体調不良です。
今日は二人ともバイトが休みなので、
市役所へ障害者年金の手続きに行きました。
でも医者が書いた診断書に不備があり、たぶんダメ。
連絡を待って最初から書類を揃え直すことになるかもしれません。

かなり疲れた足取りで帰宅。
ポストに、詩の季刊誌『ミッドナイトプレス』を発見。
封を切る時は少しドキドキ・・・。
果たして、投稿作品は今回も掲載されていました。

この状況での作品評価は、
本当に嬉しく励みになります。
もちろん真っ先に娘に伝えました。
それから恋人にメールしました。

詩を書くこと、気持ちを表現することは、今は亡き父から
受け取ったものです。
詩集は父の遺影の前に置きます。

子供の病気

2005年05月27日 | Weblog
以前、わたしの持病(偏頭痛)が、結婚生活に影響した、
ということを書きました。
今回、子供の病気が夫婦に与えた影響について
考えてみたいと思います。
『モデル体験!?』で書いたように、長女は一級の障害者手帳を
持つ腎臓病患者です。
小さい頃に発病してから今まで、実にいろんなことがありました。

すこしずつ、けれど確実に進行して行く病気。
治らない病気。
当初、「早く良くなるといいね、きっと元気になるわよ」と
励ましてくれる人たちに笑顔を返すのが辛かったものです。
完治することはない、けれどきっと命まではもっていかれない。

わたしは、泣いて、泣いて、集中して泣いたあとは
頑張ろう、と決意しました。
一番つらい本人の前で決して泣くまい、としました。
そのとき、長女は9歳で、上に年子の兄がいて、
下にはまだトレーニングパンツでオムツはずしの最中の
小さい妹がいました。

わたしは情報を集め、本を読み、「腎臓病とネフローゼの子供を
守る会」に入り、転院を決めました。
そのときにはいわゆる「ドクハラ」ドクターハラスメントを受ける
という経験をしました。
ギリギリの気持ちで長女と幼い妹を連れて帰宅し
家で待っていた母に声をかけられたとたん
涙がぼろぼろとこぼれてきたのを覚えています。

そうしてわたしが必死だったとき、
夫はわたしの頑張りを見て安心しつつ、同時に、
自分へ関心を向けなくなった、という点で寂しい思いをしていた
ようです。

たしかにわたしは「夫よりも子供」だったのでしょうね。
もう、夫婦は夫の望む甘い恋人同士ではなくキスもしない二人。
でもわたしはいつでも支えが欲しかった。
精神的にも身体的にも強くはない自分は、次第に孤独感を
感じるようになってきました。

会社をやめたい

2005年05月24日 | Weblog
「会社、やめたいなぁ、、」
結婚して25年、この言葉を聞いたのは、
昨夜も含めて何回めでしょう。

その度にわたしは夫の話に耳を傾け、
励ましたり、同情したりしてきました。

三人の子供たちの教育費、家のローン、
時には車のローンまで、家計はいつもギリギリでした。
でもかつて、夫が「独立したい」と言い出したとき
わたしは反対しなかったのです。
あとになって「家族のために諦めた」という後悔を
してほしくなかったから。
夢を追いかけさせてあげたかったし
家のことは『どうにかなる』と考えました。

でも長引く不況のせいもあり、
我が家の少ない貯金もすべてなくなって
6年ほどで会社はダメになりました。
残ったのは夫がわたしに相談もせずに重ねていた借金の山。

その時はどうにか夫を元気づけて、我が家も再出発しなければ、
と焦ったものです。
落ち込んでばかりいる夫は何も行動しなかったので、
わたしがサラ金の相談会に出向き弁護士も見つけました。
数社のサラ金と信用金庫への借金返済の日々が始まりました。

ようやく新しい仕事を見つけた夫には、退社後の数時間も
コンビニでも働いてもらうことにしました。
もちろん、わたしもベビーシッターの仕事を増やしました。

その頃わたしは一日に何度、食事の支度をしていたのかしら。
朝食、家族の弁当、夕方にはコンビニ行く前の夫の軽食と、
塾へ行く前の息子の軽食、そして夕食の準備をして、
夕方からの仕事へ行きそのシッター先の家でも
子供に食べさせる食事を作っていました。
その頃自宅では、長女と末っ子が二人で、ご飯を温めて
食べていたのです。寂しい思いをさせました。

あの頃、表面的には『夫婦助け合って』苦難を乗り越えて
きたかに見えます。
でもわたしは『いざ、という時この人は頼りにならない』と
思えてしかたありませんでした。
(サラ金からの電話応対したのもいつもわたしだったし・・・)

それからさらに7年ほどが過ぎました。
『会社、やめたいなぁ』とまた夫の嘆きが聞こえるようになりました。
サリーマンというのも苦労は多いと思います。
でも今度はせめて、
末っ子が成人するまで我慢して欲しい、、と思っています。
でも今度の夏のボーナス貰ったら、、、とか言ってるし、
さてさて、どうなりますことやら・・・。

『核心部分』はそこかも!?

2005年05月21日 | Weblog
ゆうさん、また来ていただいて嬉しいです。
そう、なかなかどうして『夫婦は助け合えない』
ものみたいです。
わたしはいつもいつもそのことで
失望してきました。
愚痴を正当化したいのか、誰かに聞いて欲しかったのか
このブログの『核心部分』は実はそこかもしれない。
それはこれからじっくり書いて行きます。
また遊びに来てください。  すみれこ

夫婦で映画

2005年05月21日 | Weblog
夫に誘われて渋谷へ映画を観に行って来ました。
『夫婦50割り』どちらかが50歳以上なら、
ひとり千円で映画が楽しめる。
この割引制度はグッドアイデアだと思います。

観たのはフィーメールという日本映画。
『エロス』をテーマにした女性作家五人の短編を
オムニバス形式でそれぞれ仕上げています。

テーマがテーマだけに、密度の濃い仕上がりに
なっていて大胆なシーンも多かったです。

早めに着いて軽く昼食を食べ、
映画のあとはケーキで満足。
この割引を利用して夫婦で何度か映画を観に行きました。
たいてい、夫がこづかいから映画代やお茶代を
出してくれるのです。
『恋人同士みたい』が好きな夫は嬉しそうだし、
わたしも楽しいから、なるべく夫の希望に
添うようにそっと腕を組んでみたりします。

子育てを終え、また戻ってきた夫婦の時間。
こんなふうに仲良くやっていければいいと思います。
でも、いつもいつも一緒!というのはどうかなと・・・。

わたしはわたしで、自由な時間も欲しいのです。
こうして夫婦で外出するようになる前、
わたしは強く自由に憧れ、目は家庭の外へと向いていました。
その頃は、一緒に映画観賞をするボーイフレンドもいて、
映画好きなその人は、そう、
『文学に見る大人の恋愛』で触れた高樹のぶ子さんの言う
「わたしにとってのアナザーワールド」だったのです。

交友範囲を広げる、というのは詩を書く主婦のわたしには
ドキドキ嬉しい体験。
個人としての自由を楽しみながら、
夫婦の時間も大切にする、、、それは都合の良い勝手な
理屈になるのでしょうか。

きっと『節度』という問題なのでしょうね。
その部分は曖昧で、わたしの立場は危うくなります。
このブログの核心部分(?)かもしれないので、
焦らずじっくりと考えていきたいと、思っています。

詩集と薬

2005年05月20日 | Weblog
サキさん、コメントありがとうございました。
『頭痛に悩む患者と家族の会』を新聞で知ったのは
もう7,8年前でしょうか。
その会に入り「つらいのは自分だけではない」と、
大きな安心を得て、頭痛外来の存在も知りました。

今は新薬が効くようになったので助かっています、
が、それがとても高価なのです。

前回はいつもの頭痛薬、神経系の薬、降圧剤、の他に
花粉症の薬もだしてもらったので、
1万円では足りずに慌てて薬局から郵便局へ
お金を下ろしに行く、という恥ずかしい体験をしました。

今回、1週間ほど続いているめまいの症状を相談して、
また薬が増えました。

帰り道、気に入っている本屋に寄りました。
詩集が充実しているのです。
そこで大好きな吉原幸子さんの詩集を立ち読み。
わたしも下手な詩を書きますが、
吉原さんの書く孤絶感、人を想う時のギリギリの気持ちや
罪の意識、といったものに強くひかれます。
三人の女性詩人による連詩集があり、
欲しくて買うつもりになったものの、
まだ薬局に行ってないので、お財布が心配。

迷って結局、諦めて置いて来ました。
詩集と薬、どちらも自分には必要なもの。
でも今はお金がないからと、貧しい主婦のわたしは、
二千円の本をそっと棚に戻して来ました。

薬は全部で12560円でした。
それからいつものようにスーパーに寄って、
値引き品を買い求めて帰宅。

結婚後、何年経っても、お金がないことに変わりはないし、
持病も治った訳じゃない、、。
でも、三人の子供たちも大きくなったから、
こうして自分の時間が出来たし、詩も読めるし、
恋の詩も、また書くようになりました。


明日は『頭痛外来』へ行きます

2005年05月19日 | Weblog
結婚生活の最初の躓きが、
わたしの発熱による新婚旅行の中止だったように、
『病気』はその後も微妙に、けれど確実に、
ふたりの生活に影響を与え続けました。

「いつでも笑顔の優しい妻」でいて欲しい夫は、
わたしが疲れたりひどい頭痛になったりすると、
必ず不機嫌になりました。

「頭が痛いの?」とわたしに聞く段階で既に、
機嫌が悪くなっているのが分り
わたしは夫に隠れて鎮痛剤を服用していました。

まるで身体の弱い女性は『妻失格』であるかのようです。
「健康な人たちの家庭環境で育った人間は、
病弱なひとを思いやることができるのかしら」
結婚するときのわたしの母の懸念は的中していました。

わたしの母も頭痛や癌と闘ってきた女性なので、
娘であるわたしの身体をいつも心配していました。

けれど、強がったり、夫に気を遣ったりしながら
『頭痛は甘えや怠け病』というとんでもない説にも
怯えつつ、わたしは鎮痛剤を一時も手放せなくなり、
ついには市販薬では効かなくなってしまいました。


モデル体験!?

2005年05月18日 | Weblog
パソコンに詳しくないわたしが、作成中のこのページ。
字が小さいような気がして、少し大きくしてみて、
アップされたものを読みなおしたら
文節がおかしくて読みにくい、、、と気がつきました。

いずれ、読みやすく編集できるように
なると思いますので・・・。

昨日は、娘が『母の日』にプレゼントしてくれた内容の
実行日でした。
知り合いに『メイク&写真撮影』を予約してくれたのです。

この歳で、「恥ずかしい」という気持ちも大きかったけれど
ふだんしない(できない)バッチリメイクの体験への
好奇心に【最後のチャンス】とばかりに
行って来ました。

場所は六本木、撮影は外だったので、かなり恥ずかしかった
けれど、メイクしてもらった自分の顔は
「ちょっと新発見」でした。

何より娘の気持ちが嬉しかったです。

彼女はいま22歳。
小さい時から腎臓病と闘っています。
入退院を繰り返し、
シビアでクールな面とすごく女の子っぽい可愛い面が同居して
います。
いつかはこの母と娘、というテーマも書いてみたいです。

結婚生活

2005年05月16日 | Weblog
誰しも結婚生活が順風満帆に行くはずはないと思います。

多くは『こんなはずではなかった』と感じながらもどうにか順応していくのでしょうね。

わたしの最初の『!?』は新婚旅行でした。高熱を出して、楽しみにしていた旅行に行けなくて

がっかりていたわたしに旅行会社から電話があり、数日先の同じようなツアーに参加できるように

手配してくれる、というのです。

わたしは喜んで新婚の夫に言いましたが、返事はにべもないものでした。そんなには会社が

休めないし、行けるわけがないと。この強い否定の口調に、わたしは諦めざるを得ませんでした。

そう、そもそもは自分の体調不良が原因でしたし・・・。

この、強い否定口調はその後もことあるごとにわたしを萎縮させがっかりさせたものでした。

休日には家で休養をしていたい夫と、外出したいし子供たちにはたくさんの体験をさせたいわたし

との対立。やがて、わたしは夫をあてにせずに子供を三人連れて出かけるようにもなりました。

(娘が発病してからは、思い出もいっぱい作りたい、、と思いました)

教育者の家庭に育ったわたしは、暇さえあれば読書をし、休日には日曜大工をしたり歴史散歩に

出かける父を見ていたので、暇さえあればテレビをつけ、くだらない娯楽番組を見たり漫画を読んだり

している夫に落胆もしました。

今だからそれは個人の自由だし夫の息抜きだからと余裕で見られるのに当時はそれが出来

なかったのです。

こうして、わたしの不満は徐々に蓄積して行ったように思いますが、一方の夫だって

『こんなはずではなかった』と度々思っていたに違いありません。

予測以上にわたしが虚弱体質だったことや、

整理整頓が苦手で、狭い部屋がいつも雑然としていたことなど、、。

そんなこんなで、わたしたちはどこの家庭でもあるように

ありきたりな夫婦ケンカを時々はしていたものです。

恋人みたいな夫婦が理想?

2005年05月15日 | Weblog
たいていは、恋をして、「このひとしかいない!」と思って結婚に踏み切ります。

だから結婚後数年してふと『離婚』という単語がちらついたときには、『あの頃を思い出す』ことが一番

効果的のような気もします。初心にかえる、あの情熱を思い出す、、。でもその情熱が希薄だったように

思えてしまったら、ちょっとマズイですよね。でも、確かに、わたしたちは愛と希望に満たされて結婚生活

をスタートさせました。それは間違いないのです。

夫は浮気をする訳でもなく、暴力をふるうわけでもない。たまにマージャンやパチンコをする程度、お酒も

飲みません。理想的な誠実なひとです。しかも一途に人を好きでいることが出きるのです。

よく、妻が不倫に走る理由として、夫がかまってくれない、とか性生活に不満がある、とか言いますが、

わたしの夫はいつも、いつでもわたしに『恋人』を求めています。結婚してからずーっと25年間、それ

は変わりません。本当に有りがたいし、嬉しいし、その点では幸せだと思っています。そして、その気持ち

にきちんと向き合えない自分を、いつもいつも責めて来ました。

この続きはまたあとで書こうと思います。