庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

政権の目指すべき基本方針をもう一度見直して信を問え。

2010-05-31 | 暮らし・健康問題
鳩山連立政権が始まってわずか8ヶ月後で、連立の一角が外れることになった。
社民党の基本方針として、米軍基地の削減と沖縄県民への負担を減らすことが曲げられない主張であるから、筋を通して閣議決定を拒否し、連立政権からの離脱することは当然の判断であろう。
旧自民党の様に、何が基本方針かもわからないままに、その都度の世論の風を読みながら、対症療法をしてきた政党とは、違っている事を示した。

民主党も公約、マニフェストを掲げながら、何か不透明な既得権勢力とのつながりで、スジの通らない政策が紛れ込むのは、選挙で投票した人の信頼を裏切ることになる。
普天間基地の問題解決に向けて、民主党内閣の採った足取りは、お世辞にも努力してきたとは言えない、落第点の行動であった。
そもそもの基本は、在日米軍の規模、東南アジアの戦争抑止力から見ての、必要な戦略を再検討するところから進めなければならなかった筈である。
単に、沖縄の負担軽減を目指すだけでは、自民党政権時代の対症療法政策と、ほとんど変わらない結果になることは当然である。

政策実施において、利害が錯綜して意見がまとまらないのは、当然、予想されることである。
数の力で押し切るか、うやむやの玉虫決着のツケは、いつかは揺り戻して再検討を迫られる。

国の基本方針、ありたい国の姿を描いて、それによる国民の支持を問うのが、本来の選挙であり、政権交代の意義である。
基本にのっとった政策検討、外交交渉をしているプロセスを明確にして、信頼を回復しなければ、どんな政策も疑心暗鬼の目で見られて、レベルの低い決着に終わる。
ここでもう一度、ブログで書いてきた、政府の出直しに必要な基本方針を確認しておきたい。

・国民の健康と豊かな暮らしを守るには、経済の活性化と雇用を守ることを第一優先とする。
 経済界に対しては、これを優先し率先して雇用者を増やす産業を守ると宣言し、実行する。
 雇用者を減らし、生産拠点を海外に移し、それで利益を確保しようとする旧産業は守らない。

・「脱化石エネルギー」に寄与する産業を優遇し、特に「再生可能エネルギー産業」への最大限の支援をして、経済活性化の起爆産業として育成する。
 化石燃料大量消費型の産業は、徐々に構造転換して、最小限に必要な規模まで縮小する。
 これは、かっての石炭産業の終焉と同じ様に、軟着陸型の産業転換によって達成する。

・次の時代の日本経済をけん引する「新産業を育成」することに、最大限の先行投資をする。
 食料自給率の向上を目指しての農業を、高付加価値、高収益産業として育成し、活性化する。
木材資源自給率向上(2020年で50%)の為、日本の森林の長期視点により林業を再生する。
海洋国家利点を生かせる「海洋産業」を重視して、研究開発、事業支援を積極的に実施する。
この範疇に入らないで、雇用創出にも貢献しない宇宙産業と原子力産業は縮小していく。

このくらいの基本方針を確立しなければ、日本の将来は不安だらけで、デフレ経済のままになる。
脱官僚、小さな政府、など、形を目指すことは基本方針にはならない。各政党の基本である。

世界の国民の悲願は核廃絶、核物質の厳重な管理体制構築。 

2010-05-30 | 核エネルギー・原子力問題
国連本部で開かれていた核不拡散条約(NPT)の再検討会議で、核廃絶への具体的措置を含む64項目の行動計画を盛り込んだ「最終文書」を全会一致で採択し、28日に閉幕した。
10年ぶりに「核兵器禁止条約」の実現を目標に掲げる構想も打ち出した。
最大の核兵器保有国であるアメリカのオバマ大統領の熱意と外交的な努力が、この成果を生んだことが大きい。

日本は「核廃絶の世界」を一貫して標榜しながら、大きな役割を果たすことが出来ていなかった。
消極的なアメリカの前ブッシュ政権と親しいことを売り物にしてきた自民党政権の時代には、国民に対する密約隠しや表面だけの「非核3原則」の堅持など、嘘ばかりの不誠実な政治家によって、「核廃絶などは絵空事」と言う、大人の論理を当然としていた。
世界に最も重大な、かつ難問に対して、常に逃げている姿勢しか出来ない政治家、政党は、今後は信頼されないであろう。

核兵器の拡散の脅威は今さら書くまでもないが、核物質の管理体制に対する発展途上国の実態は、不安定な状況にあることが、さらに世界の安全を脅かしている。
アメリカは、核兵器の国際的な削減と同じくらいに、核物質(原子力発電の燃料、再処理など)の国際的な厳重管理体制を築くことを緊急課題としている。
これは、言うまでもなく、「国際テロ組織」が、世界で一番、管理状態の劣る地域を狙って、核テロの原料となる核物質を、略奪することから防ぐ必要があるからである。

1990年以降、冷戦終了後に核兵器の拡散防止は世界の悲願となっている。
同時に、21世紀の初頭からは、国の管理を離れた国際的なテロ集団による、破壊行為、自爆テロの多発などが、安全を脅かす大きな懸念になっている。
日本人は、その安全を維持する為には、最大限の負担を覚悟しておかなければならない。
沖縄の米軍基地による、事故の懸念を大問題視するのは当然であるが、それとは規模も被害の予測もつかない位に大きな懸念にある「核物質の拡散」と「核テロ攻撃に対する予防」については、全くと言ってよいほど、無神経、無関心、ノーテンキである。

民主党政権は、自民党時代の不透明さや官僚主導を批判して誕生したが、核物質の拡散に対する姿勢は、まったく自民党時代と同じくらいに曖昧でズサンな認識である。
その姿勢は、原子爆弾がすぐに造れる「ウラン燃料を政情不安のある国に広げる」ことになる「原子力発電所」を、国の後押しで売り込もうという、まったく理解しがたい行動に表れている。
売込に成功した先には、50年近くに渡って、核物質の管理が保証される確信は全くない。
売込の時点では政情が安定しているとか、政府の管理体制は信頼出来る場合もあるが、それが、10年、20年と確実に続く保証はないのである。

北朝鮮やイランの様に、世界に背を向ける政権が誕生する危険性も否定できない。
そこまで危険な状態にならないにしても、その国の経済が怪しくなって政府のガバナンスが弱体化すれば、不正を働く役人や組織から、核物質がテログループに渡ることが確実に起こる。
日本国民は「核物質の不拡散」を望んで、それを国是としている。
わずかな利益の為に「原子力発電の海外への売込み」が、それに反しているのは明らかである。

迷走の成果は日本の国民に戦争抑止力の意味を問うこと。

2010-05-29 | 暮らし・健康問題
ここ数カ月にわたってメディアを賑わした「普天間基地移設問題」は、前の政権が決めた方向とほぼ同じ決着となった。
これが今後の方向の決着として、多くのマスコミは伝えているが、大きな認識の間違いである。
結果はほとんど変化していないが、その迷走する議論のなかで、日米同盟がいかに不健全な状態にあるか、の問題を浮かび上がらせた。
沖縄に米軍基地が75%も集中している事実を、日本の国民がやっと知って、その不条理に気付かされた、と言うことが今回の成果である。

鳩山首相の発言のブレぶりや、それに対するジャーナリズムの理念を欠いた表面的な批判は、まさに、現代社会の弊害である「ワイドショー体質」を露呈している。
テレビカメラに向けたリップサービスを繰り返す政治家と、その言葉の表面的な印象によるだけのコメントを、深く考えもしないで、即興的に批判や揶揄するコメンテーター的なジャーナリストに支配されている現実が見える。

モノゴトの本質は何かと言えば、日本と東南アジアの安全保障の問題であり、いわゆる戦争抑止力をどうするか、の問題である。
結局、抑止力と言う意味が、国の政治家も専門家も全くと言ってよいくらいに曖昧なままに発言して、アメリカの軍部とその追従者の言うままにしてきたことが、原因である。
冷戦終結後の1990年から、東南アジアの安全保障、紛争対応に大きな変化があったが、それに対する日米安全保障の戦略的な意味も変わってきている筈である。
しかしながら、日本はその変化に対して積極的に向かうことなく、ズルズルと日本の戦略はアメリカの軍部のもとに支配される構造のままに置き去りにしてきた。

普天間基地の安全・騒音問題が起きても、駐留米軍の規模や内容はアメリカの言うとうりにしなければ、何も進まない状況を一切変えることはしなかった。
つまり、沖縄の米軍基地のある地域は、太平洋戦争後に占領されたままの状態と、なんら変わることがないままに、60年間以上置かれているのである。
その認識を、沖縄の人たちと、日本本土の人たちでは、大きな隔たりがあることを、心の底から気付かなければ、問題の改革は始まらない。

鳩山首相が、米軍訓練の一部で良いから、沖縄以外に移転を頼んでも全地域が「ノー」と言う。
米軍の戦略のもとに日本の安全保障、抑止力を必要とするならば、沖縄におぶさった、「NIMBY」(自分の裏庭にはイヤ)は許されない。

今回の鳩山内閣の「辺野古移設の閣議決定」は、この本質的な問題追及の始まりである。
前政権の自民党歴代内閣は、戦争抑止力の意味も掘り下げずに、ただタダ、米軍の海兵隊が沖縄にいることは必要だとしていた。
地元の理解も得られないままに、辺野古の沖に巨額の税金を投じて、米軍の言いなりになる基地を提供する決定を2006年にしていたが、何も進めていない。
鳩山民主党政権も、閣議決定しただけで、結局、たなざらしにすることになるであろう。
ジャーナリズム関係者も、ワイドショー体質は止めて、本質的議論を掘り下げるべきである。

限りない技術革新の流れから置き去りか?「電子書籍」の例。

2010-05-28 | 経済問題
電子書籍の登場が社会に何をもたらすか、大変興味をひかれる課題である。
ハード(機器関連)の革新が、その普及の速度を速めることは、十分に予想される。
また、関連する「コンテンツ制作」の大変革が起きる可能性も大きく、書籍では不可能であった、動画が取り込まれる。
DVD付きの書籍はあっても、一位とパソコンや再生機を使用しないで、記事を見る感覚で動画を見せることが出来るツールは、想像するだけでも、限りない利用システムが考え出されるであろう。

書籍の世界への影響は、5月21日、22日のブログに書いたが、本や雑誌の政策が電子化されれば、紙の使用量、印刷、製本、保管、流通、販売(書店)に大きく影響し、いわゆる「中抜き」が起きる。
書籍の機能を電子化するだけならば、中抜き分だけの付加価値、数字でいえば「GDP」が減少することになり、早い話が雇用の減少である。

アップル社の開発した「iPad」は、すでにアメリカで発売された結果、今までにない普及速度で広がっている。
日本の雑誌にも、その利用した実感を伝える内容が載せられ、動画が上手く掲載されることで、今までの書籍や雑誌とは、大きく価値が異なっている事を伝えている。
利用者にとっての価値が上がり、手に入れる価格が下がれば、普及が促進されるのは理の当然であり、使い勝手はドンドン進化することは間違いない。

従来の世界ならば、このような技術革新、流通革新は手放しで喜んで良い、文明の利器の登場と言えるであろう。
しかし、容易に想像がつく様に、技術進化に伴う、「中抜き、労働の節約」は雇用の減少によって、失業のリスクが大幅に高まる。
そこまで行かなくても、書籍や雑誌の価格低下を強いられて、その関連で働く人たちの人件費を下げることが、マスマス、業界にとっての負担になる。

だが、どんなにあがいても、書籍の電子化の流れは止まらないし、むしろ、他に革新が進む新技術や新産業の分野が少ない状況から、多くの企業の参入が予想され、競争が激化する。
利用者にとって魅力が高まることで、紙の書籍から離れる潮流は止まらない。

これは、「IT技術」の進化によって、もたらされた結果の情報革命であり、流通革命の一環であるが、日本は、この産業分野で既に出遅れている。
さらに、これは雇用機会の消失でもあるので、傍観していては、取り返しがつかないくらいの事態にさらされる。

日本の経済産業省は、「IT技術」による革新の潮流を読めずに、業界ともども、世界から置き去りにされかけている。
「重工長大」産業ばかりに加担していたツケは、あらゆる分野に回ってきている。

生活の基盤であるエネルギー政策が省益に縛られている。 

2010-05-27 | 海洋産業問題
日本の国民生活の将来を左右する「エネルギー政策」が、経済産業省の所管であり、今までは省益によって立案されてきた。
政治家は、その中身の是非は良く解らないままに、専門家の言うことだからと、鵜呑みにしてきた場面がほとんどである。
その結果が、化石燃料に多大に依存する脆弱な体質と、国民の信頼を得られない原子力発電への執着である。

今回の新政権になってからは、従来の体質は温存されたままに、表向きは「温暖化対策」にシフトをした姿勢を打ち出している。
今年の4月に「資源エネルギー政策の見直しの基本方針」(案)を発表して、時代の流れに適応していく姿勢をアピールしているが、基本は省益から抜け出ていない。
本来は、国の基幹にかかわる長期視点の課題であるから、国家戦略局(現在は室レベル)として内閣の生命線の政策扱いで決めていくべきモノである。

温暖化対策基本法が国会審議中(衆議院を通過)であるのに、官僚の出番を先につくって、既得権の擁護と存在感を示そうとの、隠れた意図が透けて見える。
政治家主導の長期のエネルギー政策が、本当に質量とも充実する為には、官僚の手から戦略的な部分は採りあげて、政権の命運をかけて戦略を創り上げて、国民の信を問うべきである。

経産省としては、相変わらず「エネルギー政策の筆頭」に「原子力発電の推進」を掲げている。
この方針に対して、国民の是非を問う仕組みは盛り込まれていない。
民主党の原子力族議員を抱き込んで、産業界の原子力既得権族と連携で促進政策を進めている。
表向きは、もちろん「温暖化対策」であり、「エネルギー安全保障」を前面に出している。
前回までの「再生可能エネルギーの導入拡大」政策は、ほんのツケたし程度の扱いであったが、
さすがに今までの20年間の空白の反省もあって、今回の(案)では2番目の扱いになっている。

しかし、その中身といえば、20年間の不勉強がたたって、ほとんどが既存の技術と産業の後追いをしている計画ばかりで、国家戦略として打ち出す様な長期視点の政策方針は見受けられない。
ヨーロッパ先進国やアメリカのグリーンニューディール政策の引写しに近い部分ばかりである。
今までは、それすらも学んでいなかったのだから、少しは進歩したと見るべきかもしれない。

このブログで書いてきた「バイオマスエネルギー源としての『藻類』の研究開発」については、アメリカの研究が盛んなことに影響されたのか、初めて言及している。
2015年までには「微細藻類の研究開発の推進」、2020年までに「微細藻類の研究開発の本格化」、そして2030年には、「微細藻類によるバイオ燃料の本格的増産」を目指して、施策アクションプランをつくるとしている。

「資源エネルギー政策の見直しの基本方針」にもりこまれた「再生可能エネルギー促進策」は、世間で話題に上がっている「テーマの名前」を羅列しているにすぎない。
日本が海洋に恵まれた『海洋資源国家』の素質があることなど、一切、眼中にはないと言える。
海の部分は、「農林水産省」の所管であるからとの、省庁縦割りの弊害そのモノの表れである。

経団連に左右された空白の20年間を謙虚に見直すべき。

2010-05-26 | 経済問題
日本の空白の20年と言われる1990年以来の経済停滞は、実業界の保守的な考え方に大きな原因がある。
初期は不動産バブルの崩壊に始まる金融業界の不良債権問題に、ずっと経済活動の足を引っ張られた。
中期は構造改革路線により、企業間の競争激化を促進させて経営の改革を迫ることで、企業競争力をつける狙いが、グローバル化の波と円高、デフレなどの要因で、企業の力は削がれる一方であった。

そして2000年代は、将来の地球的な課題としての「脱化石燃料化」と「気候変動対策」に向けての「新産業の育成」に、産業界は目を向けることせず、貴重な時間を浪費してしまった。
今になって、これからは「グリーン産業の分野」が経済成長に不可欠となって、やっと、重点にする機運が盛り上り、取組を強化している始末である。
時間をロスして20年遅れで、日本は世界の中で競争しなければならない状況に置かれている。

これには、産業界のリーダーたちは、自分の判断ミスを謙虚に反省しなければ、ケジメもつかず、日本全体としての活力が再生せず、うまく進まない。
その代表例は、1992年のブラジル・リオ・で実施された気候変動枠組み条約が締結された時代に、日本の産業界の認識は、温室効果ガスを削減することに、全くと言ってよいほど関心がなかった。
その後の1997年に京都で、削減目標の枠組みが交渉され、日本は「環境先進立国」を目指す方向で、温室効果ガスの削減目標を、1990年比で6%削減として、議定書を締結した。

この時期が、産業界の意識転換にとって大事な時期であったのに、当時は、「CO2排出削減」の政策は、産業活動の足を引っ張る影響が大きく、できるだけ避けたいと言うのが本音であった。
その逃げ腰の表明として、経団連は「自主行動計画」を発表して、産業界の削減義務付けを回避するよう、政府に強く働きかけをした。
排出削減には、規制的な政策よりも企業の努力を効率的に引き出す、自主的な取り組みが優れている、という論法である。

この自主行動計画には、日本の主要な排出産業、36業種が参加していた。
政府は産業界の自主性を尊重することで、経済の活性化を期待したが、まったく当てが外れ、それは2010年時点において明らかに破綻している。
新政権は、「温暖化対策基本法」を制定して、産業の自主行動に任せる今までの政策を放棄し、効果的な規制措置や、税制(温暖化対策税)の改革によって、「CO2排出削減」を加速させる方針に転じている。

経団連が主導した「温室効果ガス削減の自主行動計画」に頼る見せかけの取組では、旧体質の産業構造が、あらゆる面で邪魔をして、日本経済の再生は見込めないであろう。
日本経団連の旧体質を、刷新することが日本経済の再生には不可欠である。
行政の停滞と腐敗ぶりは、事業仕分けに代表されるように、問題の構造が次々と明らかになった。
経済界の政界、官界との癒着、腐敗構造を改革しなければ、さらに10年の空白が待っている。

税金の無駄使いは恣意的な業界優遇「エゴカー減税」にも。

2010-05-25 | 交通問題・自動車
日本の将来産業を育成することの重要性は、すでに多くの人の共通認識である。
しかし、どの産業をどのような方向へ向けて育成するかとなると、議論は深まっていない。
たとえば、自動車産業に例をとって見ても、将来へ向けての戦略構想は曖昧なままに置かれて、当面の動きと目先の問題の対応を追いかけているだけの政策が多い。
特に近年における「エコカー優遇」の政策は、支離滅裂に近い状態で、担当官庁の良識を疑う。

本日の朝日新聞(5月25日朝刊29面)に、「エコ助成、大型に甘く」の見出しで、昨年の自民党政権が実施した「エコカー減税」の隠された矛盾を指摘している。
これは、このブログで2010年1月23日に『賢くない減税の代表になっているエコカー減税』として、経済産業省の現実迎合主義を批判した内容と、同じ趣旨である。
現行の「エコカー減税」は、省エネルギー推奨の看板を掛けた「エネルギー消費奨励策」である。

事例として、ガソリン乗用車の燃費基準を見てみる。
これは車両区分毎に、燃費の目標基準値を定めたものであるが、区分は車両重量毎に区切られる。
702㎏までの乗用車は21.2km/㍑(10・15モード)で、もっとも基準値が高くなっている。
1516~1765㎏の乗用車は10.5km/㍑で、半分以下であり、重量が重い車ほど、目標燃費基準が低い状態である。
これは、省エネルギー目標を決めた当時の「経産省のトップランナー制度」で、目標燃費を数値化して、各企業にそのクラスのトップ性能の数値目標で、企業の自主努力を促す制度であった。

それが、いつの間にか、エコカーを認定する基準に横滑りして、この目標基準を上回る数値によって、減税額を算定する制度に化けてしまった。
つまり、重量が重い車は努力する目標値が低いので、達成が比較的容易であり、減税の恩恵を受けやすい制度となってしまった。
国民の目を欺く、トンでもない制度であり、その上、お話にならない抜け穴ができた。
それは、たとえば、1760㎏の乗用車を売るよりも、装備を10㎏追加して、1770㎏の乗用車として売ると、目標燃費基準が緩くなり、8.9km/㍑で良いことになる。
その有利な分をエコカー減税の恩恵で、購入者の費用負担が減ることに、貴重な税金が使われる。
より燃費の悪い乗用車を購入する様に仕向けている、「お粗末としか言いようがない制度」に化けてしまった。

昨年の4月から今年の4月までに、約250万台に約3240億円の補助金を出して、「エコカー優遇」との名目で、「エネルギー浪費車」の販売支援をしてきたことになる。
もちろん、本当にエネルギー節約になる「本物エコカー」がほとんどであるが、その抜け穴を利用して、自動車業界の利益の回復に税金を投入したとしか思えない。
経済産業省の役人に「確信犯」がいることは確実で、いつかは自動車業界に隠れ天下りをする、恩恵を期待していることであろう。

このお粗末な政策は麻生内閣の責任であるが、それを引き継いで、いまだに改革をしていないでズルズルと同じ制度で税金の無駄使いをしている、だらしがない鳩山内閣にも責任がある。

日本の国民生活を支える重要な新産業を腰を据えた戦略に。

2010-05-24 | 交通問題・自動車
日本の将来を担う産業政策を担当してきた経済産業省は、迷走を繰り返してきた。
現在、日本の国策としてとり上げる「環境先進技術」については、1990年代から重要視する声があったにも関わらず、既存のエネルギー既得権産業に押されて軽視してきた。
今、その取り組みの遅れが原因となって、世界のトップに出ることは容易ではない状況にいる。

以前にも通商産業省時代に、自動車産業と航空機産業の将来性において、判断ミスを重ねている。
1980年代に大躍進して、日本の屋台骨を支えている自動車産業は、1950年代には自動車産業無用論がほとんどであった。
ヨーロッパやアメリカの自動車を輸入する方が、日本の国としては経済的だという論法である。

確かに、当時の道路はひどい状態の地域が多く、自動車がアメリカの様に普及する筈がない、と想定して、少ない需要での国産車育成は無駄であるというのが常識であった。
それが1960年代には、ヨーロッパ製自動車のノックダウン製作から始めて、ライセンス生産(技術をそっくり同じに真似して、同じ仕様で日本でつくる)に移行し、徐々に技術力をつけてきたことで、日本では、3社位の自動車メーカーがあってよいとなってきた。

ここで通産省は、大きな判断の誤りをしそうになった。
日本の国力からして、自動車企業が多すぎると、どの企業もひ弱になるから政府で企業を選定して3社を選び、その他の企業は乗用車生産を禁止する、という、社会主義的な政策である。
これが誤りであったことは20年後には、はっきりしたが、通産省の役人がいかに先の見通しが出来ないかの、証拠となっている。

航空機産業の分野では、これと反対の過ちをしている。
将来の航空交通時代の到来を予測して、国産の旅客機を開発して日本の企業で製造し、開発技術者と生産技術の育成を図っていこうと言う、判断である。
1962年には、「YS11」の試作機が初飛行をして、問題はいろいろと発生したが、戦前に培った航空機技術の伝承もあって、1964年には、販売出来る旅客機が完成した。
それ以来、日本の各地の地方航空路で活躍した。

生産した総数は182機となり、うち75機は海外の途上国に販売した。
騒音が大きいなどの弱点もあったが、頑丈で耐久性があり、故障も少ない安全な機体として、長く使われて、今でも一部が航空自衛隊で使われている。
しかし、製造コストが高くついたので、1972年には赤字の累積が原因で製造を中止してしまい、せっかく手がけた航空機技術を将来戦略もなく、放棄してしまった。
現在の世界では、100席以下の旅客機はブラジル製とカナダ製が寡占状態に普及している。

日本は三菱重工が、2014年に「MRJ」を旅客会社に引き渡すべく開発をしているが、日本の国としての戦略は、一切、出来ていない。
航空機産業を、将来にわたって育成する国家戦略はできているのか、経産省には全くない。
小型旅客機の分野すらも国産機を想定しないで、何故、国産ロケットにこだわるのか。不可解!

賢くない政府と愚かなジャーナリストの罪が国民を犠牲に。

2010-05-23 | 経済問題
お金の使い方が賢くないと、海外の新興国に産業を奪われて、国がドンドン、貧乏になっていく。
賢くない事例としては、現在進めている事業仕分けなどによって、いかに税金が無駄に使われていたか、唖然とする例が多い。
これは、しっかりと見直して、とにかく浪費に近い使い方をしている、独立行政法人や天下り公益法人を整理することが、先決であろう。

しかし、国民はこの様な国の腐敗ぶりをみて、借金体質の国や地方自治体に希望が持てない状況に陥っている。
10年くらいは、先々、無駄使いをなくすことに重点が置かれて、それでも足りない分は、消費税などの増税で取り繕うしかない、と委縮した気分が蔓延し始めている。
だから個人の意識は自己防衛に走り、できるだけお金を使わずに節約、倹約、貯蓄に励むのが、賢明な行動だと言うことになる。

朝日新聞(5月23日朝刊6面)に、電通総研が国民の意識調査をした結果が載せられている。
これによると、75%の人が10年後の日本は、「今より良くない」と感じている。
さらに、老後の生活にお金の面の不安を感じる人が50%を超えている。
重点的にお金を使いたいところは、「ゆとりを持って生活できる蓄え」が60%でトップである。
政府のバラマキ的が景気の刺激策でも、国民は消費を増やさずに、将来に備えての貯蓄に回すのが大半であって、より安い商品、サービスを求めるので、「GDP」を減少させる力は、圧倒的に強い傾向が続く。

同じ調査の中でも、一方には、目指すべき方向性も見えている。
環境や社会問題には関心が高く、買い物などでは、「公共性を考慮すべき」を45%、「値段が少し高くても環境に配慮した商品を選ぶ」が、47%の人が回答している。
つまり、政府や自治体は、この面に向けての国民行動を積極的に支援し、奨励する方策を立てて、賢いお金の使い方をしていけば、消費者の行動は活発になってお金を有効に使いだす。
それが需要の増加となり、生産活動やサービス産業が活性化して、雇用の機会や環境が改善する。
そして初めて国民の意識が、10年後の生活は、「もしかしたら良くなることもありそうだ」と、転換してくる。

このような図式は誰でもわかっているのに、政府関係者は、まったく実効が伴わないことばかりに、行動のエネルギーを振り向けている。
仕事がこなくて困っている事業者が圧倒的に多いことを知りながら、雇用機会を増やす政策は後回しになるばかりである。
マスコミも、戦争抑止力の内容も分析して伝えないで、沖縄普天間基地の移転問題を、8カ月の長期にわたって、政権の迷走ぶりを批判して騒ぎ立て、国民の意識を混乱させる。
限られた紙面やTVの放送枠を、不安を掻き立てる扇動に終始するジャーナリストの罪は重い。

鳩山政権の目玉政策であった「国家戦略室を局に拡大して、成長戦略を主導する」公約は、その谷間に埋もれて、今国会での法案成立は見送りとしてしまった。
この重大な政策の停滞を伝えないマスコミは、政府と同じくらいの迷走ぶりと言えるであろう。

電子機器デジタル化の革命は世界の潮流。世界先端を行け。

2010-05-22 | 経済問題
現代は技術革新が、経済成長の指針である国内総生産「GDP」を減少させる傾向がある。
電子書籍の技術は、人類にとって画期的な革新で、知的財産を広く効率的に広める素晴らしい革新技術である。
しかし、その革命的な流通効率の向上によって、多くの分野で中抜き現象が起きて、雇用が失われる状況になる。

これは電子化、デジタル化の宿命であって、抵抗しがたい潮流であり、進める必要がある。
やるからには、その最先端を走る覚悟で、技術と流通と制度の最高レベルを目指すべきである。
電子書籍の端末機器(iPadなど)の商品化の分野で、アメリカ勢にはるかに遅れたことは、日本の電子機器業界の油断による責任が大きい。
今からでも世界標準にできるレベルの優れた機器を開発して、世界のトップを進む勢いをつけるべきである。

この分野の機器の開発と生産で、大きな研究投資と生産設備への投資が必要になるであろうが、それを「電子立国日本」を標榜してきた「IT国家戦略」は、無残にも失敗して、半導体、液晶など、後発の韓国に追い越されている。
これの原因に、国内企業の法人税率が40%であることをあげる産業人が多い。
韓国などは、国の産業振興策で25%程度の実効税率になっているから、競争環境は不利になっていて、新規の分野への投資出来るお金が少ないと・・・・・・。
重しを背負わされた企業が、海外の企業との対等の競争を出来ない様にされているのが原因だ。
これを改革せよと法人税率の引き下げを要求している。

しかし、一律に法人税を下げることは、マスマス、国の財政を悪化させる。
自民党内閣は、「IT国家」を目指した森内閣も含めて、何もしてこなかったのが実情で、だから負けてしまった。と言うのが、電子機器企業の言い分であろう。
しかし、法人税を下げて企業の収益を増やしてあげても、国家の重要産業分野の投資にお金が向かうかは、保証の限りではない。
むしろ未知の分野、リスクの多い新産業への投資よりも、海外市場への生産移転や海外市場開拓の資金として、外国に流れる方が圧倒的に多い実情である。

効果的な「新産業」分野の育成の支援となる様な、政府のお金の使い方をしなければならない。
電子書籍の分野であれば、国内の学校で使う教科書には、計画的に「電子教科書」にすることもひとつの支援策になる。
電子書籍の機器を国の費用ですべて賄い、小学生から使える様にしていけば、関連企業の研究投資と生産設備の増強を図るリスクが大幅に減らせる。
この分野からならば、紙の書籍への影響は最小にできて、小学生から書籍に親しむ習慣がつく。

雇用問題の根幹は、「新産業」を育成して継続的に拡大していかなければ、将来は危うい。
その新産業分野には、国が腰を据えて支援し、有利な条件で戦える様にすべきである。
このような国家戦略を早急に立てて、国民の支持を得ることが政府の最大の役割である。

技術革新は経済の停滞とGDPの減少を生みだす怪?

2010-05-21 | 経済問題
経済が成長している状態をどうやって判断しているのか、少し考えてみよう。
そんなことは常識だ。国内総生産という[GDP」で、統計が発表されるのを見れば解る。
これが20世紀までの、だれも疑わない真理と思われていた。
しかし、あらゆる場面で、この常識は崩れている。

最近の話題に上っている、「電子書籍」の事例をみると、マスマス、20世紀の常識はくつがえされている。
書籍は、2000年くらいに渡って進歩してきたが、材料に紙を使って、それに、墨で書いたり印刷されたもので、基本的には変化がない。
もちろん紙の製造は飛躍的に品質も向上し、印刷の価格も下がって、書籍の価格は、先進国の人なら、だれでも買える値段になっている。

これが電子書籍となると紙と印刷がなくなり、デジタル情報が回線を通って発行元から直接、読者に送られる。
紙と印刷と製本と保管、輸送がすべて不要になる。
書店を介さないから、これらにかかる経費はすべてゼロになるので、電子書籍の価格は大幅に安くなるのは必定である。

たとえば、「iPad」用に電子書籍を、講談社から新刊本で700円~900円で販売される。
紙の本の状態で書店で売る価格は1600円の書籍が、半額になることになる。
これは、読者にとっては朗報であり、書籍代が削減出来て大喜びになる筈である。
しかし、すぐわかる様に、紙の売上げ減、印刷業者の仕事減、保管・輸送業者の収入減が起きることは必定である。
日本全国の書店が、書籍の取り扱いを大幅に奪われることで、雇用、経済の悪化は免れない。

これらはすべて、国内総生産「GDP」の減少となって、経済水準は悪化したと判断される。
書籍の内容を読者に伝えるという、価値は減っていないのに、経済成長の価値は低下する。
書籍の価格が半額になったからと言って、2倍の量を購入して読む人はいない。
初期の段階は、電子書籍の道具「iPad」を購入するから、その分は「GDP」向上に寄与するが1次的である。(この商品は日本国内でつくっていないので、販売利益分しか貢献しない。)

この様に、21世紀になってからは、多くの技術革新、流通革新は、飛躍的な変化によって価格の低下に寄与するが、その価格が下がった分以上に消費は増えない。
つまり、技術革新、流通革新は、全員が貧乏になる方向に動いている。
政府から発表される経済の動向は、この「GDP」の数字で評価されるから、デフレ状態であると解説がついてくる。
それを聞いた企業経営者と消費者も、先々の経済停滞を覚悟して、財布のひもを引き締めて節約に励むので、さらに経済活動、お金の流通は減少していく。
いわゆるデフレスパイラルになる。
これは、今の経済学や評価の方法が、現状には全く合っていないことに原因がある。
しかし、景気が悪化していると言われたら、誰が積極的にお金を使うのか?
それが課題だ。

政権による故意の優遇は政府の堕落とモラルハザードを起こす。

2010-05-20 | 核エネルギー・原子力問題
日本の裏側で起きている大きな事故について、アメリカの経済学者、ポール・クルーグマン教授(08年ノーベル経済学受賞者)が、ニューヨークタイムズにコラムを寄稿している。
メキシコ湾の原油流出事故を採りあげて、現代の経済活動と政府の関係に大きな問題点が見られると指摘している。
その中で、企業のモラルハザードと、政府の堕落について具体的な事実をあげて、傾向を発している。

メキシコ湾の原油基地は、イギリスBP社の掘削基地だが、アメリカ政府の内務省下部組織の鉱物資源管理局の認可のもとに操業している。
しかし、管理局の認可の条件は、リスク管理の面でかなり甘い基準になっていた。
原油基地の事故予防に対する適切措置はBP社では講じていないで、事故時の遮断システムが多くの諸外国では標準であったにも関わらず、許可の条件にしていない。
また、堀削に伴う環境リスクを最小限に評価して、BP社に環境への影響の詳細な分析を求めずに石油基地の操業を認めていた。

これらの故意の優遇は、ブッシュ政権時代の天然資源を採掘する産業に有利な様に、政府の管理組織が運営されてきたからである。
そして規制の責任部門の判断は、採掘産業と共和党のロビイストによって、支配されていた。
中には、詐欺に近い事例や薬物、乱交問題まで、引き起こされていたと言う。
政府の規制当局が政権の意向によって、故意に有利に扱うと、組織の腐敗を招く。
それが政権交代後の事故が起きた時に表面にあらわれて、その代償は、環境の大幅な破壊と、後始末の費用を国民にツケとして回すことになる。

原油の流出事故が起きなければ、BP社は莫大な利益を得て、ロビイストや政治家、官僚に回したお金を十分に賄えるし、経営者のボーナスも大幅に増える。
しかし、甘いリスク管理の代償として、事故が起きると莫大な経費が必要であり、それを一企業が全部を負える規模ではなくなる。
その前におきた、サブプライムローン破綻に発する金融業界のパニックの状況と同じである。
儲けはすべて、甘い判断をして突っ走った経営者と関係者に入り、事故が起きれば、損失は政府の費用、つまり納税者のお金で後始末をつける。
典型的な「モラルハザード」の事例であり、石油産業も同じ穴のむじなであった。

オバマ大統領は「政府は安全基準を順守させ、流出した原油が、その流出を招いた企業によって一掃されることを確実にするために存在する」と主張した。

納税者に損失のツケを回す事例を、地球の裏側での事故と軽く見過ごしていてはいけない。
日本での「モラルハザード」を引き起こす兆候はないか、しっかりと監視して予防をすべきだ。
業界の意向の代弁をする政治家の口利きと、その業界に隠れ天下りで便宜を図る官僚組織との癒着構造が、いたるところに見えているのではないか。
特に、原子力産業界と経済産業省、原子力族議員の関連は、このアメリカの共和党政権と業界の癒着状況に重なる状況が見えている。
大きな事故が起きなければ良いが、と願うばかりである。

適切な政策を実行することこそが日本経済を元気にする。

2010-05-19 | 経済問題
日本が京都議定書において、1990年比で2010年(2008年~2012年の5年間平均)に、温室効果ガスを削減する目標を、国の責務として条約を締結した。
これは、日本がそれまで進んできた化石燃料に依存する体質から、脱化石燃料、再生可能エネルギーへの転換に進路を変える重要なチャンスであった。
ところが、その後の自民党政権は産業界の守旧派の主張にくみして、再生可能エネルギーへの優遇政策をほとんど後退させてしまった。
良く知られている様に、それまでは、太陽光発電の技術革新により、日本では世界一の設置量を達成し、国内企業の生産規模でも、世界一を維持していた。
しかし、優遇政策はもう必要ないとして、太陽光発電の一般家庭用への設置補助金を廃止したために、一気に普及にブレーキがかかり、2008年には世界6位に後退してしまった。

さすがにここまで歴然と政策のミスがハッキリしては、「老害事眠党」でも見直さざるを得ず、2008年から優遇政策の見直しに取り掛かり、2009年の秋には、家庭用太陽光発電の電力を、余剰分に限って、大幅に優遇価格で買取る制度を発足させた。
これはドイツやスペインなどの太陽発電の普及が大幅に拡大した国の政策を真似した後追いで、太陽光発電の余剰分(家庭が自家消費した残り)しか優遇しないケチケチ優遇策でしかなかった。
連立新政権では、それでは普及の拡大が不十分として、現在、太陽光発電に限らずに、風力や地熱、小規模水力、バイオマス発電など、普及促進すべき再生可能エネルギー分野を網羅する、優遇制度を法制化しようとして進めている。

朝日新聞(5月19日朝刊10面)に掲載された報道では、日本の太陽光発電の設置量が、世界の第3位に再浮上してきたと報じている。
前年度の2.6倍に拡大 した。政府や自治体の補助政策により住宅用がけん引、市場規模はドイツ、イタリアに次ぐ世界3位(08年は6位)となった。
09年1月から政府の補助金が再開されたほか、11月からは発電した電気のうち、家庭で使わず余った分を電力会社が 割高な単価で買い取る制度が設けられた。
住宅1軒当たり200万円前後とされる初期投資の負担が軽減されたことから、住宅用の市場は前年度比2.8倍になった。
欧州向けは18%増、米国向けが42%増だった。
 最大手メーカー、シャープの09年度決算で太陽電池部門の営業損益が黒字に転換するなど、国内市場の伸長は国内の関連企業の業績改善にも寄与した。

日本の国民は、環境に良い商品を購入する意欲は十分にあるから、少しでも後押して支援をすれば国内の需要を大幅に押し上げ、その効果で生産企業も活発に国内生産規模の拡大に投資をして輸出能力も向上し、雇用機会の増加に貢献している。
しかし、旧自民党政権は、その少しの補助金を廃止し、安易な海外の排出枠の購入に向けた。
ウクライナから温室効果 ガス排出枠を購入した際に支払った代金が、ウクライナ政府内で所在不明になったとされた問題も起きている様に、まったく効果の少ないところにお金をつぎ込む、愚策の典型である。

税金の使い方が効果を生まない政策の連続で、日本は活力を失ったと言える。
これからは・・。

新政権に期待した国民の批判は国家戦略創りの停滞にむけよ!

2010-05-18 | 経済問題
経済の成長戦略が一国の重大時であることには異論はないであろう。
しかし、どうやって経済を活性化して成長の軌道に乗せるのかは、ほとんどの識者やジャーナリズム、評論家は具体的な答えを持っていない。
従来の経済学者の中には、デフレ経済においてはインフレターゲットを設定して、お金を潤沢に供給することで経済成長率を3~4%を達成すべきだと言うが、中身のないむなしい提案である。

世界中ではインフレを起こすくらいにお金を潤沢に供給しているが、そのお金は、産油国の石油利権にあずかっている超高額所得者の保有金額の数字を増やすだけになる。
その保有金を高利に運用しようとして、マネーゲームが活性化して、世界金融市場は賭博場と化して、あらゆるところでバブルを起こしている。
少しのバブルは資本主義経済の必要悪としても、少し目を離せば過剰のお金によるバブルと崩壊を繰り返して、まともな経済活動の弊害になる。

経済成長に貢献する確実な投資は、やはり生活に必要な消費財を生産する、モノつくり産業の活性化を狙うべきであろう。
それは、かっての日本がアメリカ的な消費生活を追って、製造業に集中的な投資を繰り返して経済成長してきた実績でも明らかである。
今は、それを後発の新興経済発展国(中国、ブラジル、インド、など)が、後追いをして高い経済成長を遂げている。

豊かな消費財がひと通り、国民の手に入った先進国では、消費経済をけん引する魅力のある商品、サービスを新開発して需要を呼び起こさなければ、経済は活性化しない。
その発想とアイデアは、学識経験者や経済学者、行政官僚の頭からは出てこない。
それに取り組んでいる企業や産業の活動を、大きく加速させることにお金を集中すべきである。

では、その産業とは何かを検討すべきであるが、新政権の国家戦略室が力不足で、明確に打ち出している方針は数少ない。
日本の経済規模を成長させるには、そのような新産業を多方面に打ち出さなければ無理である。
とはいっても、投資出来る資金は制限があるので、優先する新産業を選択する必要がある。

そこで「本当の事業仕分け」に取りかかるべきであるが、まず事例として宇宙産業を採りあげる。
これは、従来からの日本の科学技術を進化させる目玉として、祭り上げられているが、国産ロケットの必要性はなく、関連技術による新産業への波及効果はないに等しい。
まずこの方面への研究投資は2030年頃までは優先度を下げて、基礎的な研究にとどめておく。
次に原子力産業では、雇用の創出が期待できる可能性はなく、まったく低い実績である。
地元産業への雇用効果は殆どなくて、原子力発電所のある地域のモノつくり付加価値(収益)は、他の地域に比べて1/3程度にとどまる、という研究データもある。

新政権に期待していた国民は、普天間基地問題の迷走を批判するよりも、本来の目玉政策である、
経済成長と国造りの基本を決める国家戦略室の活動の遅れと停滞を徹底的に批判すべきである。

国を守るのは海兵隊基地ではなくて雇用を生み出す新産業。 

2010-05-17 | 経済問題
新政権の課題は山ほどあるが、日本のマスコミはやたらに流行性にある話題を追い求めて、過大に取り扱う傾向がある。
それが日本の人たちに影響のある大事な課題であるならば、おおいに調査を進めて報道し、その問題点を視聴者に分りやすく伝える必要がある。

しかし、限られた紙面や放送時間の中では、当然、扱う量は限定されるので、あまり重要でないことの取り扱う量を増やすと、大事な問題は小さく扱われてしまう。
これは、マスコミの役割において、重要なモノを小さく扱い、それほど大きな影響がないモノを過大に扱うと、世論がそれに流される懸念が大きい。

今、盛んに採りあげられる、沖縄の海兵隊基地の移転問題を、日米の大問題の様に扱って、結局は半年で解決できる様な筋道は出来ないのに、期限を守らないのは責任問題だと、騒ぎ立てるのは、マスコミの浅はかない流行主義にすぎない。
本当に大事な課題は、日本人の将来に生活を左右する、グローバル経済に対する本格的な取り組みの問題である。

1990年頃のバブル崩壊から、日本経済の停滞は顕著であり、歴代の政府はお金を大量に投じながら、一向に改善の道筋を示すことが出来ないで来た。
橋本内閣、小渕内閣は、公共事業に大量にお金を投じたが、これは、いわゆる箱モノを増やし、コンクリート国家を推進する政策に終始して、挫折している。
その後の小泉内閣では、民営化、規制緩和が経済再生のカギだとして、華々しく活動したが、外需に依存する企業の業績回復だけにとどまってしまった。
そのあとの一年内閣は、何もできなかったことは記憶しているでしょう。

それで、政権交代後の連立内閣では、何を実施しているのか、マスコミは少しも伝えていない。
経済停滞は底打ちをしたと言うが、海外に比べると、停滞したままで上昇の傾向にはない。
経済界は、盛んに法人税の減税を要求し、旧政権の自民党も言いだしているが、これは、財政赤字を増やすことは確実である。
企業な減税の恩恵を国内には還元せずに、必ず経済成長の可能性が高い海外市場への投資に向けてしまう。

その上、現在の企業は国内生産を増やす機会があれば、海外生産に移していく動きが活発になる。
国内の需要増加には、海外生産品の輸入の方が利益が出る可能性が大きいからである。
代表的な産業である自動車は、すでに低価格帯の商品は、どんどん、海外生産に移行する計画が進んでいる。
昔は繊維製品が海外生産になり、次の時代には家電関連が1990年代から活発に移転した。
大きな雇用を維持する自動車生産も例外ではなく、確実に国内生産は減っていく傾向である。
それに対する政策が適切に打たれているかが、大きな課題であるのに、雇用問題を伝える報道は、ごくまれにしか目に触れない。
基地問題よりも雇用を守る新産業の育成こそが最大の課題である。