羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

鏡よ鏡

2013年02月28日 | Weblog
去年の今頃、母がどうしてもお風呂に入ってくれなくて
ほんとうに困っていた。
寒くなる前に、と午後お湯を沸かしても「寝る前に入る」という。
九時頃用意して見に行くと宵っ張りのはずがもう布団をすっぽりかぶっていたりした。
この布団かぶり作戦にはほんとうに参った。
でも今思うと寝たふりをしている母に腹はたってもケンカを売るわけにもいかず
ため息をついて二階へ引き上げたのは口論にならず良かったと思う。
いくら言っても歯磨きもしてくれなかった。
歯医者さんに連れて行くのは本当に大変だった。。。とあれこれ言い出したら
キリがない。
お風呂がダメなので足を洗ってあげたり、朝はおしぼりでふいてあげると喜んだ。
昼間、台所で洗髪をしたことも何度かある。
シャンプーしてあげる、と言っても「自分でできるから」と必ず言うのでそれも
容易ではなかった。だいぶ髪も伸び、「思い切り短くしてサッパリしたい」と
言い出したので以前よく通った美容院に頼んで見違えるほどのショートカットになった。

このショートカットは本当にサッパリとして手入れも楽になり周囲の評判も良かった。
その後すぐに入院となり、入院生活が長引くにつれすっかり元気がなくなり歩行も
できなくなった。
思えばその頃から母は鏡を見なくなっていた。
グループホームに移り、回復して杖で歩けるようになった頃、訪問美容があると聞いたので
またショートに整えて貰ったのだが、どうもやっぱり短いのは馴染めない様子だった。
「いい感じになったよ、ほら」と手鏡を渡しても「見たくない」といつも言った。

いろいろなことが落ち着いてきた。
お風呂も三度の食事も歯磨きもトイレもわたしの手から離れ母の笑顔もよく見られるようになり
楽しく会話できるようになってきてふとまた母の髪型が気になってきた。
聞いてみると「いつもぺちゃんこでヤダ」と言う。ショートが伸びてそのまんま。

訪問美容でカットだけではなくパーマもかけて貰えるのか聞いてみたらできるそうなので
予約をして「こんな感じ」とパーマの母の写真を渡してお願いしておいた。

どうしたかなー、大丈夫だったかなーと半ば心配しつつ今日行ったら、
ふんわり、という注文どおりとても良い感じになっていた。
良かったねー、すごくステキだよおとわたしが言うとスタッフの男性も
「ほんと雰囲気変わりましたね、きれいです」と言ってくれた。

若く見える、肌がきれい、とついこの間まで褒められることの多かった母。
ディサービスの迎えの車が来るまで何度も鏡をのぞいていた母。

今日は午後の入浴がホームであった。
入浴後、母は何度も鏡を見てブラシをかけてちゃんと化粧水もつけていた。
あー、早く気がついてあげればよかった、いや、いま気がついたんだから良しとしよう。
鏡をみてる母をみるのがこんなに嬉しいことだとは思わなかった。

冬のおわり

2013年02月27日 | Weblog
あ、二月が終わるんだね。
弥生三月春はそこまでか、、、。
求人情報を集めたり履歴書を書いたり、やっぱりダメだったりして
毎日が過ぎていく。
モニターや座談会などがあれば参加獲得権を求めてせっせと応募しておく。

やはりこの年齢ではどこも難しい。
予想はしていたけれど。
でも選り好みせずにとにかく必死で職探しをすれば何かはあるだろう。
「より好み」これがヤッカイなんだな。でも適性もあるしなー。
まあ、家計をきりつめてほんのすこしずつ貯めたパート代の残高でも見てるうちに
いよいよわたしも何かを決めるかもしれない。
新しい展開があればきっと人生は面白い。
(いまは落ち続けてオモシロクナイ)

図書館もようやく再開した。
椎名誠さんの「三匹のかいじゅう」を読み終わり、
次の本として万城目学さんの「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」を買った日に
その予約本が入りました、というメールが図書館からきた。
パソコンで検索してみると自分の予約した本の順番がわかる。
(ということに先日気がついた)
ようやく水村美苗さんの「母の遺産、新聞小説」が近づいてきた。
予約したのは去年の夏だった。
母がグループホームに入り、近くにこの図書館があって通い始めた夏。

ホームの近くにも図書館の前にも猫さんがいることを知った夏。
展示場の仕事を辞めて一年目。ようやく介護の方向が見えてホッとひと息ついた。
あれから半年。
とどまっていることのぼんやり静かなマイペースに未練を残しつつ。。

残りの人生を生き抜く

2013年02月21日 | Weblog
カーブスから帰ってパンをかじりながらテレビをつけたら
村上龍さんがでていた。途中からだったが近著「55歳からのハローライフ」に
ついて話していたようだ。
村上さんの「13歳のハローワーク」はかつて良いタイミングで読んだ。
今回の本も多少気になってはいた。積極的に読みたい!というほどでは
なかったけど、今日村上さんが「残りの人生をどう生き抜いていくか」と言った言葉には
ピッタリ!と当てはまる心象がありやっぱりいずれ読んでみようと思う。

何しろいま図書館が臨時休館中で面白くない。
南木桂士さんの自選エッセイ集「猫の領分」を読み終わったら読む本がなくなった。

今夜はツタヤお試し期間で無料レンタルしておいたDVD「レオニー」を観た。
実は、認知症の女性をテーマにした映画を(確か50代で手がけた)監督松井久子さんの
講演と、三作目作品「レオニー」上映会が、
先日あって三鷹芸術センターまで行ったのだけれど満席で入れなかった。

松井久子さんという監督は60代を生き抜いているバイタリテイあふれる女性だと思う。

レオニー・ギルモアは有名な彫刻家イサム・ノグチ氏の母。映画は約100年位前から始まる。
「平凡はつまらないのよ」と小さく微笑むレオニーはある日編集者として、
ニューヨークで詩人、野口米次郎と出会う。
やがて愛し合うようになる二人だが、レオニーは未婚のままイサムを産み育てることになる。

彼を慕って日本に来たが彼には正妻がいたのだ。
それでもレオニーは意志をつよくもって生きた。彼女の生き方と松井監督の「熱意」が
じんわりと伝わってくる映画だった。


ラデイッシュ

2013年02月17日 | Weblog
そろそろまた働こうと思う。
母もホームでの暮らしに慣れてきたようだし、
いくらなんでもこのままでは暮らしていけない。

古本屋の店番をむかしのように多くできればいいけれど、
それはもう望めないだろう。
経営不振状態になってからはメインの仕事を他に探し、
本屋へは月に数日「ただいま」という感じで続けている。

いろんな仕事をしてきたけれど、
あまりに頭痛がひどかったのでフルタイムで働く自信はどうしても
持てなかった。
パートやバイトでも頭痛薬を飲み続けながらの日々だった。
薬をのんでも改善しないときは何度もあった。
夕方の込み合うスーパーで重いアタマで献立を考えながら、
周りの人たちを根拠もなく羨ましいと思った時がある。
こどもが病気であることや家計がいつも苦しいこと、、、。
それは普段考えないようにしていたから、
アタマが痛い夕方のスーパーに「どん」とやってきたりした。

そんなことを白い履歴書を見ながら思い出していた。
小皿にはラデイッシュのマリネ。
赤くて小さくて可愛らしい。
卒業生さんの一人が先日、遠くから母に会いに来てくれた。
遠くから来てくれるだけでも有り難いのに、
彼女(わたしと同い年)は両手にたくさんの荷物。
自分の畑で収穫した白菜の漬物。ことこと小豆を煮込んで作ったおはぎ。
農協で求めたお茶やお菓子、かわいいタオル。
そしてラデイッシュ。

           




りぼんちゃん

2013年02月14日 | Weblog
先日、母の米寿のお祝いをした。
吉祥寺離れ「田舎」(でんじゃ)という一軒家で、ささやかな祝いの席に家族が集まった。
母はとても嬉しそうで食事もしっかりと全部食べてくれた。
プレゼントにはいろいろ考えた結果「おしゃべりワンちゃん」に。
前足を握るとお話をしてくれる。
ひとの気配でくんくん、わんわんといろいろ鳴く。
時間も教えてくれれば歌も歌ってくれる、大活躍だ。
設定するときに呼びかけに応じるための名前が必要だったので、
見た目ですぐわかるように「りぼんちゃん」で登録した。
登録後、母のところへ行くまでスイッチを切っておいて当日オンにして
「りぼんちゃん」と話しかけてみたら「待ってたよ♪」と返事をした。

当日はみんなでやたらと話しかけた。
母も気に入ってくれた。
                 
楽しい一日が終わり、ホームに車が到着すると、
母はひざ掛けをおくるみにしてしっかりと犬を胸に抱いていた。

犬や猫にはまったく関心がなくむしろ「大嫌い」だった母。
その反動のように動物が大好きになったわたし。
そして母を「猫大好き」に変身させたのはいうまでもなく駿だった。
もう母に「キライ」なものなんてないのかもしれない。
すべてをやさしくおっとりと受け入れてくれるようだ。

書かない日々

2013年02月12日 | Weblog
ブログ、何年もぼやぼやと続けていると「書かなくなる」ときは必ずある。
周期がきたとか、マンネリとか飽きたとか、さて理由はいくらでもあるだろう。

「書かない」と書かないままの状態にやがて慣れる。
慣れるとそれでそのまま過ごすのか?とすこし自問するじぶんもいる。
わたしが書くのは「ブログ」ではないんじゃないか?と思うことがないでもない。

このまま書かなくなる?と書き始めるのはやはり「表現」のそばにいたいんだね。
たぶんこの10年近いブログ日々のなかで少なくとも5回位は「書かないのか?」と
ひとりでじぶんに向かって呟きつつこうして発信してると思う。

書かない日々は何がホントでなにが言い訳でどこへ向かいたいのかそれでいいのか、
もうすこし違うところへひっそりといってみたくもあり、
多少のさびしさも感じつつ未練がましくここへ戻ってみたりする。
更新していないブログに毎日何人もの方がアクセスしていただいている数字。
数字って面白いけどチカラがある、それなりにある。
きっと痛みもあるんだろうな。

そうこうするうちにしずしずと二月も過ぎていくだろう。
そういえば長男に貸した小川洋子さんの「人質の朗読会」。
彼は「猫を抱いて象と泳ぐ」ですっかり小川さんが気に入ったようで、
読み終わった「人質・・・」もすごく良かった!とメールがきて、
そうでしょ?とわたしは嬉しくなりどの話が一番好きか、ということになった。
長男は「やまびこビスケット」わたしは「冬眠中のヤマネ」。

そんな話を昨日した。
わたしたちは駿の墓参りに行って(家族揃って)、
先に逝ってしまったたくさんの愛しい生き物たちのことを思いながら帰ってきた。