イギリスのEU圏からの離脱選択は、欧州の問題として捉えるだけではなく、「先進国家の将来のあり方」と、開国の進め方の適否の難しさをあらわにした。
「物の移動の自由化」は、大昔から勧められてきて。従来技術では輸出入が困難であった物も、技術進化で安価に移動ができるようになった。
関税をかけて、その移動の自由度に制限をつけることは、じっくりと時間をかけて、関税撤廃の方向に進んできた。
これが、人類全体の平和と生活の進歩につながったのは間違いの無いことである。
EU圏の共同市場の理念は、物の移動の自由を阻害する制度を極力なくして、活発な移動と交換ができる社会を目指している。
そうはいっても、違法性のある物、危険な製品は、移動の自由から完全に排除されなければならない。
麻薬や銃砲は、制限が厳しく決められ、製造事態が厳重な管理下でしかできない。
ところが、EU圏の諸国での管理体制のレベルに大きな差があり、違法性のある物が製造されて、地下ルートをつうじて流入した後は、国境がないのも同然の「EU
諸国での流通は自由に放任」される。
最近時の自爆テロや、無差別銃砲乱射の殺人など、防ぐためには国境における厳重な検閲が必要になっている。
大昔から進展してきた「物の移動の自由化」でさえ、国境を取り払うのはデメリットの方が大きい現実である。
これが、「お金の移動の自由化」を目指している「EU圏の制度」では、「共通通貨の強制」は、さすがに弊害の方が大きくなった。
イギリスは早々にこの弊害から逃れる選択をして、初めから「共通通貨制度」への参加を見送っていた。
一つの経済活動圏内で、弱体の国や地域が生じた場合には、全体的な経済力を活用して、弱体の地域、国を積極的に支援するのが、理念でなければならない。
ところが、[EU圏の実力]では、ギリシャ、ポルトガルなどの弱小国の支援には懐疑的で、緊縮財政を強制して、支援は最小にする方向である。
共通通貨を利用する前提には、【弱小地域の自助努力が先】にあり、ドイツのような経済強国の支援は、ドイツ国民の施しの善意を元にしている。
これでは、弱小国の経済強国の国民の間に、「うらみ」「嫌悪感情」「蔑視」などの弊害が蓄積していく。
これが、民族的地域で統一された国の中であれば、弱者を救うのは強者と富裕層の責務として、義務感で統一されている。
しかし、経済的なメリットで共有している「共通通貨制度」は、ドライな論理だけが先行して、各国の国民の善意は後回しの理想論に退けられている。
その上に、「人の移動の自由化」が、この感情を顕著にして弊害が生まれる。(続)