庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

日本は技術革新によって常に世界の先端をすすむべきか。

2014-08-31 | 経済問題

日本の将来の活性化には、「高付加価値の製品」を生み出す改革が必要だと言う論には多くの人が賛同する。

しかし、どの方向に力を注ぐかでは議論が錯綜して、一向に方向が定まらない。

自動車産業でいえば、ひとつは次世代自動車の技術を省エネルギーに向けて革新する方向である。

具体的には『ハイブリッド自動車技術』の進化を進める方向で、今のところ世界の先端を行く技術開発で、日本市場の活性化に役立っている。

 

しかしながら、省エネや生産コスト削減など、ニーズに沿った改良を重ねることは、日本は得意とするが、根元から革新する技術で新たな需要を創りだす様な革命的な分野は不得意である。

それは、日本は軍事技術をベースにした発明には適していない国情だからだ。

アメリカの様に世界中から優秀な人材を呼びこんで、国策的に軍事的優位を保持する仕組みが出来ている。

世界70億人の半分を対象に、大学に招いて選別して能力を開発している。

一方の日本は1億人を対象に選別して細々と研究する程度しか出来ない国情だ。

 

宇宙産業分野やバイオテクノロジー等、先端科学技術では、どうして先頭に出ることは難しい国力の限界がある。

技術革新に挑戦し続ける努力はすべきであるが、挑戦する分野は、賢く選択することが、日本にとっての戦略であろう。

軍事技術の延長上の【宇宙開発関連事業】への挑戦は、「身の丈を考慮すれば、潔く撤収」を決断すべきであろう。

先端科学技術への日本の挑戦力は、アメリカの30分の1程度であると認識すれば、全方位的な技術開発挑戦は、避けるべきだ。

 

それよりも、日本の国民性の特徴に適した、繊細性や感性にベースをおいた「独特の分野での革新」を続けるのが賢い選択なのである。

また、島国の特徴に注目し、世界6位の海洋面積国家である利点を活かすことで、アメリカ、中国、EU諸国をしのぐ「革新技術へ挑戦」が必須であろう。

このブログで書いてきた様に、国としては海洋産業国家の路線を目指すのだ。

そして、各地域の風土と文化、特産物に着目した「高付加価値製品」の開発と革新には、地方が主体となって人材を育てて、自立的に継続する路線を採る。

中央官庁の全方位のバラマキ的、成長戦略では、確実に失敗の道を進む。


日本の残された経済発展の方向は見えてきているのに。

2014-08-30 | 経済問題

日本の将来世代の豊かさを望むならば、今からは「高付加価値の製品」を作って、日本独特の価値感と国情に合った製品技術を磨き続けることである。

高度経済成長時代に追い求めた、世界に通用する大量生産の製品技術を追求する方向は、確実に日本の将来を貧困にして行くであろう。

何故ならば、資本主義とグローバル化の中で、人件費とエネルギー費用の安い国に生産が移転してしまうのが合理性があるから、その方向に向かうのである。

 

これは、日本が先進的な技術を開発して、大量に普及する製品を製造出来る様になっても、合理的な行きつく先は、製造拠点は海外に移転する必然性がある。

現実に日本が得意とした家電製品は、大量生産の段階になると「中国や東南アジアの人件費の安い国」に、生産拠点は移転していく。

グローバル化した企業は、日本で発祥した企業といえども、経済合理性に沿った経営をしなければ、脱落する運命にあるからである。

人件費だけでなく、「エネルギー費用、電力費」などの安い国が、製造拠点として有利になることも、考慮して置かなければならない。

 

将来とも日本に製造拠点を置きたいと考えて、国や企業がじたばたしても、一時的に引きとめるだけで、結局は無駄な経費・税金を使うだけに終わる。

そうしたくなければ、人件費を引き下げる方策か、エネルギー費用を新興国よりも安く調達出来る努力しかない。

日本では化石燃料はほとんどを輸入依存であり、原発も割高になるので、エネルギー費用は新興国よりも高くなる。

結局、日本政府と企業は人件費の引き下げを、この20年間に渡って実施したので、デフレ経済に落ち込んでしまった。

 

この経済合理性の理屈から抜け出るためには、日本独特の「高付加価値製品」を開発し続ける努力しかない。

または、世界では通用しないでも日本の国情にあった「独特の製品分野」に特化することである。

後者の判り易い事例は、「軽自動車の規格商品」があるので理解し易いだろう。

日本独特の寸法制限と小排気量のエンジン規格に制限されて、保険や税金が優遇されている。

外国企業はこの分野には、メリットがないので参入しないし、国内メーカーは海外への生産移転を計画に入れないのである。(続)


日本の消費者の嗜好を最重要視することが活性化になる。

2014-08-29 | 経済問題

日本の活性化には、「高付加価値の新商品を生み出す」ことが、もっとも必要な課題である。

高度成長期には需要が次々と生まれて、それに応える商品を作りだせば、大量に売れることで収益が上がり、企業は成長することが出来た。

企業の収益は働く人に還元され、需要が増加する好循環の経済は成り立った。

それが、通常の価値の商品がいきわたる成熟段階の経済になると、価格競争が激化してコストダウンが優先される様になってしまった。

 

価格競争の行きつく先は、人件費の削減に向かって企業の要求が高まり、それを容認してしまった政府の政策によって、働く人への収益の配分が減り続けた。

結局のところ、需要をさらに減退させるので、経済は縮小方向に動いていく。

「高付加価値商品」を求める人がいても、少数派に留まるので、経済全体から見ると、活性化には貢献しない様に見えるのだ。

表面的な数値しか見ない似非専門家の意見で、経済の活性化を「大企業依存の大量生産品」の復活と維持に頼り、経団連などの要求を聞き続けてしまった。

結果は、20年に渡る経済の停滞とデフレにより、総需要は停滞したままだ。

 

経団連などの既存の大企業の要望を反映する政治が効果を発揮したのは、1980年代までで、バブル崩壊、グローバル化経済のもとでは、害悪になった。

大企業の目的は、投資当たりの収益の最大化であり、日本の国民の利益とは大きなずれが生まれている。

政府は、肝心の国民、働き手の豊かさを犠牲にして、大企業の利益増大に奉仕する政策を打ち続けた20年であった。

過去の高度経済成長時代の経営にしがみついている企業は、日本では害毒を流す源泉になってしまった。

 

日本の将来は、新興国にはまねのできない「高付加価値商品」の分野に、国力を集中して、嗜好的商品価値を高める努力を継続する路線にある。

その一部の萌芽は、各地の特質を活かす「食の文化の活性化」に見られる。

和食の良さが世界の富裕層に認められて、これらの食材を世界に供給する事業も始まっている。

この様な数値には表せない「高い感性に基づく品質」は、日本人が生来の土地で育つ環境で培われた「食感と美的感性」がベースになっている。

高付加価値の分野は、高い感性の消費者がその価値を求めるから創生するのだ。


工業製品の輸出は空洞化し農産物の輸出は農水省が無策だ。

2014-08-28 | 経済問題

安倍政権の円安誘導策は、日本の工業製品の輸出競争力を有利にするために、輸入品の価格上昇を犠牲にしてまで、無理やりの支援策であった。

しかし、すでに有力な製造業の分野は、海外生産にシフトしているので、円安で価格競争力が上がっても輸出額はほとんど増えない。

つまり、大量生産型の工業製品は、もはや日本の成長には貢献しない分野だ。

それよりも、これからは農業製品の中で、海外への輸出が伸びる可能性の高い分野が多々あるのだ。

 

ところが、農水省は日本の農業は弱いとの思い込みで、関税でおコメ農家を守ることばかり優先し、農産物の輸出には全く後ろ向きであった。

コジツケ的な「食料自給率」の目標を【カロリーベースの指標】をタテにして、国内の稲作農業ばかりを保護することに専念してきた。

その間に国の農業予算は、輸出向けに適した『高付加価値の農産物』には、向けられていないので、民間の自立的な努力だけで進めざるを得なかった。

オランダの様に、食料自給率にはこだわらず、輸出力のある農業分野へ重点的に国の支援策を講じたのとは、大差がついてしまった。

 

いまだに政治家やマスメディアは、架空の食糧安全保障の呪縛に囚われて、ことあるごとの自給率にこだわる言動をしている。

農水省が農家の連合組織との農水議員の既得権を利用して、農家の保護ばかりしている間に、世界の農産物の輸出額は、1970年代の2000億ドル規模から、2000年代までに10倍近くに増大している。

いまや、「農業は世界の成長産業」と言われて、EU諸国は農産物の国際貿易を牽引して、農業ビジネスを活性化した。

 

安倍政権が今頃になって【農業を成長産業に】と言い出して、旗振りをするお粗末なレベルであるが、何もやらない農水省や、農協よりもマシである。

いや、農水省の役人には、農業の「高付加価値化」などは、全く不得手であり、商売の基本である消費者指向の姿勢が見えない「上から目せん」である。

これでは、農業の輸出に向けた【成長政策がブレーキになる】ことは明白だ。

30年間も低レベルの政策しか打てないで、自分から認めている【農業の弱体化】を招いた責任を、なんと思っているのであろうか。

農業の改革には中央政府は引っ込んで、地域の農業改革に成功した人材に任せるのが妥当で、国は税金を適切に移譲するコトに尽きる。


農業は企業的な経営とノウハウが通用するのは一部だけ。

2014-08-27 | 経済問題

中央政府の机上論的な農業改革案は、【農業への企業参入の自由化】を謳っていることで、旧態依然たる農家の経営を、企業的に効率化する方向だ。

今回の農業の6次産業化の政策でも、企業の参加を促す方針があげられる。

これは、農業の現実を知らない論者のいうことで、現在までに「農業に参入した企業の9割は、赤字経営」となっている。

農業は自然条件と土壌を相手にする「現場の経験を活かすノウハウ」が、重要なベースになる事業であることを、肝に銘じるべきである。

 

単純に「企業の参加」を活発にすれば「農業改革が進む」と考えるのは早計だが、既存の農業のやり方から異業種のアイデアを導入するなら可能性はある。

同じやり方を規模の拡大だけで、企業が資金と人手を投入すれば、採算が向上するほど、安易な事業ではない。

例えば、技術が進化してきた「植物工場の生産」手法を採りいれれば、従来の方法よりも生産量が安定して、有利に展開できる。

しかし、工業的な生産に適した農産物で、安定品質が要求される商品の特定分野に限られるだろう。

 

農業の基本は土地に密着して、気候風土をしっかりと把握した「家族経営的な現場密着」の事業なのである。

企業化するにしても、家族経営的に小規模で顔の見える従業員の、やる気を尊重する風土でなければ、成功はおぼつかない。

その上で、日本の消費者の嗜好や、健康志向、安全性など、「高付加価値の実現」に熱意を持って改革する、挑戦意欲が最も重要な事業である。

従来と同じものを、ただ継続している「準農家」や、所得の大半が他の収入に依存して余暇時間の活用的な「疑似農家」を優遇しては、将来性はない。

 

企業経営的な競争を採りいれるならば、消費者に受け入れられない「低品質・高コスト」の農産物を作り続ける農業では、退出を迫られる。

今までの農業保護政策は、退出農家を補助金で維持することばかり実施した。

農業での生産を継続して、品質維持・付加価値向上を図って、「経営努力」を続ける農業経営者を支援することが最重要なのである。

企業が参入すれば「農業が活性化する」と考えるのは甘い期待である。

打ち出すべき『農業活性化策』は、疑似農家が退出する制度と、意欲のある農業者への耕作地の集約化を、早急に実施することである。


権限の確保が最優先課題である中央官庁の官僚たち。

2014-08-26 | 国創り政治問題

日本の農地は過去10年間で70万ヘクタール減少している。

このデータを見て、農家の戸数が減り続けて、その上、農地まで減少しているから「日本の農業は衰退に向かっている」と声高に主張する組織がある。

それは農水省の役人たちであり、農業が衰退しては「食料自給率(カロリーベース)がさらに低下する懸念」が大きいと自らの主張を強調出来る。

そして、毎年に様に膨大な農業関連予算を、国民の税金の中から獲得して、自らの裁量で各方面に割り当てる権益が確保出来るのだ。

 

中央政府の官僚たちは、2年ごとに担当の部署をローテーションで変わる。

これは、明治政府以来の中央集権国家の「官僚制度の腐敗防止策」である。

長所と短所のある仕組みだが、農業分野にとっては、デメリットばかりだ。

長期の減反政策による米価維持とか、既得権農家の保護政策などには、適した制度であるが、付加価値向上の農業には全く不向きの仕組みだ。

おコメの付加価値向上は、消費者の嗜好と食味の是非によるが、これを中央政府が関与することは、邪魔になるだけである。

 

農業品種のブランド化による価値向上は、おコメでは、各地の土壌と気候、消費者の嗜好に密着した「地域の農業試験研究センター」で進められる。

例えば、九州佐賀県の「さがびより」は、「新潟南魚沼産コシヒカリ」と同等の食味ランキングを獲得している。

この品種改良に取り組んだのは、佐賀県農業研究センターで10年以上かけて2009年に誕生させた。

ひとえに、消費者の嗜好に沿える品種を開発するコトに専念して、粘り強く改良を重ねた結果である。

この様な事例は、北海道の銘柄にもあるが、中央官僚は蚊帳の外である。

 

中央の官僚たちは、2年毎に仕事の対象が変わるので、3年以上もかかる様なブランド化農産品の開発などは、理解の対象ではない。

まして10年以上もかかるような仕事は、絶対に自分の領域に入れず、予算をつける対象から外すのだ。

表向きは「高付加価値化、ブランド化」など言うが、成果が数値に現われない仕事は、自分の権益にもならないことは、軽視する習性に染まっている。

地域の特性を理解することが前提で、付加価値が数値に表しにくい『農業改革の分野』は、中央集権に最も適さない。

この分野はすぐにでも地域主権にする。


地方活性化策の中身が貧弱な安倍政権では農業改革は無理。

2014-08-25 | 国創り政治問題

安倍政権は2014年4月の成長戦略で、「国家戦略特区」を設定して、【農業特区】に兵庫県養父市を指定した。

地域の活性化策として具体的な項目は、「国の支援策について自治体から各省庁への申請手続きを一本化」する。

しかし、この程度のことしか具体策が出来ないくらいに、中央官庁の頭は「現場の農業の活性化策」に頭が回らないのである。

各省庁ごとの縦割り制度が行政手続きを煩雑化して、【特区を指定しなければ進められない】様な、政治主導の劣化が大きな問題である。

 

農業の高付加価値化の中身は、中央政府があれこれと統制して進める課題ではなく、むしろ、地方のやる気のある『農業の実務者』が推進するべきである。

その人たちを支援するのは、国の出先機関の役所ではなく、地元に密着して地域の活性化に熱意のある資産家、金融関係者が当たるのだ。

国がやるべきことは、この方向に対して邪魔している制度を、極力廃止するか、転換するコトである。

農地の集約化や、稲作からの転換を阻害しているのは、今までは「減反政策」によって、小規模農家が農地を手放さないコトにある。

 

自民党は、長期に渡って【農水族議員】と農水省の路線の、既得権農家の保護ばかりを優先して、米価の維持だけが農業政策だとカン違いをしていた。

それではまともな農業収入を得られず、大規模化、生産性向上も進まないで、農業の停滞を招き、次世代の後継者は減る一方の衰退路線であった。

民主党は政権公約では、減反政策の代わりに、戸別所得補償政策を打ち出したが、これでは、農業の改革の路線には、まったく向かわない愚策であった。

再度自民党政権に代わってからは、「減反政策」は転換して、稲作の選択は自由にさせて、生産性向上の誘導策を採り込む政策に転換したのだ。

 

小泉政権時代から、農業の改革は『やる気のある農業者』に任せ、農地の集約などの大規模化を進め様としていた「地方分権」の進め方にやっと戻ってきた。

しかし、農水省は自省の権限を手放すことには、全力で抵抗する姿勢のままだ。

小泉政権以来、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田、と6人もの中央でのリーダーシップは、すべて表向きの農業改革、地方分権、地域主権のカラ手形だ。

第2次安倍政権が、「地方の活性化」だと言い出し、「農業の国際競争力」を強化すると、声高に叫んでも空回りするだけである。(続)


農業の振興策を地域主権のビジョンのもとに実行せよ。

2014-08-24 | 国創り政治問題

地域社会の産業を活性化する施策は、その地域の人たちで自立的に決定して、自らの熱意で進めて成果を生み出すのが、望ましい姿だ。

この様な基本的な考え方が、日本では広がりを阻んできたことで、地域社会の停滞と中央依存の姿勢に染まってしまった。

この停滞の原因は、中央集権の弊害であることは、すでに多くの識者から指摘されていたが、地方分権、地域主権の言葉だけで、実施されることはなかった。

 

自民党の公約でも謳われているし、2006年の第一次安倍政権のもとで、「道州制担当大臣」のポスト新設し、「道州制ビジョン懇談会」が設立されている。

しかし、小泉政権時代の地方分権の施行が、実施されようとした動きは、安倍政権以降の自民党では、まったく進まなくなった。

政権交代した民主党政権では『地域主権』の公約を謳っていたが、政治力、実行力とも全く不足で、殆ど進まないまま第二次安倍政権に交代した。

安倍政権は、「道州制ビジョン」については、政権交代後もまったく勉強も熱意もなく、1年半を無益に過ごしてしまった。

 

今頃になって、「経済成長のためには地域の産業振興」が重要だと言い出し、その一環には「農業の6次産業化」を推進する、と中央主導らしき路線である。

だが、農業の実情は、気候や土壌、地形など、多くの環境が地域独特の様相であり、さらに付加価値の高い農産品は、複雑なノウハウが必須である。

これを、北海道から九州まで、東京で統制しようという発想が間違いだ。

この機会に、農業分野こそ「地域主権の自立的産業振興策」によって、実行を主導するべきである。

それは、農水省の行政権限を地方の行政体に、主権を移譲することだ。

 

歴代自民党政権が、地方の活性化策に『地方分権』としての行政改革の課題で、中央官庁の権限をできるだけ地方行政体に移譲しようと試みた。

しかし、小泉内閣の時の様に、政治力が強大であった時期でも、中央官庁の権限をとりあげて地方に移管するのは、至難の技で実行は難題だらけであった。

この国家的な課題を進めるには、『間接的アプローチ』という戦略を採る。

直接的に中央官庁の権限を地方に移管するのは、【既得権勢力の抵抗】が最大になってしまうのを迂回するためである。

その方策は、農業の6次産業化の分野だけをきりはなして、地域に具体策の決定と予算の執行権限を移譲して、実績を作ることから始めるのだ。(続)


農業の技術革新は中央統制的から地域の現場密着に転換。

2014-08-23 | 経済問題

中央官庁の統制による「政官民の癒着構造」に依存した「農業の6次産業化」は、ほぼ確実に失敗するであろう。

それでは、どの様な体制で農業の再構築を進めるのが良いか、具体策を海外の成功事例の検証によって、各方面で議論すべきである。

事例として、オランダの農業振興戦略に学んでみる必要がある。

オランダは過去30年間で農産物の輸出額は750%の驚異的な伸び率である。

この時期に食料自給率(カロリーベース)は72%から53%に低下している。

しかし、オランダでは政府も農家も国民全体でも、この自給率低下を心配している人はだれもいない。

 

オランダは穀物の耕作面積は減少し、根菜類、野菜などの耕作面積が増えた。カロリーの低い農産物に転換して、野菜の耕作面積が穀物より多い状況だ。

それは、穀物の飼料用小麦やトウモロコシは、アメリカなどの大規模耕作に勝てないので、世界中に買ってもらえる農産物商品にシフトしたのである。

そして、世界で戦えるような技術革新を徹底的に追及して実用化した。

効率的な量産のため品種改良や、機械・設備の開発、貯蔵時の管理技術、輸送中の品質劣化を防ぐ技術など、である。

すべては、顧客に満足してもらえるか、という視点で農業を革新した。

 

それでは、日本では国が主導してそれを実施すれば良い、という単純な発想を官僚と政治家はしてしまう。

何故、農地から離れた遠く離れた東京霞が関で統制する必要があるのか。

オランダは、GDPと経済的にも九州と同規模で、人口もほぼ等しい。

九州の農業の6次産業化を進めるには、九州7県の統一したコンソーシアムで、基本戦略を策定して、現地に近い農業経営者を結集するべきである。

中央の政権は、この地域に主権を与えて、国全体の税収のうち、農業振興に配分する予算を人口比で割当て、使い方は、地域主権で実施すればよい。

 

いや、オランダでは農業革新が実行出来るだろうが、九州に任せては農業革新は無理である、と言い切る人がいるだろうか。

その人は、明治維新以来の中央集権国家の富国強兵政策に、染まったままの頭になっている、化石時代人間といえる。

農業の革新には、適正な規模の地域に密着した現場重視に立脚すべきであろう。

今こそ「地域主権の国創り」に、具体的政策で実施に入る段階になっている。(続)


事業化の経験がない役人には技術も経営感覚も無理。

2014-08-22 | 経済問題

農業を守る役割を30年以上も任されたのに、莫大な税金を投入して得られた成果は、既得権を持った稲作農家を保護することであった。

農業を守るという目的を、「カロリーベース食料自給率を向上させる」という欺瞞性の高い目標にすり替えて、その大義に従って「既得権稲作農家の保護」を最優先に政策目標にしてしまった。

結果として、稲作以外の農業の発展の機会を奪って、先進国の中でもレベルの高い「高付加価値農業」の事業化と拡大を抑えてしまった。

 

ここにきて、グローバル化経済の中で強みを発揮する農業は、「稲作以外の日本に適した農産物の国際競争力」を向上させることに、やっと着目した。

農業(1次)をやったこともなく、農産物の加工事業(2次)も経験もせず、販売の苦労(3次)を知らない役人が、「6次産業化」を取り仕切ると言い出す。

この構図は、必ず失敗するやり方で、過去の失敗の経験から学んだ人たちに、任せることが必須である。

例によって、中央の役人の【おメガネにかなった案件】ごとに、「国の予算を配分するやり方」は、見かけだけが優れた案件におカネが偏るのだ。

 

中央政府は、具体的な案件の審査に関与しないことが、重要な条件である。

では、「だれが事業化する農業の構想と戦略、予算の配分」をするべきか、が課題となってくる。

まずは、『事業化に成功している技術開発の経験者』と、現実の『付加価値農業で実績を積み重ねている経営者』に、具体的課題を委託するべきである。

書類審査とか、経営計画などの見える部分ばかりを重視する様では、農業という自然条件を相手にする事業は、【現実に即さない「机上論」の域】になる。

現場の農業を知らない官僚、政治家達を排除することが先決である。

 

だが、安倍政権は【成長戦略の弱点】を補強するためとして、今まで見向きもしなかった農業の6次産業化を言いした。

中央の大企業優先の政策ばかりを重視して、地方の産業、農業などは放置しているのに、地方活性化重視を掲げている。

稲作重視農業の転換は正しいが、中身の方は「野党時代と政権担当時代」とも、農業に対する認識も技術開発への姿勢も【全くの低レベル】である。

まずは、戦後の70年近くに渡ってはびこってしまった「既得権構造」の、【政官民の癒着】構造を破壊することから始めなければならない。(続)


農水省と関連団体の仕事ができる錦の御旗は6次産業化。

2014-08-21 | 暮らし・健康問題

日本の食糧自給率が(カロリーベースで)41%である、との宣伝は、意図的に低く見せている農水省の狙いがある。

それは、日本の農業を守るとのうたい文句で、既得権の稲作農家の利益を確保するために税金投入を正当化するためである。

おコメの消費量が減り続けても、減反政策によって米価を維持する税金を確保し、さらに米以外への転作奨励の補助金を支給する。

この関連業務によって、農業団体への仕事を確保して天下り先の維持が狙いなのである。

 

この既得権構造の維持のために、「食料自給率の向上」を錦の御旗にしてきたのは、農業の再生には全く役に立たなかったことは明らかである。

稲作の価格競争力は一向に改善されず、農地の大規模化による生産性向上も遅々として進まない。

今や自給率向上のために税金投入する政策は、欺瞞であるとなっている。

減反政策も税金の無駄使いとされて、ついには、おコメの生産は自由選択として、一定規模以上の稲作農家に戸別の所得保障をする政策に転換した。

これは、今ある稲作農家の延命策で、農業の活性化にはならない。

 

そこで、登場したのが、『農産物の付加価値向上策』と「輸出競争力の向上」を政府の力で後押しをする「農業の6次産業化」のスローガンである。

高価格で売れる農産物の生産を、作付から出荷、加工、輸送、販売まで、すべての段階を農家が主体的に参画する仕組みを作る、という構想だ。

狙いはまさに、グローバル化世界、高付加価値社会に適合する、新視点の総合産業化の流れに合致するので、当分の間は【税金投入の錦の御旗】が出来た。

農水省と関連の農業団体は、これで、しばらくの間は、国民の税金を使って延命する仕事が出来たことになる。

 

さらに安倍政権は、都市部だけが恩恵に浴するアベノミクス政策の行き詰まり批判に対して、6月以降は、地方の活性化策に力点を置くことを宣言した。

この政策の中には、農業への合理化、近代化に本格的に取り組むとしているが、その中身は、従来の失敗続きの「農水省の官僚」に政策作りを依存している。

食料自給率のカロリーベースの意図的データを使い出したのが1983年で、それから30年経っても【農業の近代化に失敗した】組織に、また依存するのだ。

消費者に向いた『本当の農業の産業化』が実現出来るか、信頼に値するか?


農水省の誤った啓蒙が農業を衰退させている。

2014-08-20 | 暮らし・健康問題

農業の再生においては、稲作への優先政策を止めることが、まず第一に必要なことであると書いてきた。

しかし読者の方は、それでは日本の食糧自給率が低下して、将来への不安が増加するのではないかと、との疑問がわいてくるであろう。

この疑問に対して、「日本は世界第5位の農業大国」浅川芳裕著、講談社α新書(2010年2月)からのデータ(少し古いが)を引用して、説明をしてみよう。

食料自給率に対する考え方を、一度整理しておく必要があるからだ。

 

農水省は日本の食糧自給率は、2008年の実績は41%である、としている。

この自給率の計算ではカロリーベースのデータであり、万が一に輸入が止まった場合に、国民が飢えない様にするのが、農水省の責任であるとの認識による。

しかし、この理屈によって、だから稲作を重視して輸入関税を高率に維持して「既存の稲作農家を保護する政策」を正当化する【錦の御旗】にしている。

カロリーベースの食糧自給率には、恣意的なカラクリが多すぎるのだ。

このデータの根拠に納得出来るかが、まず第一の認識確認が必要である。

 

食糧不足時代に不安感を煽っている説明の修正が、初めに必要である。

厚生労働省が定める国民一人一日当たりの平均カロリーは1809キロカロリーで、国産供給カロリーは1012キロカロリーで、自給率は56%になる。

この中に、全国で200万戸以上ある自給的農家の農産物は、国産供給カロリーに含まれていない。

さらに、プロの農家の農産物のうち、規格外や、価格下落対策で廃棄される農産物は2~3割あると想定される。

これらのデータに含まれない国産農産物を、供給力に加算すれば、自給可能な率は、一気に向上するのだ

 

それでも、自給率向上を錦の御旗にしたい陣営は、万が一、輸入が全停止した時に国民が飢えないことが最優先だ!と主張するだろう。

現在の日本では、食料不足に事態など想定されていないから、この主張は一重に気分的な不安に訴える【論理性の乏しいアピール】にすぎない。

全食料品の輸入停止事態を訴えるなら、その前に、供給カロリー2573キロカロリーのうち、利用されない700キロカロリーは、どうなっているのだ。

これらは、食べ残しや食品工場での大量廃棄、期限切れ商品の廃棄など、1900万トンが捨てられている。これだけでも、輸入量の3分の1を減らせる。(続)


既得権農業の保護と都会の経済効率優先が少子化を招いた。

2014-08-19 | 暮らし・健康問題

日本の将来に向けての「人口減少対策」を、効果のない政策ばかりに依存したのは、中央官僚の省益優先と政治家の選挙対策が悪影響したのである。

政治家は選挙のたびに地方票の獲得に「農協の組織票」をあてにした、「米作農家への既得権」を優先した政策にこだわってしまった。

農家といっても、大規模経営の専業農家ではなく、小規模の兼業農家や、自給するだけの米作農家を保護するばかりであった。

これらの農家が守られた米価によって、農業の生産性向上を怠ったために、若年層が農業に将来性を持てなくしてしまったのである。

 

多くの若年層が地方に見切りをつけて大都市部に移住してしまい、地方は若年女性の層が薄くなってしまった。

都会に出た女性層は結婚して家庭を持つ時期が遅くなり、結婚しても子供を持たないか一人だけの子供に留まってしまう。

それは、社会が子育ての責任を女性に押し付ける観念が強く残り、東京都議会の女性蔑視ヤジにみられる様に、社会の問題と認識していないのだ。

都会地域の出生率の長期的減少を放置したのは、都会の感覚が経済効率だけを優先する短期思考に走った悪影響が出ているのだ。

 

地域社会の方では、既得権のある小規模農家と、農家一戸に一票に権利がある農協組織によって、中央政府からの税金投入を要請し続けていた。

これで、農業は中央政府の税金によって支えられる構造が、長年に渡って染みついてしまったので、ますます、若年層の農村離れが加速した。

農業事業者の高齢化が進み、新進気鋭の人材が流出する一方で、「高付加価値農業」への挑戦力が削がれて、地域社会は沈滞するばかりである。

それでも、一部のやる気のある農業事業者が、稲作以外の高収益農業への挑戦を続けて、やっと、事業採算性の目途が見え始めている。

 

都会の方では、グローバル化の波に晒された事業者の競争激化と「賃金デフレの蔓延」によって、若年層は厳しい生活環境におかれ続ける。

これでは、都会での「家庭を築くことや子育てをする意欲」も殺がれて、少子化の流れを加速することになってしまった。

地域での既得権農家の保護が優先し、はじき出された若年層は都会で厳しい生活環境に置かれる。

このままでは、少子化は慢性的な社会問題をして、全国に広がるばかりである。


農業の再生とは米作にこだわる農政からの脱却が始まり。

2014-08-18 | 暮らし・健康問題

日本の活性化には、地域社会の産業活動を持続的に維持する必要があり、それにはだれも異論はないであろう。

その地域社会での産業として農業は必須であり、農業の健全な経営がベースになるのは当然である。

ところが農業の維持となるとすぐに、「稲作農家の保護」が最優先に言い出されるのが、日本の農業政策の誤りと停滞を招いてしまったのである。

戦前、戦後の食料不足時代では、米作が最優先されて農家の力に依存しなければ、食料に不安を持ってしまうが、いまや食料不足は喫急の課題ではない。

 

むしろ、地域社会の農家が老齢化して、健全な農業経営が持続できなくなることの方が、最重要な課題なのである。

それには、農業従事者の世代交代と、「高付加価値農業への転換」が、必要になっている。

この付加価値の高い農業というと、すぐに、「高級でおいしいおコメ」の生産に頭が囚われているのが、日本の農業の高生産性の進化を妨げている。

もちろん、地域によっては『高級ブランド米』による農家の増収を図る経営判断もあるだろうが、どこもかしこも高級米に進むのは間違いである。

 

これからの農業生産は、生産性の向上が著しい「施設園芸・農業」が、主力になって行くことで、一人当たりの収入の増加を期待出来る。

1960年頃には、一人当たり18万円の生産額が2005年には438万円で24倍に増加している。

この生産額の向上に貢献したのが、ハウスをはじめとした設備で外部環境を制御して、高品質栽培による作物への転換だ。

おコメの面積あたりの生産額では、10アール(1000m3)当たり10万円程度が、トマトで200~300万円、イチゴが400~500万円、バラが600~700万円だ。

 

稲作にしがみついて『高級化路線』を最優先するよりも、一人当たり生産額、面積当たりの生産額のメリットが大きい作物を、選択するべきである。

消費地や輸送の条件を十分に考慮した、都市近郊のメリットを活かす地域、輸送の拠点の特質を活かす地域など、高付加価値の農産物生産にして行く。

もちろん、稲作の大規模化や高級品化は、地形や気候が適していれば、地域の意思で取り組むのは自由であるが、国策で進める様な中央集権ではない。

各地域の特質に沿った知恵と技術を結集し、「熱意ある事業者」が進めるのだ。


地域活性化の柱となる高付加価値農産物の事業育成。

2014-08-17 | 暮らし・健康問題

日本の地域社会を自立的に活性化させるには、農業の「高付加価値産業化」が、欠かせない時代となっている。

日本の戦後は食料不足の課題を乗り越えるために、稲作の増収と農家の育成を優先的に取り組んできた。

その課題はクリアーしたが、グローバル化した世界での【農業の国際競争力】が懸念されて、生産性向上や大規模化による事業採算性が課題となった。

同時に農業従事者の高齢化がこの先に懸念となっていて、農家保護の政策は行き詰まりを見せている。

 

日本の農業が時代の変化に取り残されてしまった原因は、戦前の国が全体を取り仕切る国策としての農政が大元である。

それが、戦後の農地改革で【食料不足対策】を主眼とした農政と、農地の所有は耕作する人に属するとした、農地の継続的自営が基本となった。

つまり、稲作を中心とした農業政策で、増産と安定性の確保が優先されて、その為の米価維持が重視された経営であった。

増産効果と米食離れによって、おコメが余剰になった段階で、農政を転換する必要があったが、相変わらずの農家の保護が優先された。

 

米作り以外は何も考えない農家が増えて、その中での稲作の減産は、農家が「消費者負担による米価維持」に、しがみつく制度が温存された。

本来の農業は、消費者のニーズに沿った方向に、作物の価値を上げることが、経営の責務であったが、経営感覚のある農家は1%にも満たない状況が続いた。

米価維持のために手厚い農政と、高い輸入関税に守られて「稲作の生産性向上は進化から取り残された」お荷物の農業に転落してしまった。

この国費の負担の増加を減らそうとして、『付加価値の高い作物』に転換を促してきたが、経営感覚を持った人材の参加を阻む農地制度が壁となった。

 

2000年代からは、『高付加価値の農産物』の拡大を奨励しているが、ほとんどの農業自営者は、いままでの保護農政にしがみついて、新事業にはいかない。

やっと、農業従事者以外からの事業参加の壁を取り除いて、事業採算性の高い作物への転換を、企業等の参加によって促そうとしている。

農業自営者の保護から、日本の消費者が求める「高付加価値の農産物」への転換政策が、ようやく本格的に動きだせる様になった。

農業は地域社会に密接に関連した重要産業として、再構築される段階になる。