庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

首相を始めとして決断しないで逃げばかりの原子力行政。

2013-05-16 | 核エネルギー・原子力問題
高速増殖炉の実験炉「もんじゅ」のズサンな安全管理が原子力規制委員会から指摘された。
停止中とはいえ、年間で200億円以上の貴重な税金を使って、実験再開に向けての準備と、2050年頃の商業炉の実用化に向けた機器の開発に、日本の総智をつぎ込む国策である。
しかし事故や難題に遭遇するうちに、「安全に対する根本的な考え方をはき違えている。」と指摘されるレベルに劣化し、再開の準備作業の中止命令に至った。

この段階に至っても、政府の責任官庁の文部科学省は、「安全モラルの劣化」に対して、何の施策を打つ出す気力も責任感もなく、それを首相は放置して拘わらない様に逃げているだけである。
近隣にある敦賀原発などの敷地内を走る「活断層の再調査」の必要性も指摘されて、以前の地質調査の不備も次々に疑惑に上がっている。
原子力事業関係者は、いったん、動きだした事業を「修正する力も勇気もない人たち」ばかりになって、ズルズルと「安全に対する考え方の時代遅れ」を引きずっている。

この様な状態に陥っている原子力行政と電力会社の経営陣に対して、進路の転換、撤退の決断が出来る「勇断の精神力」を持った人物がリーダークラスにいないことが、日本の悲劇である。
いまは、日本のエネルギー政策は、「原子力偏重の戦略」の誤りによって、大きな閉塞状態に陥っている。
この段階で最重要な決断は、先行きに見通しがない分野はキッパリと撤収の決断をして、被害の拡大を防ぎ、損失を最小に抑える、撤収作戦の実行である。
その最初の決断が「高速増殖炉もんじゅ」の廃炉である。

民主党の政権は、この「もんじゅの撤収決断」に躊躇をして、「年限を区切った研究計画を策定し成果を確認の上、研究を終了する」との曖昧な目標の方針を掲げて、大事な決断の機会を逃してしまった。
決断力と実行力のない「民主党政権のあいまいさ」が、政権脱落の悲劇に進んでことを、今もジクジクと反省している。

誰の目にも「高速増殖炉のイキズマリ」がハッキリしている段階になり、この事態では、いかにだらしのない民主党政権でも廃炉を決定できるだろう。
しかし、自民党安倍政権は、それ以下の器で、逃げ回るばかりの政権である。

国会議員は原子力発電神話の誤りを反省していない。

2013-05-15 | 核エネルギー・原子力問題
自民党の国会議員は、3・11の原発の大事故を何だと思っているのだろうか。
【のど元過ぎれば熱さを忘れる】の、典型的な利権議員たちが、原発の安全審査に横やりを入れて、骨抜きとは言わないまでも、安全性チェックに厳格な運用には苦情を言いだそうとしている。
「電力安定供給推進議員連盟」という、キレイゴトを建前にして、ホンネは原発の再稼働を急がせる【原子力規制委員会に対する骨抜き圧力団体】である。
原発立地の地元の要望を代弁して、厳格な安全性などは経済の役にもたたないから、適当に、【世論に言い訳が出来る程度に手抜きせよ】と言いたいのだ。

2011年3月11日までは、【原子力発電は絶対に安全で、地震が起きても事故などあり得ない。】と言う安全神話をごり押ししていた。
世論を誤魔化す為に「原発の発電コストは最も安い」という【原発安価神話】もねつ造をしていた。
原発の発電コストが上がってしまわない様にする方が、優先したためである。
そのためには、「絶対に必要である安全性を高める装置や防潮提など、ユルユルにする手抜きの基準」を、政治圧力で推し通していた事実が明らかになった。

この【安全神話と安価神話】を長期間に渡って広めていたので、日本中に安全性に不安のある原発を54基も建設してしまったのである。
これを容認して来た、歴代の首相と経済産業大臣(旧通産大臣)は、最大の責任を負うべきであるが、誰も正式に国民に謝罪をしていない。
その後押しを無責任にも、圧力をかけ続けた当時の国会議員も、原発事故に対する謝罪もしていないし、罪の意識もない。
全く反省していないから、「電力安定供給」の必要性など、またも罪の上塗りの様な看板を掲げて、利権を守るコトが最優先の政治圧力を架けるのだ。

現在の段階で明らかになった、「日本は世界最高の地震国、津波災害国」と言う自然界の事実を、真摯に受け止めて、それでも原発がどうしても必要な分だけは再稼働をして行く。
それも、日本の総智を結集した専門家と冷静で客観的な体制で、厳格に安全性を確保するコトが条件である。

関西地区の電力が足りないからと大騒ぎをして、不安のある原発をかけ込みで2基を再稼働させた前政権の愚は、選挙民の審判を浴びている。
安倍内閣は、原発の再稼働を急がせる姿勢は、一切、ご法度にする責務がある。

原発安全問題は国レベルの責任。再稼働の選択は地域責任。

2013-05-14 | 核エネルギー・原子力問題
日本の核エネルギー政策は、国の責任で推し進めてきた。
原子力発電の安全性は、国の通産省の管轄で、管理、監督された状態で、長い間に【推進側と監督側の癒着】が増殖して、安全性の手抜きが起きて、遂に、地震への備えや津波対策は、完全に不十分あった状態が長く続いてしまった。
2011年3月11日をもって、この癒着の欠陥が世界的にも明確になり、原発の『安全性を監督する権限は、原発推進側から独立させる』ことが、やっと実施されたのである。

今後も核エネルギーの戦略責任は、核兵器の問題と密接に関係するので、日本は核兵器を持たない方針を堅持し、世界の核兵器削減と最終的な廃絶まで、世界に責任を持った日本政府が取り組むべきであろう。
ところが、エネルギー政策で原子力発電の推進を国策として強引に進めた政府関係者が、安全性の監督者の人事権限を持っている構造では、本当に独立したチェック構造とは言えない。
日本の国としては、「安全基準を作り、監督、チェックする権限」は、一箇所に統一した方が良いのは当然である。
しかし、人事権が推進側の政府にあるために、独立性は曖昧で問題である。

また、【原子力発電は絶対安全】は神話であり、独立性を高めた「原子力規制委員会」の権限で、より厳しい安全基準を作り直したにしても、絶対ではない。
従来よりも安全性に対する備えは高まっても、完全に安全ではなく、限りなく安全性を高めただけで、【最終の事故リクスはまだ見えないところに残っている】と考えるべきである。
それでも、「原子力発電の便益を受けたい受益者の判断」が、安全性の向上レベルを了解してもらった上で、運転の再開を認めるのは、理の当然ではないか。

この理屈のスジに沿って考えると、最終的な原発の事故リスクを負うのが、地域住民であり、稼働再開には地域社会の責任者の承認が必須である。
また、原発を停止し、廃炉にした場合に生じる損失の責任は、原発を保有する電力会社で、そのツケは電力料金を負担する「地域の消費者」である。
安全を最高レベルにあるとした場合に、原発を汲み込んで地域の電力需要を満たして行くかどうかの選択決定権は、地域社会を代表する【州政府】にある。

政権公約に道州制を推進する安倍内閣は、再稼働の承認を州政府に権限移譲をするのが、日本の将来にとって、もっとも適切な判断である。

優秀な人材ほど地方政府で能力を発揮できる制度に転換。

2013-05-13 | 国創り政治問題
地域社会の活性化策の入り口として、地方分権(地域主権)は、内容の差があるにしても、与党、野党の共通の潮流である。
地方政府の中にも、早く実施せよという関西州や、自立意識の強い九州地区など、やる気の出ている自治体もある。
ところが、未だに先が見えないというだけで。お上(中央政府)の指示が出るまでは何も動かない方が良い、と受け身に徹している自治体も数多くある。
その原因としては、国の権限と州の権限責任が不明なまま、県の役割や市町村の役割の基礎的住民向けサービスの範囲も揺れ動いている状態である。

それを口実にして、中央官庁の官僚群は、中身が整理できるまでは、州政府の存在などは認めようとしないで、サボタージュ気味の権限移譲の先送りである。
この調子では、日本中の都道府県、市町村が賛成するまでは、地方分権などはできない、と言わんばかりで、100年経っても実行しないだろう。
それでは日本は沈没してしまうと、大阪府では、まず都市の効率的な行政組織の改革として、大阪都構想をぶち上げている。
東京都の23区制度にならった、「行政の合理化」で、大阪府と大阪市の二重行政の非能率解消を目指している。

この様な動きを一刻も早く実行に移すべきである。
まず、変革を実施したいと要求している自治体から始めて、諸々の問題は移行する過程の中で、調整して解決して行く。
州政府と府県の役割責任の調整も、中央官僚の総務省が主導するのではなく、支援側に回って、自立的に計画と調整を実行することで、地方政府の調整能力も実践的に訓練される。
いつまでも指図をしようとするから、地方政府の能力も伸びず、調整の力量も育たないのだ。

最後の引き延ばしの口実としては、地方政府には能力ある人材が不足しているから、実践的な人材が育つまでは、今のままで行く方が混乱は少ない。
これが、中央官庁の言い訳に使われる状態で、膠着状になりつつある。
それならば、出先機関の国家公務員を州政府の公務員に転出させるべきである。

中央官庁採用の幹部候補生ならば、地方の行政の実践面で存分に能力を発揮してもらい、地域に骨をうずめる覚悟で、献身的に働いてもらうのだ。
成果がうまれれば、年功序列の中央官僚の上にいけるくらいの勢いが出る。

中央集権の限界を悟った地域から地域主権に移行せよ。

2013-05-12 | 国創り政治問題
今まで書いてきた様に、日本経済の活性化策は、「高付加価値」「多様性ある日本独自の価値」「地域に根差した文化価値」など、大量生産時代と決別するモノやサービスを生み出すことにある。
それには、中央集権制度は不適格で、地方分権、地域主権を進展させて、地域の自立意識や自主的な活動の主体になる能力を育てなければならない。
ここまでは有識者の間でも合意されてきた、『日本の国創り改革』の議論である。
ところが、マスメディアをはじめとして、この考え方が解っていない。

その理由にひとつに、中央集権の官庁の権限を、今の県単位に移譲しても能力的には不足で、道州制(日本を10~15の州に分割して、大幅に権限移譲)の導入によっても、官僚主義の非効率は分散されるだけではないか。
さらに、今の県組織が間に入って、国、州政府、県組織、市町村、と何層にも役所が絡んで非効率が倍増してしまうのではないか。
という懸念があり、中央官僚はこの様な疑問を持つ層を味方にして、何かと権限移譲に抵抗し、道州制の欠点を可能な限りあげて、権益の保持に努めている。

県レベルの組織では、権限が国から指図される範囲が、州単位に移るだけであり、その転換に紛れて、州に権限をとられたり、市に移管される業務で、存在意義がなくなることを恐れる。
市のレベルでは、県の存在が近かったのに、州単位になると遠くになってしまう懸念の方が多い。
やはり、国が采配してくれる方が、自分たちは安心して、地元の行政に専念できる方がよいと、自己都合ばかりを優先する。
混乱を招くような組織の大変更は、やらないでほしい。というのが、行政関係者のホンネであり、地域住民の意向などは眼中にない状態だ。

このママで、国がもっと成長戦略の効果的な目玉を作って、その恩恵を地元に誘致してくるのが一番良いので「国の成長戦略の成果を早く出してくれ」、との他力本願、いや「国リキ本願の依存症」で、地方経済の疲弊を国の無策ぶりに責任を回してしまう。

この状態で20年も経済停滞の状態を続けていたが、関西地区や九州では、もはや国の成長戦略などをアテにしていたら、アジア経済の発展から落ちこぼれて行くばかりだ、として、早く道州制の方向で権限を移譲せよとの要求が高まってきた。
もはや待ったなしの状況で、決断と実行あるのみだ。

成長戦略を中央政府の主導で特区を作る安倍政権の愚。

2013-05-11 | 国創り政治問題
日本の活力を阻害しているのは、長期にわたって中央政府に依存する体質が、地方政府や国民に染みついてしまっていることである。
お上に頼らないで、自主的に自立する気概を持って、他に並ぶもののない独自の価値をアピールできる商品やサービスを生み出す活力が求められる。
それを中央政府が方針を決めて地域に押し付けるやり方自体が、矛盾していることに気がつかない。
特区を作ることが、なぜ必要なのかに気がつけば、成長戦略を国だけが主導する「愚かさ」にも気がつくだろう。

地域社会や行政が、中央の命令に従う制度を善しとしたのは、明治時代以来の欧米の侵略的国家が日本のスキを狙って経済的な進出や、軍事力によっての無理難題を防止するためには、中央集権的な制度でないと、生き残れない情勢にあったからである。
日本が太平洋戦争後に、欧米の先進技術を取り入れる段階までは、この中央政府主導の制度が効率的に働き、世界第二位の経済大国に成長した。
軍事力面では、いまだに弱体のお粗末ぶりだが、経済的な力は、すでに中央で統制したり保護したりする必要な段階を、トックに超えている。

にも拘わらず、1990年代のバブル崩壊以後も、中政府が経済対策だ、成長戦略だ、地方の経済活性化だ、と号令をかけて中央の権限で取り仕切ろうとする。
大量生産型の量を追いかける経済ならば、規模のメリット、中央集権の利点も活きるであろうが、『高付加価値、多様性の価値、地域独自の商品やサービスを生み出す』必要性が高まった時代に、いまだに中央官庁の明治時代感覚の命令で、その様な価値の創出や経済の活性化が生まれる筈がない。
むしろ、明治時代の遺物は、規制という形で、ゾロゾロと残っていて、これが地域の自立的判断を邪魔しているのが問題なのだ。

特区を作って、規制を順次改革して行くから、申し出よ、というお上意識をすぐにでも廃棄して、自分たち(中央政府の出先機関などの)非効率組織の改革を即刻始めるべきなのだ。
出先機関の廃止、または「地方政府への組織と人材と権限移譲」は、10年以上も前から、メリットを言いだしているのに、まだ、中央官庁の抵抗にあって、モタツキばかりである。

自分の改革も実行できない内閣が、地方にあれこれ命令するなど愚かなことだ。

独占的に事業を抱えている組織は中央官庁で非効率の代表。

2013-05-10 | 国創り政治問題
競争市場の中で、消費者のニーズのあった商品・サービスを提供する民間企業は、非効率であっては脱落する運命にある。
一方、競争的な環境でない独占企業は、消費者の不満が募っても、事業者を選択できない宿命で、これが殿様商売、非効率経営の諸悪の根源になる。
それゆえに、可能な限り独占的な事業環境に置かない工夫が必要で、電力事業を『発電・送電分離制度』に転換して、『発電事業分野の参入自由化による競争的な環境』におくことで、発電事業の経営効率化が促進されるのである。

この様な考え方に沿って、鉄道事業の分割を民営化によって、競争的環境のおくことで、経営の合理化と活力を引き出すことに成功してきた。
電話通信事業も同様で、高速道路事業も分割民営化で効果が表れて来つつある。
だが、最大の非効率な事業は、中央官庁の硬直化した組織による国の行政分野であり、中央官庁はいまだに地方行政に法外が権限を持って干渉している。
お役所仕事と言われる融通性のなさも苦情が多いが、まともな仕事もできないのに、高額の給与を受け取り、効果のはっきりしない事業に明け暮れても、その地位を奪われる恐れもなく、旧態依然たる仕事ぶりである。

日本の将来においての活力ある生活環境を創りあげるには、この【「中央官庁の非効率」(硬直化と権限維持の堕落)をどれだけ改革できるか】、にかかっていると言っても過言ではないでしょう。

その改革方策の考え方に、鉄道や通信、高速道路などの事業で、全国一律の公団方式を「分割民営化」の方向で、実行した改革例にならう必要がある。
JR各社の民営化後の経営は健全化して、一部の安全問題が発生したにしても、その他の面では、世界に誇れる実績を産んでいる。
通信でも、電電公社の解体以後は、世界の潮流に沿える状況に改善されている。

中央集権的な行政権限を、国防や徴税、年金などの福祉政策で、日本国としての統一行政が必要な事業のみに絞りこみ、その他の行政サービスは、地域毎の権限に分割して移管して効率化を図るコトが、改革の有力な方策である。
明治維新で、それまでの『幕藩体制による地方分権』から、国防を最優先した【中央集権体制】にして、地域の行政は中央政府の命令に従う体制に転換した。
この体制で120年以上も「身についてしまったお上の意向による」従属姿勢が、今や日本の活力を阻害している最大の原因である。

憲法論議が騒がれているが、明治維新以来の体制の転換こそが最重要である。

民間企業の体裁をしてきた電力会社はお役所並みの非効率。

2013-05-09 | 経済問題
企業の価値は、「多くの人に雇用の機会を提供し、高い給与で社員を雇用し、働く環境、福利厚生に経費配分」していることだと、前回に提示しました。
大多数の方の賛同は得られると思いますが、異論をはさむ方もいる筈です。
そのとうり、「電力会社の現状は、まさに、企業価値の高い状態」であったのに、原発事故後に大赤字になって、世論からは「社員の給与を引き下げて、贅沢な福利厚生施設は、手放すべきだ」と大きな批判を浴びたではないか。

この批判の原因は、「市場における参入自由の民間企業の業界」と、政府の監督下にある「独占的権益を持った見かけ上の民間企業の業界」の違いにある。

市場の参入が自由な業界では、すべての企業が利用者、消費者のニーズの沿った商品・サービスの提供を競争的に獲得する事業である。
「顧客の満足を得られる様な価格と質の商品・サービス」を提供しない限り、市場競争で脱落する運命にある。
顧客優先のなかでの、企業活動であり社員重視の経営でなければ存続できない。

その一方で、地域独占の電力事業は、競争的な企業の新規参入は許されない。
だから、特権を与えられた電力会社は、監督官庁の言うことだけを聞いていれば、価格は自由に設定できるので、「社員の優遇は、やり放題」になる。

社員の優遇ならば、まだ許容できるが、放漫経営の殿様商売をしていながら、高額の収入を得ている役員以上がゾロゾロとつらなり、役員の経費は使い放題で、その分をすべて電力料金に上乗せできるのは、理不尽と言える。
原発大事故の影響で、この様な理不尽な電力料金に世論の不満は沸騰して、ついに、電力事業の独占体質の改革に向けた動きを止められなくなった。
自民党政府もやむなく、[2020年に向けての発電・送電の分離制度]に転換することで、発電事業分野は民間企業の参入自由となる。
これで発電事業の経営力の競争が進み、優れた経営をした企業が選抜される。

この状況に転換したあとで、「社員の給与を高くし、福利厚生に経費配分を厚く」することが、企業価値の評価になる。

公益的な事業分野では、独占的に一企業に権益を与えるのは、そもそも、間違いのもとである。
鉄道事業においても、国鉄体制の時代は独占的な放漫経営によって、大赤字と事故続発のダメ企業に停滞していた。
それが分割民営化され、民間鉄道との競争路線もあって殿様商売を卒業できた。

マスメディアの報道姿勢が日本の進路に大きく影響する。

2013-05-08 | 国創り政治問題
このブログで「グローバル化された世界市場が発展する段階」においては、多国籍企業は出身国の利益や国民の幸福などは無関係に、拡大と生き残りをかけて競争して行く。と書いてきた。
全く同様の趣旨で、本日の朝日新聞(5月8日朝刊17面オピニオン)に、内田樹(たつる)教授が、「壊れゆく日本という国」と題して、この構図を明確に指摘して、問題の根源を解説している。
日本の大企業は「グローバル企業化」した結果、企業として最も合理的な行動に移り、生産拠点は一番有利な国に設置して営利を追求する宿命にある。

この世界の潮流では資本主義制度のもとで、株式会社の形態で生産をするならば、当然の選択であって、合理的な経営と評価できる。
これらの企業を、出身国の政府だからといって、国民を犠牲にしてまで支援するのが誤りの本質である。
グローバル化した企業は無国籍であり、超国家的な組織に転換しているので、日本で発祥したから「日本の企業」と思う方が間違っている。
ましてや、「日本の企業だから日本国民のことを一番大事にしてくれる」などの信心に近い思い込みは害あって益なしである。

これを助長しているのは、日本のマスメディアの旧態依然たる報道姿勢である。
企業の貢献度を、「売上高でランキング」をするのは、まだ許される状況だ。
少なくとも「売上高に見合った消費税の納入」を国と地方自治体に還元しているから、行政に対する見返りはある。
しかし、【株価の高さや株価当たりの利益率】を、企業の成績評価として使うのは、国民の目を誤らせる元凶である。
資本家や銀行、証券業者にとっては重要だろうが、働く人からすれば、見当はずれの評価をしてしまう。

もっとも重視すべきは、その企業の「労働分配率」が適正水準以上であるか、福利厚生費の割合がどうかで評価すべきであろう。
現代の社会では、企業に求められる役割は、出来るだけ『多くの人に雇用の機会を提供』し、『高い給与で社員を雇用』し、『働く環境、福利厚生に経費配分』をしているかで、会社の価値は評価されるべきである。

「マスメディアの企業に対する報道姿勢」の転換で、安い賃金で、劣悪な職場環境に置き、過密労働で利益ばかりを追求する企業は、低い評価を下される。

日本経済停滞の最大原因は労働分配率の低減を進めた経済界。

2013-05-07 | 経済問題
日本の経団連に所属する大企業や製造業界の経営者たちは、1990年代からずっと経済政策に対して「民間企業代表」の立場を誇示してきた。
その言い分は、日本の経済を向上させるには、製造業の重視と既存の大企業の優遇によって、「雇用の維持」を優先すべきであるとの大義名分による。
ところが雇用維持と言いながら、「非正社員」を3割以上にも増やして、日本の働く人たちへの給与の配分「労働分配率」を下げ続けてきた。
それでも、人件費の削減が不足だとして、新規の設備投資の大部分を海外生産拠点の強化に回して来たのである。

気がついてみれば、日本国内の生産設備の大部分は老朽化して、生産性も上がらない旧式な設備が大部分になっている。
それ故に、人件費を下げても価格面での競争力は一向にあがらない。
とうとう、「円安にしないと海外生産への移転を早めるぞ!」と政府と日銀に迫り、それを鵜呑みにした安倍内閣に実施させるコトになった。
ところが円安にした後でも、経団連会長の企業「住友化学工業」は、国内の旧式工場を閉鎖し、その代わりの生産量は海外拠点の増強によって賄う、とした。
つまり、国内の雇用維持の大義名分は、「真っ赤なウソ」であったのだ。

この様な背信行為は経団連の前会長の時代から【あからさまに実施された派遣切り】の横行で明白になっていた。
アメリカのリーマンショックによる世界経済の不況を受けて、日本の経済も影響を受けた際に、当時の経団連会長の親企業キャノンは下請け企業の【派遣社員の雇用を真っ先に首切り】して、自社の損失を最小とする経営を実行した。
企業経営者としての【自社企業の利益を最優先】に考えるならば、これは是認されるだろうが、日本の経済全体の利益を考えて意見を代弁する「経団連の姿勢」としては、【軽薄で断罪に値する連中】の集まりである。

この時期からは、国民のことなどは後回しで、とにかくグローバル化された世界市場で生き残るコトが必須の多国籍企業としては、株主利益が最優先で、それに沿わない経営者はクビになるのが世界に標準になっていたのである。
それに気がつかない政治家のお粗末な政策が、今の日本経済の停滞を招いて長引かせているのだ。

「軽断連の言い分は経済に貢献する」とカン違いをして、労働分配率の低減に目をつむり、大企業優遇の為に税金をつぎ込み続けた政治家が愚かなのである。

安倍内閣のマトハズレの政策の悪影響は今年の後半には明白。

2013-05-06 | 経済問題
日本の製造業は、この20年の間に円高対策と称して「生産工場の海外移転」を積極的に進めてきた。
円高による輸出競争力の低下を補うには、新興国の人件費が低い地域に工場を設立して技術移転を図れば、従来の生産コストよりも大幅に抑えられる。
現在の日本に残っている製造事業分野は、円高の影響の受けない「国内向けの価値を持った独自商品」であるか、ここ10年くらいに間の「新開発された技術」による新製品、新産業の分野である。

日本政府は、産業の空洞化を図る「老朽産業分野の経営者」から、円高を抑えないと「工場の海外移転をせざるを得なくなる」と、ずっと言われ続けてきた。
製造業を支援するとして、安倍内閣は「超金融緩和政策」に転換し、円安誘導の姿勢を採り、20%近い円安に市場が動くコトに「当面は成功している」。
しかし円安の誘導が出来ても、製造業の収益への影響は、マイナス面の方が大きく、自動車や電機業界のプラスは1.4兆円程度で、それも短期に限られる。
その一方で、原材料の輸入品の値上がりで、食料品加工などや、化学・鉄鋼などはマイナスの3兆円に達する。

「大企業が利益を増やすから、従業員の給料は上がる筈だ。」と想定していた【アベノミクスの第一の矢】は、今のところ当てが外れていると言える。
企業利益が増えるのは、一部の企業と金融業界だけで、総合的にはマイナスになるのが見えている。
その上、利益が増えた企業もポーズ程度のボーナス加算で、政府に協力するフリだけをしているだけで、来年以降は全く見えない。
安倍内閣の副総理の麻生氏は、この【マトハズレの政策の繕い】に躍起となって、経団連の会長らに「国益のために賃金アップ」に協力するように求めた。

この先の【第二の矢の公共事業の大判振る舞い】においても、一部の土建業界が潤うだけで、他の業界や働く人たちには、【国の借金増大】の心理的な悪影響により、さらに賃下げの圧力は強まるばかりである。

さらに第3の矢と称する経済成長戦略の先駆けとして【TPP交渉参加】は、経済産業省の効果試算とは、全く見当違いに終わる可能性が大きい。
反面、農業分野などに及ぼす悪影響は、計り知れないマイナスで、与党の内部にも内紛の火種を増やし、対策を迫られる農林水産省では無策か、従来路線の惰性的な対策で繕うだけになる。
7月の参議院選後は確実に迷走の戦場になる。

中期の電力政策を果敢に実行すべき段階なのに安倍内閣は?

2013-05-04 | バイオ燃料・バイオマス
日本の経済成長を持続させるには、安定した電力供給を確保して、さらに電力コストは国際的にも標準に近づけなければならない。
その方策は、2012年の実績で19%にも達している「石油火力発電」の割合を、可能な限り減少させることである。
石油火力発電の燃料費は、[16円/kWh]で、発電コストが割高である。
その上、2020年には運転開始後40年以上を経過した設備は、100基以上にもなり、石油火力の73%が老朽基となってしまう。

今後も中東地区の不安定状態が続く上に、新興国の石油需要を増大の一途であるから、原油価格はさらに高騰することは確実である。
日本政府もそのことは良く解っているので、2021年までに「天然ガス火力発電」を33基新設して1600万KW以上を賄う計画である。
同時に、「天然ガスの調達先を多様化」して、安定供給と購入価格の低減を図る交渉を、国策として展開する方向に進み始めている。
「天然ガス火力発電」の燃料価格は、[11円/kWh]で、これをさらに引き下げが出来れば、発電コスト全体を低減させるコトが可能になる。

問題はその先にある「石炭火力発電の将来」をどうするか、政府はただ「電力会社の計画」を、鵜呑みにしているだけの様である。
現在は「石炭火力発電」の供給量は、全体の27%を占めているが、燃料費が安くて[4円/kWh]のレベルで発電コストも安い。
石炭の埋蔵量は豊富で200年以上は、利用出来る見込みである。
輸入国は、オーストラリアやインドネシアなど、政情が安定しているので、リスクは少ない。

最大の欠点は、『発電量当たりの[CO2]排出量』が最大であることだが、これも、「バイオ炭の混焼」を進めて、混焼率を高めることで、天然ガス火力発電レベルに抑制するコトが実行可能である。
政府は、今すぐにでも『石炭に混合出来るバイオ炭の製造』に、優遇策を適用して、日本中で無駄にされている「林地残材」を原料として活用すべきである。
未利用の残材は、2000万m3とされているが、林業を活性化して『間伐遅れの人工林の手入れ』を実施すれば、5000万m3の未利用木質材が利用出来るのだ。

石炭火力発電への「バイオ炭利用義務付」を制定すれば、「未利用木質材のバイオ炭製造」によって地域社会の活性化策にもなるのに、安倍内閣は動かない。

安倍自民党政権は中央官僚の作る政策に乗るだけのお公家様。

2013-05-04 | 環境問題
自民党政権は1997年末に締結された「京都議定書」の温室効果ガスの削減目標を1990年比で6%削減することを受け入れた。
この削減においては、経済産業省の官僚のモクロミは、大半の電力を石油火力発電に依存していた状況から、【大幅に原子力発電を増設】して、[CO2]排出削減を実現しようとの魂胆であった。
電力会社は、利権の多い「原子力発電設備」を大幅に増やすコトで、利益率の大きい電源を増やせば、「原子力産業利権集団」の増殖を図れるメリットがあった。

経済産業省は、この機会を利用して電力会社への影響力を増やそうと画策して、いわゆる【原子力ムラの強化】に取り組んできた。
その間には、石油依存を減らすコトが国策であったので、石油火力の置き換えには、原発の増設計画を正当化する「大義名分が必要」であったのだ。
欧州諸国で取組を始めていた『再生可能エネルギー電力』は、発電量は小粒で手間ばかりかかる上に、利権構造にはならないのでメリットがなかった。
ましてや、石炭火力発電に「バイオ炭を混合して燃料」とすることなどは、眼中に全くなかったのである。

電力会社も石炭火力発電に「バイオマス由来の燃料」を混合することで、[CO2]排出削減に効果があるコトは判っていた。
しかしバイオマス燃料は、経済産業省の管轄ではなく、農林水産省の分野にまたがるから、省庁間の縦割りに権限が錯綜するので、やりたがらない。
結局、[CO2]排出削減対策は、【原発の増設】と「天然ガス火力発電への転換」が主力方針となって、2011年3月11日までは、突き進んでいたのである。

3・11以後は、原発の増設はあり得ないので、50基の原発をどの様なルールに沿って廃止して行くかが、国策として論議されるのを待っている状況だ。

だが自民党政権は、『温室効果ガスの削減目標』を2013年以降には、「目標値そのモノを掲げることを拒否」して、国際交渉の場からは逃げの姿勢に転じた。
削減目標達成のために【原発の再稼働】すらも、国民の反発を受けそうで、表舞台での議論を避けようとして、【逃げ回る日本】の汚名を受けたままでいる。

石炭火力発電を可能な限り、『バイオ炭混焼発電』に転換して行けば、国内の資源である「木質材の有効利用」が進み、林地における地域雇用に貢献出来る。
地域社会の活性化にも、逃げ姿勢の【ダンマリ戦術】に終始する安倍政権は、【電力族・原子力ムラの利権集団】の呪縛から逃げることもできない。

国民の意思を無視した政策にこだわり、怠慢を決め込む政府。

2013-05-03 | バイオ燃料・バイオマス
日本の長期の国創りにおいて、「経済の安定的な成長」は不可欠の課題である。
短期的には、原発の安全性を確実にするために「原発関連に追加投資」が必要になるが、それも全原発ではなく4分の1以内に抑えるべきである。
さらに、再生可能エネルギーへの投資促進によって、発電コストの低減を図ることも優先すべきで、この費用も電力代に上乗せされて負担が必要になる。
だが、高い電力費の負担があると、足かせになって経済に悪影響が及んでくる。
そこで、政府と電力会社は、「石炭火力発電の増設」に踏み込もうとしている。

安倍政権は「経済成長戦略」を最重要視するとしているが、その方向も軸足も定まらない迷走状態に陥り、【口先だけの政策の乱発】に終始している。
電力費が高騰する原因を、国民が『原発の再稼働を拒否』していることや、『石炭火力発電の増設を認めない』論調のせいに責任を転嫁している。

石炭火力発電の『発電量当たりの[CO2]排出量』を大幅に抑制する技術手段は、現時点でも実現しているのに、知らないふりをして逃げている。
それは、石炭燃料に「バイオマス由来の燃料」を混合して、石炭燃料の割合を少なくして燃焼させる「混焼発電の技術」だ。

現在でも、一部の電力会社は、「カナダ製の木質ペレット」を輸入して、石炭火力発電の燃料に混合して発電を実施している。
ただし、「木質ペレット」では、石炭にくらべて発熱量が下がるために、混合出来る比率は5%程度に抑える必要がある。
これを木質ペレットではなく、発熱量の高い『木炭、または、バイオ炭』にして混合すれば、混合比率を30~40%程度に高めても、発電効率に支障ない燃焼が可能で、『発電量当たりの[CO2]排出量』は大幅に抑制される効果がある。しかし電力会社は、この様な『バイオ炭の混焼』には後ろ向きである。

その理由は、現段階では「木炭の生産コスト」が、輸入炭(主としてオーストラリア産)の価格の2倍以上になってしまうからである。
それ故に、国内には林地残材などの【未利用木質材が大量に放置】されていても、木炭に加工しての売り先が少なく、林業の停滞を引き起こしているのだ。

しかし、石炭火力発電の燃料費は4円/kWh.と廉価であり、これに30~40%程度の木炭を混合しても、混焼発電の燃料費は7~8円/kWh.程度で、石油火力発電の16円/kWh.よりも大幅に安いのだ。
中央政府は、この事実を知っていても「混焼発電」には踏み込まない。理由は?

将来の日本の電力費を下げる努力を図ることは必須である。

2013-05-02 | 快適エネルギー社会問題
日本の電力価格は世界から見ても割高であるコトは周知の事実である。
その理由は、地域独占による「電力会社の殿様経営」に由来しているが、これに対する対策としては、『発電・送電分離制度』の導入によって、発電事業を自由競争の環境に持っていけば、不透明な経営による無駄は、合理化されていく。
それには制度改革に時間がかかり、自民党の閣議決定では、2020年頃にやっと、自由競争が始まる段階になる。
それから、新規の発電事業会社が参入して、自由競争による価格低下が表れるには、さらに10年程度はかかるであろう。

それまでは、日本の電気料金は世界から見て高い電気料金で、企業経営を成り立たせる必要がある。
ひとつは方向性としては、価格競争に頼らない「高付加価値商品」を、次々に開発して行く事である。
さらに、「電力を使う比率が低い事業」を優先的に取り上げることである。
そうは言っても、将来の選択出来る分野が狭まるのは、日本にとって足かせになるので、早期に電力料金を世界標準以内に抑える努力を可能な限り図るのだ。

原発は、燃料費が安いからと言っても、安全対策や使用済み核燃料の後始末の費用が莫大に膨れ上がるので、安い電力の供給手段にはならないの明白だ。
現在の電力供給の比率は、原発2%、天然ガス42%、石油19%、石炭27%、水力8%、その他再生可能エネルギー2%である。
天然ガス火力発電の燃料費は、11円/kWh.であり、世界標準からみて、割高の燃料費で購入している。
この天然ガスの輸入先を多様化して、できるだけ安定的に供給を確保すると同時に、価格面でも有利になる交渉をするコトが必須である。

それと石炭火力発電の燃料費は、4円/kWh.であり、石油火力発電の16円/kWh.と比べて圧倒的に安価である。
この石油火力の比率を減らして、石炭火力を増やす方向が「電力コスト」を下げる方向になる。
しかし、石炭火力発電は、『発電電力量当たりの[CO2]排出量』は、0.943kg-CO2/kWh.で、天然ガス火力の0.599kg-CO2/kWh.に比べて、1.6倍も多く排出するので、温暖化対策に逆行して世界から批判を浴びる。

だが、この課題を克服して電力費を抑える方策があるのに、政府は動かない。(続)