庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

アメリカの衰退は自動車産業の燃費改善の取組怠慢が響いている。

2011-04-09 | 快適エネルギー社会問題
「アメリカは石油中毒にかかっている」と言ったのは、あの悪名高いブッシュ前大統領である。
それにも拘わらず、ブッシュは自動車の燃費向上規制には消極的で、それによりかかり、アメリカ自動車業界は燃費向上の技術革新を怠り続けてきた。
大企業業界の言い分のままに、技術革新をおろそかにするのは、、国を衰退させる大きな原因である。
ビッグスリーの凋落を見て、やっと燃費規制の強制措置を実現できたのは、オバマが登場してからである。

(オバマ大統領の演説、続き、全文引用)
石油を天然ガスやバイオ燃料で代替する前に、車やトラックの燃費改善も輸入石油依存を減らす重要な方法です。
石油消費量の70%は自動車用燃料に使われ、家計支で2番目に大きいのもガソリン代です。
燃費の改善はアメリカ経済の石油依存を減らし、家計支出を減らす効果があることがわかるでしょう。
私たちは自動車の燃料効率を改善することを30年も怠ってきました。
自動車産業が繁栄を続けてこられたのも、ガソリンが安かったことが一つの理由です。
SUV(スポーツユーティリティビークル)の開発には燃料効率などは検討項目にも入っていませんでした。
30年の失われたときを経て、ようやく効率改善を考えるようになったのです。

そして去年ようやく国の燃料効率基準ができました。
これで年間18億バレルの節約になり、家計もその分助かります。
自動車メーカでは生産ラインの合理化と革新的な車の開発に取り組み始めました。
これからは自動車メーカ、従業員、各州が協力して、自動車の国内生産を強化します。
これこそがわれわれがやらなければならないことです。(拍手)
今年の夏には大型トラックを対象にした初の燃費基準が決り、秋には乗用車の燃費基準の改訂版が決ります。

たくさんの車を持つ大きな組織である政府は、政策を率先して範を示さなくてはなりません。
そこで2015年までには政府の車輌はぜんぶ代替燃料車、ハイブリッド車、電気自動車に切り替えることを決めました(拍手)。これからは民間にもそれをお願いします。学生諸君も消費者あるいはその予備軍として、代替燃料車の普及を推進していただきたい。みんなが買わなければ、メーカは燃費の悪い車を作り続けるでしょう。どうか諸君も燃費のよい車を普及させる推進力になっていただきたい。

都市、農村を問わず高いガソリンを使って車に乗らなくてもよいように、クリーンで効率のよい高速鉄道と大量輸送にも大型投資をします。

しかし石油依存から脱却するために必要な効率のよい車を完全に普及させるためには、革新的な技術がまだ不足しています。
大統領就任直後に、私は2015年までに100万台の電気自動車を普及させるという目標を立て、それに必要な刺激策も作りました。
その効果で今後数年間にこれに沿った新しい自動車工場が立ち上がるはずです。
それに必要な新世代のバッテリー工場も立ち上がり、世界のバッテリー需要の40%を賄う新しいアメリカ製造業が急速に拡大するはずです。
なぜだろうと思っている諸君もいるかもしれませんが、それは電気自動車普及の鍵を握るのは電気を蓄えるバッテリーだからです。

そしてそれもまたエネルギーの問題でもあります。
バッテリーが軽量で効率が高いほど、価格競争力のある車を作るのが楽になるのです。
そしてこの新しい形の自動車を国内で作るようになれば、雇用が増えます。
バッテリーを国内生産できれば、車の生産が国内に戻り、雇用が確保できるのです。
これらの目標を達成するためには、消費者と地方行政に対して新しい車を増やすための刺激を増やすことも必要です。
チュー長官に尋ねるまでもなく、電気自動車は電気で走ります(笑)。
石油依存を減らす代償として、これまでよりクリーンで、安全で、健康な電気の作るための技術の開発と、新たな投資が必要です。
(以下、次回にまだ続きます。)

1 コメント

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40年前のアメリカ自動車産業を見て (福井  豊始)
2013-12-14 23:38:18
1.  私は昭和48年(1973年)にカナダ・トロントで開催された「焼結金属」の(主に自動車部品、電気製品部品に使用)国際会議に参加した後に約2ヶ月間かけてアメリカ全土の自動車産業および電気産業関係会社の約45社の会社、工場見学を総勢50名の科学者、学者、研究者、技術者、関係営業マンなどその道の専門家を引率しまして行って来たのです。当時私は32歳でこの国際会議参加や企業訪問、工場見学を企画したのです。その時一番印象に残ったのがGMモータースでした。
2. 先ずGMモタースで驚いたのは会社が大きく広い事でした。次にGMモタースの社員の数でした。研究部門2万人を含む従業員数は総勢45万人とGMモタースの係員の自慢げな説明でした。私の隣に居たトヨタの技術者に聞きますと、トヨタは当時4万5千人と言う事でした。丁度10分の1の社員数です。
3. 何故にこのように大きく違うのでしょうか?
4. トヨタは全てがリンバーン方式によって自動車部品は下請け発注でつまり自動車メーカーが必要な時に必要な数量、必要な品質、精度(発注者検査、外部検査)必要な価格、必要な納期で納品しなければなりません。自動車メーカーは歩留まり率が非常に高いというより100%である。そのリスクは全て下請け企業の負担になる。依って自動車メーカーはそれらを製造ラインで組み立てればよい。非常に合理的であり、高品質、低価格、高効率で計画製造が可能である。一方のGMモータースは全てが自社内製造で自動車部品、電気系統、内装材、鋼板、鋼材に至るまで自社内で賄っているのである。考えてみたら非常に効率的で安価に自動車が製造されるように見えるが、一方では非常に効率が悪く思った。それは自社内製造であるから、歩留まり率が落ちる。
5. これは即コストに反映されるから我々から見ると明らかに粗悪品であっても組み立てラインに流れる。一つは内部検査であるからである。自動車部品はその数が膨大で、何万個が組み立てられる。                   製造ラインを近くで見せてもらったが、案の定自動車部品の粗悪品が並べてあり組み立てられるのを待っていた。更に組み立てラインの従業員は咥えタバコでコーラを片手に部品のボルトナットを締めていた。組み立てラインの後ろに自動販売機が設置されていて、工場内も余り整理、整頓はされていなかった。日本のトヨタ、日産、三菱自工、ホンダの技術者も肩を窄(すぼめ)ていた。
6. その直ぐ後にアメリカデトロイトでは日本車のバッシングが話題になり、日本自動車の屋根に上り、ハンマーや鉄棒、野球バットで自動車を叩き潰している場面がマスコミなどで報じられていた。確かその少し前は日本の半導体が問題になりドッジラインの固定為替相場が昭和27年から20年目にして撤廃され   1$=¥360から昭和48年には1$=¥280~¥290を推移していたように思う。しかし当時の日本車は殆どがトヨタのコロナ、日産のブルーバードで有ってクラウンやセドリックは余り走っていなかった。アメリカ車は大きいので日本車を横に置くと日本車は軽自動車のように見えた。更に当時の日本車は発展途上国のように見られていたが、街頭では案外多く走っていた。
7. オートバイは日本のホンダやヤマハ、カワサキがアメリカの業界を駆逐していた。当時から既にハーレーダビットソンしか走って無かったように思う。
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